10.魚がないのだと気付いた時の海鮮鍋
真冬だった。
バルガの城塞は、昼でも吐く息が白い。
石壁に囲まれた町は風を遮るが、そのぶん冷えが溜まる。
関所を抜けたところで、リッカは外套の前をきゅっと押さえた。
(寒い……)
神殿での祈りと、ギルドでの納品は、今月も滞りなく終わった。
薬草とキノコ、それから保存の利く木の実。
それなりの数を月に一度、きちんと納めることで、冒険者証は更新される。
それが、リッカが“社会とつながっている”唯一の理由だった。
最近はそれに加えて、アーバンがぽつぽつと声をかけてくる。
「売り物になるから、メルクの実があったら頼みたい」
「シカなんかのツノも素材になる。拾ったら持ってきてくれよ」
狩れ、とは言われない。
探せ、とも言われない。
拾えるなら、でいい。
その距離感が、ありがたかった。
今月は、シカ系の魔物のツノを三本、納品していた。
木箱を開けたアーバンが、一本手に取って眺める。
「このツノなら、だいぶでかいやつだなぁ」
「森の奥に落ちていました」
倒したわけではない。
雪の下から、たまたま見つけただけだ。
アーバンはツノの付け根を指でなぞり、軽く頷いた。
「拾い物でも十分だ。加工すりゃ、柄にも留め具にもなる」
それから、何気ない調子で付け足す。
「でも、あんまり奥まで入りすぎるなよ。
ツノが落ちてるってことは、その辺に魔物がいたってことだ。
無理に探す必要はない。拾える時だけでいいぜ」
「……はい」
それ以上、言葉は交わさなかった。
帳簿が閉じられ、今月の記録も終わる。
町を出て、転移地点へ向かう森に入ると、音が一気に減った。
雪を踏む音と、枝が軋む音だけになる。
その静けさに、ほっとする。
(……今日は、鍋にしよう)
寒い日は、汁物がいい。
火にかけて、温めるだけのもの。
家に戻ると、リッカは外套を脱ぎ、すぐに火を起こした。
身体の芯が、まだ冷えている。
アイテムボックスの画面を開く。
そこにあるのは、文字情報の一覧表示だけだ。
指で何かを探している感覚はない。
ただ、並んだ情報を眺めているだけ。
(……魚、ない)
そう思って、少し間を置いた。
内陸だ。
バルガは海から遠い。
川魚はあっても、海魚は高価で、滅多に出回らない。
(そういえば、この世界に来てから……)
魚を買った覚えはない。
食べた記憶も、ほとんどない。
もう一度、画面を眺める。
(……あ)
端のほうに、見慣れた文字列があった。
鱈・切身
一瞬、思考が止まる。
次いで、息が抜けた。
「……あるじゃない」
内陸だから、海が遠いから、と一人で納得した直後にこれだ。
完全に、自分の思い込みだった。
(セカイさんは、スーパーとかに行ったことが……あるわけないか)
きれいに下処理された切身が表示されている。
それをしばらく眺めてから、視線を戻す。
(まあ……今日は、こっちでいいか)
理由は特にない。
今日は、鍋の中に海を呼びすぎない気分だった。
鍋を出し、水を張る。
昆布を一枚。
火にかける。
野菜は、この世界のもの。
白菜に似た葉物。
白ネギに近い香味野菜。
キノコは、納品に出さなかった分。
ぐつぐつと煮え始める音を聞きながら、
冷凍のシーフードミックスを少量、鍋に落とした。
一瞬、香りが変わる。
(……海の匂いだ)
懐かしい、というほど強くはない。
ただ、「違う場所の匂い」だとわかる。
湯気が立ち上り、鍋の中がにぎやかになる。
色も、音も。
器によそって、ひと口。
塩と出汁と、ほんのりとした海の旨み。
身体の内側から、じわりと温まる。
(おいしい)
それ以上でも、それ以下でもない。
ただ、ちゃんとおいしい。
食べながら、ぼんやり考える。
この世界には海がある。
けれど、ここにはない。
それだけのこと。
足りないからといって、悲しいわけでもない。
あるもので作れるなら、それでいい。
鍋をつつきながら、火を弱める。
最後は、汁だけになる。
(……次は、雑炊かな)
そう思ってから、少しだけ可笑しくなった。
誰に見せるわけでもないのに、ちゃんと「次」を考えている。
食べ終わると、身体が少し重くなる。
でも、それは嫌な重さではなかった。
外は、静かな雪。
風の音もしない。
リッカは鍋を洗い、火を落とし、椅子に座った。
しばらく、何もしない。
魚がないのだと気づいた日。
そして、あると気づいて、少し笑った日。
それでも、ちゃんと食べた。
今日は、それで十分だった。
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本日の鍋・材料
【異世界】
・白菜に似た葉物野菜
・白ネギに似た香味野菜
・キノコ数種
・昆布
【アイテムボックス内】
・冷凍シーフードミックス(少量)
・鱈の切り身
ひとり用、静かな海鮮鍋。




