6-10 丹波亀山
寺の境内――
倒れた家々の応急処置を終え、夕暮れを迎えた村人たちは少しずつ避難してきた。
三人は手綱をそれぞれ木に結び、境内の片隅に焚き火を起こし腰を下ろす。
火はゆらりと揺れ、周囲の土の湿った匂いをほのかに照らしていた。
風はなく、夜の静けさが広がりはじめていた。
「……随分と疲れましたな」
重兼が火に目を落としながら呟く。
声は低く、しかし確かな安堵が混じっていた。
「うむ。谷の村は、思ったよりも被害が大きかった」
永重は手を火にかざし、指先を温めながら答える。
瞳はまだ緊張の余韻で光っていた。
半佐は薪をくべ、火の勢いを少し強める。
「下手をすれば、あの斜面ごと村が押し流されるところでした……。
あの土砂には肝を冷やしました」
重兼は火の揺らめきに顔を映して、
「無理に突っ込んでおれば、こちらが巻き込まれていた」
「……そうだな」
永重は焚き火の炎を見つめ、しばし沈黙した。
心の中では村人の顔がちらつく。
助けられた者、傷ついた者、恐怖に震えた者……。
「馬は敏感ですな。谷の土の匂いや微妙な振動を感じ取っておる。
……永重殿の馬は、夜光は確かに良い馬です」
重兼は頭を搔きながら答えた。
「人も、ああでありたいものです」
半佐の声に、火のパチパチという音だけが応えた。
少しの間、三人は静かに火を見つめていた。
「……某はここ丹波の榛原郷の出身でしてな」
重兼が火を見つめたまま口を開く。
「明智日向守の丹波平定では敵対しておりました」
少し間を置き
「……まぁ、色々あり今は永勝様にお仕えしております。
今日の地震ののち、永勝様に呼ばれ、こう言われたのです」
焚き火から永重へ目線を移し
「これより永重殿と一緒に行動せよ、と。
……そこで見極めよ、と」
「……見極める?」
半佐が問う。
重兼が半佐を見て言った。
「そうだ。
永重殿に仕えるか、このまま永勝様に仕えるか、見極めて選べ、と」
再び目線を永重に移すと、少し笑みを浮かべ
「某は、腕にはちと自信があります。
永重殿の側には半佐殿が居ります――
しかし、ひとたび戦となれば……御心配であったのかと」
永重は驚いてしばし重兼を見つめたのち、聞いた。
「それで……重兼殿は如何なされる?」
重兼は、笑みを消したのち片膝を立てていた姿勢を正し、両手を揃えて深く頭を下げた。
「永重殿……いえ、永重様。
これより某を、御側に置いて頂きたく存じまする」
「何故だ?」
永重が問うと、重兼はすぐには答えなかった。
焚き火の中で薪が崩れ、火の粉が一つ、夜気に舞い上がる。
「……今日のことを見て、でございます」
そう前置きして、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「揺れの後、人はみな永重様を見ておりました。
命令を待っていたのではない――
“どう動くか”を、見ていたのです」
永重は黙って聞いている。
「土砂が動いた折、永重様は迷われた。
助けに走りたい気持ちと、皆を危険に晒してはならぬ理を、同時に抱えられた」
重兼はそこで一度、息を吐いた。
「そして、止まられた。あれは……出来そうで、出来ぬことです」
半佐が静かに目を伏せる。
「武で押し切る者もおります。
情に流れる者もおります。
永重様は、そのどちらもなさらなかった」
重兼は顔を上げ、火越しに永重を真っ直ぐ見た。
「某は丹波で、多くの“正しい戦”を見てまいりました。
……その中で、守られたはずの村が、守られなかったことも」
低い声だったが、焚き火の音に負けていなかった。
「今日、永重様は刀を置かれた。
武士が、土を掻くために。
あの時点で某の中では答えは出ておりました」
しばしの沈黙。
夜の境内に、遠くから子の咳き込む音が聞こえる。
「某は、勝つためだけの御方には仕えませぬ。
……生き残った者が、次の日を迎えられる御方に仕えたい」
再び、深く頭を下げる。
「永重様の――若殿の背は、今日、前にございました。
恐れから退かず、されど無謀に走らず――
その背であれば、某は戦場でも自らの命を預けられます」
焚き火が、ぱちりと鳴った。
永重はしばらく火を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「……ちと買いかぶりすぎだな」
そう言うと微笑み、重兼を見る。
「そこまでのものではないぞ、某は」
立ち上がり、
「……ただ、自らが名を残すことよりも、良いと思うことのため、主のために動きたい」
重兼を見下ろし、笑いながら言った。
「父にも言われたことだ」
そう言うと、重兼の方へ身体ごと向き直り
「重兼殿――いや、多紀重兼。これより、よろしく頼む」
永重は、そう言って頭を下げた。
重兼は
「若殿、よろしくお願いいたしまする」
と再び伏せて答え、半佐の方へ身体を向け
「半佐、共に、よろしく頼む」
と同じく頭を下げた。
半佐も慌てて
「重兼殿、よろしくお願いいたします」
伏して返した。
深々と下げられた三つの頭の間で、焚き火が静かに燃えていた。
永重が顔を上げると、夜はすでに深まりつつあった。
境内の端では、避難してきた村人たちが身を寄せ合い、かすかな寝息と囁き声を交わしている。
泣いていた子も、いつしか声を失い母の胸に顔を埋めて眠っていた。
夜光が、繋がれた木の下で小さく鼻を鳴らす。
半佐が焚き火に薪を足し、炎が一段明るくなった。
空は相変わらず澄んでいる。
星は何事もなかったかのように瞬いていた。
焚き火は、静かに燃え続けている。




