第28話 胸の紋様
朝の光はやわらかく、しかし確かに部屋の輪郭を取り戻し始めていた。
石雪に覆われた世界とは裏腹に、その小さな寝室だけは、わずかに命の気配を取り戻している。
ベッドの上で、少女は再び沈んでいた。
つい先ほどまで開いていた瞳は閉じられ、呼吸はあるものの浅い。
意識の表層から押し戻されたかのように、アルフィの身体は静かに横たわっていた。
ステラは、その手を離さない。
指先を絡めるように握り、まるで繋ぎ止めるかのように。
「……アルフィ……」
声は震えていたが、先ほどまでの絶望とは違う色があった。今はまだ、失っていない。
アバルトは一歩引いた位置で、静かに様子を見ている。
だがその視線は鋭く、ただの安堵には留まっていなかった。
先ほどの現象――石が光り、完全に石化したはずのアルフィの身体が戻ったあの出来事を、必死に理解しようとしていた。
暖炉の火が、ぱち、と小さく音を立てた。
その時だった。
アルフィの胸元。
衣の隙間から覗くその紋様が――わずかに、明滅した。
まるで呼吸するかのように。
淡く、脈打つような光。
アバルトの目が細められる。
「……ステラ、それを見せてくれ」
ステラは一瞬だけ躊躇したが、ゆっくりと頷き、衣をわずかに開く。
そこにあるのは、痣――だが、それは明らかに普通の痣とは違っていた。
ただの痣ではない。
線が幾何学的に左右対称で、まるで紋章のような形を成している。
そしてその中心が、かすかに光を帯びていた。
「これは……」
アバルトの声が低く落ちる。
見たことがない。
だが、ただの偶然でもない。
魔法とも違う。
信仰とも違う。
もっと原初的な――何か。
その間にも、アルフィの呼吸は少しずつ落ち着いていく。
先ほどまでの混乱が嘘のように、静かに、規則正しく。
ステラはその様子に気づき、はっと顔を上げた。
「……落ち着いてる……」
頬に涙の跡を残したまま、そっと額に手を当てる。
「熱も……下がってるわ……」
アバルトはゆっくりと頷いた。
「今は、眠らせてやれ」
短く、それだけを告げる。
無理に起こすべきではない。
あの混乱――記憶の衝突のようなものは、子供の体には重すぎる。
ステラは静かにうなずき、再び椅子に腰を下ろした。
それでも手は離さない。
その様子を見ながら、アバルトは視線を落とす。
床の上。
先ほど落ちたままの――ただの石。
もう、何も感じない。
かつてあったはずの温もりも、気配も、完全に消えている。
アバルトはそれを拾い上げた。
手の中で転がす。
重さも、質感も、ただの石だ。
だが――
「……守ってくれたの、か…」
小さく、誰にも聞こえないほどの声で呟く。
代償は、払われた。
何が起きたのかは分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
あの石は、自らのすべてを使って――この子を引き戻した。
アバルトはゆっくりと石を卓の上に置いた。
もうそれは祈る対象ではない。
ただの石だ。
だが、その沈黙には、確かな終わりがあった。
窓の外では、灰色の世界の向こうに、かすかな青が滲み始めている。
長い夜は、確実に明けようとしていた。
そして――
ベッドの上で眠るアルフィの胸元の紋様が、もう一度だけ、かすかに光を脈打たせた。




