君と夏の日とカゲロウ~小さくて大きな世界と涙~
「死ねよビッチ」
「この長い髪切ったらモテなくなるんじゃね?」
「だよねぇ〜。髪が綺麗とか男子みんな言ってるもんねぇ〜」
嫌だ!!やめて!!切らないで!!
「やめて!!」
ハッとして思わず叫び、そして夢から醒める。
いつの間にか寝てしまっていた。
額に浮かぶ汗は暑さのせいなのか、嫌な夢を見たせいなのか、それとも両方か。
右手を胸に充て、はっはっと荒くなった息をゆっくり整え、ふっーっと小さく肺を軽くする。
自身の呼吸が落ち着くと、今まで隠されていた息遣いが隣から聞こえてくる。
自分とは違い、落ち着いた幸せそうな寝息。
隣の彼、私のわがままに付き合ってくれた糸井遊馬くんの右手には私の左手が握られていて、そういえば寝てしまう前に私から握ったのだと思い出す。
寝てしまったのはきっと、彼の隣がとても居心地のいい場所だったからなのだろう。
「結局、私の事どうおもってるのかな」
もしかしたら、私が寝たその後、その問いかけに答えたかもしれないし、答えなかったかもしれない。
どちらにせよ、私にはそれを確かめる事は出来ない。
誰に聞かせるでもない言葉をポツリと落とす。
「糸井くん。私ね、夏休み入る前にいじめられてたんだよ。友達の彼氏を寝取ったって言われて」
穏やかな寝息の間に、わざとらしく言葉を埋めていく。
「おかしいよね。誰とも付き合ったことないし、そういう経験だってないし、寝取るなんてしないのに。どこからそんな話が出回ったのかもわからないし。綺麗にしてた髪も、男を誘惑する為に伸ばしてるとか言われて切られてさ」
今はなき、長かった頃の面影を探して右手で髪をかきあげる。
聞いてはいないはずの彼に、なぜか語りかけてしまう。きっと、目の前の優しい男の子には誤解されたくなかったからだろう。
「糸井くんはそんな事知らずに、それなのに。ううん、それでもかな?…ふふっ。私と一緒にいてくれたんだよね。ありがとう。お陰で凄く楽しかった」
だから
「…もしも、好きって答えてくれてたら、あなたの為に生きようって思ってたんだよ」
人としての好きでも、友達としての好きでも、異性としての好きでも構わない。
私の世界で、私は一人では生きていけない事が分かってしまったから、誰か一人でも、どんな形でもいいから、私のことを必要としてくれる人がいてくれたらそれだけで頑張れた。
それはただこの人を都合のいいように、自分の世界を守るために利用しようとしているという事はわかっている。
でも、でもね。
「…好きになりたかったなぁ。私…。糸井くんを好きになれると思ったんだよ」
一時の気の迷いかもしれないし、そうじゃないかもしれない。わからない。
でも、今日一日、糸井くんと共に過ごして、彼の色々を知って、興味を引かれた事は事実。優しさに揺れたのは真実。彼の恥ずかしそうな笑顔に心惹かれたのは…。
そこまで考えてからやめた。
これ以上考えてしまったら、きっと決意が揺らいでしまう。
それでも、話してくれた彼の話を自然と思い出してしまう。
私とは違い妹がいる事、私とは違い両親がいる事、だから家事はそんなにしたことがない事、私とは違い料理が苦手な事、それでもチャレンジしてみたい事、可愛い日常系のアニメが大好きで、家にグッズがたくさんある事、私と同じ女性アイドルが好きな事、私とは違い人生で一度も告白されたことがない事、私と同じで告白したこともない事、バイクには興味があるけど、自信もお金もなくて免許を取りにいけない事、私とは違いバイトの経験がない事。
それから、一生懸命話を聞いて、私のことを知ろうとしてくれた事。
そして、それがとても嬉しかった事。
糸井くんの右手から自分の左手を解き、彼の目の前に移動する。
無意識に流れた涙は頬を伝い、彼の足に落ちる。何粒も何粒も。
涙に乗せた想いが彼の重荷にならないように、もう行かなきゃと小さく吐いて、カゲロウのように歪んだ頼りない視界で道具を探す。
木製のイスを小屋の中央に運び、座らずに立つ。
屋根を支える柱にロープを震える手で通し、輪を作る。
「最後までごめんね。私のわがままに付き合わせて」
聞いてないはずの私の謝罪を一方的に壁にもたれて眠る糸井くんに投げかける。
もちろん返事はない。
「これがドラマや映画なら、ここで君が起きて来てくれるんだよね」
心の中で願ったのか、それとも声に出ていたのかもわからない願い。
叶うはずない希望を、最後の1粒に託して、私は新しい世界として宙を選んだ。
ありがとう。写真に私のいた証を残してくれて。
ガタッ。




