前編
真っ白な心の君 妖精王編前編
第一章 支配
エルトリア王国はスカンジナビアから来たエルフ達によって造られた国だ。
九世紀ごろにマジャール人とスラブ人やダキア人達を伴侶として受け入れた。
人間と長い牛の尾を持つ女妖精・ハルダーフォルクが共生する王国が出来た。
十二世紀後半に、豊かな森と豊富な水に恵まれたエルトリアに初めてスラブ人の王イヴァンが即位し、十三世紀に王妃アメンが身ごもった。あと半年後にはハルダーフォルクの王女が生まれるはずなのに、東の隣国ガスタニア帝国攻め込まれた。
キエフ公国をすでに支配したタタール派生部族のガスタニアは奴隷兵士と超生物兵器を活用してエルトリア城を包囲した。
兵役を退いて新兵の教官として過ごしたイシュトヴァーンは「連中に宝を奪われてなるものか」と本館地下の宝物庫へ駆けこんだ。扉はすでに開いていて中に銀髪のハルダーフォルクがいた。
精悍な顔つきの黒髪イッシュは、金模様刺繍の青色チュニックの牛の尾エルフがロングソードを使わないことに気付いた。
「あなたがここにいることは城が落ちるというわけですな。でも守り人はその刀剣と外套をどう守るのかな?」
髪を背中まで伸ばした美しいハルダーフォルクは、南宋からの贈り物の太刀と小太刀に王族が受け継ぐ白い外套一式を持ち出していた。
「私たちと四〇人の弓兵は騎乗聖獣で脱出します。王たちはもう間に合いませんが、教官殿も行きましょう」
「いや、俺は残る」
「残ってもガスタニア人の奴隷にされるだけですよ」
「なら生まれてくる王女様のために、残るべきだろうよ」
「ではお先に。あとで会えますよう祈って下さいませ」
イッシュは凛とした表情のハルダーフォルクを見送って塔へ移動した。
支配者が奴隷集めの他に求めたのは不老不死になるという魔法の道具だった。
ガスタニア皇帝オルクはエルトリア王国に聖杯と不老不死の種族がいると伝聞し、エルトリア王国の侵攻を命じた。王国は帝国の異常な軍勢で滅亡した。
聖職者と農奴以外の国民がガスタニア人の奴隷になり、王族や生まれてくる子供も例外ではなかった。
半年後、アメンは別館で男の子を生んだ。
初乳を飲ませた後、乳児は家令たちに離され遠くの離れに移された。
緑の外套とフードの二人のハルダーフォルクが茶髪のアメンに駆け寄ってきた。
「王妃、ここを離れましょう」
良く似た二人がアメンを騎乗聖獣に乗せた。
「クーシー、ローシー。息子が生まれたの! あの子も助けて」
「へ? 男子を生んだのですか? 本当に? でも王子は人間の兵士らがたくさんいる所にいるので近づけません。あとで何とかしますから今は早く」
龍と馬が合体したような騎獣は空を飛び、エルトリア王国から北へ移動した。
半年が過ぎているのに聖杯探索が進んでいないことに黒髭オルクは苛立っていた。奴隷化したハルダーフォルク一〇〇人に部下から聞いても誰も聖杯すら知らないという。
アメン元王妃に男児が生まれた報を聞いても「面倒だからエルトリア城へ置いておけ」と命じた。所有物に名前を付ける気はなかった。
「それと元王妃が逃亡されましたが捜索部隊を出しますか?」
「そんなのはいい。城とかの他の奴隷は夜に寝床の数でも調べておけ」
長いアゴ髭を触り適当に部下に命じた。
主人に忘れられた男児は五歳になった。幼児用の金の首輪をつけていた。児童が城で出来る仕事は家畜の簡単な世話と庭の草むしり位だ。
栗毛髪の男児は植物園と化した庭でバッタを見つけ、尾を振りながらつかんでみた。
「ちゃんと働け」
元庭師も奴隷化されていて銅色の首輪だった。監視役に軽く蹴られた。
ある日、男児は草むしり中にガスタニア人の王子に石を投げられた。
「王子様、そいつは陛下の物ですので乱暴はおやめください」
「何だ、お前も奴隷じゃん」
さらに石を監督役に投げつけた。別の日には男児は監督役が見ていない時に、王子と兄弟たちに尾を踏みつけられた。
「なんでこいつ、しっぽなんて生えているんだ?」
七歳になると男児は食事の支度に厨房で下ごしらえやスープ作りの手伝いを命じられた。
肉食中心の豪華な食卓にワインを注ぐ給仕役も務めた。時折貴族の真似事をしたガスタニア人たちに顔を見つめられて一晩だけの情事という名目で性処理の相手をさせられた。
八歳になった男児はオルク皇帝の気まぐれでイシュトヴァーン教官下で奴隷少年兵団に配属された。
イッシュは、麻の粗末なチュニックから長い牛の尾が垂れ、金色首輪で男児が王子と察した。中年教官は銅色首輪だった。
奴隷少年兵団は城兵舎の一部の土地を与えられた。
木造の小屋がイッシュの家にもなった。後にオルク皇帝は少年兵団の拡大のためイッシュに武器などの運用権限を与え、丸投げした。訓練と演習場の選択権も含まれている。
小屋から出たイッシュは双子の守り人から刀剣を受け取り、奴隷たちのささやかな食事を終えてから夜九時まで男児との個人訓練を続けた。
「お前、しっぽも良く鍛えて手のように使えるようにすれば最強の兵士になれるぞ」
イッシュは刀剣と弓の扱いに乗馬も仕込み、訓練を終えたらリンゴを食べさせた。
時にはゆでた鳥の肉も与えた。十歳でスカンジナビアの紛争地へ行って帰還しても時間があれば男児と付き合った。
第二章 奴隷の青年
一二〇六年 二月初旬。
彼は十七歳となると美貌の青年に成長した。
エルフ特有の美しさで貴族を惹いた。若者達の奴隷部隊は遥か東へ遠征した。青年は反乱分子を片づけた後、ガスタニア人の兵士長から山小屋に招かれた。
なぜか裸にされて背枷を付けられ吊るされていた。兵士長はわめきながら青年の背中を鞭で叩き続けていた。ナイフで切り付けられて痛みに耐えた青年は、別館で兵士たちの世話係の奴隷部屋に放り込まれた。
数日間食事を制限されたものの、青年は仮死状態で眠り続けた。兵士長の気まぐれで他の奴隷による介抱を許され、食事を自分でとれるまで回復した。五月初旬までに青年は刀剣と共に馬車に乗せられてエルトリア城に帰還した。
演習場出発の二日前には一晩だけの名目で淑女貴族の性の奉仕をさせられた。
翌日には中年の男貴族に日中だけ買われ、夕方に戻されたときは青年の肛門が傷つけられた。
エルトリア城本館の大ホールは、こった飾り物の肉料理とたくさん盛った果物がろうそくの光に照らされた。宴会の主催者は金色マントに赤いローブ着のガスタニア人の王だ。
白いテーブルクロスが映える大テーブルに来賓のエルトリア人の司祭を迎える形で王族と貴族たちが席に着いた。
金刺繍ドレスの王妃の隣に青緑ドレスの貴婦人が例の奴隷はどこかと王に尋ねた。
隣の赤いサーコートの禿げ頭の貴族は「牛の尾の奴隷はどこにいるんだ」と聞いた。
「今朝から西の国境近くの山へ演習に向かったと聞いたが、何か?」
「何であんな子を戦場に出すのよ!」
「そうだ! 君、皇帝陛下から買い取ってもらったらどうだ?」
性欲丸出しの貴族からなじられたが皇帝の奴隷となると、若さや牛の尾などもの珍しさから法外な値段がつきそうだ。
「私が破産する! 今は許してくれ」
王は情けなく懇願した。
夜更けごろ、イシュトヴァーンは雪がまばらに残る禿げ山の簡易宿舎に眠る若者を叩き起こした。牛の尾エルフを茂みへ放尿させた。
彼の古い服を脱がせウールの白ズボンをはかせた。
長身の青年は尾を器用に立てて穴から通した。金刺繍入りの黒いチュニックも器用に腰辺りの穴から尾を通した。次にシルクの聖布が背中に垂れる金刺繍の白い外套をかけた。
鉄鍋入りの麻袋を背負わせ刀剣用の革ベルトを腰につけ太刀と小太刀を左腹脇に差した。乗馬用のブーツも履かせた。
「お前に任務を与える。あの先へずっと進み、集落を見つけたらそこの人間を皆殺しにしろ。檻に誰かが囚われていたら助けろ! そのあとは神聖ローマ帝国内に入ってそこで生活しろ!」
青年はうなずいて山道を走り去った後、銀髪のハルダーフォルクが龍馬を連れてやって来た。
「あなたもお逃げなさい。皇帝の奴隷が逃亡したと知られたらただでは済まされませんよ」
「もう寝床調査はなくなったんだ。ガスタニア人だって同行していないし。クーシー殿は森の偵察に乗る気満々でしたよね」
イッシュは自分より三十センチ高いクーシーに伝えた。
「あそこは前に過ごした森でしたから変な輩に居座れて困っていたところですし。残された奴隷たちのために残るなんてあなたらしい」
クーシーは龍馬に乗って飛んで行った。
山を下った青年は川辺と針葉樹の森が続く道へ着いた。濁った川の水を飲んで顔を洗った。ついでに肩にかかるぼさぼさの髪全体も洗った。
眠くなったので草むらで寝ころんだ。
頬をなめられた感触で起きると三頭の若い狼がそばにいた。青年は狼と戯れた後、朝日を浴びて森に入り獣の気配を感じて指差した。
狼たちは飛びかかって鹿を仕留めて後ろ左脚を引きちぎって彼に渡した。
青年は川の水を鍋に入れて袋から綿を出して火打ち石で火を起こし、小太刀で皮をはいだ鹿足を深い底の鉄鍋に入れて塩ゆでした。
ゆで上がったら小太刀で差して草地に置き、肉が冷えたら手づかみで夢中で食べた。
もう一本の足を太刀で切り落として麻袋に入れた。
鍋を片づけて袋に入れて背負い、狼たちと別れを告げて走り出す。
「ああ、何でこうなった……」
早朝に薬草と香草取りに夢中になって背後から殴られて檻に入れられた。灰色ローブの少女は金髪巻き毛を触ってため息をついた。少女の前に顔が汚れた賊が二人寄った。
「親方はこの嬢ちゃんをユダヤの奴隷売りに渡す気なのかねぇ。すこし楽しみたいなぁ」
カギを腰に垂らした背の低い男がつぶやいた。赤いチュニックも汚いし、体臭が酷い。
「君、何歳かね?」
黒フードの男が尋ねた。こちらもろくに水浴びすらしていない香りだ。
「……十四」
少女は小さな声で答えた。二人だけならノームやウンディーネの力で倒せる。だが周りには数十人の賊がぃて弓使いもいる。奴隷商人といた方が逃げられそうかと考えた。
夕方近くになると薄暗い森の廃屋に人影が現れて青年は太刀と小太刀を構えて斬り付けた。杉の木の上に弓使いがいて太刀を投げつけて木から落とした。
斧で切りかかる者を手早く小太刀で心臓を刺し、太刀を回収して寄って来た二人の男たちを、右足を軸にして体を回転して倒した。青年は斬る・突くでほとんどの賊を一方的に殺した。
少女は袋を背負っている白外套の若者が盗賊を狩る様を魅入った。命乞いする二人の賊も無表情で斬り付けた。少女は青年と目が合った。
白い外套とズボンに血濡れがあるが彼の肩まで伸びた栗色の髪と顔はきれいだ。
「ヤバい。うつくしぃ……」
暗がりでも彼の端正な顔立ちが認識できた。
「助けて。そっちのカギで開けて」
「オリだ……」
つぶやいた青年は転がっている男から鍵を取った。
「教官のいう、人だ……」
彼は口を開けたままでいた。どこかあどけない感じがした。
「うん。うん、開けて、開けて」
青年はぎこちない動きで扉を開けた。
「ありがとう。私はカザーブ。あなたは?」
青年の右手に握手して笑顔のカザーブは尋ねた。
「あぁ……」
彼は言葉につまっていた。
カザーブは彼の首に金色の大きめの輪を見つけた。
「あなたって、誰かの奴隷?」
「うん」
彼はうなずいた。カザーフは鍵穴のある首輪に刻まれたラテン文字を読み上げた。
「Erutoria Castellum Orcus エルトリア城・オルク?」
オルクのあと鹿角の文様が彫られていた。
「オルクって誰? エルトリアって本で読んだような……」
カザーブは満月を仰ぐように歩くと青年は鉄鍋を持って川辺に向かい水をくんできた。
薪を集めて火を起こし鍋を温めた。さらに袋から鹿の足を取り出して皮をはいでいる。
「それ、狩ったの?」
「狼に、もらった」
彼はそっけなく答えた。
カザーブは周りを探したが狼はいなかった。小屋から大皿を持ってきて肩掛けカバンからナイフを出した。肉がゆでたら二人で分けて無言で食べ続け、骨は彼が森の方へ捨てた。
カザーブはワラのある廃屋の外に二頭の足が太い葦毛の大型馬を見つけた。
「あ、これ最高の戦利品! 畑仕事に使えそうだし、今は寝ようか」
二人は廃屋に入り、彼は外套とズボンを脱いだ。黒い上等そうなチュニックの丈は腿上くらいの長さで股の間から竿が覗き出している。さらに長い栗色のものが揺れている。
「牛の尾? エルトリアってあなた、ハルダーフォルクでしょう! ああ、でも女の人しかいないエルフだって本に出ていたし……」
彼を立たせたままチュニック下をめくると一物が現れた。
「師匠より大きい……。うん、君は奴隷として優秀なのは判った」
めくったのを戻したカザーブは股間を叩いた。彼は微動だにしなかった。
「見たとこその白服、高価そうね。明日血抜きして洗ってみるか。チュニックも汗臭いし朝起きたら脱いでね。あなた、におうけどお風呂いつ入ったの?」
「わからない」
カザーブよりも二十センチ以上高そうな彼はこちらを見つめていた。
「まぁ、奴隷だから仕方ないか。特製の石鹸で洗ってあげるから楽しみに待っていてね」
カザーブは牛の尾エルフを座らせて藁に寝ころんだ。彼と向き合うようにした。
青年はカザーブを凝視したまま何も発していなかった。彼の瞳は大きく黄土色だ。
カザーブは同類に会えて泣きそうになったが我慢した。
朝日が昇ってから鳥がやかましく鳴き出した。カザーブは半透明の青白い女性型精霊を召喚した。次に若草色の小妖精型の精霊を出した。
「ウンディーネは服を丸洗いして。シルフは後で浮かせて乾かしてね。あとサラマンダーもいるなぁ。とりあえず空中に浮かせて」
全裸の牛の尾エルフはぼんやりと精霊たちを眺めていた。
彼の髪は日の光に当たると金色に変わる様をカザーブは魅入った。肩幅の広い均衡のとれた裸体は筋力が足りないのが難だった。
「川までついてきて」
汚れていない川の水をタオルに付けて淡い緑色の石鹸を泡立てた。
カザーブはワンピース状の下着姿になった。
川べりで直立させた青年のミミズばれの鞭と戦傷のある背中から拭き、硬い尻尾を掴んで拭くと尾の先が掌のように広がり彼は尾を揺らしていた。尻も洗った。
両足も拭き両腕、胸と腹、股間を丁寧に拭いた。青年は尻尾を大きく揺らしていた。
「川に入っていて。髪洗うから目つぶってね」
されるがままの牛の尾エルフを水に浸からせて洗髪した。
瞼を閉じた彼は、青い瞳の可憐な少女が、奴隷の自分にこんなにつくしてくれるのか判らなかった。顔まで洗ってくれて最後に大水が頭からかけられた。
瞼を開けると短い髪のあどけない笑顔のカザーフが見つめていた。
この人が、あたらしい主人?
カザーブは汚れを取りきった彼の顔つきが凛々しくも繊細にもなっていた。体は痩せているが筋肉は少しある。兵士としては充分だ。
「あなたは奴隷兵士? 武器なんて普通の奴隷は持てないし、これからどこかで戦いがあるの?」
「わからない」
水が冷たそうなのでカザーフは足が異様に短い太った赤トカゲを召喚した。彼は川に浮かべている子犬大のサラマンダーに凝視して屈み込んだ。
「しっぽ、短い」
牛の尾エルフがサラマンダーと戯れている間、カザーブは下着を脱いで入水した。
いつしか頭が大きく糸目のトカゲに触れるため、川から出た彼はうつ伏せになった。
表情は豊かではないが、尾のふり幅で感情が判る気が彼女にはした。火トカゲの頭を若者は撫でながら、尾の水を振り払っていた。
湯につかる程度に済ませたカザーブは灰ローブを着た。
シルフで浮かせた服に、川から出して浮遊するサラマンダーの熱風を加えて時短を試みた。青年は立ち上がってサラマンダーに寄った。カザーブは右隣にいる彼に尋ねた。
「あなた、どこから来たの?」
「あっち」
盗賊が倒れている道を指差していた。彼方に岩山があり雪が少し残っている。
「君がエルトリア城から来たのは判った。でもここからかなり遠いから、君を返しにはいけない。それと修道院の仕事を手伝ってくれないとこっちが困窮する。よし、私が君を貰い受けよう! で、自分の歳は判る?」
「十七歳」
「やっぱり年上か……。でも名前ないと不便だねぇ」
アーモンド型の彼の目はサラマンダーに向けられている。関心度が火トカゲに負けるのがしゃくだが、主導権は自由民のこちらにある。
その分働いて領主に税金か物資を納めないとならないのだが。
カザーブは彼の全身を眺めた。広い肩幅に細すぎない身体。すらりとした手足。問題のない睾丸。誰かに子供を産ませて奴隷の子を売れば金になる! 古代ローマの常識が通用すればの話だが。何より、本に記されていないハルダーフォルクの男!
そうでなくても妖精の種族に会うこと自体、珍しい!
外套の聖布には大きく反った角の牛とオーク木の紋章があった。日光に輝く金刺繍の外套とズボンで天啓がおりた。
「真っ白な心の君。君はマシロ、マッシロ、シローとも呼べるからマシロが一般名とする!」
「マシロ?」
サラマンダーの腹を抱き寄せていたマシロが首をかしげた。
「マシロはそこで待っていてね」
カザーブは廃屋を巡り、使えそうな鍋を馬に乗せた。大きな木造家屋に入った。
マシロが殺した盗賊をどかして木箱を開けると宝石と金貨入りの袋があった。
エメラルドと金の指輪。サファイアと金指輪。ガーネットや色ガラス金の指輪。
「これもいい副産物!」
盗賊の小銭も集めて馬にマシロの袋を付けて彼の元に寄せた。頭上にサラマンダーを乗せたマシロは尾を上げて放尿していた。
彼の引き締まった尻と、かかとに届く尻尾に見とれてしまった。
「マッシロー! 服着てー! そろそろ帰るから」
色々と身支度した彼に、脚が短くて胴が太く白に近い芦毛ペルシュロン馬を与えた。
カザーブは黒っぽい芦毛馬に乗ろうとしたがあぶみに足が届いても、体高差で乗れなかった。マシロが腰を上げてくれてやっと乗れた。マシロはさっそうと乗りこなす。
命令を待っているようにカザーブを見つめていた。
「もっと先に進めば修道院に着けるから付いて来てね」
杉の森を日中駆け抜けた。
後方のマシロに目をやると上等な衣服のせいか彼が王族に見えてきた。金首輪も奴隷にしては豪華な感じだ。
「まさかね……」
日没には修道院の建物群が現れた。青い屋根の小塔のある白い礼拝堂。
赤レンガ屋根と灰色レンガ壁の建物群。灰レンガ三角錐の塔。森と川を臨んだオーロックにたどり着いた。馬から飛び降りたカザーフは藁の敷いた塔へ馬を寄せた。
マシロに荷物を持たせ、煙突がある赤レンガ屋根の横長建物に来た。
石畳床の大食堂と厨房を備えた所に入った。大きなかまどの中の古びた鉄鍋をマシロの鍋と交換した。盗賊鍋は予備として隅に置いた。カザーフはそばにいたマシロに命じた。
「マシロは野菜とエンドウ豆スープが作れるの?」
「うん。材料、どこ?」
カザーブが下を指し示すと床下にニンジン、エンドウ豆、ニンニクにハーブの入った大かごがあった。塩とオリーブオイル、はちみつ入りの容器はかまどの反対側の木のテーブルに。水窯は大かまどの左隣にある。
「薪が、ない……」
「頭にサラマンダーがいるでしょう。そのコ、あげるから火種や暖房、お湯を沸かしたりと色々と使いなさい」
笑顔のカザーブは厨房を出た。
城の厨房奴隷は手伝い程度だが、エンドウ豆スープの手順はマシロには簡単な作業だ。
兵舎の奴隷用の食事の調理も彼がこなしていた。
まず鉄鍋に水を少し入れてかまどの中にサラマンダーを置いてみた。水から蒸気が出たので玉ねぎをすりおろし、ニンジンとエンドウ豆、ニンニクをナイフで薄く切った。
乳鉢に入れて擦り棒で潰したニンニクや塩とオリーブオイルで味付けして水を加え、サラマンダーの熱で煮込んだ。
汁が少なく具が多いスープが出来たら手袋して鍋を大食堂に運んで木の長テーブルに置いた。
火トカゲはマシロの背中に張り付いているが外套は熱くならなかった。大食堂は石壁と床が木の板だった。
テーブルの燭台の黄色ロウソクは火がともされていた。
「これはいい匂い!」
大きな目を輝かせているカザーブの木のスープ皿に杓子ですくった。
固定の長いベンチに座ったカザーブは指ですくってスープを食べた。
「いい仕事! 今日からよろしくね。マシロ、あなたもたくさん食べなさい」
マシロのスープ皿にカザーフがすくって差し出した。彼女のあどけない笑顔も素晴らしい報酬だった。カザーブは古びた銅色の杯を置いてビールを注いだ。
木の杯は彼女が使い、胴色杯をマシロに寄越した。
「今のあなた王子様みたいな恰好だから、良いの使わせてあげる」
カザーブは良く食べた。マシロも空腹だから指がよく動いて食が進んだ。
「明日からロウソク、石鹸作りに忙しくなるから精をつけてね。肉が手に入ったらいいけどマシロは弓が使えるの?」
「うん」
「じゃあ、日が昇ったら西の森で狩ろう。入浴は早くなるから寝るのも早めないとね」
マシロの刀剣は大食堂右隣の来客用館のテーブルに置かれた。
床板は食堂と同じだが暖炉とタンスが設置されていた。外套をタンスに入れるから脱ぐよういわれた。
「ズボンも外出以外ははかなくていいかもね。脱いで」
遠回りに奴隷はチュニックだけ着ていろということだろうか。マシロは修道院の建物群に他の人の気配がないのに不思議に感じた。礼拝堂南側の赤レンガ屋根の建物は三階まであり一階が寝室だ。大きな質素なベッドが三つある。
「私は上の階で調べ物があるから先に寝てね」
燭台を持ったカザーフは階段を上がっていった。
奴隷に先に寝ろとは変わった主人だと思ったが、鞭がなさそうだし食に恵まれていてマシロには天国みたいな所だった。
二階の図書室には近隣諸国の風土記や植物と動物の図鑑。薬物の効用、古代ローマの歴史と風習。自らが書いてまとめたエッダ(北欧神話の叙事詩)が羊皮紙の本が保管されている。盗み防止のためシルフで定期的に監視させるのも忘れない。
カザーブは手早く調べた後、寝室に戻った。
マシロはチュニックを石畳の床に脱ぎ捨てて仰向けで眠っていた。腹にサラマンダーを乗せて手足を広げて寝息を立てている。カザーフも下着を脱いで彼に寄り添って温もりのある胸板に触れながら眠りについた。
目が覚めたマシロはカザーブの少しだけ膨らんだ胸の右側を知らずにわしづかみしていたのに驚いた。サラマンダーが這い出して頭上に乗り出した。
尿意のため寝室右隣の青い屋根の便所建物に向かった。外はまだ暗かった。
木製の蓋を取って穴から排尿した。
ついでに尾を上げて腰かけて排便して横に見慣れない物を凝視した。手にするとオレンジ色の細かな孔がたくさん空いた軟らかい物だ。
木の板台近くに水桶もあった。
「それカイメンスポンジっていうんだよ。お尻見せて」
マシロは下着姿のカザーブに尻を見せた。
「うんこしたあとにお尻ふくのに使っていたの。古代ローマ帝国ではね。古代ギリシャからエーゲ海の島で素潜りで、モクヨクカイメンっていう生き物を採って加工してスポンジとして使うの。マシロのお尻きれいだからスポンジ洗わなくていいね」
奴隷の尻を拭く主人は長々と話していた。マシロにはスポンジの感触が奇妙に感じた。
彼女のためにマシロは外に出た。便所の北先に赤い屋根の浴場があった。便所も浴場も細長い水路があって先に河川が流れていた。
「じゃ、風呂へ入ろうか」
カザーブはマシロの左手を繋いで歩を進めた。石畳の風呂場は大きな浴槽も石造りだ。イスも石だ。カザーブは浴槽に別のサラマンダーを召喚して入れた。
マシロのサラマンダーも浴槽の右隅に泳いで移動した。
太い身体全体をくねらせて器用に泳いでいた。
まばらにあるイスの周りにカイメンスポンジがたくさんあって、淡い緑色の石鹸が数個置いてある。裸になったカザーブはイスに腰掛け背中を向けて洗ってと命じた。
彼女の背中はすり鉢状の窪みがあった。
「私もマシロと同じスカンジナビアのエルフなの。種族の名前はエレウーマンとか記憶していたけどよく判らない。私は取り替えっこでね。人間の村で育ったの。そのあとは長くなるからおしまい」
石鹸をスポンジで泡立てたマシロは背中を慎重に洗った。
尻と足、胸に陰部もスポンジで拭いた。髪の毛も洗って欲しいと言うので手で泡立ててやさしく髪を撫でるように洗った。
「上手いねェ。人にやってもらうの最高にいい」
貴族の邸宅には大きくて広い浴場はないし、フランス産の石鹸があるだけましだ。
情事の前に木おけ風呂に入っていたが、カザーブを洗うのは貴族相手にするよりはるかに楽なのだ。
「ウンディーネ」
カザーブは水の精霊で泡を流した。
「次はマシロね。座って背中向けて」
鞭と切り傷の背中を見せても彼女は黙々としていた。
マシロはカザーブにていねいに洗ってもらった。
カイメンスポンジの感触で尻尾と股間を洗ってもらったとき変な声が出そうになった。
髪の毛も洗ってもらい終わりに水精霊の水流で洗い流してから、
マシロは浴槽に入った。彼の元に隅にいたサラマンダーが寄って来た。この太っちょトカゲのおかげで薪割の労働がないから助かる。
「この修道院はね。師匠といたときに材料を精霊で集めて精霊の力を駆使して出来上がったんだよ。お風呂もノームとウンディーネで作って精霊召喚士になって良かったよ」
マシロは心地よくなって眠るとウンディーネにむりやり出された。
「気持ちいいのは判るけどおぼれちゃうよ」
仰向けで足が開いた間抜けな姿にウンディーネの冷たい水を全身に浴びた。
裸の女精霊はこちらに微笑んでいるように見えた。立ち上がって、尻尾の水気を払うため尾を一気に振まわしカザーブに滴をかけた。
マシロは一着しかない上着、黒チュニックを着たが飾りの金刺繍が贅沢過ぎた。
「首輪とよく合うしいいね。それ」
灰ローブのカザーブが褒めていた。確かに何で自分だけ金の首輪で牛の尾まで生えているのか判らないままだ。スカンジナビアは昔死に物狂いで戦わされた場所だった。
「エルフ、何?」
「ああ、知らないのも仕方ないか。ガスタニア人などにとって神に近い種族なんていたら胸糞悪いしねぇ。神聖ローマ人でも黙っていた方がいいかもね」
彼女はアールヴという精霊が大元で単に妖精と覚えておけばいいと伝えた。
「マシロ、人間、ちがうの?」
「あなたはハルダーフォルクよ。尻尾が何よりも証拠だしね」
カザーブは尾を触っていた。確か兵長が何か言っていたが思い出したくない。周りの人間の尻を眺めても尾がないのだから、自分は妖精なのだろう。
マシロはサラマンダーを頭上に乗せて髪を乾かし、カザーブに乱れた髪をくしで整えてもらった。
針葉樹が七割で残りがオーク木の群生の森に入った。マシロの腰は太刀だけ付けて矢筒と弓を背負って朝日を浴びながら下草をかき分けた。花が咲き揃っていてミツバチが四方から飛び交っている。
木の陰から先が尖った緑色フードと外套の髭男が出てきた。
「この密猟者め! お前らの裏をかいて来てやったぜ。さぁ、縄につけ!」
森番が縄に手をかけたとき後ろから三頭の狼が飛びかかった。
「鹿は奥! 獲物間違い」
狼にもみくちゃにされた森番は縄を捨てて逃亡した.狼たちはマシロに寄って来た。
「やぁ」
マシロは両手を出して狼に舐めてもらった。撫でまわした後、狼たちは奥へ走り出した。
「あれ、あなたのお供?」
「途中、会った。肉もらった」
「はぁ?」
カザーブは唖然として口を開けた。
二人は先に進むと雄鹿の腹を喰らう三頭の狼がいた。マシロは足四本を太刀で切り取り狼たちを撫でた。
「このコたちやるじゃない! 狼なら罪にならないし賢い!」
森の資源は領主の物で森番が監視しているという。森は戦場、演習ぐらいにしかマシロには縁がなかった。狼に別れを告げてカザーフと一緒に余った肉を、皮をはいでから塔の上階の燻製室に吊るしてサラマンダーを置いていぶして保存した。
「この一本はお昼に二人で分けましょう。朝はスープ一杯分でいいから」
マシロは軽い朝食を済ませた後、塔の二階の保存室で鍋入りの黄色い蜜蝋を出してカザーブのろうそく作りを手伝った。
塔外の畑の近くで、鉄鍋で溶かした蜜蝋に糸を浸した。シルフの風で乾かしてから糸を蜜蝋に付ける作業を繰り返した。
ろうそくが本日分の作成本数に達したので豪華な昼食作りを始めた。
マシロは厨房で鹿足の皮をはいでかまどの中に入れてサラマンダーを置いた。塩とオリーブオイルを適当にかけて焼き上がりを見て長い大フォークで引っくり返した。
はちみつも適当にかけた。
エンドウ豆スープを作った後、大皿を出して肉を先に食堂へ持ってカザーフに食べさせた。手袋をしてスープも急いで持ってくる。
「美味い! さぁ、マシロも食べて」
笑顔のカザーブと共に無口になって食べ続け、骨は三つに割って森に捨てた。
午後はカザーブが別に分けたオリーブオイル壺と皮袋を持って厨房建物の南側の広場に来た。
マシロを連れたカザーブは外にある土で囲まれたかまどから大鍋を出した。
土をとんがり帽子のノームで外し、栽培したオカヒジキの灰汁とオリーブオイルを入れてサラマンダーの炎で煮込んだ。
「これは時間がかかるから放置しよう。畑増やしたいからマシロ、馬連れてきて」
馬たちは森の下草を食べていたのを寝室南西側の耕作地へ牛の尾エルフが引っ張った。
マシロはなぜか馬たちに頭をなめられて顔を摺り寄せられて密着しながら歩いていく。
「あれ、牝馬だったんだ」
カザーブはマシロのチュニック股下に揺れるものを眺めて、チュニックを後で作ってやろうかと思案した。
便所横の倉庫から牛馬用の鉄製重量犂を、土色小人のノーム数体に運ばせてマシロに付け方を教えて装着させた。
マシロは白っぽい芦毛馬の首に肩掛け牽綱の器具を装着して開墾した。
大型馬の力で車輪を回し、犂をひいて土を起こしていった。黒っぽい芦毛の馬が作業を終えたマシロの所へ寄った。
「そのコも使えば畑が増えるからいいね!」
カザーブはマシロに微笑んでいた。彼女は種をノームとシルフの力でまいて整えた。
マシロには黒っぽい馬で犂を引くのも楽な作業であった。開墾作業でこんなに楽したのも楽しいと感じたのも初めてだ。
大型馬でのマシロの開墾様子が、高身長の彼とミツバチが寄るたびに振り下ろされる尻尾と相まってカザーブにはたくましく見えた。マシロはここにいるべきだ。
妖精は森と大地でこそ映える存在だから。
開墾作業の後でカザーフは鍋を見て杓子で木の型に薄緑色のとろみを詰めた。
「ここはある程度は私がやらないとだめね。秋にはハチミツ回収するからマシロは忙しくなるよ。さ、スープお願いね」
夕焼けを仰いだマシロは振り向いてうなずいた。彼の瞳が黄土色から金色に変化していた。栗毛の髪も日の光で金色になっていた。カザーブはぼんやりと眺め、自分の腹の虫が大きくなったのに慌てだした。
カザーブはエンドウ豆スープが美味しいと褒めて指でかきこんだ。
就寝時、チュニックを床へ脱ぎ捨てたマシロは腹にサラマンダーを乗せた。裸になったカザーブが右隣にいた。
「添い寝して欲しいんだけど……」
「うん」
マシロはカザーブに寄り添ったが彼女の小さめの胸を触っていいかどうか悩んだ。
女主人を楽しませるには乳首あたりを触れるのが無難だが。カザーブが命じれば挿入もするが彼女はマシロの左頬を撫でているだけだ。
「あのね、働くマシロが格好良く見えたの。今の私を見ているマシロも好き。師匠が王様のところへ行ってから寂しかった。だから、マシロはずっとここにいて」
「うん」
暗い道を照らしてくれた上に、陽だまりのような心地よさ。そんな暖かな主人の元で働けるなんて……。
マシロには思いもよらなかった。修道院を離れる気はなかった。
添い寝で済むなら楽でいいし、カザーブといると新たな発見が出来て楽しいのだ。
翌日もカザーブとマシロは互いに体を洗いあった。
マシロが奴隷でも体が清潔な方が断然よいし健康を保てる。古代ローマ帝国の風呂を夢見てノームとウンディーネの力を駆使して作り上げた風呂場は一番の自慢だ。
修道院は名前だけで二人の妖精が生活しているのだから別の神のしもべになる必要はないのだ。修道士のように風呂へ入らずに修行する必要もないのだ。
サラマンダー二匹を浮かべて大浴槽で暖かい湯につかれるのも精霊召喚士の特権たるもの。
「マッシロ〜。こうしてお湯に浸かれるのは最高にいいことなのよ」
村や城下町に公衆浴場があるが蒸し風呂と併用されているのが多い。
「きもち、いい……」
恍惚な表情をしたマシロが発した。笑ったりしない彼が緊張が解けた様子を初めて目撃したカザーブは歓喜した。
「この水はウンディーネが川から水路を伝って送ってくれるからいつでも水があるのだから。すごいでしょう」
「うん。すごい」
マシロは眠そうに答えてついに湯に顔を沈めた。
ウンディーネで彼を浴槽から出して冷たい水を全身にかけてあげた。顔を引きつらせてカエルのように足を広げた彼はしばらく起き上がれなかった。
午前中は二人でろうそく作りに励み、午後は型から取り出した緑色固形石鹸を切り分けた。ノームの力で成長を速めた野菜の収穫をマシロに頼んだ。
カザーブは石鹸を切り続けた。ろうそくと石鹸は自分たちが使う分を残し、他を来客館のテーブルに置いた。
銀色長髪のハルダーフォルクは屈んで森の陰から、キャベツを収穫する青年を眺めた。
二頭の大型馬に与えて背負ったかごにキャベツ玉を入れた。クーシーの前にミツバチの群れが寄って来た。
「あなたたち、さぼってないで花粉集めてなさい。ハチミツ回収時にはあの方の言うことを聞きなさい」
クーシーは銀色の長い尾でハチたちを追い払い、後方に三頭の獣の気配を感じた。獣たちはどこかへ走り去った。マシロはかごを下ろして茂みに寄って来た。
クーシーは伏せながら後退すると頭上に尿をかけられた。
マシロが離れるとクーシーはほふく前進して彼の様子をうかがうと、鹿を引きずった狼たちとじゃれ合ったり、四つの鹿足を小太刀で切り取っていた。
「狼なら密猟にならないし、あんなに手なづけられるとは……」
無邪気な心が彼の中に残っているのを感じてクーシーは嬉しくなって泣き続けた。
カザーブは午後にやって来た行商人を、礼拝堂西隣の来客館へ招いた。青色フードと外套の行商人は馬車で様々な商品とお供の鍛冶屋の仕事道具を持ち込んでいた。
丸坊主の鍛冶屋は茶色のチュニックとズボンで前掛けをしていた。
カザーブは農機具の修理と足りないものは買った。さらにマシロに馬を連れてきてもらい外で蹄鉄の交換を鍛冶屋に頼んだ。
「馬もいいですが、嬢ちゃんはいつの間にガスタニア人から奴隷を買ったのです?」
オーロックはガスタニア領地に近いから商人から買ったことに話を進めた。
他の地域での奴隷貿易はキリスト教化が進んだおかげで十一世紀には供給地がなくなっていた。遊牧民だったガスタニア人は異教徒だからキリスト教徒を奴隷化できるのだろう。
「ごく最近で何とか利ザヤを稼がないとね」
「これは夜も楽しめますし、いい買い物でしたねぇ」
何をにやけているんだこの禿げ親父となじりたいが、異性の奴隷を使う目的の一つとして、一般ではそうなるから文句の言いようがない。
カザーブは来客館で口髭の商人に多数のろうそくと石鹸、少々のハチミツとオリーブオイルの仕入れ代金を受け取った。
「ヘーゲルから聞いたんだけどこりゃ男前の奴隷だね。ヴェネツィアの金持ちの家にもこんな偉丈夫はいないだろうな」
カザーブは商人から都市共和国の宝石商人の話を聞いて、塩と野菜の種、鉄鍋に古着でも高価な水色チュニックとクリーム色のズボン二つを購入した。庶民にとって服は一生もので、丈夫に作られていた。
マシロにチュニックを着せると長袖と膝上の丈が短かった。それでも彼は尾を振っていた。
「お出かけ時にズボンはかせるからいいわ……」
「ついでにこの鞭もどうかな?」
青ざめた顔のマシロは商人が持つ鞭に震えていた。内またになって尾も動かず垂れたままだ。背中の鞭傷痕ならその恐れも判る。
奴隷をしつけるのは所有者の権利だがマシロの場合、逆効果になりそうだ。
「彼は優秀なので失敗はないからいらない」
カザーブは鞭を断った。
「なら仕方ありませんな。しかし金首輪なんて、征服前は身分が高いお方と見えるが、何かわかりますか?」
「そこまではとても……」
カザーブはハルダーフォルクの女王に娘がいたことは本で知っていた。
マシロの正体も薄々判ってはいるが……。夕暮れ前に商人たちは近くの村へ馬車を走らせた。カザーブは黒チュニックをウンディーネで洗ってタンスにしまった。
しばらく茫然と立ち尽くしていたマシロは気絶して倒れ込んだ。
数体のノームでマシロを運んで来客館二階の豪華な造りのベッドで寝かした。
「よほど怖かったんだね。私はあなたの体に傷をつけないと、ここに誓う。だからゆっくりお休み」
カザーブはマシロに寄り添って共に眠った。
次の日の午前には、オーロック修道院の土地主の領主が教区長と伴の騎士を連れて訪問してきた。マシロのチュニックに穴を開けた変な時間に来て嫌になる。
「近くの狩場で四羽のキジを狩れたからかまどを貸してくれ」
「ここの図書を読ませてくれ」
黒髪の領主と太った司祭がそれぞれ要求した。司祭は図書室へ向かった。シルフで監視させているので貴重な書が盗まれる心配はない。
「キジの丸焼けなら彼に作らせますけど」
マシロに急いで服を着させたカザーフは慌てて対応した。
部外者を厨房に入れたくない。薪がないと文句言うだろうし。
「ずいぶん豪勢な首輪だな。君に奴隷を買える資金があったのか? 第一、農村や修道院すら奴隷がいないというのにどこから入手したのやら……」
威厳たっぷりの口髭領主はマシロの体つきを確かめるように触り続けた。マシロは尾が見えないように背中へ上げていた。火トカゲも背中にいた。
領主は薄茶色のそでなし長丈チュニックにチェインメイルを着込んでいた。
騎士は紋章入りのチュニックを着込んでいる。
「師匠からもらった指輪でなんとか」
カザーブはさすがに森で拾ったとはいえない。
「この剣は何ですかな?」
長テーブルに置いてあった太刀をつかんだ騎士が尋ねた。
マシロは走って騎士から太刀を奪い取って小太刀もつかんだ。カザーブの陰に隠れた。
「あなた大きいから隠れるの無理よ。太刀ぐらい見せてあげたら?」
前に出たマシロは黒いさやを抜いた。片刃で刀身が長く反りが大きな太刀を見せた。
「十字軍が持ち帰った刀剣とも似ても似つかぬし、奴隷が何でこんなたいそうな武器を所持しているのだ?」
見下した眼差しでマシロを見つめた領主が尋ねた。
「教官から、もらった」
マシロは太刀を両手で握って構えた。騎士たちを突く感じの構えだ。がに股だが闘志が感じられる。マシロの眼差しが鋭くなった。
「生意気な奴ですな。叩き落としてやりましょうか」
顎が割れて曲線の大きな髭の騎士がいきり立った。
本気の戦いをしない騎士に勝ち目はないだろうとカザーブはマシロの挑発を止めなかった。
「ほどほどにしてくれ。嬢ちゃんのお気に入りだぞ」
領主は騎士の突撃を認めた。ロングソードで太刀を叩き落とそうと騎士が奇声をあげた。
マシロは尻尾で剣先を掴んだ。
「へ?」
二人とも目を大きく開けて口を開けた。牛の尾の毛先が、人の手のような形に変化して剣の動きを止めるのだから。
「何で、尻尾があるんだ?」
騎士が叫んだ。
「教官が、しっぽきたえろと、いったから」
マシロはゆっくりと答えた。この二人にハルダーフォルクについて説明するだけ無駄だとカザーブは悟った。
「マシロの勝ちだからキジの丸焼け作っちゃいなさい。ついでに豆スープも。ハチミツ多めに使っていいよ」
「うん」
マシロはさやに戻した太刀をカザーフに渡して厨房へ向かった。
「あんないかれた奴隷に手をださないほうがいいってことだな」
領主は笑った。カザーブは別に保管していたハチミツ瓶と石鹸を五つずつ領主に渡した。
「そばの森に凶暴な狼が三匹もいると聞いたが大丈夫なのか?」
ハチミツ瓶をつかんだ領主が聞いた。
「マシロが上手く追い払ってくれるので平気です」
「あのタマタマ野郎なら敷地内に来させないでしような」
騎士が苦々しくいった。
(来るなら手紙を出して日時を知らせろよ。旅の支度がしたかったのに)
カザーブは少しだけ睨んでテーブルクロスを敷いた。
マシロは二つの鉄鍋に二つずつ入った丸焼き肉を持ってきた。カザーブは二つの大皿に肉を置いた。司祭は走って席に着いた。
スープ鍋も置かれカザーフは自分たち用にビール小樽を出した。
ジョッキと手洗いボールと人数分のスープ皿をマシロが置いた。騎士は自分たち用のワイン小樽を持ってきた。
「このスープ、エンドウ豆があるからそっちの奴隷にもあげる」
剃髪頭で赤マントと白長チュニックの司祭が杓子で豆を隅に寄せた。
「エンドウ豆食べると頭が悪くなるから奴隷にはぴったりだな」
騎士は手づかみでキジ肉を頬張った。
階級にふさわしいものを食べないといけないと人間たちは思い込む。空を飛ぶものは高貴な人の食べ物だとか。
地中に近い物ほど卑しい身分の者が食べるべきという。
ハチミツで照りの入ったキジ肉は領主と司祭、ついでに騎士が食べた。
「パン皿があればシロとかいった奴隷にも旨い肉の汁が吸えるのに残念だな」
騎士はエンドウ豆をもりもり食べているマシロを見て嫌味をいった。肉を置いたパン皿は後で使用人に分けると言うが、麦はまだ育ってないのにパンを作りようがない。
支配者たちは肉を少し残して帰っていった。カザーブはマシロに残り物をすべて与えた。
サラマンダーを頭に乗せた彼は表情に感情を表さなくても尾の動きで判る。大きく振っているので嬉しくて仕方ないのだ。
「食べて片づけたら鍋を麻袋に入れて明日、朝一で馬に取り付けて。色々と旅の支度をしないとね」
カザーブはマシロのズボンに尻尾用の穴をあけた。
手が空いたマシロに畑のオカヒジキを収穫させ灰汁の一歩手前の灰の作り方を教えた。彼はサラマンダーでオカヒジキを灰にして、小袋に灰をためて塔に保管させた。
山の演習から城の小屋に戻ったイッシュは奴隷兵舎に駆け込んだ男女の四人の貴族に、青年の失踪を伝えた。
「盗賊団に襲われて彼が勇敢に戦い、連中の根城を追わせたうちに行方が分からなくなって」
「賊にやられたということか?」
禿げ貴族が尋ねた。
「その可能性もあります」
「でも道に迷って、今でもたくましく生きていると思うわ」
「そうしたら誰かが首輪の文字に気付いて、この城に届けてくれるよね」
「……文字が読めなきゃ、だめだよな」
貴族たちは沈黙して兵舎を出ていった。
ラテン文字は話し言葉ではないので聖書を勉強している聖職者か長男などの一部の貴族くらいしか読める者が少ないのだ。
奴隷兵士は二月に派兵したはるか東側の紛争地へ送られると伝令士から聞いた。
ガスタニア人は今年から奴隷の人員を数える作業をしなくなった。
兵士を適当なところへ輸送して後で戦果を聞く位のことしかしなかった。
「あれ以来何も詮索されませんでしたか?」
紺チュニックと青ズボンのクーシーが訪ねて来た。
「俺たちを消耗品扱いしているからいちいち気にかけてないさ。そっちは四塔の見張りをどうしたのだ?」
「ローシーと一緒に眠らせたから大丈夫です。門番の熊はここが死角ですから楽にこれますが。王子様はマシロと名付けられてエルフらしき少女と共に修道院で暮らしております。耕作労働に使われているので返却の心配はないです」
守り人は美貌なのに男装にこだわっている。動きやすさ重視なら仕方がない。
「そうか。メシはちゃんと食べさせてもらっているのか?」
「シカ肉を持ち出す様子がありましたが食堂まではのぞけませんね。相手は術士ですし、偵察は難しいので」
エルフの術士だと厄介な相手だとイッシュは感じた。
「なら二人が外出した時に様子を探れたらいいのになぁ。野宿なら遠巻きに偵察できそうだし」
「なるほど。馬の様子を見てから尾行してみます」
日の出前に風呂を済ませたカザーフはマシロにクリーム色のズボンを先にはかせた。
彼は尻を上げて尾を一気に通してはいた。尾を振って感触を試していた。
水色チュニックもいい感じに腰上に尾が通った。マシロはベルトのように尾を巻く動作もしていた。
次に革ベルトをして太刀を左わき腹にやや水平に付けた。太刀は補助ベルトで固定して小太刀を上からベルトに差した。白芦毛に鍋と塩類と色々と確認し、黒芦毛馬に、肩掛けカバンをかけたカザーブが乗りかけた。
狼に言いつけたから建物に人が入り込むことはない。カザーブはマシロに腰を上げてもらい馬に乗り込めた。
東側に河川、北と西に森が広がるオーロック修道院から外へ出るには、南西の道を通るしかなかった。道というより草地と森の境界線のようなものだ。
先へ半日ほど進むと領主の城が堅牢な姿で迎えてくれる。だが地図を眺めたカザーブはさらに南西を目指した。
さすがに腹が空いてきたので森側へ入った。
「何だ、お前ら。ここは立ち入り禁止だぞ」
別の森番が邪魔してきた。
「マシロ、殴って」
マシロの馬が前足で森番を蹴り上げて気絶させた。
「良くやった! ノーム、ウサギを捉えて」
土色小人の群れが下草から土の塊を放って二匹のウサギを絶命させた。鍋を持ったマシロが器用に皮をはいで調理した。ウサギの煮肉を食べた後、街道に戻って先へ進み、別の領主の土地に入った。
しかし誰かがいるわけではなく人が入りそうもない深い森に行き、野宿のため馬を下りて、ノームを守り役にした。
川の流れる場所へ進んで馬を休ませた。
「おしっこ!」
マシロはズボンを下ろして放尿した。
「明日、川で体洗うのに。うんこは遠くの茂みでしてね」
ブーツとズボンを脱ぎ捨てたマシロは刀剣のベルトを外し、茂みへ駆けこんだ。
「先に言って良かった……」
カザーブは黒芦毛馬の袋から二枚の緑マントを出した。
戻ったマシロの尻をカイメンスポンジでふいてから地面に寝かせた。
「マントをくるめば野宿にいいでしょう」
マシロにマントをかけたカザーブはマシロに寄り添って眠りについた。
夕焼けの中、上空から龍馬に乗った紺チュニックのクーシーは、マシロが少女に抱きつく様子も眺めた。
「悪い主人じゃなくてよかったね」
半分おとな、半分こどもの彼女なら大事にしてくれるのだろうが、彼はただの奴隷ではないのである。愛玩動物扱いも虐待されるよりはましなのだが。
クーシーは木の上で騎獣を休ませて乗ったまま眠った。
ローシーが王の気配が消えたと泣きはらした夢から覚め、川でマシロが少女に体を丁寧に洗ってもらう様子を微笑んで見つめた。
「互いの弱い部分をさらけ出せるのだから、文句のない関係だろうけど。あの娘に我が君の運命を委ねるとなると不安にもなる……」
奴隷には生き方の決定権がないということだ。
すべて主人が握るのだから生死だって簡単につかさどれる。マシロが優秀であるほど主人に従順になってしまう。クーシーは小銭袋を落としてやるくらいしかできなかった。
焼き魚で朝食を済ませたカザーブたちは小銭袋を拾い街道へ戻った。
巡回している役人と出くわし、小袋を投げ渡して道税を払った。
海岸へ近づき陸からは湿地帯へ行けるが馬までは小舟に乗せられない。
「マシロ、これ以上馬では進めないから降りてどこかへ避難させよう。ノーム、シルフ、馬たちを守ってあげて」
街道脇の僻地へ馬を放して精霊たちを付き添わした。カザーブは港への渡し船へマシロを連れて、渡し料金を払った。
小舟は帆で風を捉えアドリア海の小島が連なる海上都市、ヴェネツィア共和国へ入港した。港に黒服の税金徴収の役人が待っていた。
「手荷物はカバンだけなの? 奴隷もいるんだね。その分払ってね」
マシロを荷物税として加えられカザーフは都市入場税を払った。
「それ武器あるけど君の護衛なの?」
「そうだけど何か?」
「いや、代わりにゴロツキやっつけてくれたら楽できるから通っていいよ」
刀剣はあまり詮索されずにあっさりと通されてカザーブは安堵した。
港には大きな帆船から荷物を運び出している者たちと商人や行き交う市民たちで賑わっている。
市民の後をついて行くよう進むと木製の古びた大橋と間近に時計塔の教会があった。
「あら、カッコイイ……」
「何て美しい奴隷なんだ……」
マシロは行きかう市民たちに性別関係なく直視されていた。妖精の魅惑の特性を町中で発揮されても面倒だが、カザーフは市民たちに宝石商の店の場所を聞きに回った。
複数の運河を、左舷が右舷より長い黒のゴンドラで渡った。
周囲はせまい都市特有の階層が高くて赤い屋根、茶色壁が色あせた家々が並ぶ。長い灰色煙突から時折煙が立ち込めた。
右舷のマシロはゴンドラでも直立でいた。
いざというとき動けないと困るが、市民の注目も浴びる。口を真一文字にして無言で時折周囲を目で見渡している。
異国の刀剣が武人らしく、下に垂れた尾が時折揺れるので対面する左舷の漕ぎ手にも注視されて船の動作がぎこちなかった。
カザーブはゴンドラから降りてマシロの右手を引いて石畳の小道を進み、小広場に着くと露店があった。
毛織物店もあるが目的の品がないので宝石店に入った。
ガーネットと色ガラス指輪を換金した。悲鳴が上がったので外へ出たカザーブは仰ぐと桃色壁建物の三階に黒い大型の狼もどきが張り付いていた。
禍々しい気を発している獣を見上げた周囲の人たちは咳き込んでいた。
「失敗作か」
召喚士が守護聖獣のつもりで作ったら制御不能の黒獣の出来上がり。そんなところかとカザーブは推理した。人々は思い出したかのように獣から離れた。
「こんな大都市じゃ、怪しい術者が潜んでいてもおかしくないか……」
広場に降りた黒獣は、転んで逃げ遅れた小太りの商人に飛びかかろうと背を低くした。
「マシロ、助けてあげなさい!」
うなずいたマシロは跳躍して太刀と小太刀を黒獣の首に当て続け、首を切り落とした。黒獣の動きが止まった。
「ひゃぁ、ありがとうございます。どうか我が家で夕餉をどうですか?」
オレンジ色のゆったりとした長い丈のチュニックの商人が礼を言った。縁なし青い帽の口髭商人は自宅へ泊るようにも勧めた。
「そうさせてもらいます!」
カザーブは黒獣の首を凝視しているマシロの左腕を引っ張って商人の後を追った。
(これで安宿に泊まらなくすむ! 食事つき、豪商なら風呂もあるし最高!)
ゴンドラを乗り継いで細い道を進むと奥に木造家屋と少し離れた海側に邸宅があった。
海側に庭があり大きめの別館と四階建ての本館を囲む柵があった。
贅沢な調度品で飾った室内に入りホールのテーブル下にカーペットが敷いていた。
高価なガラス窓が大きく採光がよくとれた家となるとカザーフが望む豪商だ。
「旦那様、お客様ですか? 何かもてなしましょうか?」
二人の黒髪を垂らした若い女性が聞いてきた。
青の丈が長い上着の女性たちは金属製の細い首輪がある。
「ああ、頼む。うちの奴隷の姉妹だ。黒海沿岸交易で買った奴隷のうち二人を置いたんだ」
三人はクロスの敷いた大テーブル席に着いた。カザーブと商人は向き合った。
「黒海のって、どんな貿易?」
「コンスタンティノープルに近くて、我々にとってはギリシャの商人を介さずに商売のために第四次十字軍に頼んでね。そこの港を攻めさせてラテン帝国をつくらせたのさ。その前に旧エルトリアにあった港街ザラをガスタニアから取り戻してもらって、補給地の先に小麦粉や塩とか塩漬けの魚に毛皮と奴隷を仕入れられるのですよ」
「奴隷はヨーロッパ中に売るの?」
「いえ、奴隷もエジプトとシリアに売って香味料と高価な布地を手に入れて、他の食品とかと一緒にヨーロッパで売りさばくのです」
第四次十字軍というカトリックの愚連隊が正教徒の国に攻め入ることによって、ヴェネツィアの商人に富が集まるようになった。
「それと十字軍の戦利品の中にこんな本がありますがラテン語は読めますか?」
「もちろん!」
本の著者はコンスタンティノープルの商人で一二〇二年以前に訪れたガスタニア帝国についての旅行本だ。数十分でカザーブは読み終わった。
「エルトリアに攻めたのって奴隷が欲しくてやった感じだね。ガスタニアは奴隷以外のめぼしい産業は奪ったキエフの養蜂位でエルトリアの養蜂も加わるのからついでに攻撃したって感じ」
カザーブは左隣のマシロに読み聞かせるように伝えたが彼は無反応だった。
「そ、その金の首輪ってガスタニア皇帝の奴隷?」
商人が震えて尋ねた。
「彼に名前付けてなかったからどうせ判らないよ」
「何にしてもガスタニア人と関わらない方が良いですよ。この本あげます。エルトリアにはきれいな妖精の王国の伝説があるというのにね。侵略とはもったいない」
商人が嘆いたところで料理が運ばれた。クジャク肉のローストに白パンとハチミツケーキ、玉ねぎとニンニクのそら豆のスープ。飲み物は当然、甘くて美味しいワインだった。
肉の味付けには香辛料がふんだんに使われていた。
「マシロもたくさん食べていいよ。一番の功労者だし」
「肉だ……」
うっとりとした目のマシロは肉に食らいつき尾もはげしく揺れた。
初めてとなる白パンとケーキも豪快に食べつくした。本館二階の来賓用の寝室に泊まることになった。
マシロは服を脱ぎ捨ててカザーフも脱いでベッドにはいるとマシロに抱きつかれた。
彼はすぐに眠り込んだ。
「マシロは色々疲れているのかな。あしたも忙しくなるけど寝坊させてやろうかな」
カザーブはマシロのあどけない寝顔を愛おしく眺めてから就寝した。
マシロがゆっくり瞼を開くとカザーフが微笑んでいた。寝坊しただけなのに怒らない彼女は何で笑っていたのか判らなかった。
知らない土地で主人を守るため四方に気を付けないといけないから余計に疲れた。
「じゃ、お風呂行こう」
風呂場は海に近い一室にあってかまどを使った蒸し風呂だった。マシロもカザーブも暑さでぐったりして彼女のウンディーネの水がなければ倒れるところだった。
商人と別れたカザーブはマシロの右腕を組んでゴンドラで先の運河へ渡り、赤レンガの高い正方形で三本のアーチ柱が特徴の塔と質素な造りの教会が奥に見えた。
広場の店を巡って布地屋に入った。
ウールの白布地と糸などを買い込み、マシロに持たせて街を出ることにした。香辛料の出店があったが金持ち用の値段だからカザーブには買えない。
コショウ、ナツメグ、クローブ、シナモンはヨーロッパでは栽培できないから入手のため奴隷を差し出す国もある。そのうち栽培する機会があってまた奴隷でも使うのだろうなと、とりとめのない思案をカザーブはした。
馬のいる所に戻りマシロの荷物を白芦毛馬に付けて歩を進めた。昼過ぎに森中の川辺へ向かった。若草の茂るところに衣服を脱ぎ捨てた。
「マシロ、水浴びしようか。沐浴もいいものよ」
向き合うように浸かり、マシロに水をかけた。彼は見つめたままでいた。
「あなたも水をかけていいよ。遠慮しないで。ほら」
マシロは両手を使って大水を返した。
「お二人さん、おとなしく捕まれば痛い目に合わないぜ」
マシロの刀剣を持った野盗らしき汚い男が近づいた。奥に汚れを気にしない集団がいた。
立ち上がったマシロが賊のところへ寄った。
「おい、フルチン野郎。ちょうどいいお前が縄をハマりに来れば嬢ちゃんは優しく捕えてやるぞ」
人間狩りとは熱心なもので見返りがあるからやるのだろうが。
牛の尾エルフに太刀を向けた賊は足元に寄ったサラマンダーで体を焼かれた。太刀と小太刀を取り返したマシロは右横から襲う三人の賊を、体を回転してまとめて斬り倒した。
二人の弓賊は矢を避けたマシロに突き殺された。
四人まとめて来る賊もマシロは華麗なる跳躍で避け、太刀の距離に届いた賊を突いて後ろの三人を強引に、体を反転させて斬り殺した。
逃げた三人はサラマンダーを真ん中の賊に当てて、炎を拡散させてまとめて焼き殺す。
カザーブは服を着てマシロのミミズばれの背中を注視した。
どうして鞭に打たれたのかいつかは尋ねたいが、開けてはいけない記憶があるようで質問は無しにした。
「さて、お宝でも探そう」
賊の死体と残された馬、ラバ、ロバから金貨と銀貨、銅貨をかき集め,色ガラスとガーネットにサファイアの金指輪を取った。
「良くやったね。マシロ」
カザーブはウンディーネでマシロの体に付いた賊たちの血糊を洗い流した。鋭い目つきだったマシロが無垢な青年顔になった。やせ形の体だが他を寄せない強さがカザーブには頼もしかった。
マシロの身支度もして帰路を急いだ。
二晩だけ野宿してから少し馬を急がせて、昼前にオーロックに着いた。
図書室の上の階が作業部屋だ。カザーブはマシロの来ていた服を洗濯したあと黒チュニックを着せて、夕食作りまでマシロを休ませた。
彼が三頭の狼と遊んでいる間、カザーフはマシロのチュニック作りを始めた。
乾いた水色チュニックを参考に寸法して布にハサミを入れた。二つ作るので二着目も同時進行で手早く作って夕食前に完成した。
「マッシローッ、来てー!」
出来た白チュニックを着せたら長袖と丈の短さが克服できなかった。袖は手首より短い。
「負けた……」
股の間からこんにちわしている一物を人差し指で突きながら「もう、これでいいや」とカザーブはつぶやいた。
夏あたりに麦が刈り取れるよう成長を速めたので、午前から一つ分の畑に大鎌で二人で収穫した。倉庫から手引き臼を外に出してマシロに粉を挽かせた。
石臼は円板状の二つの石を擦り合わせてモミ殻のついた穀物を粉砕する。マシロは石臼の上部の穴に大麦を入れて反時計回りにハンドルを回して粉にした。
カザーブは臼ごとノームで厨房へ運んで粉は袋に詰めた。小麦粉の代わりに使うため取っておいた。
ビールは本来グルートというハーブ類を調合した香味剤を添加するのだが、カザーブは領主から買うのが嫌なので生薬として栽培したホップと残った大麦をかまどに適当に混ぜて、適当ビール(エール)を作って汁を樽に入れて厨房で放置した。
マシロに挽かせた大麦粉袋を五つ厨房に置いて、樽に残った茶褐色の適当ビールと水と麦芽を入れて作ったビール酵母のカップを置いた。
酵母とハチミツ、大麦粉と塩とオリーブオイルを混ぜてパン生地の元を作った。
後から水を加えてこねて布をかぶせて寝かせた。外で休ませたマシロを見ると三頭の狼が麦畑でネズミを捕って食べていた。
「偉いねェ。猫飼わなくていいね」
マシロが二匹のネズミを絞めて「焼く」と伝えた。
「農村ネズミは餌がいいから、ちゃんと焼いてよ」
昼食にでたネズミの丸焼けは小さすぎるという問題以外はなかった。
「ヘビ、捕まえて、いい?」
マシロが小声で聞いてきた。
「……美味しく作れるならいいけど」
奴隷兵士時代のマシロが何を食べていたのが、何となくカザーブは判って来た。
彼がおねだりするのは珍しいから断れなかった。
「明日はパンをたくさん焼くから蛇のほうが美味しいとは思わせないよ」
翌日、カザーブはかまどに六枚ほどパンのまとめ焼きをした。
こげ茶色のあまり膨らまないパンが焼き上がった。
朝の野菜収穫しているマシロに寄ると両手に蛇を手にしていた。
尻尾の揺れで嬉しそうなのが困る。
「それ、焼くの?」
「スープにする」
カザーブは師匠と共に北部神聖ローマ帝国を幼少のころ、さまよっていたのを思い出した。
「まずかったら、ちんちん蹴るからね」
カザーブは脅すとマシロは内またになって震えだした。蛇の頭が取れるほど握りしめていた。
朝食のニンニクと玉ねぎが多い蛇煮スープはオリーブオイルもきかせてあっていい味であった。悔しいことに鶏肉に近い。焼き目が合って香ばしくもある。
「合格。といっても毎日は蛇もネズミも困るから、たまにね」
「うん」
「マシロは蛇が好きなの?」
「好き」
良く噛んでから彼は答えた。マシロの尾はやっと振られていた。
二人はハチミツをかけたパンを昼のおやつとして食べて礼拝堂裏のオリーブの木々に来た。
南の地域より寒い北部のオーロックではサラマンダーとシルフの気候管理にノームの地質変化でオリーブの実を育てていた。
強風などで落下したオリーブの実を籠に入れているとき、同じ風貌の二人の銀髪の長身女性が近寄ってきた。
飾りの金刺繍入りの青いチュニック、灰黄緑色ズボンにロングソードと男装の双子なのだろうか。
「お二人とも、私たちは二代のエルトリア王家を支えてきたクーシーとローシーと申します。お嬢様、そのお方はエルトリアの王となられる我が君です」
ひざまずいた長い銀髪の双子には銀色の牛の尾が腰から出ていた。
「マシロが王って、そりぁ金の首輪は特別な血族の奴隷にしか付けないのは本で知っていたよ。でも人間の王様とかもういなくなったの?」
「エルトリアにはイヴァン王様の気配がありません。ガスタニア本国なら過酷な仕事が与えられて生存が難しいでしょう。イスラーム諸国に送られたならもう無理です。アメン王妃は玉座には近寄りたくないと申しておりました。我が君の願いがあれば会わせますがいかがなさりますか?」
見上げたローシーが伝えた。
「マシロはエルトリアの王だって。マシロはお母さんに会いたい?」
オリーブの実を籠に入れて、直立したまま双子を眺めたマシロは少し沈黙した。
「わからない」
「だよね。私も取り替えっこで本当の親なんて知らないもの。これからオリーブの油とろうとしているのに何なのあなたたちは!」
「私たちは我が君を奪いに来たわけではありません。ここはエルトリアに、近すぎます」
立ち上がった長身のクーシーが答えた。
「内戦がなくなった今なら、攻めるのも時間の問題です。そちらの領主様は他国相手にどこまで戦えますかね」
ローシーも立ち、涼しげな眼差しで発した。
領主は所詮他の領主相手でしか争わない。王の命令で駆けつけるかどうか怪しい。
相手の兵を捉えて見代金が取れたら戦うだろうが、ガスタニア側が金を払ってくれるかも怪しい。
「我が君の運命も命もあなたが握っているということは理解してください」
クーシーが迫った。双子にマシロを返せば彼は王様にでもなれるのだろうか?
「もう知らない! 秋にハチミツだって取らなきゃいけないのに。大麦の種をまいて、ああ、まだ刈り取ってない麦があるし」
「なら私たちがここに残りましょう。近くの森に仲間の弓兵たちを呼びましょう」
「狼たち、逃げる。来ちゃ、だめ」
マシロはカザーフの前に来て、両手を横に広げて双子を睨み付けた。
「あら素敵。その服、あなたが作ったの?」
ローシーがカザーブに尋ねた。
「ええ、そうよ」
「チラリズムも私の好みです」
微笑んだローシーはマシロの股間を凝視して裾をめくった。
「わぉ!」
「はぁ?」
カザーブは唖然とした。我が君と尊ぶ相手の下半身をむき出しにして眺めるとは。
「何やってんの。あれは寸法が合わないだけでしょ。戻しなさい!」
赤面したクーシーがローシーに叱りつけた。
「お姉様、あの小娘じゃ我が君のアレが入りそうもないよねぇ」
服の上からマシロの竿を触ったローシーはクーシーに耳打ちした。
「……そもそもその気がないでしょう。ではお嬢様、麦の刈り入れは存分におやりなさい。私たちは周囲の警戒をしますから」
「えー、私は我が君の手伝いとお世話がしたい! お姉様だけ見回って下さる?」
「おしっこ!」
マシロはローシーの手を払って便所へ駆けこんだ。
「あらら、逃げられちゃった」
「あんたが変なことしたからでしょう」
クーシーはローシーを叱ったあと森へ向かって行った。
「お嬢ちゃん。夜伽のことで判らないことがあったら私が教授いたしましょうか」
ローシーがカザーフに寄った。
「よとぎって何のこと言ってるのぉ。って居座る気かよ」
「あんたは奴隷の主人としては上手く接してくれた方だよ。ありがとう。でもね、今の我が君には自分の進路が決定できないの。優秀な奴隷だからこそ判るでしょう」
ローシーはオリーブの実を集め出した。非常に良く似た双子の見分けられ方がカザーブに判るのはいいが、マシロの体ごと取られそうで怖い。
「ねぇ、エルトリアが攻められたときハルダーフォルクも皆奴隷になったの?」
「私と姉さんと王妃様と四〇人の仲間は逃げられたよ。一〇〇人くらいは奴隷になったけど半分がガスタニア帝国に送られたね。そういえばあんたエルトリアの聖杯伝説って知ってる?」
「何、それ? 聖杯ってキリストが最後の晩餐のときに使った杯だから、妖精の王国にあるわけないじゃん。エルトリアって教会なんてあったっけ?」
「ご名答! 建国に立ち会った私たちだって知らないことだもんね。西エルトリアにエステルゴム大聖堂があるよ。確かにあそこなら聖杯はあるかも知れないけど金ぴかの偽物だろうし。まぁ、ハルダーフォルクが不老不死だからそんな勘違いがまかり通るんだろうけど」
(一体、この人たちはいくつなんだろう?)
本にはマジャール人とスラブ人とダキア人たちが、ハルダーフォルクの国に集まってて出来たとある。それも九世紀のこと。
「じゃ、実を厨房に持っていけばいいんだね。我が君ならオリーブオイル作り上手そうだし、
何でもできるから私も頼っちゃおうかな」
笑顔のローシーは籠を持って行った。
石臼で実をすりつぶして圧搾機でオリーブオイルを絞り出し続けた後、マシロは夕食スープの仕込みに野菜を切っていた。水がめに寄ると入り口そばでローシーが微笑んで手を振った。
「やっほー。私は守り人のローシー、よろしくね」
マシロは自分より少し背が低い彼女を無視して水を汲んだ。
黙りながらかまど中の鉄鍋に入れた。エンドウ豆と野菜を入れて頭に張り付いているサラマンダーをかまどの左側に置いた。かまどに熱が入り炎に包まれる。
「サラマンダーにそんな使い方があるとは我が君もやるねぇ。ハルダーフォルクの仲間は初めて観るかな?」
マシロの体に密着したローシーは尾を見せた。マシロは艶やかな美人には興味を示さず、緋色の炎に注目した。
「ちんこ、触ったこと怒っているの? それとも、一カ月早く助けにこなかったこととか……」
「カザーフ、いじめたら、許さない」
腰に触れた手を払って睨み付けた。
「何も危害は加えないから。ああ、怒った我が君も、す・て・き」
変に色っぽい声を出した牛の尾エルフにマシロは唖然とした。青のチュニックに金の飾り刺繍があるのと、すらりと伸びた髪が背中の中ほどまできれいに切り取られている。
「あんた、貴族?」
庶民、奴隷は肩までしか髪は伸ばさない。自分にすりよる大人は例外を除いて貴族が多いからマシロは尋ねた。
「私はローシー。同じ顔のクーシー姉さんと代々王家を守って補佐してきた守り人なの。今は逃亡中なので、ただのエロ姉さんなのでぇす」
「エロ?」
マシロは向き合っていたずらに笑っているローシーが、素で変な人と認識した。
夕食もローシーと向き合って大食堂でとった。
「私たちはスープ一杯だけでいいので残りはあなたたちでどうぞ」
「それじゃ、蛇とか何か食材持ってくればいいんだね」
ローシーは不満そうに顔を膨れているカザーフに聞いた。
「できれば鳥やイノシシとか嬉しいなぁ」
マシロの左隣のカザーフが苦笑いして答えた。
「我が君はどの肉が好きなのかな?」
ローシーが尋ねた。
「肉、大好き」
パンをスープに浸して食べたマシロは四人で楽しそうに食卓を囲むのが初めてであった。
「私も色々好きなの」
にやけたローシーはマシロにウインクした。
「ここは我が君のために私たちが狩りをしましょうか。鹿やウサギ、土バトなんていいかもね」
クーシーはビールを飲んでマシロを見つめていた。
「あなたたちはマシロのことが大好きなのね。ハルダーフォルクの男って過去にはいなかったの?」
「たぶん見たことないからいない! あー、十七歳って可愛すぎて色々触ってなめたーい」
「なめるって何を……」
カザーブは震えていた。
「思っていてもモロに言うのはやめなさい。はしたない……」
クーシーは頬を赤らめてローシーをたしなめた。
守り人は来客館の寝室で交代で眠り、マシロはカザーブと寝室のベッドへ入った。
「マシロはやっぱりお姉さん系が好きなの?」
「わからない」
同族と会ったのも初めてでマシロは頭を押さえて混乱した。
「あなたと同族なのに?」
「カザーブは、好き」
マシロは彼女の右頬をなでた。
「あの二人じゃ農作業やってくれなさそうだし。肉の調達を待つしかないね」
肉! 肉! マシロは肉が食べられるだけで嬉しかった。
翌日、朝の風呂場にはローシーもはいった。カザーブはマシロを立たせて胸を洗い、ローシーがマシロの背中を洗った。
マシロは尻をカイメンスポンジで拭かれた後、脚を開くように言われ少し広げると後ろから陰嚢を洗ってもらった。
「それ、ずるい!」
カザーブも競って腹から一物へと攻める。マシロはたまらずイスに座りこんだ。
足と髪の毛はカザーフに洗ってもらったが、ローシーは尻尾を丁寧に洗っていた。
マシロは気持ち良くて眠りそうにもなった。カザーブはウンディーネで泡を洗い流し、マシロは手を引っ張られて浴槽に浸かった。
「精霊使ってこんなお風呂作れるんだからスゴイねェ。この赤いトカゲでお湯を沸かすのって便利すぎてうらやましい」
「すごいでしょ」
間に入ったマシロは女たちのはしゃぎぶりが妙に心地よかった。カザーブと大麦を刈り取り、パンの分に割り当てられた麦はマシロが粉にした。
「見てー! 土バト四羽も捕れた」
厨房に袋を運ぶと弓と矢筒を背負ったローシーが駆け込んできた。
「肉! 肉!」
両手にハトを手にしたマシロははしゃいで叫んで尾も一杯振った。
「あ、料理はお願いね。我が君」
ローシーはマシロに抱きついて「お休み」とささやいて厨房を出た。
「早速ハト狩ってくれてエロ姉さんやるねぇ」
オリーブオイル作りの手を休めたカザーフが感心した。
マシロは皮を手早くはいで内臓を抜いた。
「鳥の羽一応とっておいて。矢に使えるか聞いてみるから」
マシロは四羽の羽をカザーブに渡し、丸焼け作りを始めた。
昼食のハトは皆に好評でハチミツの照り焼きに双子の目がうっとりとしていた。
「こんな贅沢なものを私たちは食べているのか! 今度はイノシシ探すから。我が君には精をつけてもらわないとね」
「間違っても村の人の豚を狩っちゃだめよ。ここの人とは争いたくないから」
ローシーはクーシーにたしなめられた。
カザーブはビールの仕込みに礼拝堂に籠り、マシロは暇になった。
野菜の生育様子を見に畑に行くとローシーに誘われて森へ進んだ。
「あの子じゃ伽の相手もできないんでしょ?」
「うん」
何となく怒られそうだから。特に命じられてないし添い寝が楽だったから。気を使ってまでやるほどでもないとマシロは悟っていた。
「じゃ、私としようか」
「うん」
ローシーは同じ種族。相性がいいかと思いマシロはうなずいた。互いに全裸になって一通り行為をして気持ち良くなった後、マシロはローシーに肛門を診せてもらった。
「だいぶ良くなっているし、姉さんの薬が効いて良かったね」
「教官が、つけて、くれた」
「そう。こういうことはあの嬢ちゃんには話せないしね。タマちゃんがかゆくなったら、私のところに来て。いい軟膏があるから」
確かにカザーブにはできない相談である。
マシロは美少女と美女から体の隅々を洗ってもらい、浴槽で取り合うように体を密着してもらう。時には森でローシーと秘め事をした充実した日々を送る幸せな夏が過ぎた。
第三章 消失と奪還
畑から南側の養蜂場は、藁の三角屋根小屋だ。
中には見事な蜂の巣が三〇個以上出来ていた。マシロは巣を割って三分の一はハチのために巣を残した。巣から飛び出たハチはマシロの尾の周りを飛び回っていた。
カザーブはノームで巣の材料を集めて残った巣の周りに置いた。マシロは巣を木おけに入れて後で鉄鍋に入れて巣をサラマンダーの熱で壊した。
蜜とロウを分離させ、蜜は別の鍋に入れた。残ったロウはサラマンダーの熱で固まらせ、塔に保管した。蜜は容器に詰め、十日以上はハチミツ、ロウにかかりきりだ。
カザーブが大麦の種まきをして、後は二人でハチミツ、ロウの作業をした。
ある日の午後、クーシーの角笛がとどろき、北の森から、斧を持った五メートルほどの原始人のような坊主頭の巨人と多数の兵士がなだれ込んだ。二刀流となったマシロが先陣の巨人の左足に斬りかかった。
あまり傷がつけられず、右肩に乗ったサラマンダーが太刀のつばまで進むと刀が炎に包まれた。小太刀にサラマンダーを移し炎の二刀で周囲の兵士を燃やし、巨人の右足を斬り刻み始めた。
マシロの背はローシーが守り、兵士たちを切り付けた。
カザーブは森に入り、三頭の狼を呼んだ。
「マシロが大変なの。力を貸して」
狼たちは怯えて震えていた。
「私があなたたちの力を引き出してあげる。その代わり別の生物になるけど、マシロのためやってくれる?」
三頭の狼は鼻を鳴らしながらカザーブに近寄り、カザーブは力の言葉を念じながら唱える。
「カーエル」
マシロは乱戦中、右足を矢に撃たれたが構わず、巨人と対峙した。巨人の右足が切り落とされる寸前、巨人の斧がマシロの左腕を切り落とした。
あふれ来る革服の兵士はハルダーフォルク弓兵たちの矢に倒された。さらに兵士が森から現れる。痛がる巨人は背中から倒れた。
激痛で叫び声を上げたマシロは兵士たちに右腕を切り付けられた。尾で兵士の剣を奪って握りしめた。力の限り太刀で兵士を振り払ったが目がかすんでくる。左肩から血が流れ出てくる。
左肩下の出血が続けばいずれは死ぬのだろうか。ガスタニア兵士の狙いは土地なのか。
カザーブとの家をけがされたくない!
マシロは右手が痺れてきたが、兵士を斬らない限り先がない。右足がマヒしてきて防戦一方だった。
左脇から湧いた兵士をローシーが相手した。
右腕狙いの兵士たちを尾の剣も駆使して突いたり斬り続けているうちに、マシロはふらついて背中から倒れた。
白く輝く大きな狼が舞い降りる。
マシロを守るように周囲の兵士を威嚇する。青白の狼はローシーに向かう兵士たちを噛みついて駆逐した。
黄色狼は北西の農村へ逃げる兵士たちを蹴散らした。二体の大型狼は巨人と多数の兵士の死体を川へ流した。カザーフはウンディーネで流れを速くして片づけた。
カザーブと双子は白狼下のマシロを引き出した。幸い気絶しているのでローシーはひもをマシロの左肩にかけて縛って止血した。マシロを礼拝堂へ運んだ。
白いアーチの高い天井。三つの採光窓から夕陽の光がもれだした。クーシーが率いる弓兵の牛の尾エルフたちは包帯と薬草を集め、白い床に置いた。
ローシーはマシロの血染めチュニックを脱ぎ捨てて右腕の複数の切り傷を診た。
「こちらは少し深いけど大事ない。けど右足はガスタニア由来の猛毒矢ね。解毒しないと治せないけど薬はあるの?」
マシロの右足は矢傷の周りが紫色になっていた。人間なら即死レベルだろう。
「ここには胃腸と切り傷用のハーブしかないから毒は無理よ。弓兵たちは持ってないの?」
「この地方の薬草では無理。まずは傷の治療が先ね」
ローシーはマシロの左肩から下の切断面にすりおろした薬草を付けて肩と腹にも固定用の包帯をまいた。
右足は解毒しなくても足が動かなくなるだけで、全身に毒が回るわけではないという。
「ハルダーフォルクは毒に強いけど完全に防ぎきれないからねぇ」
右腕も擦った薬草と包帯を巻いて治療した。
奴隷兵士の実戦の指揮官はガスタニア人の兵士長だ。同じ年の二月初旬に、たびたび起こる遥か東の紛争地へマシロ一行は送られた。
平地での戦いは反乱兵士を難なく排除したのに鎖帷子の兵士長はなぜがご立腹だ。
「お前みたいな運のいい奴が気にいらねぇ。おれの部屋に来い」
何度も起こる反乱のため兵士長用の兵舎が立てられ、ログハウスのような大きな小屋にマシロは呼ばれた。マシロは裸にされ両腕を吊るされた。
「皇帝があまり死なない兵士をいじめてもいいと仰せつかったんだよ」
マシロは訳も分からず背中にナイフで切られ鞭を打たれた。
「何で泣き叫べないんだ? 気味の悪い尻尾あるしコイツ、人間じゃないのか?」
兵士長の気が済むまでマシロは叩かれ、手かせを外されうつ伏せのまま奴隷居住区の大部屋に移された。
「お前のメシは一食だけにしておく」
兵士長が去って衰弱する前にマシロは眠り込んだ。数日後に「まだ来たら後でいじめてやるから、もっと眠っていいぞ!」
兵士長が別館から出ると中年の奴隷たちが寄って来た。マシロは毛布をかけられていた。
「粥をどうぞ。妖精さん」
中年の金髪女性が椀の大麦粥をマシロの口元に寄せていた。麦粉に水を加えて炊き上げた粥だが多めに食べられた。
食事が腹いっぱいできるようにと周りの大人から粥を分けてもらっていた。
三月中ごろにマシロの体力の回復をみて荷馬車に乗せられてエルトリア城へ向かった。
「あんたには同情するよ。兵長は折角の生き残りをいじめる癖のある人だからな」
行者の中年の黒髪の彼も奴隷だ。マシロの刀剣は彼によって戻され荷馬車にあった。
古いチュニックを着せてもらい、休憩時には彼が肉入りのスープを作って麦パンもマシロに与えた。
「君の様な優秀な兵士に長らえてもらえば、いつかはな……」
ミハイと名乗った気さくな彼は次の日の朝、都市の共同浴場にマシロを木おけの湯船に入れた。洗髪と散髪のサービスを受けさせ無事に教官の元に戻った。
英気を養った五月には貴族の相手をさせられた。
悪夢からマシロが目覚めたとき左肩の下がなくなっていた。
痛む右腕も包帯巻かれ藁の敷いた床に裸で寝かされていた。あの時と違うのは広い教会のような場所で辺りの白い床が血まみれの包帯が散乱している。
包帯の右足は力が出ず動かない。左足だけ傷が浅かった。包帯の腹にはサラマンダーが口を開けていた。
「マシロ、起きたの?」
マシロはカザーブに半身を起こしてもらった。ハーブ入りのエンドウ豆スープ鍋をカザーブが持ってきた。
土色の地味なエールグラスにスープを盛ってマシロの口元に近づけた。
マシロはスープを食べて尿意をもよおした。
「おしっこ!」
「え? この杯はダメよ」
「我が君! しびんをどうぞ!」
駆けこんだローシーはマシロの股間に壺を置いた。
「ふぅ……」
下半身の世話に長けているローシーの笑顔を見つめながらマシロは放尿した。
「おまるもありますので、どうぞ」
クーシーが大きいお椀型の容器を持ってきた。
ついでにマシロはおまるに座ったが少しだけ出た。
「もちろんお尻も私が拭くよん」
ローシーはクーシーに体を支えてもらったマシロの尻にカイメンスポンジを当てた。繊細な部分まで拭かれてマシロは声をあげそうになった。
「ついでに玉袋洗うってどうよ」
膨れ顔のカザーブがローシーに毒づいた。
「そのためのスポンジでしょう。我が君、傷が治ったらお風呂で洗いっこしょうね。それ以上のお楽しみもあるからゆっくり休んで下さいね」
マシロは藁の寝床に座った。燭台に照らされた鍋からおかわりのスープを食べ双子のやり取りを聞いた。
「ローシー、また子供作っているの?」
「王との夜伽は私の役目でしょう。前王との娘はガスタニアンに獲られたし。我が君の楽しみのためにもね。そっちの主人はお子様だし……」
「人間と同じ大人の体でも妖精的には二年は待つべきでしょう。妖精の人生は殺されない限りは永遠だし」
「予想はついたけどシルフで見なくて良かった……」
双子の間に割ったカザーフはため息をついた。
マシロはビールもたくさん飲んでしびんに排尿した。過保護に接してくれる美女たちに囲まれている分、あの時とはだいぶ違う。陽だまりのカザーブ。
癒しのローシー。気品のクーシー。
彼女たちの献身でぬくもりある日々がまた暮らせることにマシロは感悦した。
カザーブはしびんの中身などを便所で流してウンディーネで洗い、マシロの近くに置いた。マシロは股を広げて眠っていた。はかなくて強き美しく者。
「この杯ってここの備品?」
クーシーがエールグラスを手にしてカザーブに聞いた。
「私が赤ちゃんの時持っていたって人間の母さんが言ってた」
「強い力が眠っている感じの杯だね。聖杯かは判らないけど」
ローシーもグラスを回した。
「私も治療の力や聖杯とか知らないからね。でも我が君が不具のままだと王位に就くのが厳しいかも。どこかで高位の治療者でも見つけないと……」
クーシーは腕を組んだ。エルトリアをどうにかしないとマシロの戴冠もないのだが。まずは彼の傷を癒すのが先だが手持ちの薬草では腕は生えてこない……。
カザーブはマシロの左腕の後を注視すると幻の腕が残っているのを感じた。気配がはっきりとしていた。
さすがに寝ながらは無理だが少し起こしてもらっただけで排尿が出来るのだから、怪我で寝込むのは悪くはないとマシロは思った。
エンドウ豆スープはカザーブが作ってくれて、ビール飲みながら放尿する快楽にも浸っていた。ただマシロの右足が全く動けない。
隻腕は仕方ないが右腕の痛みでグラスが持てないからカザーブとローシーで杯を口まで持ってもらって飲み食いできている。
二人の奉仕ぶりには敵わないとマシロは感じた。カザーブの青い瞳が緑に変わることもあると見つけて楽しくもなった。
痛みでつらい傷の手当はクーシーが行った。薬の調合も彼女がしていた。
「我が君、巨人を倒してくれてありがとうございます。あの手のものは矢では利きませんから」
「巨人も守護聖獣みたいなものかな。三頭の狼はあなたたちやこの地を守るために戦ってくれるから敵の襲来は気にしなくていいよ。マシロは休息に専念してね」
カザーブはスープのおかわりを持ってきた。
「しゅご? せいじゅう?」
「超強い獣で守りの壁にもなるの。作るのに失敗すると黒獣になるけどね」
「右足、治る?」
マシロは乳鉢で薬草を擦りこんでいるクーシーに尋ねた。
「エルトリアに行かなければ解毒薬が作れないから、現状我が君は動けないままです」
左腕後の包帯をクーシーが交換した。傷あとに薬を塗り込むとき、しみてマシロは左足と身体を使って暴れた。
「その前に右腕の傷を治せばいいよん。我が君は働き詰めだからじっくり休めないとね」
ローシーはマシロを抑えつけた後に頭を撫でた。
だが傷が完治しても右足不自由、隻腕だとできることが限られて、奴隷には死活問題だ。
「そうだマシロ、ハトの丸焼き作ろうか。料理作り楽しくなっちゃった」
カザーブは礼拝堂を出た。
「我が君が寝込んだら彼女の料理技術が上がり、いい感じだねぇ」
マシロは判らなくローシーに首をかしげた。
「だってスープの味がいまいちだったでしょ?」
ローシーはマシロに寄り添ってささやいた。
薄味だったが嫌いではない。
せっかくの昼食の丸焼けでも熱量と味付けが足りなかったが、切り分けた肉をマシロはつまんでカザーブを眺めた。
「おいしい?」
「う、まぁ、まぁ」
マシロはあいまいに答えた。
「惜しい!」
ローシーははっきりと答えた。
「えー、じゃあ、マシロ、治ったら手伝ってよ」
カザーブは左肩に触れて凝視した。マシロは腕の跡が熱くなった感覚がした。
半透明の左腕が生えて来る。
「幻肢。物はつかめるからね」
カザーブが古い包帯を投げたのでマシロは左手で受け取った。包帯の感触があまり感じなかった。
「幻とはいえ物体の干渉ができるなんて、恐ろしい子!」
クーシーは驚愕した。
「マシロにはまだ腕があったんだよ。まぁ、どこまで幻肢がもつかはわからないけど」
「やったー、我が君と伽がさらに楽しめる!」
ローシーがはしゃいだ。
「せめて我が君の左肩と右腕の傷が完治してからにして。我が君も断っていいのですよ」
「ローシー、好き」
マシロは左腕でローシーの頭に触れてみた。頭をすり抜けてしまって触った感じが少ない気がした。
「あ……」
カザーブに助けてもらう感じで見つめてみた。
「まだ慣れていないからね。腕があることを思えばいいよ」
「刀剣、持ちたい」
ローシーが礼拝堂を出て来客館から持ってきた。マシロは左足でさやを抑えて左手で小太刀を抜き、握って感覚を思い出した。
太刀を両手で構えて二回素振りをしたら右腕から激痛がした。包帯が血に染まる。
「まだ安静にしないといけませんわ」
クーシーが治療し直した。マシロは左腕に係きりで右腕のことを忘れていた。
「夕ご飯までお眠りになられたら?」
ローシーに左腕を掴まれて藁に寝かされた。頭を撫でられているうちに一眠りした。
夕食はクーシーがソラ豆スープを作ってくれた。
ハーブ入りで豆と野菜が食べやすくなっていた。
「悔しいけど美味しい。マシロは一週間は休んでもらうよ。様子を見て蜜ろうそく作ってもらうから」
マシロは再び仕事ができることに安堵した。
「絶対安静っぽいから添い寝は左側にするね。傷が治りかけたら体拭くね」
ローシーはマシロの左頬に口づけをした。
「そ・れ・は・ず・る・い……」
カザーブは緑マントにくるんでマシロの右太もも辺りで寝ていた。ローシーはマシロの左腕を抱えていた。マシロは二人を横目で眺めて眠りについた。
三日目からカザーブとローシーに体を拭いてもらった。
右腕の痛みが少し引いたが傷はどこも治ってはいなかった。午後に時間があいたカザーブは本を数冊持ってきた。
「これ私が書きとめたエッダという読み聞かせ物よ。デンマークの村にいたころお婆ちゃんが冬の間に話してくれたの」
カザーブはマシロに英雄物語などを朗読した。マシロは退屈しなかったが夢でも戦うはめとなった。
五日目の夜、マシロはカザーブと寄り添って眠っていると木の建物が連なる村が現れた。 巻き毛の金髪の女児と男児は老婆の話の最中、村が騒々しくなった。
周囲の家々が炎に囲まれた。兄妹は雪が降り始めた外で襲撃に遭遇した。
「良い金ヅルがいたぞ」
髭の戦士たちが迫ったとき風で輩が吹き飛ばされた。壮年の灰色ローブの男性が二人を引っ張った。場面が移り、森の小屋中に男児が息を引き取った。
「流行病では仕方ない。弔ってやろう」
女児は泣きながらノームで埋めた。
次にカザーブらしき少女が修道院外に白髭の老人といた。
「城にはいかないのか?」
「ここで生活します」
「君にはたくさんの精霊がついているので大丈夫だろう」
カザーブは老人を見送っていた。
目を覚ますとマシロの右胸にカザーフが顔を接して眠っている。
あんな広い所を一人で。マシロはカザーブをそっと抱きしめて瞼を閉じた。
さすがに一週間経つと右腕の傷も薄くなり腕も良く動いた。
左肩の包帯が取れ、断面に皮膚がついていた。
右足は相変わらず動けないがローシーに風呂場まで負ぶってもらった。
カザーブとローシーに体を洗ってもらうことがこんなに気持ちいいのか。
マシロはさっぱりとした感覚が体を包み浴槽に二人が密着してきた。湯が余計に心地いいからマシロは眠ってしまった。
白チュニックを着たマシロはローシーの肩を借りて風呂場を出た。北の森を眺めると狼たちが動きだした。人々を噛みついたり前足で振り払っていた。
近づくとボロのチュニックとショートソードや斧程度の奴隷兵士の死体が多数あった。
チェインメイルの兵士は一人だけいた。マシロには忘れられない男だった。狼たちが噛み殺してくれたからマシロは清々しい気分になった。
「兵士切れでもこれはひどいね」
ローシーはため息をついた。
奴隷兵士たちはマシロの見覚えがある痩せた者たちもいた。三〇人ほどの奴隷兵士は使い捨てに放たれたようだ。
「エルトリアの、ガスタニア人、殺す」
マシロの元に白狼が寄って来た。
「ならエルトリア城を攻め落としましょう。皆を呼びますから。ご準備をどうぞ!」
クーシーは角笛を吹いた。
カザーブは肩掛けカバンとマシロの白外套とズボンを持ってきた。
「さっそうと戦うから、格好良くしないとね」
ベルトと刀剣はローシーが持ってきた。
「我が君、まずはズボンをはきましょうか」
ローシーは服を脱がしたマシロにカザーブがズボンをはかせた。ローシーに体を支えてもらって尾を通した。マシロはベルトと刀剣を装着した。
マシロは白狼、カザーフは?白狼、ローシーはやって来た龍と馬の合体ものに乗った。
鹿の様な角二本と長い二つの髭のある龍顔、青ざめた馬っぽいからだに鱗があり尾が龍の生き物だ。
龍馬のクーシーは、金に輝く雄鹿に乗ったハルダーフォルク四〇人の弓兵を連れて来た。
「エルトリア城まで付いて来て下さい」
守り人の龍馬は飛翔して上昇し続けた。
「ふぇ?」
マシロの白狼も空を飛んだ。かなり高度を上げている。
「双子と弓兵たちのは騎乗聖獣で特定の国同士の貿易などに使われたの。私たちの狼は守護聖獣で攻撃と防御を兼ね備えた聖獣よ」
カザーブが説明している間、狼たちは雪に覆われている山頂の山々を超えた。寒さが落ち着いたところで低地の山々を通った先にターコイズ色の長細い湖の上空を行く。
彼方の湾曲した川方面から金に輝く熊が飛んできた。熊は弓兵の矢を手ではたいた。
マシロは太刀を抜いてサラマンダーをつばへ歩かせ刃を炎に包ませた。柄を両手で握り、白狼を突っ込ませ、熊の鼻面を炎刀で斬った。
熊は城前で集まっている兵士に向かって落下した。
「それがエルトリア城です」
クーシーが指差した丘上に、四つの正方形の塔に囲まれた赤屋根の大きな建物だ。大聖堂に城壁と森の北側がドナウ川だ。石造りの建物は二階建てでマシロは階段へ向かうと塔と本館から矢が放たれた。
黄色狼が盾になって守り、白狼は二階へ侵入する。マシロは炎刀で、待ち構えた二人の槍兵を斬って焼いた。
そばにいた城主ののどに尾で小太刀を投げて刺殺した。熊の聖獣はカザーフが調伏した。
駆けつけた兵は皆、降伏した。
ハルダーフォルクの伝令兵たちは騎獣を各砦に向けて飛行した。ガスタニア人の降伏と、奴隷を解放してからの国外への移動を求めた。
反抗したものは後方からの弓兵で鎮圧された。白狼を伏せにしたマシロは左手でかつての王の喉から小太刀を取り、さやに収めた。
そば付きの従者は降伏してひざまずいた。マシロは無視して太刀をさやに収めた。金と緑の玉座に目をやったが狼の方が座りやすそうに感じた。
第四章 エルトリア王国
「マシロ、大丈夫?」
青狼に乗ったカザーフが寄って来た。
「うん」
「今ね、弓兵の一部が解毒草を探しているの。守り人はガスタニア兵と貴族たちが本国に帰るための交渉をしているの。あ、そうだ」
カザーブは王の寝室の机の引き出しから鍵を見つけた。
マシロの金首輪の鍵穴に差すと合わなかった。
「あなたのはオルク皇帝のカギじゃないと外せないのか」
「ついにやったのか? えっとマシロ様でいいんですな?」
背の低い白髪交じりの黒髪の壮年男が入り込んだ。黄色狼が通したところ、彼の胴色首輪を見る限り奴隷だ。
ただ、一般奴隷と違ってチェインメイルとロングソードで武装していた。
「教官!」
マシロは駆け寄った男と狼ごしに肩をたたき合った。
「もう呼び名はいいですよ。イッシュとでも呼びつけて下さい。王様」
「カザーブ、薬は?」
狼同士がなめ合っている中、マシロが聞いた。
「今弓兵たちが探しているから心配しないで」
「あなたのことはクーシー様からお聞きしました。あとマシロ様は左手をどうなされたのです?」
「左腕をなくしたから幻でごまかしているの」
「カザーブ、カギ」
マシロは右手を差し出した。カザーブは鍵を渡すと、マシロはイッシュの首輪を外した。
「マシロ様」
涙を流したイッシュはマシロの右ブーツにキスをした。マシロは呆然とした。
「私の忠誠はマシロ様に捧げます。あとこれで仲間たちの枷が外せます」
イッシュはマシロから鍵を受け取った。
カザーブは黄色狼をイッシュに預けて城の奴隷護衛を任せた。
「もう城のガスタニア人はあの熊の様子を見て逃げ出たと思うけど。あの熊を作った術士とか放っておいて大丈夫ですか?」
「狼見たら襲うアホはいないでしょ」
「そりゃそうだ」
イッシュは笑いながら階段を下りた。イッシュは夕方までに城奴隷たちの首輪を外して周り「本当の王が解放してくれたから豪華な夕食でもてなしてくれ」と料理人と使用人たちにふれて回った。
ガスタニア人の王と焦げた槍兵たち、階段の弓兵らは、曲がって流れる北側の川に放り込まれた。熊は自分が潰した兵たちを川へ投げ捨てた。
死なずにすんだ城のガスタニア人たちは国外追放になった。
王のいた本館が北西側でそこから南東が別館となる。厨房は別館で、元奴隷のベテラン利用理人たちと給仕係たちはやや豪勢な夕食作りに勤しんだ。
本館一階が暖炉付の大ホールで二階には寝室が二つある。
カザーブと外套を脱いだマシロは狼に乗りながら本館を出て、散策した。
本館の両側の城壁沿いに二階建ての赤い屋根の離れがあった。
家畜小屋や菜園も隅の方に配置してあって畑の南西に古い小屋がある。
「我が君、薬出来ましたよ」
本館から北東の石造りの離れからローシーが駆け出した。
マシロに塗りと飲み薬の治療を施した。
「あさってには戴冠式がありますねぇ。集まる貴族が元奴隷だから準備が大変そうだけど。カザーブはいずれ我が君と結婚するんでしょう?」
「へ?」
今まで変に張り合っていたローシーがかしこまっていた。いきなりの嫁になってくれの展開にカザーブは呆けてしまった。左隣のマシロは無表情だが尾が降り続けている。
「私はもうマシロの主人じゃないよ。あなたは二日後に王様になるのだから……」
こっちは雑用があるから別にそばにいなくていいやと思い帰ろうとしたとき、マシロの右手がカザーブの左腕を引っ張った。
「夕ごはん、いっしょ、食べよう」
マシロは振り向いたカザーブを無垢な表情で見つめ続けていた。
「マシロ、カザーブと、いっしょに、寝たい」
自己の要望をあまり言わないマシロがここで発言した!
尾をカザーブの左手に握る形で持ってきた。カザーブは胸が熱くなって、顔にほてりも感じた。意固地になってもマシロが悲しむだけだ。
「も、もちろん。明日お風呂でマシロの体洗っていい?」
「しっぽ、洗って、くれないと、困る」
マシロは珍しく憂いの表情をみせた。
「洗う、洗う!」
「じゃあ、私は我が君のちんちん洗いますね」
ローシーは変わらない笑みを浮かべた。
「ろうそく、どうしょう」
「マシロはそういう雑用しなくていいの。でもオリーブの実収穫したいし、オリーブの木ここに移したいし、ハチたちの巣も移動したいし……」
南西の大聖堂からの鐘が鳴った。日が暮れたので物の移動はあきらめた。
「ハチの移動は養蜂家の者に任せられますが、木を運ぶのはあなたの術でないと難しそうですね」クーシーが離れから来た。
「あと図書室の本とカイメンスポンジと石鹸に灰汁、蜜蝋。土地は領主のものだから中身はどうしても移したい……」
「領主に取られるくらいなら物の引っ越しは必要ですね。騎獣兵二〇人に手伝わせましょう」
クーシーは大聖堂で準備があるから参加を断った。
「なら私は明日、我が君と合体作業に勤しむわ」
どうせそんな事だろうとカザーブは冷ややかな眼差しでローシーを見た。
「ちんちんなめて、くれるの?」
マシロが生真面目にローシーに尋ねた。
「もちろん! 肉欲のフルコースで参りますのでついて来て下さいませ」
二人は尾を振り合っていた。ホールへ食事を運ぶ召使がマシロのところに立ち止まっていた。他の使用人もマシロたちを眺めていた。
人間たちは牛の尾エルフの魅了の特性にかかったようだ。マシロも黙っていればいい男なのに……。
「マシロが欲求を堂々と言うからみんな仕事できないでしょう」
「……カザーブ、して、くれない」
マシロは横目で恨めしそうに言った。
「出来るか!」
カザーブは叫んだ。
「あなたたちは変なところで気が合ったのね。いいなあ、そういう関係」
ローシーは青白狼の頭をなでた。
「ローシーはマシロと結婚しないの?」
「守り人は王族にお仕えするのが使命なので自分が王族になることはありません。めかけはありですけどね」
そんなまじめな理由で妻役を押し付けるとは。カザーブは呆れるしかなかった。
「ああ、あさってが戴冠式ですよ。やっとここまで来たのですから」
ローシーはマシロに抱きついて泣きだした。マシロは困惑したかのようにカザーブを横目で見つめていた。
「奴隷育ちのマシロのためにこの人たちはあなたを取り戻すために精一杯頑張ったのよ。一部変な人がいるけど」
「ひどーい! 我が君、明日は精一杯奉仕するからね」
「そこは頑張らなくていいって……」
クーシーはローシーの言動にため息をついた。本館一階の大ホールはテーブルクロスが敷かれた長テーブルに肉料理、スープ、アーモンドケーキ、果物が置かれた。
「丸焼き! 豚!」
マシロは尾の振り方が尋常ではないくらい興奮した。豚のこんがりした丸焼けは嫌でも心躍らせる。
長椅子の中央にマシロが座り、カザーブとローシーが脇を固めた。
「豆野菜スープ、ないの?」
マシロはカザーブの右隣のクーシーに聞いた。
「エンドウ、そら豆、レンズとかの豆は王族には出していません。貴族と聖職者を呼ぶ場合かありますし」
「ここ、貴族、くるの? い・や・だ!」
マシロは下を向いて頭を抱え、震えだした。
「エルトリアの貴族は我が君と同じ元奴隷です。ガスタニア人と違って我が君をどうこういたしません。隣の人は違うようですが」
「ローシーは、気持ちよく、してくれる。貴族男、いやだ。ちんちんなめるの、気持ち、わるい。おしりに、へんなの、突っこむ。いたい……」
マシロは涙目でゆっくり話し、大声で泣きだした。
「大ホールで思い出してしまったのね。でも城を作り直す余裕はないし」
ローシーが抱きしめて慰めていた。
「……がまんする。奴隷なのに、わがまま、ごめんなさい」
カザーブははっとした。マシロの金首輪が外れない限り、彼はオルク皇帝の奴隷のままなのだと。皮肉にも金首輪がマシロが王族であるという証拠にもなるのだ。
庶民や聖職者と貴族に見せなければマシロが王になることに彼らは納得しないだろう。
しばらくローシーの胸元で泣き続けたマシロは豚肉を手で引き裂いて食べ続けた。ブドウとリンゴもむさぼり食べた。
「おしっこ!」
給仕に注がれたワインを飲み続けたマシロが発した。
ローシーは備え付けのしびんを持ってきてマシロのズボンを下げた。
クーシーはマシロを後ろ向きに立たせた。
「お城で、しても、いいの?」
尾を揺らしながら放尿した。
(そうか、奴隷では出来ないことをマシロにさせればいいんだ。でも何を?)
労働以外となると読み書きの学習と子供のころにできなかった遊びとなるが。遊び相手の狼たちは守護聖獣として守りに勤しむしかない。
カザーブとマシロは普段通りに眠くなった。本館二階の西南の寝室に天蓋付のベッドがある。おまるとしびんが置かれているのは身分の高い証拠でもある。
他の者は別館や塔上のトイレの穴でする。穴の下は排水溝に落ちる仕組みだ。
城下の森には豚が放し飼いにしていた。城壁外にも数頭の豚がいた。
「マシロは豆スープ食べたいんだよね。明日、豆収穫して厨房の人に頼んでみようか」
「エンドウ豆、食べたい」
マシロはすぐに眠ってしまった。
寝顔は少年のままで可愛いが内なる経験で彼を寡黙にさせている。自分はマシロの心を癒していけるのだろうか。
別館の食堂には元奴隷の使用人たちが残ったスープと肉の下に敷かれた麦パン皿を分け合っていた。イッシュの元にクーシーが夕食の報告をした。
「やはりこの城にはいい思い出なんかないからな。いっそ城壊して……造る金はないんだよな」
「オーロック修道院の我が君は余暇がちゃんとありました。労働も農作業や料理など生産性のあるものです。心が痛む事件はガスタニア人の襲撃くらいでしたが」
「あの嬢ちゃん、魔術師みたいなものだろう? 修道院の建物、こっちへ運べたりできないものかなぁ」
「そうか!」
クーシーは叫んで離れへ走った。
本館二階の北東の寝室から南東に浴槽があった。大きな木おけ風呂で裸のままのマシロと彼の体を支えたカザーブは浴槽に入って待っていた。朝の甲高い鐘の音と共に使用人が湯桶を持ってきた。
「なんかあの風呂場が恋しくなったねぇ」
石鹸とカイメンスポンジを持ったローシーも裸のままやって来た。
「カザーブ、姉さんが後で話があるんだって。二人とも離れから出てくれないと我が君との秘め事が出来ないんだけど」
他人にばらす秘め事は何かと突っ込みたいのをカザーブはおさえた。
何人かの使用人の働きで木おけ風呂に湯がたまった。
「石畳で洗おうか」
カザーブは座らせたマシロの尾、ローシーは股間と好き勝手に洗っていた。マシロは目が垂れてまどろんでいた。
「ハルダーフォルクは相手に尾を洗ってもらうのが、最上の喜びと信頼と言われているんだって。確かに我が君に洗ってもらったとき昇天しそうだわぁ」
ローシーは念入りにマシロの体を洗っていた。マシロはカザーブの背中と尻を向けたローシーの尻尾を撫でるように洗っている。
「ふたりの、胸、あらいたい」
「やっぱり大きいのが大正義でしょう?」
「膨らみで競うのはしたない」
カザーブが毒づいた。
マシロは二人の胸を見比べながらスポンジで洗った。
「我が君はどちらがいい?」
「わからない。カザーブ、ローシー好き」
「それでいいのですよ。二人分楽しめたら生き方が豊かになる。奴隷の気持ちを知った王って素晴らしいですよ。私たちは人間と長く過ごした分、妖精の本分を忘れかけたけど。我が君の素直なそぶりを見ていると楽しいです」
カザーブとマシロは首をかしげた。
カザーブは取り替えっこする妖精の気持ちを理解するよりも、奴隷の生き方に囚われているマシロを救いたい気持ちでいっぱいだった。
「そういえば思い出した。エルトリア城の召使というか元奴隷は皆人間なんだよね。美貌エルフが人間の男をたぶらかして森の国で奴隷にするという話。まんざらおとぎ話でもないような……」
ローシーはマシロを背負って離れに向かった。クーシーが「裸のまま来るとは何事ですか」とあきれるところにカザーブは会った。
「私に用って何?」
「あなたの精霊の力でオーロック修道院の建物。そうですねぇ、大食堂と来客の館に図書室や風呂場とトイレなんかこの城の中庭に移せます?」
「その手があったのか! 白狼はマシロのお守りで青白と黄色狼、金熊の三体なら二回運んで行ける! でも本館が邪魔だから先にベッドと玉座とか備品外してくれないと」
「守護聖獣の背に? 先に備品を移すってどこにしましょうか?」
「別館隅にお願い」
どうせ使用人をこき使うことになるだろうから。
クーシーは別館の使用人たちを集めて命令した。
すべての備品を出し終えたころ、カザーブはたくさんのノームに地面ごと本館を宙に浮かせた。巨大化した熊の背に本館を乗せて森の中へ置いた。
その光景にイッシュと使用人たちは驚いた。
クーシーは養蜂家と二十人の騎獣兵を連れて来た。
「では私は用事があるのであとはお願いします」
家令の仕事をちゃんとこなしているのは龍馬で忙しそうに飛んだクーシーのようだった。
青白狼に乗ったカザーブは熊と黄色狼、騎獣兵一行を引きつれてオーロック修道院へ飛んだ。
離れ二階の寝室でマシロが馬乗りになってローシーを昇天させたときに、地面が揺れて大きな音がたて続きにした。彼は気に留めずローシーとの伽を楽しんでいた。
塔に馬を乗せたまま熊の背に、来客館を乗せた黄色狼。便所と農具倉庫と三〇個のハチの巣に養蜂家とカザーブを乗せた巨大青白狼。カザーブは礼拝堂を残して収穫した野菜と共に建物全部を元と同じ位置で本館あとに置いた。
たくさんのノームで地面を整え、浴室とトイレの水路をウンディーネで作り直した。
浴室からの北東が離れになるがマシロたちが出てくる様子がない。城壁沿いの両側の畑と北東の別館と家畜小屋、南西の小屋の間が中庭だ。広いだけで何もない。
まずは玉座と机、タンスなどは来客館に入れて、二つの大型ベッドは寝室のベッドと入れ替えた。ハチの巣は森に近い南西の塔の上に置いた。巣は半分ほどになっていた。
カザーブは藁の三角屋根で囲った。
「十一月になったら屋根をふさぐからここで蜜を集めていてね」
騎獣たちに運んでもらったオリーブの木五本は中庭から北東で別館の裏に植えた。サラマンダーで周囲の気温を上げて、ノームで土質を変えて育てることにした。籠に入れたオリーブの実を別館厨房の料理人や使用人たちに見せてオリーブオイルの作り方を教えた。
別の籠に収穫したエンドウ豆の一部を城壁ぞいにある畑に植え加えてノームで調整した。
庭師たちにニンニクと玉ねぎなどの種を植えて育てるよう命じた。
「すごいなぁ、マシロ様のいた場所がまるごと来るなんて。で、王はどこに?」
「ローシーと遊戯中です……」
「それは待つしかないな。クーシー様は王国の歴史を記憶しローシー様は王国の命を繋ぐ役割もあるというな。あの二人も王室に囚われる一種の奴隷みたいなものだが、誇り高い守り人たから幸せな双子ともいえるな。マシロ様は王妃様にお会いしましたか?」
イッシュがゆっくりと語った。
「全然。母親の話をしないからマシロは母親の概念知らないのかも……」
昼の大きく響く鐘がなった。
カザーブは使用人たちに食事を南西の赤屋根横長大食堂に運ばせた。
食堂の左隣が来客館と馬のいる塔だ。来客館の北東が風呂場。
風呂場南西が三階建て寝室で左隣の青屋根建物が便所と農具倉庫だ。
カザーブはマシロの服を来客館に取りに行って白ズボンをウンディーネで洗った。
ブーツと白チュニックだけ取って風呂場左隣の離れに行った。熱くなって体がほてった感じのマシロが出て来た。
カザーブはマシロの裸を見慣れているはずなのに、彼のぼんやりした顔を見ると赤面した。
チュニックを渡すと頭上に子犬大のサラマンダーを乗せたマシロは、右足で普通に歩けていた。
「昼ごはんだから着て」
「うん」
服を着たマシロはゆっくりと歩いた。
「右足治ったの?」
「少しだけ、うごける」
水色チュニックのローシーがブーツを履かせマシロの肩を貸して歩かせた。
本来、昼食が豪華な正餐で豚の頭焼き、豚肉とエンドウ豆とニンジン、ニンニクのスープ。果物にハチミツケーキ、白パンが長テーブルに並んだ。
「あ……」
マシロは今頃になって修道院建物に気付いたようだ。
「昔はホールで各領主を迎えていたのですが、今後は身内だけで済ませましょうか」
クーシーがマシロに提案した。
「元領主はガスタニア領主の召使いになり下がったから、家臣をそろえるのも苦労するよねぇ。騎士や兵士は奴隷兵士になってたし、ガスタニアに送られたらもう消息不明だからね」
ローシーはイヴァン王の家臣はエルトリアにいないと断言した。
「イッシュ、どこ?」
マシロはクーシーに尋ねた。
「別館で使用人頭をしています」
「兵士は、いないのか」
マシロは黙って指を使ってスープを飲んでいだ。
彼はあるべき身分を得て、戻るべきところに来た。
その割には楽しそうではなかった。過去の陰惨な記憶に縛られる限り、晴れ渡る気分にならないのがカザーブにもつらいのであった。
大食堂南西の城壁に沿った広大な野菜畑にズボンをはいたマシロは白狼の背をもたれて歩いてきた。
玉ネギ、ニンジン、エンドウ豆などの葉にバッタがついていた。
カザーブのサラマンダーの影響で畑は少し暖い。マシロを殴る人間はここにはいない。
カマキリや庭のオリーブの木にいるカミキリ虫、カナブンを捕まえて眺めた。
カザーブはマシロが庭に座って虫遊びしているのを遠くから眺めた。小さな王子様なら庭で遊んで過ごすのも道理だが、幼児奴隷には遊びなどなかっただろう。
「何だ庭にいたのか。カザーブは我が君と遊ばないの?」
ローシーが聞いた。
「私がそばにいるとマシロが奴隷の延長になるから、少し距離を置きたいの」
「こっちの環境に慣れるまで我が君も休ませるのがいいね。いきなり執務じゃ癇癪起こすか泣きだすかも知れない。夕食のときに呼ぶか」
カザーブはローシーとマシロが尾に虫を乗せている様子を注視した。
「ローシー、蜜蝋作りに付き合ってよ。どうせ暇でしょう?」
「う……」
カザーブは塔の倉庫から蜜蝋鍋と糸を取り出した。
白狼にまたがったマシロは上空へ飛んだ。
丘下は栄えた城下町と川の曲がり角が街そばにあった。南西に森が広がっていた。
川の先が平原と小さな村々で先がなだらかな山々だ。
森の木は紅葉となっていた。森に降りるとなぜか本館がある。
数十頭の豚がどんぐりを必死で食べていた。剛毛豚森でマシロは便意をもよおし、うんこすると牙をもった豚が何頭も近寄って来た。
「食ってる……」
森に入る者は狩りをする貴族が定番だが豚森には人がいなかった。マシロは豚の背に乗り回して、眠くなったので落ち葉のベッドで寝ころんだ。
黄色っぽい扉が現れて緑のフード外套着の若者が現れた。大の地で眠っている牛の尾エルフを見続けていた。
「これが城主かぁ……。この様子だとまだ得物がいなさそうだな」
寄ってくる豚をどかして周りを見回した後、扉を開けてドアごと消滅した。
蜜蝋作りとは鉄鍋にとろけた蜜蝋に糸を垂らして乾かしながらロウを重ね続ける。シルフの風で乾燥が進んで二十本ほど作り続けた。
「こんな地味な作業、奴隷にやらせておけばとなるわなぁ……」
ローシーがため息をついた。
「マシロは優秀だからろうそく作りも上手いのよ」
カザーブはローシーに笑顔を見せた。
「まさかまた私に何かさせるのでは……」
「ハチミツと蜜蝋に分ける作業も残っているし、オリーブオイルは使用人任せだけどオカヒジキの灰汁は私が作るしかないか。材料揃って一気に石鹸作りしたいなぁ」
オカヒジキは離れの南東に移して畑にした。
「それらをこなすには我が君を一日奴隷にするしかないだろうな。サラマンダーは術士しか扱えないし」
「だけどここに来てマシロの泣き顔見るとは思わなかった。マシロの小さい時に救い出すことは出来なかったの?」
「イッシュ殿は子供奴隷兵士の戦闘教育係なのだ。当時は奴隷の管理が厳しかったから、一人逃げたら残りがどうなるか判らないから手は出せなかったよ」
「人質なら仕方ないけど。マシロがここの庭にいたころ余裕で龍馬で救えたんじゃないの?」
「門番にあの金熊がいたから。我が君かいる日中だけは熊が庭を向くから。夕方と夜は別館付近に弓矢を持った巨人がいたから、どのみち飛ぶと狙われるし走っても熊が追うから無理だったよ」
蜜ろうそく作りが終えると夕方の鐘がなった。
「我が君は森にでも行ったのですかねぇ。あそこは豚の森だし、鹿も捕りに行きたいなぁ」
カザーブは青白狼で森を捜索すると豚に囲まれたマシロが眠っていた。カザーブはマシロが平穏に過ごしているのに安堵した。
白狼に運んでもらい大食堂へ連れて来た。
木板の床にマシロを寝かせるとローシーが馬乗りになった。
「我が君、ゴハンですよぉー!」
マシロが目を開けると豚とつぶやいた。
「誰が豚ですかぁ! 失敬な……」
頬を膨れたローシーはマシロから離れた。
「森、ちがう?」
半身を起こしたマシロは周囲を見渡した。
「私がここに移したの。なんの夢を見ていたの?」
「豚に、ちんちんを、なめられた」
カザーブとクーシーはローシーに冷ややかな眼差しを向けた。
「だから何で豚なのー」
夕食は白パンに豚肉スープだ。
我が邸宅に戻って落ち着いてきた貴族たちは元家庭内奴隷の子供たちを自分の子供として受け入れる動きが出ていた。
元の親を探しようがないし、大人になった我が子は戻ってこない。
ガスタニア主人の話では若者の多くはガスタニア帝国に送られたという。
離れでは蜜ろうそくの明かりで会議が行われていた。
守り人はイッシュに白いサーコートを授けて、我が君の家臣と家令と兼務して使用人たちを取り仕切る役目を正式に命じた。
「家臣なんてめっそうもないです。私は文盲ですし軍事面くらいしか指導できません」
「今は騎獣兵二〇人ほど警護を任せてもらいます。貿易再興に二〇体の騎獣は必要ですし。人間兵はガスタニア人に獲られたり、あなたは奴隷兵を失ったばかりなので当面の軍事面は我々にお任せ下さい」
クーシーはイッシュに説いた。
「あのぅ、マシロ様はどんなご様子でしたか?」
「私との伽では相性ばっちりでたっぷり癒してあげましたよ」
「今はカザーブ様とご就寝中です」
ローシーのおでこを叩いたクーシーが報告した。
「あの娘はやはり妖精ですか?」
精霊使いと守護聖獣の調伏と尋常ではないとイッシュは論じた。
「カザーブ様はスカンジナビアの我々と同じ光のエルフ族です。我が君の幻肢の技は他に類を見ない御業ですし」
「でも我が君はカザーブ様のこと本当はどうお考えになっているんだろう。
いつまでも主人のままだったら悲しいな」
ローシーがうつむいてつぶやいた。
来客館の隅に木おけ風呂があり湯に浸かったマシロが尾を振って叫んだ。
「カザーブ、しっぽ、しっぽ」
下着姿のカザーブはスポンジでマシロの尾をこすった。
「お昼前に城近くのエステルゴム大聖堂で、戴冠式をやるんだって。ここでの入浴は儀式みたいなものだしね」
カザーブはマシロの髪だけをウンディーネで洗って背中に胸、腹、股間など丁寧に拭いた。
「カザーブ、はいらないの?」
「あとで入るからマシロは先に出て」
「うん」
頭上にサラマンダーを乗せたマシロが出ると、タオルを持った使用人が体を拭いた。
マシロは構わず尾を振って水けを払っていた。
別の使用人は灰色のタイツをはかせた。マシロが穴に尾を通すと白い上等なチュニックを着た。マシロは尾を穴に通した後ベルトを吊るした。
ゆるいベルトには金の装飾品と宝石が散りばめられた。カザーブが湯に入ると「背中、むね洗いたい」とマシロがせがんだ。
「濡れますのでどうか、お控えください」
二人の使用人が必死に止めて、マシロは仕方なさそうに来客館を出た。カザーブには金刺繍飾りの黄緑ローブが渡された。着替えて外に出るとマシロは二頭の大型馬に頬をなめられていた。
「服汚さないでよ。足もう大丈夫?」
カザーブはマシロの左腕を組んだ。
「走れない。はやく、あるけない」
「無理しなくていいよ。それだけ動ければ合格よ」
マシロの背中を見るとサラマンダーが張り付いている。
「今日のマシロは格好良さに磨きがかかって、国民メロメロよ」
カザーブは馬を振り切ってマシロの右頬に左手をかけてキスをした。
「エルトリア城に招いてくれてありがとう。これからエステルゴム城下町を眺めてみようか」
カザーブはうなずいたマシロに少し抱きつかれた。
ストリゴニウムと呼ばれたローマ領の街にマジャール人の兵士と共にハルダーフォルクの女王たちが移り、エステルゴム町とエルトリア王国を築いた。
隣国との戦争で突撃を仕掛けた女王が死ぬと、娘のアメンがスラブ人にイヴァンと結婚してイヴァン王朝が始まる予定だった。
騎獣伝令によって知らされ、そこそこ栄えていた城下街には解放された喜びの市民と、商人、職人が王宮の丘を観望していた。
街には若者がいなかった。道端に出た子供は前からの習慣で各家で働いていた元奴隷だ。
市民たちも帰ってこなくなった子供の代わりに育てることにしていた。
白狼と青白狼が上空に現れると聖堂前に集合した町人や農民(土地持ちの自由農民)は歓声を上げた。
奴隷化されなかった農奴(土地なし)たちは狼に震えていた。
カザーブたちは城から南西の大聖堂に訪れた。
白亜の古代ローマ時代のもので柱が前八本、横二本ずつで、円型ドームを模した建物だ。
エステルゴム大聖堂は、牛の尾エルフの女王が何気に人間に認めたキリスト教の施設だ。
東エルトリア地方にはなぜか正教会(東方教会)があるという。一国に二種類のキリスト教会を備えるくらいだから、宗教にも寛容なお方だったのだろう。
大聖堂は石造りで簡素な造りだが入口は大きすぎて呆気にとられた。
マシロは前進してカザーブは貴族の列に紛れた。
天井の模様に圧倒するドーム内は日光がいくつか入り、正面の祭壇に司教と双子がいた。
周りにひしめく貴族と僧たちがマシロを直視した。マシロは尾を少し降りながらゆっくりと歩いた。
「ハルダーフォルクのお方……。いいかい、あのお方がお前たちを救ってくれたんだよ」
子供を連れた貴族たちは口々に教えていた。
「ハルダーフォルクに男がいたなんて」
「金首輪? まさに王族だ」
僧たちもささやいた。
「美しい。女だけでなく男のハルダーフォルクも……」
マシロは貴族たちの賞賛を浴びながら司教の前に着いた。
「伝説の守り人と奇跡のハルダーフォルクの男子。この場に立ち会えて主に感謝します」
刺繍入りの赤い肩衣を赤マント上に垂らした司教が金杖を持って祈祷した。
キリスト教徒ではないマシロのため宣誓は省かれ、戴冠式用の豪華な椅子の前に来るよう促された。
マシロは僧によって絹の緑の金縁法衣を付けられた。ひざまずくと王杖と手袋が授けられマシロは手袋を付けた。司教はマシロの頭に聖油を注いだ。
マシロはイスに座るよう司教にうながされ席に着いた。
青の長チュニックと金刺繍入りの緑マントの双子がマシロに王冠を授けた。
「イヴァンの子・真っ白な心の君。白き君よ。汝をこれよりエルトリアの王としてこの冠を授ける……」
各領主たちは王の前に来て「ガスタニア人を追い払ってありがとうございます」
「我が土地を取り戻して……」「我が家を取り戻してくれて……」など賛辞を述べていた。
「美しき王様、どうかわが娘を帝国から取り戻してくれませんか」
駆けつけた領主にクーシーは「今は戦の話をする場ではありません」と止められた。
王に感謝を述べない一団がいた。
「非キリスト教の王だのどう忠誠を尽くせばいいのだ?」
「あんな妖精の若造を王位につけるなんて、守り人はイヴァン王を捨ててまで……」
「ハルダーフォルクじゃ、キリスト教は保護されないのでは……」
身分が戻ったのは恩に着るが救われた相手が妖精では納得いかない彼らであった。
だが騎士団の編成が不十分なので、狼軍団の王の私兵に敵うわけがない。しゃくだが静かに従う振りするしかなかった。
双子に先導されマシロは別の出口で外に出た。カザーブもついてきた。
金の王冠のマシロは丘へと用意された青毛馬に乗って、サーベルを天に掲げた。馬は後ろ脚だけで立ち上がらせる勇猛な儀式を彼はこなしていた。
聖堂丘下の城下町側にもたくさんの人が集まって来た。
「マシロ王様、お帰りなさい」
「解放ありがとうございます」
若者以外の年代の者が歓声を上げた。次に入り口前に戻ると広い庭内にも人があふれている。ここも中年、壮年、子供くらいだ。
「きれい……」
「白き王様……」
人間たちは双子とマシロに見惚れていた。
「何か声をかけてください」
クーシーの提案にマシロは困惑した。大勢の人の前で話す機会など初めてなのに。
こちらを真剣にみつめている子供たちとマシロは目があった。
不意にマシロの心中にイッシュにリンゴをもらったこと。刀剣を使いこなせたことで褒められたこと。鶏肉をもらったこと。
カザーブと出会い、体を洗ってもらったこと。オーロック修道院での穏やかな日々。
傷の手当をしてくれた守り人たち。失った右腕から新たな腕を造ってくれたカザーブ。
自分に尽くしてくれた人たちの映像が次々と浮かんだ。
「みんな、ありがとう……」
マシロは抑えきれない感情があふれて号泣した。叫ぶように泣き続け、声が枯れるとそばにいたカザーブに抱きついて彼女の服を涙で濡らした。
白狼がマシロの左隣に来て、彼は狼にまたがった途端,力が抜けて眠った。
「マシロの心が戻って来たって感じかな。次はマシロに何かさせる気?」
「貴族たちとの会合を考えていますが、休ませて様子をみましょう」
クーシーは政治と裁判は今の王には難しいと発した。
「そりゃそうよ。知的な行為は奴隷には禁じていたんだもの。マシロは子供のまま生きているのよ」
彼の仕事の良さが子供の知能として妙だが、雑務をこなす為に学習能力が高いのだろうか。マシロの言動は思慮深くなく、大人とは違った。
迷いがないから守護聖獣と平気に渡り合えるのだから。
「何かと難儀な問題ですな。奴隷育ちの者が王となると。何か訴えのある庶民の方々は私が集めておきますので、朝方に教会中庭に来てもらいませんか? 話だけ王様に聞いていただければいいと存じますが」
袖まで長いチュニックに緋色などの飾りがついたアルバを着た司祭が聞いた。
「私たちもそのつもりです」
クーシーは聖堂に残ってローシーは龍馬、カザーブは青白狼で白狼を連れて城へ帰った。
金と緑の玉座に法衣をかけて、来客館の床に藁を敷いて王杖を握ったままのマシロを寝かせた。王冠は机に置いた。
「王様はおねむですか?」
イッシュは黄土色の丈の長いチュニックを着ていた。
「慣れないことで疲れたのよ。マシロは戦闘と雑務が得意だけど、政務は無理ね」
「まぁ、貴族とは天敵みたいだったからなぁ」
「ガスタニア人の貴族って皆、追い出したの?」
カザーブはローシーに尋ねた。
「逆らったのは殺したって弓兵が言ってたよ。狼で追い立てて東の地方も例外なく追放したし」
青チュニックの平服のローシーが答えた。
急にマシロは目が覚めて起きだした。
「イッシュ!」
彼に飛びついて尾を激しく振り続けた。
「王様。これは甘えているのかな?」
マシロに抱きつかれて困惑したイッシュが聞いた。
「そうです。父親みたいに撫でて下さい」
ローシーは的を射たようにいった。
「可愛い奴め。メシだぞ」
イッシュは頭を撫でまわすとマシロは目を細めた。左隣の食堂に入るまで馬たちに絡まれたりして右腕を引っ張ったイッシュが引き離した。
「王様はたくましくなったなぁ。たくさん戦ってあの嬢ちゃん守ってきたんだろ?」
「カザーブの、狼、たすけてもらった」
マシロは左腕を見て答えた。長く戦った記憶があいまいになっていた。
「そうか。わが身の弱さを知るなんて大人になったじゃないか」
「おとな? なったの、王様」
マシロは手袋を見せた。昼食は豚の丸焼きと野菜スープだった。
午後は来客館の机からカザーブがインクに羊皮紙数枚と羽ペンを用意した。
テーブル席のマシロは彼女が石鹸作りに誘わないのは不思議に思った。
「マシロは自分の名前くらいラテン語で書けたらいいと思うの。まずは猛練習しようね。
Albaは白だからこれを書いて」
「もっと、ながいと、思った……」
マシロは最初に付けられた名前を思い出そうとしたが、何も出てこなかった。
「真っ白な心の君 Aiba pura cordistui これもいいよ」
「みじかいの、書く……」
マシロは羽ペンを生れてはじめて使い、ひたすら書いて覚えた。
「もうこの位でいいでしょう。ごくろうさま」
カザーブの青い瞳を見つめたマシロはまた奇妙な感情に囚われた。
「カザーブ、ありがとう」
マシロは微笑んだ。
「ん? マシロ、笑顔が……」
「カザーブといると、初めて、たのしい」
名前を付けてもらう。大きな湯船に入る。大きな街に出かける。大きな声援をもらう。
「カザーブ、強くて、すごい」
「女の子に強いはないでしょう!」
マシロは額を突かれた。奴隷兵士に強いは褒め言葉だが、カザーブには通じてなかった。マシロは無言で抱きついた。
「今夜はだめ! 何か襲う気満々でしょう」
「カザーブの、小さい、成長まつ」
マシロは彼女の胸と股にも触れた。
「ちょ、どこ触ってんの!」
カザーブはマシロの足を踏んだ。
「カザーブも、さわってる、ずるい……」
「それは、主人として洗ってやらないことには……」
カザーブは頬を赤らめながら反論した。
「マシロは王様になったんだから、この国をどうしたい?」
「わからない」
城を落とした理由すらマシロは決めずにやった。後のことなど考えもなかった。
面倒なことは双子とカザーブに任せればいい。どこかが攻めたら戦うまでだ。
「明日、教会で人に会うやつ私もいくよ。一緒に話を聞けばいいから」
「うん」
マシロはうなずいてカザーブと口づけを交わした。ああ、彼女といられる場所でいたいと思い始めた。
ガスタニア帝国は奴隷で機能している国だ。
遊牧民が守護聖獣の力をだせる術士と出会ってから快進撃が始まった。エルトリアから若者を集めて繁殖用に置いたり、領主への貢物、スカンジナビアとイスラームの国々用の交易のためと奴隷を活用してきた。
オルク皇帝は五〇人のハルダーフォルクを奴隷にしている。不老不死の子供を産ませたところ女しか生まれない。どの妻に聖杯のことを聞いても知らないと言い。
なぜ不老不死の種族なのかと尋ねても「神が最初に作った種族」とか「この世界では神に近い種族だから」の答えばかりでらちがあかない。
生まれた子は交易用に売るだけだからいいが、一人の男には一人の子供しか生まれないという不自由な種族であった。
エルトリア城が落とされ貴族の真似事をしたガスタニア人たちが東の移動を終えていた。捕虜を取らないのは賢明だ。こちらにも奥の手があるから容易に攻めたりはしないと思うが。
カザーブとローシーの洗いっこは儀式めいた遊戯だが、マシロにはいい日課だ。
大きな浴槽に二人の女たちに身を委ねるのは幸せの始まりでもある。
上等な白チュニックとクリーム色のズボン、金装飾ベルト。靴は動きやすいブーツにした。
「政治系は姉さん任せだから行ってらっしゃい」
マシロはローシーにキスされて送られた。
「二人とも身長近いし、いい夫婦になれそうなのになぁ」
緑ローブのカザーブは紺チュニックのローシーを眺めた。
マシロはカザーフの澄んだ青い瞳を見つめた。
「カザーブと、けっこん、したい」
「そそそ、そう急に何言ってんの? 私まだ十四だから婚約ってことでいい?」
目を大きくして慌てたカザーブは提案した。
「うん」
マシロはカザーブの右肩に手をかけて歩調を合わせた。
「ごめん。右足早くは動けないんだよね」
「大丈夫」
マシロは自分を気遣ってくれるカザーブが何よりも愛おしかった。狼たちを呼んでエステルゴム大聖堂丘下の教会へ降りた。赤レンガ屋根、二つの尖塔の教会中庭に人々が集まっていた。
クーシーが待っていた。
「王様お願いします。二人の娘を取り戻して下さい」
「私の息子三人が帝国に獲られたままなのです」
「成長した子供たちが帰ってこないの。何とかして下さい」
中年、壮年の男女たちの願いは同じだった。
「けれど私たちはガスタニアの帝都の場所は知りません」
クーシーは市民たちをたしなめた。
マシロは首輪に手を触れてうつむいた。皆不幸にした親玉を生かしてどうする?
首輪はないほうがいい。
「オルクを、討つ!」
「討つってどこへ飛べばいいのです?」
「私、帝都の場所判るよ。本に書いてあった」
「へ?」
クーシーは間の抜けた声でカザーブに向いた。
後から集まって来た市民たちも歓声を上げていた。領主や相談のない者もマシロ目当てで訪れていた。
「ヴェネ、ツィア?」
「そう! わざわざ行って正解だったのよ!」
尾を振ったマシロとカザーブは抱き合って喜び合った。中庭に人が多すぎて外野が騒いで収集がつかないころに狼に乗って脱出して、来客館に戻った。
カザーブは図書室から商人の旅行記を持ってきた。
「エルトリアから遥か北東のキエフ城が新たな帝城だって。キエフ公国が隣国だね」
「キエフ? 私たちは隣国を知らずにさらに遠い南宋との交易を重視していたので。ああ、まだ使いを出していなかった……」
クーシーは珍しくテーブルに突っ伏した。
「南宋ってマシロの刀剣貰ったとこか。何でまたそんな東の遠い国と交易していたの?」
「騎乗聖獣使いの旅行者が皇帝に伝えたのが発端かな?」
カザーブとローシーはのんきに話し合っていた。
「はやく、いこう」
マシロは革ベルトと刀剣二つを装着した。彼の髪は肩より少し伸びていた。
「我が君の凛々しい姿は戦うことにあり、だよね。姉さん、弓兵十人は城に残さないとだめかな」
「城の守りは我々にお願いできますか?」
領主たちが駆け込んできた。
「我々の子供たち、そして若い騎士たちの救出もお願いします。王様」
「我らには守護聖獣相手に戦えません。ハルダーフォルクどの、どうか御武運を」
「そうか。そっちの対策も……」
カザーブはマシロの右肩のサラマンダーを見つめた。
「こいつと、白狼で、やる」
マシロは人間たちに向いて白狼にまたがった。
マシロとカザーブ、黄色狼に双子と弓兵四〇人でキエフ侵攻を開始した。エルトリアからさらに東に森の城塞地方を抜けて黒海に出る。
キエフはエルトリア北東の平原の地だとカザーブは話していた。
森と山々を超えて飛行して進むと夕日が落ちかけた。
「我が君、もう休もうよぉ」
「夜だ。夜に、せめる!」
「強行軍だねぇ」
「マシロ、変につっこまないでよ。そろそろ何か来そう」
突っ込むな? 敵に背を向ける愚か者とは違うのだ。
こちらは前進しなければいつまでも奴隷のままだ。
平原は木の集落がまばらにあった。暗がりでも蛇のようにうねった川が確認できたあたりから、首が長い大きな赤い竜が飛んできた。マシロは太刀を出してサラマンダーで炎の刀にした。
両手で炎刀を構えた。十メートルの赤竜は丸っぽい炎を吐き出す。
マシロは炎を刀で受け止めた。炎が回転する様で熱く感じた。さらに刀が重い。
はやく炎を払わないと!
刀のつばまで豪炎に覆われてマシロは太刀を振り回した。
歯を食いしばり炎の渦に飲まれない様に刀に炎を保持させた。
次の炎が来たら精一杯放って竜の目に二つの火玉がぶつかった。
「行け!」
マシロは白狼を進め、炎太刀を掲げて竜の腹下へ刺し続けた。
太刀の真ん中から下辺りが折れたが竜は小高い丘の下へ落下した。真下にいた巨人の頭に折れた刃が刺さった。
青白狼のカザーブは竜を調伏した。赤竜は二体の巨人を炎と足の爪でねじ伏せた。
キエフ城は木と石でくみ上げた二階建ての建物だ。
街も建物がまばらにあるだけで辺境の都だ。本館は大きくて広そうだが二階に入れば何とかなる。屋上の弓兵は黄色狼で蹴散らし、丘下の兵士は赤竜が睨みを利かせていた。
白狼が中に侵入して、黄色狼と青白狼にローシーの龍馬も先を急いだ。
ホールに来たマシロは、赤ローブに紺の金縁マントを纏った黒顎鬚男を睨みつけた。
白い毛の混ざった長い髭。初老の男は怒鳴る。
「ここをどこだと思っている。この田舎者め」
色とりどりのカーペットをいくつか敷き詰めた大ホールの、客は出口へ逃げ出そうとしたが黄色狼と龍馬に止められた。
「ちょっと、待ってくれないかな」
ハルダーフォルクは剣を抜いた。
オルク皇帝は白狼から降りた青年の金首輪と長い牛の尾に驚愕した。
「エルトリアの奴隷兵士部隊に送った王子? まだ、生きていたのか……」
騎士が駆け寄っても青白狼で駆逐された。
皇帝は肉斬りナイフを向けていた。マシロは太刀をさやから抜いた。
「バカめ。その折れた短い刃で何を斬るのだ?」
サラマンダーを左手で持った奴隷は、折れた刃の先に炎を模った太刀を作り、左肩に火トカゲを乗せて、震えた主人に向けて両手で構えた。
しばらくにらみ合いが続きた。
「巨人に、やられた、分だ」
マシロは皇帝のナイフを振り払って左腕を切り落とした。皇帝が血染めのカーペットに転がっているのを眺めた。叫び声を気のすむまで聞いた後。
「みんなが、やられた、分だ!」
皇帝の首を落とした。
鍵束を持ってきたカザーブはマシロの首輪をはずした。
木の床に落ちた首輪を凝視したマシロは涙があふれ、流れて来た。
「やっと、やっと、解放された……」
マシロは大泣きした。抱きついてきたカザーブとローシーも一緒に泣いてくれた。
涙が枯れたマシロはテーブル上の肉を食べ始めた。カザーブと一緒に鶏肉の丸焼きをむさぼり食べた。ワインも浴びるほど飲み、皇帝の小姓を呼んでしびんを用意させた。
「男の人はいいなあ」
カザーブは恨めしそうに横からのぞいた。
「おまる、あるよ」
放尿中のマシロは後方へ尻尾で差した。
「じゃ、マシロ動かないでよ」
マシロは手を伸ばして果物皿を引っ張ってリンゴにかじりついた。
三個目を食べ終えたときカザーブもリンゴを取って、ブドウにも手を出した。
双子も食事を始め、弓兵たちも夕食を取った。彼女たちはのちに腹を満たした。
「さて、貴公らは先に所有する奴隷を解放してくれないか?」
ローシーは、失禁して震える貴族たちに命じた。
双子は弓兵と手分けして、エルトリア出身の若者奴隷を探した。キエフ公国とクマン国の奴隷を解放するのも忘れなかった。
両国の者たちは若者探しに協力してくれた。
次に双子は弓兵、赤竜、黄色狼を連れて東の領地へ反抗する巨人と貴族を退治したり、各奴隷の解放、若者回収へと急いだ。
マシロとカザーブが二階の寝室で抱き合って眠っている間も続いた。
けだるい朝が来た。
マシロとカザーブはキエフ人の厚意でかまどの熱を使った蒸し風呂に入った。
「熱い……」
頭にサラマンダーを乗せたマシロは陰嚢に目をやった。
「マシロ、どこ触ってるのよ」
「たまたま、伸びた」
「もう……」
カザーブは呆れて苦笑した。ウンディーネで体を冷やしてから放置された皇帝の死体が残る大ホールで二人は肉スープを食べた。
キエフ人の城主が、外に解放された領民が来ているので何とか顔を出してくれないかと頼まれた。
マシロは皇帝の首を左手で持って、丘下の群衆に見せると大歓声が上がった。
「エルトリア王、ありがとうございます」
「白狼王、素敵!」
「白王、愛している!」
「白王! 白王! 白王! 白王!」
マシロは首を置いて手を振った。声援に飽きたらホールへ戻った。
「我が君、あなたの父君の気が感じません。残念ながら」
悲し顔のローシーが告げた。マシロにはよく判らなかった。父の代わりがイッシュだから今更過去の父親の生死だのどうでもよかった。
「集めた馬車に若者たちを乗せました。食料も積んでありますので長旅も大丈夫です。我が君、エルトリアへ帰りましょう」
二〇もの馬車に若者たちと食料を乗せて二人組の弓兵が鹿騎獣の行者となった。
マシロたちも狼に乗り飛んだ。
龍馬の双子が先導して進み、森が多い東エルトリアから集落があるごとに若者たちを帰していった。
マシロとカザーブは近くに降り立つと農村まで狼を歩かせた。茅葺屋根の小さな木造の家々があった。
農奴に息子を送り届けると泣いて礼を言われた。
ローシーは子供が帰ってこなくなった両親と若者を見比べて届ける人間を決めていた。
親が誰だか判らない場合が多いから、ローシー頼みであった。
「マシロ、私あなたのお母様に会って鍵を使いたいんだけど。マシロも会う?」
「会いたくない」
マシロには今更会う気がなかった。
「なら無理に誘わないけど」
昼間になって草地に降りてから、若者たちに野菜スープをマシロが作ることになった。
サラマンダーを鍋の下に置いても彼らに認識されてないのか、急に水が沸騰することでびっくりしていた。
「皿は各自でとってね。軽く食べたら行きましょうか」
ローシーが杓子で若者たちにスープをよそっていた。マシロは彼らを観察すると解放されたばかりで、戸惑っているようだ。はしゃぐ様子がない。
恐れがあるような目つき。
食事が終わり、また農村や領主の城下町、城前の広場に森に囲まれた地要塞都市で親を集めてから、子供を帰していく。マシロたちを迎えた民がひざまずいていたり祈っている人もいた。
「すごい。ハルダーフォルク王たちの行進だ」
「白いおおかみ、かっこいい」
「白い王様。素敵」
「白王様!」
「白王! 白王!」
高層の木造家がひしめく城下町には野次馬も大勢いたが龍馬を先導した狼たちの行進の中、マシロは無言で手を振ったりした。
群衆の中に知った顔があったが声はかけなかった。
「マシロがハクになっちゃったね。ハクオウは格好いい呼び名でいいねぇ」
カザーブが寄り添って茶化した。
「マシロが、いい……」
不平を言うと郊外へ出たので狼たちは飛行した。
昼に西エルトリアの農村を訪れたとき、マシロはクーシーに空腹を伝えた。
「なら、あそこの自由農民の家でとりましょうか」
木造の大きな家で茅葺の屋根だった。
農奴より裕福そうな家で働く人がたくさんいた。
「マシロ王はエンドウ豆スープを所望したいと申しております」
クーシーが農民の主人に伝えると「王様に卑しい豆なぞどうして出せましょうか」と断られた。
「エンドウ豆、食べたい」
マシロはクーシーにせがんだ。
「マシロは奴隷の時に私の元でスープを食べて好物なので問題なく食べると思うのですが」
カザーブの押しに農民はあわててスープ皿によそった。マシロはその場で食べた。豆の素朴な味でマシロは安堵した。
「ありがとう」
マシロは農民に礼を言って皿を返した。農民は両ひざを付いて頭を下げて平伏してしまった。
五〇人のハルダーフォルクは養蜂地の東エルトリアへ帰った。彼女らの産んだ子供は探すのが不可能なほど遠い所へ売られていった。
エルトリア城を臨むエステルゴム町の中央広場に待つ親元に若者たちを届けた。市民たちの歓声を受けて行進を町中で披露した。
市民の喜ぶ顔が心地いいと改めて感じたマシロだった。
エステルゴム大聖堂へ進んで、中に集まる領主たちの子供を渡し終えた。
領主たちはマシロに向けてひざまずいた。
「これで子持ちの彼らの信頼を得られたでしょう。私は我が君の侵攻案に不安を感じていましたが、結果良ければいい幕引きでした」
クーシーはマシロに笑顔を見せた。
「でも、みんな、集めたの、守り人……」
「何謙遜しているのですか。外でて空見てくださいよ」
ローシーに右腕を掴まれ、外へ出て上空を仰ぐと赤竜が舞っている。
「敵の守護聖獣を懲らしめたんだからマシロが強いってことだよ。まぁ、私の調伏あってのことだけど」
右隣のカザーブは得意顔でいた。入り口前の庭の木々は紅葉が進んでいた。
「カザーブ、ついてきて、くれるから、戦えた」
マシロはカザーブの右肩に手をまわして軽く抱きしめた。
「また妬けるねェ。今から夫婦生活でも始めるのかい?」
ローシーがからかい、クーシーが笑った。マシロもつられて笑い出した。腹に刃を残した赤竜の旋回を眺めて高揚感に浸っていた。
町中に迎えた人々の顔を思い浮かべてガスタニア陥落に感悦していた。
カザーブはクーシーと共に森に入った。
待ち合わせた青ローブのアメンがやって来た。
カザーブは茶色の長い髪の元王妃の首輪を外した。カギと首輪は本館へ投げ捨てた。
「あの子は充分に戦ってくれたのですね」
アメンが優しく微笑んだ。
「マシロはキエフ人の英雄でもあります。奴隷帝国を終わらせたのですから」
双子の話ではガスタニア人は東へ敗走しているという。どこかで集落を作るのだろうか。そしてどこかの国でも攻めるのだろうか。
「私はあの子の心が落ち着いてきた頃に会おうと思います。一〇年、一〇〇年でも待ちます」
「一〇〇年かぁ。エルトリアはどうなっていくのだろう……」
五年以内ならカザーブはマシロと結婚して子供でも生まれている頃だろうか。
ローシーの子供なら先に生まれるはず。城は手狭になりそうだ。どこかに移って大城を建築しようか。
その前にマシロが本を読めるようにラテン語を教えこもうかと、カザーブはアメンと別れて思案し続けた。
東の果ての大国・南宋にエルトリアの使者が訪れた。
赤い柱が並ぶ大宮殿の間に親書を携えていた。
真っ白な心の君がエルトリア王国初の、ハルダーフォルク男子として即位致しました。
貴国から賜った異国の刀剣で王国奪取の他にガスタニア人に奪われていた若人たちを
取り戻せました。再び貴国と交易を始めたいと願う次第です。
皇帝に親書が渡り後に使者の元に返書が届けられた。
貴国の奇貨にはまことに驚くばかりです。
今後とも互いの発展を望み増して使者殿に龍馬二〇頭と白王には宋時代から伝わる名刀を授けます。
後編に続く