第25話 黒歴史だけど!
アレクは兵士たちに連れられて、地下牢から出る。
両手を縛っている縄を解こうと、アレクは隙をうかがっていた。けれども、なかなか機会に恵まれなかった。
「早く歩け」
「くそっ……!」
動きにくいドレスも原因の一つだろう。
どうせ男として公衆の面前に連れて行くなら、服も着替えさせて欲しかった。割と切実に。
これでは、ただの女装癖の男ではないか。シャレットから「女装癖の男ではありませんか」と言われそうだ。なんとなく、想像がついてウンザリした。
会議の場所は謁見の間だ。
年に数回、国の有力貴族を集めて定期的に物事を話し合ったり、報告したりするらしい。ルリスでも似たような制度があるので、容易に想像がついた。
アレクは、これからそんな場所に放り出されて、間者として断罪されるのだ。冗談ではない。王族は戦争を否定しているが、そんな公の場でルリスの花嫁が断罪されるなどという事態があったら……空気は一気に戦争へ傾くだろう。
せっかく、平和を勝ち取ったのだ。それには多くの人が尽力したし、そうならないために、アレクだって女装してアドリアンヌの身代りになっているのだ。
ここで台無しにされるわけにはいかない。
「…………?」
不意に、遠くで凄まじい物音がした。明らかに地面が抉れる音だ。
庭でなにかあったのだろうか? アレクは窓に視線を送る。
「早くしろ」
衛兵が促してアレクの肩を押す。背中の傷が痛むが、気遣いなどなかった。
今のアレクはルリスから来た花嫁ではなく、女装した間者なのだ。一応、侯爵家の令息なのは間違いないのに……自分の扱いが泣けてくる。
だが、すぐに一同は足を止めることになった。
「お待ちください」
少し緊張した声を上げる人物。
廊下の先に立った存在に、衛兵たちが怪訝そうに眉を寄せる。アレクも驚いて青い瞳を瞬いた。
「エアハルト殿下?」
そこに立っていた王子エアハルト――に扮したエル。
けれども、アレク以外はエルだと気づいていないようだ。アレクも一瞬、本物のエアハルトと見間違えてしまった。それくらい二人は似ているし、今のエルの表情はキリリと凛々しいものであった。
エルの姿を見て、兵士の一人が声を上げた。
「その方を連れて行くのは、少し待って頂けないでしょうか?」
エルは流れるような動作でアレクの傍へ歩くと、兵士たちを一瞥する。
横顔を見ると、平生を装っているが物凄く緊張しているようだ。白い頬がほのかに紅潮し、汗が滲んでいる。
とても頑張っている気がして、こんなときなのに、可愛らしいと見惚れてしまいそうだ。いや、見惚れている。
「エル」
「あなたを助けたいのです」
エルは小さく囁くと、気丈に唇を結んだ。そして、振り絞るように声を張り上げる。
「この方は私の命を狙ってなどいません! 会議へ連れて行くのは、待って頂きたいのです。公正な審議を要請します!」
エルは、はっきりと宣言しながら、拳をきゅっと握り締めた。その手がかすかに震えているのを見て、アレクは息を呑む。
「殿下、その判断をするのは陛下です。まずは、審議を受けるべきかと存じ上げます。我々の一存では、そのようなことが出来るはずもないでしょう?」
「充分な証拠が揃ってからでも、審議は遅くありません。ですから、この方は私がお預かりします。責任も咎も、私が負います! さあ、アレ……アドリアンヌ様、私と一緒に来てください!」
エルはそう言うなり、アレクの腕を掴んで走り出した。その行為に度肝を抜かれ、兵士もアレクも声を上げてしまう。
「エ、エル!? いくらなんでも……これ、ただ時間稼いでるだけですよね!? 根本解決に、なってませんよね!?」
「だって、これが一番手っ取り早いのですから! このまま会議に連れて行かれるわけにもいかないでしょう! 要は会議に出なければいいのです!」
「そうだけどぉぉぉ!?」
天然のお姫様だと思っていたが、行動が大胆すぎる。囚われの姫を連れ去る騎士なんていう三流読み物にありがちな場面を彷彿させた。
だが、アレクが両手を縛られているせいで速く走れない。背中の傷も痛んだ。
「アレク、大丈夫ですか!」
「う、ぅッ……生きてはいる」
すぐに兵士たちが追いつき、剣を抜く。
彼らも反対派の手の者たちだ。邪魔をされては困るのだろう。
「アレク、下がっていてください!」
エルは言いながら、腰に帯びていた軍刀を鞘から抜く。グリューネ王国騎士団長の証である銀の十字が眩い光を放った。
「え、ちょ……! それは、いくらなんでも無謀だと思うよッ!? 危ないから振り回さないでくださいッ!?」
アレクは思わず、エルの後ろで悲鳴を上げた。言葉遣いもグチャグチャだし、頭の中もグチャグチャだった。
「う、い、意外と……重いですね。でも、がんばらなくては! 私がアレクを守るんですっ!」
「そこ、頑張らなくていいんですけど!?」
案の定、エルは重い剣を構えて、フラフラと慣れない様子で立っている。これでは、めちゃくちゃだ。
せめて、アレクの縄を切ることが出来れば――。
そう思案した瞬間、突如として外から飛んできたなにかが窓ガラスを砕く。
「な、なんだっ!?」
太陽の光を反射しながら降り注ぐガラス片。勢いよく壁に突き刺さったナイフを見て、アレクは思わず勝ち誇った笑みを零した。
シャレットのナイフだ。
外を見ると、ギーゼラと激しくお取り込み中のようだった。
投げたナイフの一本が偶然窓を突き破ったのか、それとも、意図して投げたのか。恐らく、本人に聞いたら後者だと答えるだろう。
アレクは呆然としているエルの横を擦り抜けて、壁に突進する。そして、突き刺さったナイフの刃に腕を押し付けた。
「貴様ッ!」
「今度はこっちの番だよ!」
首尾よく縄を切り、アレクは素早く身構える。
アレクはドレスの裾を持ち上げながら、掴みかかろうとする兵士に向けて、思いっきり足を振り上げた。同時に、歩きにくい踵の靴が勢いよく吹っ飛び、兵士の顔に直撃する。
なるほど、なんで女は踵が邪魔で歩きにくいだけの靴を履いているのかと疑問に思っていたが、案外、武器にもなるようだ。
「これ……女の子怒らせたら、怖そうだな……」
もう一方の靴の踵を横蹴りで兵士の腹にグリグリ捻じ込んでやりながら、アレクは女性ファッションの有用性に感心した。同時に、自分もこうならないように気をつけようと肝に銘じる。いつになったら、女装を辞められるのかわからないが!
「エル、剣を!」
「は、はいっ!」
アレクが手を伸ばすと、エルは慌てて剣を差し出した。
それを受け取り、アレクは頭に乗せたカツラを投げ捨てながら構えの姿勢を取る。
「どっからでも、かかって来いよ」
相手は仮装大会の素人ではなく、王宮の守備を任された本物の兵士だ。しかし、アレクもルリス近衛騎士団の一員だ。そこらの兵士とは違う。厳しい試験と訓練の末に、ようやく得られる名誉ある役職なのだ。
負ける気などしなかった。
ドレスを着て、剣を振っている姿は傍から見れば、滑稽に思えるかもしれないが、そんなことは気にしないことにする。一生の黒歴史になりそうだが、シャレットもいないので大丈夫だ。
「アレク、とっても素敵です! カロリーネ様みたい……お兄様にも自慢したいくらいです!」
「そういうのいいから、他の人には黙っててくれよッ!?」
全然大丈夫ではなかった。
アレクは恥ずかしさを覚えながらも、気を取り直して剣を構える。とりあえず、集中しなければならない。
「ああもう、知らない! どうにでもなれ!」
最初に斬りかかってきた兵士を難なく横に受け流し、腕から剣を落してやる。次いで、そのまま流れるような動作で、二人目の懐に飛び込み、鳩尾に柄を叩き込んだ。
「こいつ!?」
「舐めてんじゃねぇよ!」
女装男だと油断していたのか、兵士たちが戦いている。アレクはそのまま、突き出された剣の軌道を横へと逸らして、相手の腹部に膝蹴りをお見舞いした。体術も一通りは熟知しているつもりだ。
手加減してやる義理はないが、目の前にエルがいるため、あまり血を流したくない。アレクは他の兵士たちが怯んだ隙にエルの手を掴み、廊下を走って逃げた。
「行こう、エル!」
「は、はいっ!」
数が増えた追っ手を撒こうと、アレクは廊下を突き進む。しかし、ドレスと背中の傷のせいで、あまり速くは走れない。長くは持ちそうになかった。
「温室へ行きましょう。あそこなら、隠れる場所もあります!」
エルの提案にアレクも同意する。
追っ手の兵士たちを振り切って、二人は温室に向かって走った。