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戸候記  作者: まさごろう
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1-2 長浜城

「母上! ただいま戻りました!」


家の門をくぐるや否や、松丸は声を張り上げ、足早に玄関へと向かった。

上がり框に姿を現すなり、返ってきたのは「おかえり」の一言ではなかった。


「何がありましたか?」


華の面持ちは明らかに切迫していた。

見た目こそ取り繕ってはいるが、相当に不安だったのだろう。

華の後ろからは治郎丸と志野が恐る恐るこちらを覗き込んでいる。


松丸は土間の板縁に腰を下ろし、沓脱ぎ石の上で草履を脱いだ。


「父上に何かあったわけではありませぬ。まずは、ご安心を」


そう告げてから桶の水で足を洗い布で拭うと、居間へと上がった。

小太刀を脇へ置き胡坐をかいて座ると、松丸は静かに口を開いた。


「……まず、昨日、京にて変事があったとの由にございます」


言葉が終わるより早く、華は準備していた白湯を差し出した。

松丸はそれを受け取り、一口啜ってから続ける。


「何が起きたのか、詳しいことはいまだ掴めておりませぬ。

されど、京での変事とあれば――

ご公家衆か、あるいは右府様の御身辺にて何かが起きたものかと」



右府――。

右大臣・織田信長。


尾張清洲三奉行家の一つ、弾正忠家を継いだのち、斯波氏を逐い尾張を統一。

桶狭間にて今川義元を討ち、美濃を統一したのち足利義昭を奉じて上洛。

三好三人衆を退け浅井・朝倉を滅ぼし、敵対した義昭を京より追放した。


天正四年(1576年)には安土に城を築き、石山本願寺と雌雄を決し甲斐武田をも滅ぼした。

いまや中国、四国へと兵を向けるその歩みを、止められる者はいなかった。


――天下は、確かに織田のものとなりつつあった。



「これより戦支度のうえ、あらためて登城せよとの由にございます」

そう告げられた瞬間、華の肩からふっと力が抜けるのが、傍目にもはっきりと見て取れた。


「分かりました。すぐに支度を整えましょう。もっとも……我が家がいかほどのお役に立てるものか」


藤懸家は中国攻めの渦中にあった。

否、藤懸家のみならず、北近江一帯は四方を味方に囲まれているがゆえ、羽柴家中の兵勢はこぞって西へと注がれている。

北近江に残る兵といえば、平時の治安を保つに足るほどの数に過ぎなかった。


「少なくとも某は、このまま支度を調え登城いたします」

そう言い置くや、松丸はためらいもなく腰を上げ、着替えのため奥の間へと足を向けた。


-------------------------------------


松丸は鎧を着込み終えるや、間髪入れず長浜城へと急いだ。

城門をくぐれば、内にはすでに数多の鎧武者が集っており、その顔触れは若年の者と白髪混じりの老練、まさに老若のみが入り交じっていた。


松丸は脇目も振らず本丸へ向かい、先刻と同じ板の間の大広間へ入る。

同じ場所に座り込み、今はただ下知を待つのみである。


四半刻ほどが過ぎた頃、隣に長松がどっかと腰を下ろした。

「何かわかったか」

「いえ、未だ下知はございませぬ」

それきり言葉は途絶え、二人は黙然と前を見据えたまま時をやり過ごした。


さらに四半刻。

奥の間より、鎧の擦れ合う重々しい音が響き、三之丞を先頭に数名の武者が広間へと姿を現した。

その姿を認めるや、広間に居並ぶ武者たちは一斉に居住まいを正し、正面へと向き直った。


「おおよそが掴めた」


三之丞はそう言うと、右手を腰の太刀に添え、わずかに息を置いた。


「――昨日、京・本能寺において、日向守、謀反」


その一言が落ちた刹那、広間の空気は氷を打ち込まれたかのように凍りついた。

三之丞は間を与えぬ。


「右府様(信長)の御行方いまだ知れず。左近衛中将様(子・信忠)もまた同様である」


 沈黙が流れ、やがて押し殺したざわめきが広間を満たした。


「静まれ!」

 一喝に、波立った気配は再び鎮まる。


「現在、安土城の様子を探らせてはいるが……無事とは考えぬがよい」

 そう断じ、三之丞は言葉を継いだ。


「結論を申す。この長浜にある兵二百に満たぬ。城を死守するより、人を護るを先とする」


 再び一呼吸。


「これより、我らが進退について下知を下す」


 三之丞は広間を一望し、迷いなく言い切った。



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