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【御礼60,000PV到達】戸侯記  作者: 和音
■第二章■ ~元服/天正大地震~

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45/253

6-15 丹波亀山【憔悴】

【編集】

2026.8.18 文章構成含め、全体的に改稿しました。


翌朝――



永重、半佐、重兼の三人は、連れ立って登城した。


朝の城内はいつもと変わらぬように見えた。

行き交う小者の足音。

遠くから聞こえる馬の嘶き。

廊下を渡る風に障子がかすかに鳴る。

だが永重には、それらすべてがどこか上の空に聞こえていた。


登城するなり、永重は永勝への面談を申し入れた。

控えの間に通され三人はそこで待った。

一刻が過ぎた。

それでも呼び出しはない。


「……何事か起きたのでしょうか」

堪えきれず、半佐が口を開いた。

重兼は答えなかった。

床几に腰を下ろしたまま、両の手を膝に置き目を閉じている。

永重もまた、何も言わなかった。


やがて立ち上がると、凝り固まった肩をほぐすようにゆっくりと腕を伸ばした。

「父上――いや、殿もお忙しい身だ。

待つしかあるまい」


その言葉に、半佐がちらりと永重を見る。

元服してからというもの、永重は人前では永勝を「殿」と呼んでいた。

誰かにそう命じられたわけではない。


父と子であることと、主従であること。

その二つを混同させぬよう永重自身が決めたことである。

だからこそ、今の「父上」という一言が半佐には妙に可笑しかった。

思わず口元が緩む。

「左様ですね。失礼なことを申しました」

そう言って、半佐は板床へ座り直した。

だが、そこからさらに半刻が過ぎた。


そしてようやく廊下の向こうから声が掛かった。

「お呼びでございます」

三人は顔を見合わせることもなく立ち上がった。

部屋へ通される。

三人は畳の上に胡坐をかき、深く頭を下げた。


「面を上げよ」

聞き慣れた声だった。

永重は顔を上げた。


そして――止まった。

半佐も同じだった。

重兼だけが、僅かに眉を動かした。


永勝が、そこにいた。


しかし三人の知る永勝とは違っていた。

頬はこけ、目の下には濃い隈が浮いている。

いつもなら背筋を伸ばして座っているはずの身体も、今日は肘木に寄りかかっていた。

何より、その目に力がない。


一晩で、これほど人は変わるものなのか。

永重は胸の奥が冷たくなるのを覚えた。


「……殿、大丈夫でございますか」

声を掛けると、永勝はしばらく永重を見た。

そして口の端だけを僅かに上げた。

「……長いこと待たせたな。大丈夫だ」

笑ったつもりなのだろう。

だが、その笑みはあまりにも弱かった。


永重は何も返せなかった。

永勝もまた、しばし黙っていた。

やがて目を伏せる。


「――永重。皆も」

声の調子が変わった。

三人は自然と背筋を正した。

「これより言うことは、他言無用だ」

永勝は一度、息を整えた。


そして、言った。

「中納言様は……長くは持たぬやもしれぬ」


誰も動かなかった。

永勝は目を閉じた。

「大垣よりこちらへ戻られてのち、ここ最近は快方に向かっておられたのだが……」


そこで言葉が途切れた。

永勝の右手が、肘木の上で僅かに動く。

「先日の地震じゃ」

その一言だけで、三人には何のことか分かった。


あの揺れ。

大地そのものが唸り、城も屋敷も、人も物も、すべてを揺さぶったあの地震。


「御身体が弱っておられたところへ、ご心労も重なった」

永勝はゆっくりと息を吐いた。

「揺れの折、中納言様は御殿を出て庭へ避難なされた」

そこで永勝は一度、言葉を切った。

「だが、その際に足を取られ、転ばれた」


半佐が息を呑んだ。

「大事には至らぬと報せは受けた。

……その時は、そう思っていた」

永勝の声が少しだけ低くなった。

「だが、それ以来ずっと床に伏されておる」


誰も口を挟まない。

「今朝方は、ほとんど御言葉も交わせぬほどの――」

そこで、声が途切れた。


永勝は唇を結んだ。

しばらく畳の一点を見つめている。

その横顔を見て、永重は初めて気づいた。


父は、恐れている。

一家の主としてではない。

一人の人間として。

そして、おそらくは息子にそれを悟られたくないのだ。


永勝は顔を上げた。

目には、先ほどまでにはなかった強い光が宿っていた。

「もしもの際には――」

低い声だった。

だが、三人の胸にははっきりと届いた。

「我ら藤懸家は、太閤殿下のもとに参る」


永重は、すぐには返事ができなかった。

胸の奥へ、重い石を落とされたようだった。


父が何を決めたのか。

それが意味するところを永重には分かっていた。


これまでと同じではいられぬ。

「……承知いたしました」

ようやく絞り出した声に、自ら覚悟を込める。

半佐も、重兼も、何も言わなかった。

ただ深く頭を垂れた。


永勝は三人を見回した。

「今後のことをしっかりと考えねばならぬ」

それだけ言うと、再び肘木へ身体を預けた。

目を閉じる。

もう話すことはない、というように。


永重は一礼した。

そして、続けて自分から申し出た。

近江の石川頼明から届いている援助の求めについて米と塩を送る。

それに加え、炭も送る。

また、自らの扶持から新たに側付きを二人雇いたい。

一つ一つを告げるたびに、永勝は短く頷いた。


いつものような明瞭な返答ではない。

「……そうか」

「はい」

「そなたの考えるようにいたせ」

最後だけは、はっきりとした声だった。

「承知いたしました」

永重は頭を下げた。


三人は部屋を辞した。

廊下へ出る。

障子越しの朝日が、板敷の上へ細く差し込んでいた。


その光を見たところで、永重の足が止まった。

後ろにいた半佐も止まる。


重兼だけが二人より数歩先へ進んでいた。

やがて重兼も足を止めた。

振り返る。


「――言えなかった」

永重の声だった。

半佐が黙って見る。

「これ以上、ご心配をお掛けすることは出来ぬ」


永重は障子の向こうへ目を向けた。

その先には、先ほどの父がいる。


「月心らが忍びであることは、当面伏せておく」

重兼は何も言わない。

「……足利公の件もだ」

永重は一度、言葉を止めた。

それがどれほど重大なことなのか、三人とも分かっている。


「特にこの件は、我々ではどうすることも出来ぬ」

言い終えると、永重は障子を見た。


ほんの一瞬だった。

それから踵を返した。

半佐も重兼も、何も言わずに続いた。

城を出ても三人の間に言葉はなかった。


朝の丹波は、よく晴れていた。

空は高く、雲も少ない。

遠くの山々までくっきりと見える。

穏やかな朝だった。


だからこそ、三人にはその静けさが不気味だった。

何かが起きる。


いや――

すでに、何かは始まっている。

そんな気がしてならなかった。




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