第八話 釣りなのです~トトキ vs チヌ~ 2
最適解へと積み上げられた幾つもの道筋。
幾本も伸びるそれらを、まるで木材からルアーを自作する時のように、少しずつ削ってゆく。
より曲線的で流麗な、最も機能美を体現した状態へ。
迂遠な無駄を排除し、
不確定要素を削除し、
主観的偏向を解除する。
そうして手許に残った、たった一つの道筋。
「……みつけた」
チヌを釣るための最適解が見えました。
満ち足りた解を導出した、その余韻にもう少し浸りたいところですが、もうその猶予はありません。
あと二十分ほどで上げ七部と夕まずめになってしまいます。
条件が変われば、解も変わってしまう。急がなくてはなりません。
まずはふぐを蹴散らすのです。
そのための方法がいくつかあるのです。
今回はボラたちをこちらに誘き寄せて、その大きな魚体でふぐを追い払うことにします。
今は右手側にある傾斜の下方を泳いでいるボラたち。
ですが、潮が満ちるに従って泳ぐ位置も上昇し、いずれこの窪地と同じ高さにやってくるはず。
上手い具合にこちらへ来てくれればいいのですが、このままでは潮流に沿ってさらに右手方向へと動くことが予想されるのです。
となると、このポイントにはやって来ない可能性が高い。
「……ふふ」
でも問題ありません。撒き餌を使えばいいのです。
視覚は今も海中にありますが、他の感覚ならちゃんと地上に残っています。
撒き餌を作って投げる程度なら、見えなくても体感覚だけでやれるのです。
記憶にあるエサ箱の位置と手に感じる触感を頼りに、少し溶けやすくて比重の重い団子エサを幾つか作成します。
海流を計算して、一つ目の団子投入。
『片吟の瞳』の視線の先に、団子エサが一直線に降下してきます。
岩の上に落ちると同時に砕け散り、ぶわっと撒き餌を拡散させました。
海中に散ったそれらは、海流に乗ってウミヘビの様に細長く流されていきます。
その間にも更に三つの団子を投げ込んで準備完了です。
最初の撒き餌がボラの目前に到達。そこからは一瞬の出来事でした。ボラたちが大口を開けてエサを飲み込みながら、流れにぐんぐん逆らって団子の置かれたポイントに到達します。そしてヘンゼルとグレーテルのごとく、落とされた団子エサを辿って辿って最終的にふぐたちの真っ只中へ。
尾びれ辺りが泡立つほどの勢いで突っ込んでくるボラたち。その迫力に泡を食って逃げ出すふぐの群れ。
うん、計算通り。
ここでボラたちが食い荒らした団子エサの誘導路を再度設置。加えて、ボラを逃がさない為に窪地にも団子エサを投入。チヌの魚影はまだ確認できないので、ついでに針付きのエサを入れた団子も投入してボラを狙います。
ボラは本当に美味しいですからね。
脂がしっかりと乗って、身に弾力もあって絶品なのです。
もちろん河口や一部の港湾など水の汚い場所で釣れたものは、どぶ臭くて食べられたものではないですが。あと血抜きや内臓の処理なども十全にやらないと、やっぱり臭くて食べられない仕上がりになってしまいます。勿体無い。
処理が不十分なものを食べた人のせいで悪評が広がり、ハズレ扱いされたり釣れてもその辺に捨てられたりと、不遇な扱いを受けまくりなのです。
あと見た目がグロテスクなのも一因でしょうか?
そんなことを考えながら手探りで針にエサを付けようとしていた、その時でした。
丁度ボラたちが元々居た地点のさらに数メートル奥、岩でゴツゴツした海底に身を添わせてじーっとこちらを見つめる魚影が目に入ります。
その魚は周囲の色合いに紛れていて、ぱっと見では単なる岩の出っ張りのようです。
が、私の瞳は誤魔化せません。
チヌです。
ボラより少し深い場所にいると読んでいたので見逃すことなく発見できました。
ふぐを蹴散らすために使った『団子版ヘンゼルとグレーテル』を再度設置したのは、奥にいるであろうチヌを引きずり出すためなのです。
計算通りにノコノコ現れたチヌさんが、そのままお腹を空かせてこちらの方へ…やってこない。
それはもう動く気配すらなく、ただただ口を開けてじっとしています。
どうやら、自分の方に流れてくるエサを食べる体勢のようです。
ぐぬぬ、早速想定から外れました。
撒き餌に従って泳いでくるチヌを、坂の途中に投入しておいた団子エサ(釣り針入り)で狙い撃つ作戦だったのですが。
まったく動かないとなると厄介です。
釣り上げる為には当然、目前に釣り針をたらす必要があります。
そうすると必然的に、チヌのすぐ側に釣り針入り団子を投入する事になります。
突如として目前に降ってくるエサの塊。
不自然にも程があるのです。
他の魚ならいざ知らず、警戒心の強いチヌが食いついてくれるかは微妙です。
最適解だと思っていたものがガラガラと瓦解してゆきます。
「ふぅ」
浅く息を吐いて心を落ち着けます。
ここで焦ってはいけません。
心の揺れが釣り竿を伝って釣り糸に伝播し、最終的に魚たちにも勘付かれてしまうものなのです。
しっかりと穏やかさを保ち、虎視眈々とターゲットを狙います。
そう、まるでカエルアンコウのように。
「……」
うん、大丈夫。
冷静に考えれば、なんてことはありません。
要は離れた位置に団子を投入した後、針付きのエサがチヌの目前に流れ着けば良いのです。
なにせ海流も地形も他の魚たちも、全て把握していますから造作もありません。
「くふふ!」
今こそ釣り上げて見せるのです!
チヌが逃げていないか、仮に逃げたとしてその方向はどちらかを把握するために『片吟の瞳』は発動状態のままで、針にオキアミを刺して団子で包み込みます。
当然ながら手元が見えないので、間違えて指を刺しそうになったりもしましたが、これまでに何万回も繰り返した動作だけあって、問題なく釣り餌を作り終えました。
あとはチヌの上流あたりに投げ入れて、ただ果報を待つのみ!
「むっ」
と、ここでチヌに動きが。
そわそわと身体を動かしています。
うーん、嫌な予感。
「あっ、そんなぁ……」
嫌な予感、的中です。
チヌはぶんぶんと大きく尾びれを振るったかと思うと、撒き餌を無視して何処かへと泳ぎ去って行きました。
「チヌぅ……」
確かにあのチヌは少々小ぶりでしたし、たとえ釣り上げたとしてもあの人の記録には届かなかったでしょう。それでも、釣果ゼロよりはまだマシなのです。意気消沈した私の脳裏に、「魔眼の発動を一旦止めて仕切り直してしまおうか」と弱気な考えが浮かびます。どのみち今の私は未だ、あの人の腕前に追いついていない事くらいは分かっていましたし。
そうしてネガティヴな諦めが私を覆み込もうとした瞬間、そんな下らない思いがすべて吹き飛ぶような、とんでもなく強大なプレッシャーを感じて身震いします。
恐る恐る振り返ったさきにいたのは、
全長50センさチはあろう巨大なチヌ。
こんな近海ではまず御目にかかれない異様なサイズ、並みの釣り竿ではへし折れてしまいそうな重量感。
もしも遠海から彷徨い出てきたのではなく、この辺りに居着いている個体なのだとすれば、この海域で最大サイズのチヌである事は疑いようがありません。
恐らくですがさっきまで居たチヌは、この巨大なチヌの気配に怯えて逃げ去ったのでしょう。
あの不自然にそわそわした小チヌの挙動は、この前兆だったのです。
これを釣ることができれば、あの時に彼女が釣り上げていたサイズは楽勝で抜き去る事ができます。
しかし、持ってきた釣り竿と釣り糸は現在使っている種類のみ。
竿を壊さない自信はありますが、糸があまりにも心許ない。岩や障害物にちょっと擦れたり、チヌの強力な引きに合わせ損なったりすれば、釣り糸が一瞬で千切れてしまいます。
そうなれば、目の前の巨大チヌは警戒心を露わに、何処かへと泳ぎ去ってしまう。たった一度のミスすら許されない。
そこにあるのは極限の緊張感とスリリングな駆け引き。
「くふふふ……」
海が私の釣り師たらんとしてきた日々を試しているかの様です。
その先にある激しい戦いを予期して笑いが込み上げて止まりません。
良いでしょう。受けて立ちます。
さぁ、チヌさん。
「いざ、勝負です!」




