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戸侯記  作者: まさごろう


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4-3 行徳寺

一部見直し前の文章がそのまま残っていたため編集しました。


一行は行徳寺に辿り着いてから、何事もなく日々を過ごしていた。


長浜城で三之丞から渡された書状は、兵庫助を介し行徳寺に渡された。

その書状の中身を読んだ行徳寺住職は、一行を手厚くもてなしてくれた。


松丸らはただ寺で寝食をしていたわけではない。

建物の修繕や境内の草木の剪定、炊事の助力など、進んでさまざまな作業をこなしていた。


そして、そうした中で次第に新たなことが分かってきた。



明智日向守の謀反――


日向守光秀は1万3,000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣、京にある本能寺に居た右府信長を急襲したという。


右府信長の行方はいまだ不明であったが、日向守はすでに右府を討ち果たしたものとして各方面に自らに与するよう働きかけていた。

時を同じくして京に居た、徳川次郎三郎家康もまた行方知れずとなっていた。


織田家当主である左近衛中将信忠は、京の二条御所で討ち死、安土は燃え落ちていた。


また、岐阜城は留守居役であった斎藤利堯が掌握し、付近の寺社には禁制を掲げるなどその旗色は未だ鮮明ではなかった。

左近衛中将信忠の嫡子・三法師は、戦火を逃れるため前田玄以に伴われ清州にいるらしい、との話であった。



そして――

殿、羽柴筑前守秀吉らの動向は、いまだ掴めていなかった。


もし明智日向守が毛利と手を結べば、羽柴軍は挟み討ちに遭うことになる。


父は無事なのか。

これから近江はまた戦火に巻き込まれるのか。


松丸は表情にも口にも出さなかったが、作業の最中、ふと父母や弟妹、家のことを思い浮かべると、胸の内がざわついた。


それは兵庫助や長松や半佐、ほかの足軽たちもまた、決して口にはしなかったが同じ思いであった。




不安の中そのまま日は進み、京で変が起きておおよそ半月が経ったその日――


それは境内に唐突に鳴り響いた。



ピイイィィーーーーーーー!!



それは、行徳寺に着いたその日、兵庫助が見張り番に渡していた木笛の音であった。






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