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閑話 エピソード:アン・アルジェント





 少女は奴隷に落とされた。

 最後に見たのは、父親の首が飛ばされる光景。幼く世間知らずな者でも、これが普通ではないと理解するだろう。

 冷たい鉄格子の中に閉じ込められて一週間が経った頃には、このままここで人生を終えるのだと思った。


 しかし、一月も経たない内に、少女は二大貴族のロバートに買われた。


 何もできない少女に課された主な仕事は、ロバートの身辺警護。

 それと合わせて「シルク」という戦闘奴隷と共に行動をさせられるようになった。


「ったく……なんもできねぇんだな、くそ女」


「……だって、なにも……教わってない、から」


「なら、学べ。死にたくないならな」


 殺す技術、身を隠す技術、生きる上で必要な情報を粗方叩き込まれていった。

 つい昨日まで人を殺める術を知らず、鋭利な刃物も持ったことのない少女が人を殺すなどできる訳がない。

 案の定、課せられた任務を尽く失敗してしまっていた。

 その度に、先輩の奴隷から覚えの悪い女だと殴り蹴りの暴行。


 とはいえ、この仕事は少女が行えれないものだとロバートは分かっていた。分かっていて任せていた。

 少女が犯した失敗を優しく受け止め、道化師のように紳士の仮面を被って接するために。


 ――少女を買った目的の一つは、夜伽をすること。


 少女の失敗を認め、慰めている時にそっと夜伽を迫る二大貴族が一人。

 拒むことはないだろう。なんて完璧な計画だ。


 しかし、少女は迫ってきたロバートの体を拒むように飛ばした。


下手(したて)に出ていたら……ッ! 私と行為に及ぶことが、光栄だと思えないのか……!!」


 激昂したロバートに地下室へと閉じ込められ、何度も鋭利な武器や体を蝕む薬品で体を壊される。


 その度に自身の異常なまでの自己修復力で元に戻り、また壊される。


 少女の中で死にたくても死ねない長く辛い時間が流れる。


 その間も何度か夜伽の誘いがあった。けれども、少女は首を縦に振ることは無かった。


 だって、そういう行為は、好きな人とすることだって母から聞いていたもの。

 これさえ守れなかったら……母たちとの繋がりは無くなってしまうじゃないか。


 一方、ロバート公爵ほどの権力者であるなら、体の自由が効かない少女に対して強引に行為に及ぼうとすることもできた。奴隷を買ったその日にでも少女の体を傷物にすることもできたはずだ。


 理由は、なんとも下衆めいたもの――少女が自らの意思で懇願してくるのを待っていたから。


 女がやる気でないと行為中に楽しめないじゃないか、と。


 強引に行為に及ぶのは、適当な女でできる。『転生者』の子という希少な奴隷なら、楽しんだ方が良いに決まっている。

 普通なら、耐えられるような苦痛ではない。すぐに少女の方から体を差し出してくると思っていた。

 今までの者がそうであったように。すぐに音を上げるさ。

 

 結果は分かりきったこと。

 少女は、最後の日まで拒み続けたのだ。









 気が遠くなるほどの時間が経つと、突然、地下室から出ろとの命令が下された。


 館の入口で少女を待っていたのは、黒い服を着ていた奴隷商人。


 少女が再び奴隷となる際に、ロバート公が奴隷商人と話をしていた。


「戦闘奴隷として闘技場へ参加させろ」

「しかし、貴族には買わないように通告を送れ」

「勝ったらすぐに上位部門へとあげろ」


 それらをロバートと奴隷商人は約束し、闘技場へと通達した。

  

 闘技場での暮らしは、買われていた時の暮らしよりは酷くなかった。

 自分を傷つける者は、闘技場の参加者達のみ。飯は相変わらず“雨降る土の上に零した茶わん一杯分のご飯のようなモノ”しか出てこなかったが、それでも食べないよりは良い。


 そして、なにより自分の体に起こっていた異変。


 ――体が、頑丈になってる。


 彼女の体は、貴族の館での日々で多くの耐性を獲得していた。それらが少女の生命線となっていたのだ。

 並外れた耐性を盾にして順当に戦闘能力を高めていき、10連勝をする頃には食事も残飯のようなモノに変わって空腹であることはなくなった。


 気が付くと【最強の少女】と呼ばれるようになり、掛け金も数千万、億、十億へと跳ね上がる。


 しかし、いつまで経っても少女の事を買おうとする者はでてこない。

 いや、出てくるわけが無かった。その理由は既に聞こえてきていた。


 分血の暗黒森人(ダークハーフエルフ)の長耳は、音がよく聞こえてくる。

 例えば、奴隷オークションでの貴族の会話が聞こえていたら、どうだろうか。

 二大貴族が小声で傍らの奴隷と話す内容が全部聞こえていたら、どうだろうか。

 檻の中からコソコソと遠くで牢番が話す声が聞こえていたら、どうだろうか。


 ――アイツ、30連勝したら廃棄されるんだろ。

 ――連勝記録更新か、頑張ってるじゃないか。……どのみち、死ぬというのに。

 ――あと、10勝か。奴隷のことだが、こればかりは気の毒に思うね。


(これほどまでに馬鹿馬鹿しい人生はない……)

 

 少女は吐くように小さく笑う。


 意味もない、戦闘技術が高まるだけの膨大な時間が流れていく。


 死ねば解放されるのではないか、と思って振り下ろされる武器に無抵抗で立ち尽くしたこともあった。


 弱い弱い少し痛い弱い弱い――……。

 全くもって、頼りにならい一撃ばかりだった。


 そうとも。

 あぁ、そうだともさ。

 どれも傷にもならなかった。


 傷になったとしても、父親譲りの『自動修復者(リジェネーター)』が回復をしてしまっていただろう。

 そして、新たな耐性として獲得をして、一層死なない体に出来上がっていくのだ。


 そんな攻撃よりも、周りの大して成果を上げていない奴隷たちがオークションで買われて行く姿の方が少女に傷をつけたかもしれない。

 半狂乱の少女も、腕がもげていた男の子も、肉欲に溺れていた梅毒の女も、みんな買われていく。


 なのに、自分は買われることがない。


 中にはさらにボロボロになって帰ってきた奴隷もいたが、役目を果たせない者はそうなると少女は知っていた。


 ――あぁ、このまま30連勝をしたら、死ぬのか。


 これまでの人生、これから先の人生。

 それらを考えると、少女の瞳から小さな希望の光さえ残らず儚く消えていった。





 


 気が付けば、闘技場の30回目の出場。

 襲い掛かってくる闘技場の参加者たちを無力化し、勝利を収める。なんてことない、ただの一日。

 もはや、アレに参加する者達では自分の体を傷つける程の手合いはいない。そう思っていた。

 自分が殺される日、これを除けばただの日常と変わりない。


「俺が興味があるのは、そこのお嬢ちゃん」


 と言ったのは、赤茶の髪色をしている大きな大剣を持っている大きな男。

 少女の周りにいた参加者を代わりに蹴散らし、一対一の状況を作り出すような変人だった。


 ――今までの参加者とは違う。強い、けど、不思議。


 闘技場参加者のほとんどは一攫千金を狙った手練れだというのに、男は少女と戦うために上位部門へと参加したのだという。

 理解できなかった。死ぬ可能性があるというのに、そこまでして戦いたい理由はなんだと。


 試合が進むと、この男は手を抜いている気がした。決して言葉や表情には出していなかったが、おそらくは。

 では言っていたことと矛盾が生じるではないか。戦いたいと言っていたのに、全力を出さずに敗北をしようとする。


(意図はなんだ。この男は、何者……?)


 少女は決してそれらの疑問を口や表情には出さずに、戦闘不能に陥った男をズルズルと場外へと引きずっていた。


「ちょっと耳かせ」


 なんと器用な男か、戦闘不能のふりもできるのか。

 意図を勘繰りながらも男の言う通りに耳を貸すと、一言。


 ――お前、今日、買われるから安心しろよ。


 その後に言われた方を見てみると、白髪で眼帯の只人(ヒューマン)の少年。

 全てを見透かしたような、少女の不安を全て払うような言葉。だが、一概には信じられない言葉でもあった。

 

 そうして上位部門が終了し、少女は30連勝をした。



 さぁやってきた。

 審判の時間だ。



 目の前の座席に座っているのは、かつて少女に拷問紛いなことをした貴族。

 ちくたく、と時間が進んでいく。進みはするが、自身の掛け金は全く動かない。


「やっぱり……今回も……」


 と唇を噛み締めた。


 男が言った言葉に、もしかして、と思ってしまっていた。

 それが、期待から絶望への落差となって少女を苦しめる。


 ほどなくオークション締め切りの音が鳴る。ビーッ、と警告音のような音が。

 少女の目に差し込んでいた微かな光は、またしても無くなろうとしていた。


 ちくたく、ちくたく、ちくたく――……。


 ざわっ。


 貴族たちが声を漏らす。それが広がっていき、喧噪にも似た騒ぎになる。

 少女は状況が呑み込めなかった。何が起こっているのだろうか、と。

 ふいと目線をさらに上げてみると――401万ウォルの文字。


「……買わ、れた……?」


 貴族達は誰だ誰だと裏切り者探し。おそらくあの中にはいないだろう。

 それなら、と。後ろの一般客の座席は振り向くことはできないが、耳を澄ましてみる。


 ――これで落札できたんですか?


 少年の声。

 彼だ、彼が少女を買ったのだ。

 男の言っていた通りになった。


「…………」

 

 表情が少し緩んだ。しかし、すぐにそれは無に戻っていく。

 過去に貴族が自身の体にしたことを思い出してしまった。


 奴隷の責務を果たさなければ、また、私は……。


 次はない、絶対。今回買った少年に手放されれば、次こそは殺される。

 

 






 少年との暮らしが始まった。

 この少年、今まであった者のどれにも当てはまらない。


 奴隷に優しく、料理を振る舞い、寝床を与える。その都度気にかけ、まるで対等な人間のように扱う。

 広場で主人よりも小さな少年達と玉を追いかけている姿を見て、歯を食いしばった。


 自分の課せられた責務はなんだ、と。

 あの少年は何をしたら喜んでくれるのだろうか、どうすれば自分を近くに置いていてくれるのだろうか。


 悩めど悩めど分からず、一日目の昼食時間になった。

 食べてほしい、と言われてクッキーなる円形のモノをぱくり。


 サクッ。

 ふわっ。

 なんだ、この、おいしい食べ物は! 

 ほのかに甘く、心地よい音が響き、思わずパクパクと口に運んでしまう。

 

「ね、アンって名前はどうかな」


 クッキーを平らげている時にされた提案。

 名前の提案などされたこともなく、当然のように困惑してしまった。

 だが、受けた名前を否定するわけもなく。『アン』という二文字が自分の名前となった。

 

 そこから、様々なことがあった。

 お出かけ、料理、買い物、勉強会なるものに参加、薬草集め。

 風呂場から出ると、長く邪魔な髪の毛を丁寧に、丁寧に、慣れた手つきで髪の毛の手入れをしてくれるようにもなった。


 これら全てに関しては嫌な気持ちはしなかった。


 むしろ楽しく思えたし、奴隷ではなく人間として自分が在れる気さえした。


 だが、どうしてか――否、()()()か。


 心の中の罪悪感のような黒くモヤモヤしたものが、顔を覗かし、喜んでいる心を黒く染めていく。黒き底に落ちていくように息苦しくなっていく。

 自分がするべきことを探し始める。求める。

 楽しく思える日々であるからこそ、失いたくない。

 自分が何をするのか、何をしたらいいのかを教えてほしかった。

 

 そこに飛び込んできた。ゴブリンキングを倒すという冒険者依頼(クエスト)

 これだ。これで、自分の実力を示すことができたなら――……











「すこし、待っててね……早く倒すから……!」


 少女に突き付けられたのは、戦闘不能、魔素切れ(マナロスト)――無力であるという事実。

 最強の少女と持ち上げられ、慢心をしていたのか。この程度の相手なら倒せると勘違いをしていたのか。


 少女を守るために置かれた一枚の土の壁が、少女の心を一層黒く染め上げていく。


 耐性を突き抜けての痛みなど久しく感じていなかった。痛みは、これほどまでに体を強張らせるものだったのか。

 だが、少女の怪我よりも主人の怪我の方が大きく酷い。そんな状況で主人が護るように戦っている。


 ――だめだ、もう、捨てられてしまう。


 少女は何度も謝罪の言葉を並べた。

 あんな思いはもう二度としたくなかった。

 捨ててほしくなかった。

 

「――僕はアンのこと家族だと思ってるよ?」 


 その言葉は、救済だった。

 その言葉は、暗く深い二度と光が拝めない場所にいた少女の元へと直線状に伸びてきた光だった。

 少年は言った。僕がアンの居場所になるよ、と。

 今まで少女の居場所は奪われてきた。その居場所になってくれると言ってくれた。

 目に光が宿る。初めて、義務や責務ではなく、自ら進んでこの人の為に生きようと思えた。


「――よぉ、久しぶりだなぁ? くそ女」


 あぁ、また、居場所を奪おうとする者が現れた。

 かつて同じ仕事を任されていた戦闘奴隷の姿がそこにはあった。

 体が震える。過去のことが強引に思い返される。

 

 少女は走った。

 仲間を呼んだ。

 そして、初めて、自分の居場所を守ることができた。


 傍から見ると少女の圧勝で終わった戦い。

 しかし、そこには主人が蓄積させていた疲労、肉体的な損傷が確かにあった。


 かつての同僚は強かった、一等級戦闘奴隷同士で戦えば技量の差で軍配が上がるのはあちらの方だ。

 アン一人でも、クラディス一人でも勝てなかった。


 いうなれば、二人の勝利、であった。

 

 



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