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第17話 月と太陽みたいですね。

 

 

 

「あ、あの……」

「なんですか?」

 声を振り絞ると、彼が首を傾げる。緊張しているせいか、眼が合うだけで心拍数が跳ね上がり、顔が火照ってしまう。

「申し訳ありませんでした……その、私のために、怪我をさせてしまって」

 ぽつりぽつりと呟くように言うと、彼が少し照れくさそうに視線を泳がせていた。

「な、なにか褒美を出しても良いのですよ」

 少しも可愛らしい言葉が出てこなくて、エルは内心でやきもきした。

 もっと良い言い方はないものか頭の中を模索するが、何処か恥ずかしくて口にするのもはばかれる。


「お礼なんて、別に。俺が勝手に飛び出しましたから」

「なにかあげると言っているのですから、なんでも言ってくださいッ。私の気持ちが受け取れないとでも言うのですか!? 女だからって、見くびらないでください!」

「別に見くびってるわけじゃ……」

「早くなにか言ってください!」

 半ば押し付けるように言い放つと、彼は少し考えを巡らせはじめた。その時間があまりに長いように思えて、エルは落ち着かない時を過ごすことになる。


「じゃあ」

 やがて、彼が微笑してエルの手を取る。

 勝手に手を握られて、エルはのぼせてしまいそうになるが、出来るだけ平常心を装った。

「俺の名前を呼んで頂けますか?」

「な、名前? そんなことで良いのですか?」

 エルが訝しげに眉を寄せると、「はい」と短く返されてしまった。エルは少し俯いた後で、眼を閉じると、小さな声を発した。

「アレクシール卿」

「良かったら、アレクと呼んでください。そっちの方が呼ばれ慣れていますから。敬称もいりません。殿下の方が地位も上ですし」

「え……は、はい」

 真剣な顔で言われて、思わず頷いてしまう。


「アレク」

 細い声で呼ぶと、アレクは満足げに唇に笑みを描いた。

「ありがとうございます」

「こんなもので、満足するのですか? 他には、なにかありませんか? このくらいのことでは、割に合いません」

 エルがアレクにしたことが、こんなことで許されるはずがない。名前を呼ぶだけなど、軽すぎる。抗議するように訴えると、アレクは悪戯っぽく笑った。

「じゃあ、またクッキー焼いてください。美味しかったですよ」

「そんなもの、いくらでも焼きます。お茶も一緒にお出しします!」

「本当ですか? それは嬉しいです」

「他にはないのですか?」

「じゃあ、焼いてもらったクッキーを一緒に食べて頂けますか? 先日、殿下が仰っていたお花畑にでも行きましょうか」

「いいですとも。そんな簡単なこと、毎日だって構いません。他にはないのですか?」

「あっさり承諾されたっ……急に態度を変えられると、やりにくいんですけど」

 畳み掛けるように要求するエルに、アレクは少し困ったように笑った。


「なにかが欲しくてやったわけじゃありませんから……強いて言えば、殿下と仲良く出来れば、それで充分です。理不尽な理由で嫌われてしまったので。俺は殿下と……その、もっと仲良くしたいですし、いろんなことを知りたいです……ダメ、でしょうか?」

「それで許してくれるのですか?」

「いや、許すもなにも、あれは俺が勝手に……」

「お望みなら、私のこともエルと呼べば良いです。敬称もいりません」

「えぇっ? さっき、呼ぶなって言われたばかりなんですけど」

 自分でも、支離滅裂だと思う。アレクを混乱させているような気がして、気持ちばかりが焦る。

 ただ、伝えたくて必死になっていた。


「あなたが、いえ、アレクが怪我をして、とても心配しました。私のせいで、死んでしまったらどうしようって思うと……怖かったです」

 自分を守って、誰かが死んでしまうなんて耐えられない。しかも、彼は臣下でもなんでもない。エルを守る義務など微塵もない人だ。

 あのとき、アレクが気づかなければ、二人ともシャンデリアの下敷きだった。けれども、エルを突き飛ばさずにアレクだけが逃げていれば、彼は無傷だったかもしれないのだ。

 もっと、重い罰が欲しかった。それなのに、アレクは少しもエルを責めてくれない。あんなに酷いことを言って突き放したのに、彼はエルに明るい微笑を向けていた。


「俺の本職は騎士ですから……俺は、エルのことを守りたい。また命を狙われたら、全力で守りますよ」

「でも、それではッ! ダメです、絶対に。守ってくれなくても、結構です! むしろ、私がアレクを守ります!」

「お姫様なんだから、守られて当然でしょう? またいつ狙われるかわからないし」

「だけど……」

 戸惑うエルの手を握って、アレクが照れくさそうに微笑む。彼は着ているドレスが地につくのも気にせず跪くと、エルの指先を軽く唇を押し当てた。


「あ、あ、あ、あああ、アレクシール卿?」

「アレクです」

 社交界で、殿方から何度も受けた形式的な挨拶である。しかし、何故だかこのときは、初めてのときのように緊張して、声まで上擦ってしまう。こんなに気が動転してしまうなんて、どうかしている。

 これではまるで――。

 守って欲しくなどない。そんなことで、アレクが何処かへ行ってしまうくらいなら、守られたくなどない。

 独りになる方が、よほど怖いのに。

 そう思っているはずなのに、指先に落とされた誓いの行為を、拒否出来ない自分がいた。受け入れるのは怖い。しかし、拒むのも怖い……自分でも、どうすればいいのかわからないのだ。


「なんだか、変ですね。着ているものは逆なのに」

 エルの手を放しながら、アレクが自嘲めいた微笑を浮かべる。

「で、でも、アレクは……とても、綺麗ですよ。私には、そんな可愛らしいドレスは似合いません」

 桃色のドレスに身を包んだアレクから目を逸らし、エルは小さな声で呟いた。

「あんまり嬉しくないんですけど。エルの方が似合うと思いますよ。その……美人、だし」

「こんな野暮ったい容姿では、そんな色のドレスなど似合いませんよ。お世辞はよしてください」

「そんなことないですよ。この間の仮装……本物の花嫁みたいで、ドキドキしましたよ。すごく綺麗で……可愛かった」

 月並みな褒め言葉。だが、他の者から聞くよりも、ずっと素直で正直な言葉のように感じた。

 アレクは嘘つきな魔法使いだけど、このときばかりは、本当のことを言っていると思った。

 その瞬間に顔から火が出るほど恥ずかしさを感じ、エルはもごもごと口を噤んでしまう。


「だから、本物の女の子だって知ったとき、嬉しかったです。エルが女の子で、俺は良かったと思ってますよ」

「わ、私は……」

 言葉の続きが出なかった。

「今日は遅いですから、もう帰りましょうか」

「え、あ、はい」

 エルは慌てて頷きながら、アレクの隣を歩いた。横顔を見ているだけで、胸の鼓動が高鳴る気がする。


 けれども、次の瞬間、我に返った。

 ダメだ――。

 エルはエアハルトの身代わり。アレクも、アドリアンヌの身代わりだ。

 アドリアンヌが見つかれば、アレクはルリスへ帰ってしまうし、自分はいつまでもエアハルトの代わりをしているわけではない。

 守ってくれるのは、彼が騎士だから。他の王家の人間とは言え、命を狙われているエルを放ってなどおけないから。歌劇や物語に登場する騎士は、みんな女性に優しく、気高い存在だった。

 いつまでも、一緒にいられるわけではない。

 いずれは、アレクもエルを独りにしてしまう。


「今日の月は綺麗ですね。エルに、とても似合っていると思いますよ」

 何気なく月を指差すアレクの横顔が急に遠く感じた。エルは天上に貼り付けられた月を、祈るように見上げる。

「アレクは太陽みたいですよ」

 互いに相容れない二人は、本当に月と太陽のようだと思った。

 

 

 

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