6-8 丹波亀山
永重と半佐は自宅へ戻り、領内巡視の準備を整えていた。
二人とも徒歩ではなく馬での移動になる。
戦時ではないため装いは小袖に袴であったが、腰にはそれぞれ刀を差し、馬には鞍と鐙をつけていた。
永重は元服の折、父・永勝より一頭の馬を与えられていた。名を夜光という。
黒に近い濃い毛色に艶のある青毛の、まだ三歳の若馬である。
性格は落ち着いているが、ひとつだけ難点があった――もっとも、それは長所とも言えた。
夜光は、永重以外の命をまったく聞かなかった。
暴れることはないが、永重以外の命には梃でも動かない。
それでも半佐から与えられる飼葉と水だけは、素直に口にしていた。
準備を終えた永重は、改めて母屋へ向かい母・華らに城内の様子と領内巡視に赴く旨を伝えた。
さらに土間にて、下人や女中に不用意に屋外へ出ぬよう言い含めていた、その時である。
門前に、一騎の騎馬武者が姿を現した。
武者は下馬すると、こちらへ歩み寄ってきた。
装いは永重らと同様、小袖に袴、腰には刀を差している。
年の頃は二十代半ばと見える、若い男であった。
玄関口まで来ると、渋面のままわずかに頭を下げる。
「御免。某は多紀重兼と申す。
永勝様の命により、永重殿にご同行いたす」
そう告げると、重兼はちらりと永重へ視線を向け、すぐに踵を返して馬のもとへ戻っていった。
半佐が一歩前に出ようとしたが、永重はそれを手で制した。
「父の命とあらば、異存はない。
ただし、これよりは被害が無いかの領内巡視。一刻を争う」
永重がそう言うと、重兼は足を止めたまま、わずかに肩越しに振り返った。
「承知している。見ての通り某も馬は出しております」
言葉は簡素だったが、声音に迷いはなかった。
永重はその背を一瞥し、夜光の待つ厩へと向かった。
厩の前では、夜光が静かに首を振っていた。
永重が近づくと、その動きがぴたりと止まる。
「待たせたな」
声をかけると、夜光は鼻を鳴らしわずかに前肢を踏み出した。
手綱を取ると、抵抗はない。
永重の動きに合わせるように素直に歩き出す。
一方で、後ろから近づいてきた重兼が夜光を覗き込んだ瞬間、夜光が耳を伏せた。
重兼が何か言おうと口を開いた、その途端である。
夜光は動きを止め、地に根を下ろしたかのように一歩も進まなくなった。
「……これは」
隣にいた半佐が思わず呟く。
重兼は眉をひそめ、馬の首元へ手を伸ばしかけたが、永重がすぐに声をかけた。
「触らぬ方がよい」
短く告げると、重兼は手を止めた。
夜光はなおも動かぬまま、ただ永重の横顔だけを見ている。
「こやつは、某以外の言うことを聞かぬ」
永重がそう言って手綱を軽く引くと、夜光は何事もなかったかのように歩き出した。
重兼はしばしその様子を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……難儀な馬ですな」
「よい馬だ」
笑みを浮かべ即座に返すと、重兼は一瞬だけ口元を歪めた。
それが笑みであったのかどうか、永重には判別がつかなかった。
「出立する」
永重がそう告げると、半佐は自らの馬に跨り、重兼もまた無言で鞍に足をかけた。
三騎は門を抜け、城下へと続く道へ馬首を向ける。
秋の名残を含んだ風が、袴の裾を揺らしていた。
こうして、領内巡視の道行きは始まった。




