君と夏の日とカゲロウ
高校二年生という、新しい学校生活にもとっくに慣れ、進学か就職かをまだ遠い未来かのように想像する時期。少し肌寒さを感じ、空いた窓から入り込んできた風に身震いし、机から頭を起こし周りを見渡す。
クラスメイトたちの姿はなく、そういえば次の時間は移動教室だったなと思い出し、右手を机の引き出しに突っ込んで勘で物理とかかれた教科書とノートを探しながら、取り残された左手で不揃いに切られ、少し跳ねた前髪を誰に見せるわけでもないのにササッと整える。
別段急いではないのだが、なかなか見つからない教科書に苛立ちを覚えはじめたころ、そういえばリュックから取り出していないなと思い出し、そのことにさらに苛立ちながら机の横にかかっているリュックのファスナーを開ける。
中に入ったいくつかの教科書を指でどけながら物理の教科書を探すと、教科書と教科書の間に挟まった水色のクリアファイルを見つける。
それには俺の趣味の一つである風景を撮影した写真が挟まれている。
そして、写真たちの一番上にある一枚の写真の端が見えた。
その写真にはクラスメイトの陽岡靄が写っている。
普段は、風景しか撮影しない俺が唯一撮影した人物。
まるであの夏の日の思い出を引き出すように、その写真を取り出す。
取り出した写真に写っている陽岡は、明るい笑顔を浮かべていて、その笑顔に惹かれるかのように窓から風が吹き込み写真を少し揺らす。
~~~~~~~~~~~~~~~
高校二年生の夏休み初日。朝から電車に乗った俺は、趣味である写真を撮影するためにいくつかの駅を通りすぎて海と山に囲まれたある港町に来ていた。
趣味で写真撮影をしていると言っても、いいカメラを持っているわけでもなく、スマホのカメラ機能で撮影する程度。なので持ち物も財布とスマホ、モバイルバッテリーと金木犀の香りのボディシートをカバンに詰め込んだだけ。
服装も半袖に短パン、サンダルと軽装だ。
「海のそばでもさすがに駅はアチい」
電車から人気の少ない駅ホームに降り立った俺は、小声で独り言をつぶやきながらTシャツの襟を扇ぐ。
所々錆び付いた駅のホームは、なんというか味があり、アチいといいながらもスマホを構えてカメラ機能からいい感じのフィルターを選び、とりあえずといった感じで駅名票を撮影する。
「旅行かい?」
近くで俺を見ていた優しそうな笑みを浮かべた白髪混じりの駅員さんにそう声かけられ、説明がめんどくさいと感じた俺はそんな感じですと返し足早に駅から出る。
まだお昼には早い時間にも関わらず、雲一つない晴天に吊された太陽は、ジリジリと地面を照り付け、反射した熱気は俺の体温を上昇させ、程よい距離に見える山から聞こえて来る蝉の声がそれを更に加速させる。
この気温の中、町中を撮影して回るのはとてもじゃないが長続きしないと考え、先に港に行ってみようと思い海の方角に向けて歩き出す。
まだ店が開くには時間が早いだけなのか、それとももう営業すらしていないのか、港までにある店はどこもかしこもシャッターが閉まっていたり、電気が消えている。
「これは思ったよりも早めに帰ることになりそうだな」
店が開けば、ゆっくり休みながら撮影でもしようかと漠然と考えていたのだが、そもそも店が開かないのであればそれも出来ない。
少し残念に思いながらも、道すがら目に付いた看板や植物、建物の影に隠れた猫などを撮影しているとあっという間に港に着いていた。
「やっぱこっちは涼しいな」
なにも遮るものがない海には風が吹き、上がった体温を少しだけ下げた。
とはいえ、ここに来るまでに汗をかいていて、それが気になった俺はカバンからボディシートを取り出し、腕や首を拭き、周りを確認してから服の中に手を入れる。
何の成分のお陰なのかはわからないが、拭き終えた部分からスースーとしだし、心地良さを感じる。
あらかた拭き終わり、ゴミをどうしようと考え、まぁいいかとカバンに入れる。おそらくは忘れた頃に乾ききったゴミがカバンから発見されることだろう。
そんな事を考えながらスマホを持ち上げ、港を走っている舟でも撮影しようとしたところ、俺の真後ろに人の気配を感じ、同時に「金木犀?」という疑問の声が俺の耳に届く。
先程、あたりを見渡した時には近くには誰もいなかったはずなので、今し方ここにきたのだろう。
気配と声に反射で振り返った俺はここで会うはずのない声の主を見て少しばかり驚く。
「陽、岡?」
俺にそう呼びかけられたその人物は、まだ開花には早い金木犀を探していたのだろうか、キョロキョロとしていた顔を正面に向けて、同じように少し驚いた表情を見せる。
「糸井くん?」
その問い掛けを聞いて、目の前の茶髪を肩の上で綺麗に切り揃えた女性は俺の気のせいでも勘違いでも、ましてや幻でもなく、クラスメイトの陽岡靄だと確信した。
特に友人と呼べる者もおらず、いつも一人でいる俺でも知っているクラスの中心グループに所属している女生徒。
明るく元気で、誰にでもフレンドリーな人物。
それが目の前の女子、陽岡靄だ。
「こんなところでなにしてるの?」
俺も陽岡と同じ疑問をもったのだが、口に出すのは彼女の方が早かった。
「日帰り旅行というか、なんというか」
趣味について隠しているわけではないが、目の前のキョトンとした整った顔つきの、会う予定のなかったクラスメイトにたじろぎ、思わず歯切れが悪くなる。
「陽岡こそ、こんなところでなにしてんだよ」
そんな自分を恥ずかしく思い、見透かされないように聞き返す。
「うーん、なんていうか…。そ、そう!私も同じ!日帰り旅行!」
一瞬困ったような、それでいて寂しいような、悲しいような表情になったかと思うと、それを誤魔化すかのように笑顔でそう言う陽岡。
そうなんだと俺が返すと、スンスンと鼻を鳴らしながら陽岡は近づいて来る。
「な、なんだよ」
女子に耐性がないわけでも、苦手というわけでもないが、先程まで汗をかいていた俺は少し抵抗するかのように上半身だけを逃がす。
「金木犀の匂い、糸井くんからだったんだ」
「えっ?あ、ああ、そう、そうだよ。えっとボディシートが金木犀の香りのやつで」
恥ずかしさと気まずさをカバンから取り出したボディシートに押し付けるかのように陽岡に見せる。
よかったら使う?と聞くと、ううん、大丈夫と彼女は首を横に振る。
あたりに沈黙が流れ、カバンにボディシートをしまいながらそれじゃあと言って立ち去ろうとする俺の服の裾を陽岡が掴む。
「な、なに?」
「えっ?あっ!ごめん、ごめんね。なんでもない。なんでもないよ」
そう答えた陽岡は俺に向かって言葉を発してはいるものの、まるで自分自身に言い聞かせているように見えた。
陽岡はゆっくりと掴んだ服の裾を離したが、そのまま立ち去るのもなんだか気が引けてしまい、再度沈黙が訪れる。
それからほんの数秒が経ち、陽岡があっを声をあげる。
「もしかして写真、撮ってた?」
俯いた陽岡は俺の手に握られたスマホを見たのだろう。そう問い掛けてきたので、そうだよと答え、この町にきた理由をそのまま続けて話す。
するとそれを聞いた陽岡はこうお願いをしてきた。
「糸井くんのカメラで私を撮ってくれない?」
急にそんな事を言われ、目の前の女子の意図が読めず一瞬思考が止まりかけ、僅かな時間を置いてから陽岡の言葉に脳が追いつく。
「まてまてまて!急にそんな事言われても、俺がいつも撮ってるのは風景とか、よくて動物くらいだから、その・・・、人なんて撮影したことないし、しっかりと撮れる自信ないんだけど」
そういった俺に対して陽岡は、ハニカミながらこう答えた。
「そんな身構えなくて大丈夫だよ。なんていうかほら、ひと夏の思い出的な?」
~~~~~~~~~~~~~~~
パシャ。
申し訳程度にスマホからそんな音がなると、見せて見せてと陽岡が隣にやってきてスマホを覗き込んで来る。
グレーのタックショートパンツに真っ白な半袖Tシャツの裾を軽く入れた陽岡の服装は薄着で、彼女の体温がすぐ隣から感じられ、チラッと隣に目を向けると太陽に照らされた汗が、宝石のように輝きながら陽岡の首筋を伝うのが見え、思わず目を逸らす。
なのに、汗臭さなど微塵も感じさせないほどの女子特有のいい匂いが鼻を掠め、色々と意識してしまう。
そんな事に気がついていないのか、陽岡は自分の写った写真をじっくりと見て、嬉しそうにしている。
写真の中の陽岡は、自身の腰の後ろに手を回し少し腰を曲げて海をバックに眩しいくらいの笑顔を浮かべており、初めてちゃんと人物をメインに撮影した割にはいい出来栄えではないかと自分でも思う。
「なんだ、ちゃんと上手に撮れてるじゃん。才能ってやつ?」
ケラケラと笑いかけて来る陽岡に不意に見惚れてしまうが、なんとか意識を戻し、そんな事ないだろと照れ隠しをする。
すると陽岡はそれに気がついたかのように、もう照れちゃって~なんて茶化して来る。
「次はどこで撮ろっか?」
イタズラっぽい笑みから晴れやかな笑顔に切り替えた陽岡はそんな事を聞いてくる。
お願いされた時は1枚だけのつもりだったが、褒められたことで気分が上がっているからか、俺の方もそうだなぁと次撮影する写真の事を考え始めていた。
とは言え、俺はこの町に来るのは初めてで、人物撮影に適した場所なんて思い浮かぶはずもなかった。
「とりあえず歩きながら探そっ」
考え込む俺の顔を覗き込みながらそう言ってくる陽岡の言葉に同意し、どちらからでもなく歩き出す。
いつも通り歩くと彼女が少し無理している事に気が付き、少し歩幅を狭めてペースを合わせる。
その事に気がついたのか、陽岡はおっ!と驚きと関心の顔をしたかと思うと俺の顔を見て、今度はふふっと優しく頬を緩める。
それを見て何だか小っ恥ずかしくなった俺は、話題を振る。
「そういえば、日帰り旅行とか言ってたけど、友達は一緒じゃないのか?」
当然と言えば当然の疑問。
クラスの中心グループ、いや、誰にでもフレンドリーな陽岡の事だからてっきり友達、とは言えなくても知り合いとこっちに来ていてもおかしくはない。のだが、俺の疑問に対して向けられたのは、一瞬のあれ?というような困惑の顔、それから間もなくの今日会った時と同じ表情だった。
そして、少し俯いたかと思うと、そっか。いつも一人だもんね。と一人で納得したかの様にボソボソと独り言を発し、今度は眩いほどの笑顔を貼り付けてこう答えた。
「今日は一人なんだ!バイト?とかでなんかみんな忙しいみたい!」
さすがにこの笑顔は強がりだと気がついたし、その前の独り言と表情から、なんとなく俺の知らない事情があるんだとわかる。でも聞けない。まだそこまで深く聞いていい仲ではないと思ったから。
だからそっか。と短く返事を返すことしか出来なかったし、「そういう糸井くんこそ、教室でもいつも一人だけど友達とかいないの?」という問いかけにある意味で救われた。
「いない事はないけど、高校は別になったし、今じゃ月1で遊べばいい方かな」
「えっ?そうなの?なんかそれ寂しくない?」
「別に寂しくないよ。俺は一人の時間も楽しめる人だから」
これは別に強がりでもなんでもない。本心だ。小、中学の頃の友達も自分から作ろうとおもって作った訳ではなく、向こうから話しかけてきたのがキッカケだったと記憶している。
月1で遊びに行くのも、相手からの誘い待ちであり、こっちから連絡することはほとんどない。
まぁでも、誰にでもフレンドリーで仲良い人が多そうな陽岡の感覚ではそれが理解できなくて、寂しいと感じるものなのかもしれない。
「そうなんだ。糸井くんはいいなぁ」
どういう意図でそう言ったのかはわからないが、少なからず俺には陽岡の声色は、とても儚いものに思えた。
そして、その時の彼女の表情が言い表せないほどに不思議と美しく見えた。
パシャ!
沈黙の合間を埋める音が小さく、しかし、それでいてしっかり鳴り、俯き気味だった陽岡はバッ!と顔を上げ、少し遅れて俺は胸の位置に構えていたスマホをサッ!と下げる。
「今撮ったでしょ!」
「撮ってない!」
「嘘つき!シャッター音聞こえたんだけど!」
「ほんとに撮ってないって!」
「じゃあ写真フォルダ見せてよ!」
「いやだ!」
彼女が美しく見えた理由はわかっていた。だがそれを認めるにはあまりにも時間も関係値も、何もかもが足りない。
そう思わずにはいられないほどに魅力的な女性。
「もうわかったよ。撮ってないって事にしといてあげよう」
何度か撮った撮ってないの攻防を繰り返す内、陽岡の方が折れた。
額に手を当て、俯き気味にはぁーとため息を吐きつつも、その頬は緩んでいるように見える。
それを見て俺は、なぜだか少しの安心感を覚えた。
「どうしたの?」
「なにが?」
「なんだか、ちょっと嬉しそう?」
疑問に疑問で返し、更に疑問が返ってくる。
嬉しそう?と聞かれて、少しだけ口角が上がっている事に気が付き、なんでもねぇよと答える。
フォルダの中の陽岡と、目の前の女性の表情を見比べて嬉しそうにしていたなんて、そんな気持ちの悪いことを素直に言えるはずもない。
ふぅん。と陽岡がそれ以上踏み込んでこなかったのが救いだろう。
「あっ、これに座って撮るのはどうだ?」
自覚した気持ち悪さを打ち消すように、名前のわからない、舟を停める際にロープを巻き付ける鉄の塊を適当に指さす。そして、指さした後にその鉄の塊は錆びていて所どころ色が禿げている事に気が付く。
「ごめん、せめてなにか敷いてからにしようか」
「うーん、別に少しくらい汚れても大丈夫だよ?」
「いや、でもせっかく、その。可愛い服着てるのに」
「えー?ふふっ。ありがとう。でも本当に大丈夫だから。それに敷く物もないしね」
陽岡は俺の可愛いに反応したのか、照れと茶化しを混ぜたような笑顔を見せたかと思うと、そのまま目の前の鉄の塊に腰を下ろし、足を組んで海の方を眺める。
言葉はないが、なんとなくそのまま撮ってということだと思い、少し離れて画面を見ながら全身が入るように調整する。
彼女の髪を海風が揺らし、その髪の間から見えた真面目な表情は思わず息を飲みそうになるほどだった。
「涼しい」
風に合わせて陽岡がそう言い、ほんのり口角が上がる。
シャッター音がパシャリと鳴り、その音を聞いた陽岡は少し前屈みになり、右膝に右肘を置いて頬杖をつく。
まるでプロの様だと関心しながら、再度スマホの角度を整える。と同時に陽岡の手によってほんの少し押し上げられた頬の存在に画面越しに気が付き、少し手が止まる。
「どうしたの?」
「なんでもない。撮るよ」
自分でもよく分からない感情を殺し、すぐにシャッターを切る。
「見せて見せて」
撮り終えるとすぐに彼女はこちらに来てフォルダを確認したがる。
意識すると隣に並ぶのが気まずくなり、ほら、と言ってスマホごと陽岡に差し出す。
「いいの?」
「いいよ別に。見られて困るようなものはないし」
「…うん、ありがとう!」
笑みを浮かべる陽岡は俺からスマホを受け取り、上手じゃん!と声を上げる。
その言葉に反応しようとしたが、結局何も言えずに俺は彼女から目線を逸らした。
~~~~~~~~~~~~~~~
それから場所を移動しては撮影し、また移動しては撮影しを繰り返している内にいつの間にか昼時になっていたので、俺たちは港近くにあったパーラーに入っていた。
入り口は開けっ放しで、エアコンは効いていない。
気持ちばかりの風を送ってくる壁掛けの扇風機は年季が入っていて錆びているし、並べられたテーブルとイスもすぐに壊れそうなプラスチック製の物で、腰掛けて体を動かすと体重に合わせてイスの足が少し曲がる。
そんな店内に店主と思われるおばぁちゃんを除けば、俺たち2人だけだ。
「ほんとごめんね?」
ここに入って2度目の謝罪が陽岡の口から発せられた。
「別にいいよ。最近はなんでも電子マネーで払えるし、財布を持ち歩かなくても仕方ないだろ」
陽岡はスマホ以外の物を持たずにここまで来ていたらしく、パーラーに入って注文した際、前払い制だったので電子マネーで払おうとしたところ、支払い方法は現金のみと言われ絶望していた。その為、俺が彼女の分も支払ったのだ。
「ありがとう。って言うか、糸井くんって結構大食いなの?」
「えっ?なんで?」
「だって、タコライスとオムライス、2つも頼んでたじゃん」
「まぁ、タコライスは動画で見た時に食べてみたいなって思ってたし、オムライスは、その…好物だから」
タコライスに関しては、沖縄関連の動画を見た際に美味しそうだと感じて気になっていた。まさかこんなところで出会えるとは思ってなかったが。
オムライスに関しても、本当に好きだからそっちも食べたいと思ったのは事実だ。
だから俺はタコライスとオムライス、陽岡は俺が料金を払うことに遠慮してかき氷のみを注文したのだ。
会話が途切れ、2人の間に沈黙が流れると、壁掛け扇風機の回る音と、店内BGMかと思うほどのセミの声、それからカウンターの向こうで調理しているおばぁちゃんの手際のいい音を耳が拾ってくる。
陽岡はどう思っているかわからないが、俺はこのいくつかの音が重なった演奏と、それが生み出す空気感を不思議と居心地がいいものだと思うし、この店の歴史を感じさせるテーブルや扇風機などもとてもいいバランスだ、などと思っていた。
ふと目の前に座った陽岡に目を向けると、決して涼しいとは言えない店内にも関わらず、彼女はサッパリとした顔で壁に貼られた手書きのメニュー表を眺めていた。
俺はそんな様子を見逃さず、テーブルに置いていたスマホを手に取り、無言のままシャッターを押す。
「ねぇ!ちょっと!絶対今ボーッとしてたから変な顔してたよ!」
シャッター音で気がついた陽岡がこちらを見て、恥ずかしそうに身を乗り出してくる。
「いや、そんな事ないよ。とっても素敵…」
そこまで言って口を紡ぐ。
思わず本音が漏れてしまった。
「そっか…。へへっ。そうなんだ」
乗り出した身を元の位置に戻した陽岡は、小声でそんな事を言っている。
聞こえなかった、なんて都合のいい事はなかったようだ。
俺も恥ずかしくなって俯き気味になると、少ししてから陽岡はイタズラっぽく、ねぇねぇ、可愛かった?などと聞いてくる。
「別に。普通だったよ?」
なんて顔も見ずに言ってしまったのは、とっくに彼女の事を可愛いと心の中では認めてしまっていたから、せめてもの小さな抵抗だ。
「お待たせしました〜」
そんな恥ずかしい空気を破ったのは、おばぁちゃんの優しい声。
カウンターの向こうからトレーに注文した料理を乗せているのを見て、俺は席を立って受け取りに行く。
同時に立ち上がろうとした陽岡を片手で制したのは優しさなどではなく、少しだけ、ほんの少しだけ離れたかったからだろう。
「ありがとうございます」
おばぁちゃんにそう伝えると、ニコニコした可愛らしい笑みを浮かべるおばぁちゃんは、きっと先程のやり取りを聞いていたに違いない。
恥ずかしさと気まずさに挟まれながらも席に戻り、トレーから彼女の注文したかき氷をはい、と陽岡の目の前に差し出す。
「ありがと!」
「どういたしまして」
「美味しそうだね!」
「そうだな」
やっときたかき氷を目の前に明らかにテンションが上がっている陽岡とは対称的に、これから言おうとしている事を意識しすぎて単調な返事になってしまう俺。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、いただきます!と元気に声に出してかき氷に手を付けようとする彼女に片手で待ったをかける。
「どうしたの?」
彼女はスプーンを片手に俺の方を見て動きを止める。
「あー。なんていうか、タコライスとオムライス、思ったよりも量が多いなと思ってさ。よかったら半分食べてくれないか?」
頭の中のイメージではとてもスムーズに言えていたはずのセリフが、いざとなるとわざとらしくなってしまう。
陽岡は一瞬きょとんとしたかと思うと、ふふっと少し嬉しそうな笑みを浮かべた。
「確かに、一人で食べるには多そうだね。仕方ないから半分食べてあげるね?」
「そうして貰えると…たすかる。」
恐らく、陽岡には全てバレているのだろう。その上で俺のどうしようもない演技に付き合ってくれている。優しい人だ。
陽岡はカウンターに行ったかと思うと、おばぁちゃんから取り皿を受け取り戻ってきて、テキパキと分け始めた。
「ん?これも?」
差し出された皿を見ると、俺の頼んだタコライスとオムライスとは別に、綺麗なガラス皿にかき氷も半分乗っている。
「うん!せっかくだし二人で食べた方が美味しいと思って」
そう言ったかと思うと、いただきます!と言って食べ始めた陽岡。それに倣って俺もいただきますと続けた。
食べながら陽岡とは色々な話をしたお陰で、彼女の知らなかった事をたくさん知ることが出来た。
ひとりっ子な事、母子家庭で母親があまり家にいない事、だから家事は率先して陽岡がやっている事、そのお陰で料理が得意な事、それが地味に自慢な事、実は可愛いものが大好きで、家にぬいぐるみがたくさんある事、女性アイドルが好きな事、よく告白されるが一度もOKした事がないので彼氏は出来たことがない事、告白してくる人は大体よく知らない人な事、バイクの免許を持っている事、ピザ屋のデリバリーのバイト経験がある事。
それから、夏休み前に長い髪を切ってボブにした事。
「そういえば、ロングだったのに急にボブにしてきたよな」
「気づいてたんだ。糸井くんは周りに興味無いのかと思ってた」
「さすがに気づくだろ。なんでボブにしたんだ?」
「それってロングの方が似合ってたよって意味?」
「ちげぇよ!深い意味はないけど…」
俺が否定すると、またまた〜なんて茶化してきながらも、陽岡は顎に手を当てて右斜め上を向く。何かを考えているのだとすぐにわかる。
「夏になったからかな?さすがにロングだと暑いし?」
それが嘘だと言うのはなんとなくわかる。本当の事なら考える必要なんてないから。
それでも話したくない事でもあるのだと思い、それ以上は聞かない。いや、聞いていいのかわからなかった。
だから、失恋でもしたのかもしれない。なんて在り来りで、フィクションじみた理由なのだろうと思うことにした。
「ばぁちゃん!かき氷!」
セミの声をかき消すほど元気のいい声が店内に響くと同時に、ドタバタといくつかの足音が床を揺らす。
近所の子供たちだろうか、5人の小学生くらいの男女グループが汗だくになりながら入ってきた。
おばぁちゃんもはいはい、人数分用意するね。なんて優しく対応していて、子供たちもお願いしまーす!と元気よくそれに答える。
「子供はいいなぁ。見てるとこっちまで元気になるよね」
頬杖をつきながら子供たちを眺めてそう言う陽岡は、恐らく誰かに対して言った訳ではないだろう。それでも聞こえてしまったからには何か言わなければと、そうだなとだけ返し、俺も子供たちの方に視線を向ける。
すると、女の子のうちの一人が俺たちに気が付き、こっちに寄ってきた。
「こんにちは!お姉ちゃんたちはでーとしてるの?」
そんな無邪気な問いかけに、思わずドキッとしてしまう。そして、すぐに否定しようとしたが、俺よりも先に陽岡がこう答えた。
「そうだよ〜?いいでしょー?」
ニヤニヤと、それでいて可愛らしい笑顔を見せながら、目の前の女の子に向かって自慢げにしている。
「やっぱり!ねぇねぇ!のぞみちゃん!お姉ちゃんとお兄ちゃんでーとしてるんだって!」
声を掛けてきた子がカウンターの方にいるもう一人の女の子にそう声を掛けると、のぞみちゃんと呼ばれたその子も駆け寄ってくる。
「あやしいとおもってたんだよね。やっぱりかっぷるだったんだ」
最初に寄ってきた子よりも、落ち着いた感じでそう言うのぞみちゃんだが、目がキラキラしていて、興味津々という事が隠せていない。
「いいなぁ。わたしもでーとしてみたいなぁ」
最初に寄ってきた子がそう言うと、陽岡はふふっと優しく微笑み、もう少し大きくなったら出来ると思うよなんて言っている。
「お姉ちゃんはかわいいからそうかもしれないけど、わたしはかわいくないからなぁ」
「ありがとう。君もかわいいよ」
「そうかなぁ?のぞみちゃんはどう思う?」
問いかけられたのぞみちゃんは、陽岡に同意するようにかなちゃんもかわいいよ!と言う。そして、俺の方を向いたかと思うと、こんな事を言い出した。
「お兄さんは普通なのに、よくこんなかわいい人と付き合えたよね」
「おいこら、今なんて言った」
「あははっ!糸井くん、怒っちゃダメだよ」
別に俺も本気で怒ってはない。それは目の前ののぞみちゃんも俺の表情を見てわかっているはずだ。それでも陽岡が笑ってくれてよかったと思う。
「お兄ちゃん。お姉ちゃんの事離しちゃダメだよ?」
「離すも何も、俺たちは別に…」
「のぞみ!かな!かき氷できた!!」
付き合ってないからと続けようとした時、タイミングよくカウンターから男子三名がのぞみちゃんとかなちゃんを呼ぶ。
二人も今行くー!と返事をして、バイバイ!と手を振りカウンターに行ってしまった。
「ふふっ。勘違いされたままだね」
「まぁ、もう会うこともないだろうしいいか」
「ふーん?」
「なんだよ」
「別にぃ」
それから陽岡は黙ったまま子供たちを少し眺め、もう行こっかと言って席を立つ。俺も何も言わずにその後に続き、ご馳走様でしたとおばぁちゃんに声を掛けてパーラーを後にした。
~~~~~~~~~~~~~~~
俺と陽岡は花火を手に、漁港の舟を着水させる為にあるスロープになっている部分に来ていた。
パーラーを出た後、夕方になるまで写真を撮り、もう帰ろうという俺の提案に対して、陽岡が花火がしたいといいだしたのだ。
撮影中に見かけた店で花火が売っている事は分かっていたし、漁港の人に確認したら、この部分でなら花火をしてもいいと許可を貰えたのだ。しかもその人はバケツを貸してくれただけでなく、終わったら花火のゴミも回収するからそのまま持っておいでと言ってくれた。
この町の人達は思いやりに溢れているのかもしれない。
辺りはすっかり暗くなっていて、明かりらしい明かりは俺と彼女の持つ花火と地面に置かれた点火棒だけ。
色鮮やかな光が宙に弾け、真っ黒なキャンバスに色を塗っては落ちていく。
「糸井くん!見て見て!∞!!!」
「危ない危ない!振り回すな!」
「あははっ!お父さんみたーい!」
「誰がお父さんじゃ!」
両手に花火を持ち、振り回す陽岡はまるで子供のようで、無邪気に笑っていて、とても楽しいというのがこっちにまで伝わってくる。
注意しつつも、俺まで笑顔になってしまうのは、きっと陽岡のせいだ。
「ちゃんとしたカメラとか道具があればなぁ」
この暗闇の中ではさすがにスマホのカメラでは撮影出来なかったのだ。楽しそうな彼女と綺麗な花火を写真に収めることが出来ないのがとても悔やまれる。がそれでもなんだか諦めきれず、手に持っていた花火が消えたのを合図にスマホに持ち替え、最後に試してみようとカメラを陽岡に向ける。
やはりと言うべきか、スマホのカメラでは人が立っているくらいしか認識できないが、海に向かって立っている陽岡に、こっちを向いて欲しいと念を送る。
すると、まるで念が届いたかのように陽岡が振り向く。
その際、手に持った花火を軽く振る形で振り向いたので、スマホのカメラにはいい感じに光が入り、彼女の眩しいくらいの笑顔がしっかりと写り込む。
俺はそのシャッターチャンスを見逃した。いや、見逃さざるおえなかった。
反射的にシャッターボタンを押そうとした指が動かなかった。
画面越しに目に入った、たった一瞬の彼女の笑顔に全て持っていかれた。
クラスメイトと言えど、こんなに話したのは今日が初めてで、お互いの存在を意識して過ごしたのはたった数時間程度。
だから認められなかった。認めたくなかった。自分がこんなに単純だと思いたくなかった。
俺は陽岡の事が好きなんだな。と。
ありえない速度で彼女に惹かれていたんだな。と。
振り向いた瞬間ではない、今日過ごした時間で確実に、着実に恋に落ちていた。
「糸井くん?」
スマホを向けたままの俺にそう声を掛けてきた陽岡は、大丈夫?と続ける。
「大丈夫、大丈夫、せっかくのシャッターチャンスだったのに間に合わなくてさ、ちょっと悔しくて」
誤魔化すようにそう言うと、ほんと?と怪訝そうに様子を伺ってくる。そんな彼女にほんとだよと伝え、スマホをポケットに入れると、消えてしまった花火をバケツに入れて、新しい花火を取り出す。
「あっ!」
「もう!糸井くんなにしてるの」
しかし、自身の気持ちに自覚してしまったからか、地面に置いていた点火棒を踏んでしまい、火種を消すどころかあろう事か折ってしまう。
「様子が変だよ?ほんとに大丈夫?」
「うん、大丈夫、大丈夫」
陽岡の言葉に返答しつつも、自分にそう言い聞かせ、新たな点火棒に火を着けようとライターを使うも、風でなかなか着かない。
「ちょっと貸して」
陽岡はそう言うと俺の隣に来て点火棒を俺の手から取り、自分の持っていた花火から直接火を着ける。
その際、隣に並んだ彼女の肩と俺の肩が触れ合い、より一層の暑さを感じる。
一日中外にいて汗をかいているはずなのに陽岡からはほんのりといい匂いがして、逆に自分は臭くないだろうかとか、そんな事まで考えてしまう。
緊張と嬉しさの混じった鼓動が肩越しに伝わってないといいのだが。
などとまとまらない思考をどうにか統合しようとし、それに失敗してはまた統合しようと必死になっていると、陽岡の花火の勢いが弱くなっていく。
「ああっ。もう少しだから頑張れ」
なぜか声が小さくなりながらも、頑張れ頑張れと連呼しながら首をリズム良く動かす彼女。その発言と仕草を思わず可愛いと思ってしまうのだからもう手遅れだ。
そして、ふっと急に手元が暗くなり、花火が消えたのだと理解する。
間に合わなかったぁ。と先程と同じように小さく呟く陽岡は表情こそ見えないが、その声色から残念がっている事は想像にかたくない。
しかし、手元が少しだけ明るくなる。
まるで彼女の期待に応えたいとばかりに点火棒に少しばかりの火種が着いていた。
「見て見て!」
残念そうな声色はどこへやら、打って変わって明るい声でしゃがみながら体で跳ねる陽岡は、同時に点火棒を軽く振る。すると火種は力を取り戻したかのように一気に明るくなり、俺たちの手元をしっかりと照らし始める。
「やったぁ!」
そんな声に隣に視線を向けると、陽岡もこっちを向いていたようで、笑顔で細くなった目と俺の視線が交わる。
「良かった。ありがとう陽岡」
「ふふっ。どういたしまして」
ああ、ダメだ。可愛い。
もうどうしようもなく好きなのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~
バケツを返し、もうさすがに帰ろうと駅に向かって歩き出す。
楽しかった思い出を脳内で振り返りながら、斜め後ろの足音に耳を傾ける。
駅に着き、中に入ろうとすると後ろから服を引かれる。
振り向くと、俺の服の裾を掴んで立ち竦む陽岡がいた。
「どうした?早く帰ろうぜ?」
そう問いかけるも返答はなく、少しだけ、自分の余裕が保てる距離まで彼女に近づく。
それでも陽岡はなにも言わない。
さすがに心配が勝ち、どうした?と再度問いかけながら俯く少女の顔を覗き込むように隣に並ぶと、陽岡の顔は、寂しさと悲しさが混じったような表情を浮かべていた。
「まじでどうした?俺なんかしちゃった?」
慌ててそう言うと、無言のままでううんと首を横に振る陽岡。
このまま問い詰めても何も話さなさそうな雰囲気だったので、駅の前にあるベンチまで腕を引き、座らせる。
さっきまでの楽しかった空気が嘘のように、どんよりとした雰囲気に居た堪れず、近くの自販機まで行き、飲み物を2本買ってからベンチに戻る。
ベンチに座った陽岡の前にしゃがみこみ、スポーツドリンクを差し出すも、受け取って貰えない。なので半ば無理矢理気味に手のひらに握らせる。
そのままどのくらい時間が過ぎただろうか。
「…帰りたくない」
俯いたままでポツリとそう漏らした陽岡。
「どうしてだ?」
そう聞き返すも、目の前の寂しそうな顔の女の子は唇を噛んで離さない。
それを見て、理由は話したくない、もしくは話せないのだと判断し、どうしたものかと考え込む。
町で撮影中に銭湯があるのは見かけた。この時間ならまだ営業しているだろうから、お風呂は問題ない。
仮に閉まって居たとしても、最悪我慢すればいい。一日中歩き回って汗をかいているからそれも出来れば御免こうむりたいが。
それと親への連絡。これもまぁ友達の家に泊まるとか嘘をつけばどうにでもなるだろう。
今一番の問題は寝泊まりする場所だ。
さすがに寝ないで始発まで起きるには、時間を潰せる場所がない。それに当日、しかも未成年だけで泊まれるような宿があるとも思えないし、正直そんな金もない。
ふむ、と顎に手を当てて考える。
本来ならこの時点でやっぱり帰ろうと言うべきだろうが、陽岡の様子を見るにそう言ったところで、じゃあ一人で残ると言い出しかねない。
仕方ない、もう漁港で朝まで話すなりして時間潰すかと考え立ち上がる。
「陽岡、まずは銭湯に行こう!さすがに汗かいて気持ち悪いし、風呂入ってサッパリしよう」
俺がそう言うと、俺を見上げるようにして変わらずの寂し気な顔で、いいの?と聞いてくる。
このいいの?は銭湯に行くことに対して、ではなく、今夜一緒にいてくれるの?の意だと捉え、いいよと短く返す。
「ありがとう」
そう言って感謝を告げた陽岡の顔は、少しだけ元気を取り戻したかのように見えた。
~~~~~~~~~~~~~~~
銭湯を出た俺たちは、山の麓付近にある小屋の中にいた。
この小屋は嘘か本当か、陽岡のおじいさんのものであり、今ではほとんど使ってないとの事だ。
陽岡が小屋の鍵を持っていた時点で嘘だとしても信じるしかないのだけれども。
「山の中だから虫とか多いかと思ったけど、思ったよりは綺麗だな」
「定期的に掃除してるみたいだしね。道具の手入れもあるみたいだし」
壁にもたれて座る俺の隣で同じような体勢でそう話す陽岡。彼女の言う通り、なにかの作業で使うであろう道具が綺麗に整頓されていて、この小屋自体に誰かの手入れが行き届いているのだとわかる。
それにしても、山の麓とはいえ、こんな小屋まで所有してるとなると、この辺の土地は陽岡のおじいさんのものなのだろうか?そうなると結構な地主の可能性もある。実は金持ちとか?
小屋の中には小さな電球があるにはあるが、どちらともなく付けずに、月明かりに身を委ねている。そのせいで陽岡の表情はわかりにくいが、ここに来るまでの表情と空気感から、駅にいた時よりは元気だろうと思う。
それは俺が一緒にいるからなのか、それとも時間の経過によるものなのか。前者だとしたら嬉しいが、単純な俺とは違うだろうから、そう考えるのはただの自惚れだろう。
そんな事を考えながら、暗闇に目が慣れ始めたころ、俺の右手に何かが触れる。
なんとなく、陽岡の手だろうと予想できるが、ここからが予想外だった。
隣に座った俺の好きな人は、俺の右手を恐る恐る触ったかと思うと、少しずつ指を絡めていき、最終的には恋人繋ぎになる。
なにも言わず、まるでなにも感じていないかのようにされるがままではあるが、内心は穏やかではなかった。
それでも振りほどいたりせず、それを受け入れたのは、駅での彼女を見たからだろうか。それとも俺が無意識に求めていたからだろうか。
俺も陽岡も何も言わない。
お互いにこの時間が心地よいからなのかもしれない。
そして、右肩に少しの重さを感じ、首だけで右を向くと、陽岡の頭が俺の肩に乗っていた。
「糸井くんはさ、私の事どう思ってる?」
その言葉にすぐには返答出来なかった。
彼女がどういう意図で聞いてきたのかがわからない。クラスメイトとしてなのか、今日一日一緒にいた知り合いとしてなのか、それとも異性としてなのか。
それを聞く度胸もなければ、素直に好きだと言える勇気もない。
高鳴る鼓動と手と肩から伝わる温度がシンクロし始め、自身の体温が上がっていることを自覚し始めた頃には、隣からすぅすぅと気持ちの良い寝息が聞こえてきた。
今日は暑い中歩きっぱなしで、しかも陽岡は被写体としてカメラの前に立ちっぱなしだったのだ、俺よりも疲れていただろう。
少し残念な気持ちと、お疲れ様という労いの気持ちの混じった不思議な感情。
それが妙に心地よくて、彼女がどう思ってるかは分からないが、起きたらまた会えると思うと気持ちが高揚する。
明日帰る前に連絡先を聞いてみよう。そうだ、夏祭りにも誘ってみよう。二学期が始まったら学校でも話しかけてみよう。
そんなこれから来るかもしれない未来を想像して、重くなる瞼に抗いもせずに暗闇に身を投げた。
~~~~~~~~~~~~~~~
ガタッ
なにかの音で目を覚ます。
正確には、一瞬薄目が開き、そのまま眠気に従ってゆっくり目を閉じた…。だが、数分して壁にもたれて眠ってしまった為、項垂れていた首の疲れを感じて再度ゆっくりと目を開ける。
ギィ…ギィ…
初めに目に入ったのは地面に投げ出された自分の足。
そのままの体勢で左手を首に当てて軽く揉む。それに合わせて少しずつ頭も覚醒してきて、ここでやっと自分の足が少し濡れている事に気づく。
雨漏り?
ギィッ…
そう思ったが、それにしては濡れてなさすぎる。
すぐに乾きそうなくらいの水滴。それがまだここにあるという事は濡れて間もないのだとこの時はまだ気が付かない。
なんとなく、小屋の中に小さな光が入り込んできていて夜更けが近いのだと理解する。
ギ…ィ…
寝起きでまだ少し暗いこの空間に慣れてない中、次に気がついたのが右側の体温。
寝る直前まで感じていた心地の良い体温と重さがなく、右手が自由な事に気づき、首を右に向ける。
陽岡の姿がない。
ギッ……
一瞬理解が遅れるが、すぐに陽岡?と声を出す。
思ったよりも声が出ず、続けて名前を呼ぶ。
返事はない。
……
どこかに行ったのだろうか。
そう思い、立ち上がろうとした時、外でセミの鳴き声が聞こえ始める。そして、それに呼応するように心音が高鳴る。
目の前の、初めて見たはず、それなのに何度も見たかのような光景。
その小さな揺れに合わせて自分の視界も揺れる。
まるでカゲロウのように。
~~~~~~~~~~~~~~~
写真を眺めていると、授業開始を告げるチャイムが鳴る。
時間を忘れて思い出に浸ってしまっていた。
決して楽しいだけじゃない、苦しいものも混じった思い出。
それでも大切にしたいと思えるくらいにはこの数ヶ月で成長したからだろうか。それとも…。
写真をファイルに戻し、そのまま教科書とノートもカバンに戻す。
もういっその事サボってしまうか。
そう考えて教室を出て、向かう先は保健室。
授業中の静かな廊下を抜け、保健室のドアをノックする。返事はないが遠慮なしにドアをスライドする。
「失礼します」
そう言いながら入ると、人の気配はない。
おかしいな?
そう思いながら足を踏み入れる。すると保健室の奥の方、パーテーションとカーテンで区切られた一角から一人顔を覗かせる人がいた。
その人物は顔をパッと明るくして、顔だけじゃなく体ごと飛び出してくる。
体の動きに合わせて、季節にはまだ早い、緩く巻かれたマフラーがふわりと動く。
それを見て、俺はあの日見たカゲロウを思い出す。
まだ消し去るには時間がかかりそうだと。




