3-6 美濃道中
矢は、右前方の林の中から射られていた。
しかしその弓勢は弱く、道の左側に寄せて散っているこちらには届いていない。
輿を、馬から降りた兵庫助と足軽数人で守れていることを視認すると松丸は、
「長松殿、某は兵庫助様のところに行きます。
右手、我らの後方から敵が来ないか見ていてくだされ」
そう言うと長松の返事を待たずに中腰のまま急ぎ向かった。
「兵庫助様!!」
松丸の呼び声に、輿の脇で太刀を抜いていた兵庫助が振り向いた。
矢が一本、地面に突き立つ。土を弾く音が、やけに乾いて響いた。
「松丸か、無事だな!」
兵庫助は素早く林の方向へ目をやり、唇を引き結んだ。
「数がわからぬな…」
「多くはありませぬ。矢も狙いが甘いように思います」
「……足止めか」
兵庫助は輿を一瞥した。中からは物音ひとつしない。
輿を道の左端に寄せ、その周りで足軽たちが必死に盾を構え、視線を左右へと走らせている。
そのとき、林の奥で枝が大きく揺れた。
「来ます!」
松丸が叫ぶのとほぼ同時に、今度は矢が二本、続けざまに放たれた。
一本は輿を守る盾に当たり、鈍い音を立てて弾かれた。
もう一本が、右隣りにいた足軽の脛をかすめる。
「ぐあっ!」
「下がれ!」
兵庫助が一喝すると、松丸は即座に林の縁へ目を凝らした。
矢は相変わらず弱い。だが――射る距離は詰まってきている。
「輿を動かす。ここは不味い。
松丸、お前は俺と共に居ろ。矢を射る者の気配を探れ」
「はっ!」
「長松には後方警戒を続けさせる。何かあれば声を上げさせろ」
松丸は一瞬だけ兵庫助の顔を見た。
迷いはない。
「承知」
二人は低く身を屈め、輿の前へと出た。
林からまた一本、矢が飛ぶ。
だがその矢は、途中で力を失い、虚しく地に落ちた。
輿が動き出すと同時に、足軽たちは半円を描くように位置を入れ替えた。
盾が擦れ合い、草を踏み鳴らす音が小さく重なる。
「ゆっくりだ。走るな」
兵庫助の声は低く、しかしよく通った。
その声に合わせるように、輿を担ぐ者たちの歩調が揃う。
松丸は林の縁から目を離さなかった。
矢が来ない。――来ない、ということが、かえって不気味だった。
(射手が動いたか)
林の奥、幹と幹の隙間。
先ほどまで矢が飛んできた位置よりわずかに右。
葉が揺れた。
雨や風のそれとは違う、重さのある動きだった
「兵庫助様」
松丸は声を落としたまま、林の一点を左手で示す。
「射手、移動しております。二人か三人かと」
兵庫助は一瞬だけ視線を走らせ、すぐに前へ戻した。
その直後、
「後方、人影ありーー!!」
長松からの合図だ。
「後ろも来るか」
兵庫助は射手がいるであろう林を見ながら舌打ちひとつし、判断を切った。
「松丸、左方から林に入れ。深追いはするな」
「はっ!」
松丸は返事と同時に身を翻した。
草を踏む音を殺し、相手からなるべく見えないように輿の裏を通り木陰へ滑り込む。
林の中は思ったより暗い。
雨で湿った土の匂いが強い。
一行の少し先で道を渡り、射手が潜む林へ駆け込む。
そして目を凝らしながら一行の対面に向けて歩く。
――いた。
若い。粗末な弓を抱え、息を潜めている。
その背後、年嵩のもう一人。
松丸は太刀の柄に手をかけたまま、相手の後方へ回り一歩踏み出した。
雨音でこちらには気付かれていない。
「動くな」
自分の声とは思えないほど低い声だった。
だが相手は驚き、こちらを向き反射的に弓を引こうとする。
次の瞬間、松丸の足が相手の手首を払った。
弓が落ち、乾いた音を立てる。
「くっ――」
もう一人が逃げようとしたが、林の外から怒号が飛んだ。
「そこだ!」
兵庫助の声だ。
同時に足軽の三人が林へ突っ込み、逃げ道を塞ぐ。
挟まれた敵兵は、観念したように膝をついた。
松丸は捕らえた足軽を見下ろし、小さく息を吐いた。
遠くで、兵庫助がこちらを振り返る。
松丸と視線が合いわずかに頷くと、中腰のまま殿の長松の方へ駆けて行った。
戦いは、まだ終わっていない。




