154 戦闘奴隷のとしての責務
一月前にクラディスとケトスが戦ったゴブリンの群れと同数程度の大きさ――しかし、その群れと圧倒的な違いがあった。
それは『敵の親玉が二体』、それも『魔法耐性』を持っているということだ。
ゴブリンキングに対してだけ、攻撃手段が物理のみに絞られてしまう。魔法耐性を凌ぐ威力と量の魔法攻撃をするのも一つの手ではあるが……それではいつ終わるか分からない。
そして、物理攻撃が満足に行うことができるのはパーティーメンバー内で、アンただ一人だった。
呼吸を整えながら拳殻の状態で拳を握り、巨木と巨木の間に群れを構えているゴブリンキング二体とその群れに歩み寄っていく。それについていくようにケトスも足を運んでいった。
ケトスが持っている斧には大きなヒビが何本か走り、数度の攻撃で壊れるのは容易に想像が付く。
「行ってきます、あるじ」
「じゃ、行ってくるよ」
返答を待たずに魔素を勢いよく放出した二人は『身体強化』を使って、何十メートルとある距離を詰めた。
一秒すらかからない接近にゴブリンキングは持っていた武器を構え、もう一体は周りのゴブリン達に何かを呼び掛けている様子を見せる。
キングとの間に強引に詰めてきたゴブリンを薙ぎ払い、アンは無防備に立っていたゴブリンキングの顔面へ、かつて上位冒険者を戦闘不能に追い込んだ技を繰り出そうとした。
「――『無慈悲ナ一撃』!!!」
『ヴォォォオオオオオオオオオ!!!!』
鋭利な刃物の様な少女の体の目の前に一瞬で横展開されたのは、十に満たない黒色の魔法陣。
その歪な形の魔法陣から斉射された水の槍は空中にいる小さな体を襲った。
「っ効かないんだよ、そんなの!!! だから、はやく死ねッ!!!!」
普段の様子から一変し、魔法攻撃をもろともせずに力技で押し込もうとしている少女に、キングは不敵な笑みで返す。
大きな体に届こうとした拳は、周りにいたキングにも匹敵する体躯のホブの持っている武器で防がれ、その渾身の一撃を止めた武器は、鈍く、低い金属音が響いたと思うと粉々に粉砕された。
それを視認し、連撃を繰り出そうとした少女に襲い掛かってきたのは槍、棍棒、斧、大槌、大剣……周りのゴブリン達。
キングだけを狙おうと切り込んだその場所は言わずもがな、敵の主戦力が集う場所。全方位から攻撃が浴びせられるホットスポットだった。
通常なら敵のボスを狙う前に、比較的防御の薄い場所を狙い、的確に戦力を削ぐことを意識した方がいい。それは、アンも分かっていた。
だが、アンは引こうとしなかった。
少女は怒りと焦りの表情に、不器用な笑みを足した。
「邪魔なんだよ……!!」
その少女を視界に捉えながら、ケトスは自分の斧を使わずに倒したゴブリンやホブの武器を拾いながら攻撃を繰り返していた。
多くの冒険者を屠ってきたのか、それとも武器を製造する知恵があるのか、その両方だろうか。
ほとんどのゴブリンが棍棒のような武器ではなく、刃先がついた武器を所有している。ギルドがクエストの難易度を引き上げる必要がある危険な群れであることには間違いない。
しかし、ケトスのような荒々しく武器を扱い、頻繁に武器を変える者にとっては暴れ放題の環境だ。
――ほとんど全ての武器が使えるケトスにとって、持っている武器が壊れかけていようと問題ない。武器が使えないという状況は、この少年にとって有利不利を左右する要因にならない。
彼が戦闘の前に言った「僕の今回の武器は壊れかけの斧だけだからサポート」というのは、クラディスを前線に出さないのと、少女が思う存分暴れやすい環境を作るための嘘だった。
それを理由にゴブリンキングへの攻撃はせず、クラディスから少女のことが見えやすいように立ちまわっていた。
◇◇◇
10分もかからないうちにゴブリンの数を三分の二まで数を減らし、二体のゴブリンキングにも着実にダメージを蓄積して行っている。
アンは初めてのクエストとは思えない暴れ具合で、ケトスは相変わらずの殲滅能力を見せ付けた。
ケトスは襲い掛かってきたゴブリンの口内に刃先が折れた剣を捻じ込み、頭部を熟したトマトのように潰すと、その死体を迫ってくるゴブリンに蹴り当て、汗をかいている少女の元へと歩いて行った。
「はぁ~……疲れた。アンさん、噂通り中々強いね」
「……わたしは戦闘奴隷だから」
アンはケトスの何気ない言葉に無表情のまま返した。
ケトスはそれに少し呆れた表情をした。
「そうだから、そんなに思い詰めてるんじゃないの?」
「──! お前……っ」
振り返り、魔物へと向けるような尖った眼をケトスを向けた。
「ははは、やっぱりね」
「くっ……」
口元を歪め、嘲笑うような顔をした白髪の少年。
考えていたことが見抜かれていたような気がして、一瞬だが魔物から意識がそれた。
「――ほら、避けないと。そこ、来るよ?」
迫ってきていた背後の大きな影に気付いたアンは、咄嗟に体を翻して振り下ろされた大斧を避けた。
その衝撃がゴブリンや二人を巻き込んで吹き飛ばす。
『グギャグギャァァァッ!!』
魔法を使う個体と大斧を使う個体。
前に二人と対峙した臆病なゴブリンキングより明らかに厄介であり、率いている群れの使い方も上手い。
エゴイストな統率力を見せ、自分たちの隙を埋めるためにゴブリンとホブを捨て駒のように補い、『群れは自分たちさえいれば、再び蘇らせることができる』と言わんばかりの圧倒的な存在感を見せつける。
それ程の統率力がある二体のボスと付き従う戦力があったとしても、本来の力を発揮するアンがいるのなら、既に魔物との戦いは片が付いていた。だが、今現在の戦いを見ているとほぼ互角――いや、ゴブリン側が優勢であると感じさせられる。
無慈悲ナ一撃――カディッツォロという『ユニークスキル』は連発できるスキルではない。
体のエネルギ―を全て拳に乗せて放つ『最大』にして、現段階での『最高火力』が放てるスキルだ。それを既に4発と撃ち込んでいる少女の体の精神疲労と肉体疲労は、とうの昔に限界を超えていた。
それに加え、ケトスの言葉を聞いた後から表情は一層険しくなっていっていき、冷静な判断が損なわれているように思える。
離れた場所で援護に徹しているクラディスはその表情を見て、ずっと解決していなかった疑問が解決したような気がした。
クラディスは、今までどうすれば少女の心は動くのか、楽しんでもらえるのかと考えていた。
しかし、『体験を頭や体で認識する部分』と『体験や言動が感情に影響を与える部分』の間に何かが存在していて、『楽しむ』という感情を羽交い絞めにし、動かそうとしていなかったことに気付いた。
「だから……あの目をしてたんだね」
クラディスは小さく呟いた。
それはクラディスの問題ではなく、戦闘奴隷であった少女側の問題であった。
その問題を真に解決するためには、少女の意識が変わらなくてはならない。
――少女の枷になっていたのは『戦闘奴隷としての責務』。
戦闘奴隷としてではなく、生きる上で楽しいことを見つけてほしいと願う主人。
戦闘奴隷としての自分にしか価値がないと思い込み、それを認めてもらいたい少女。
その間には当然のように溝ができ、思い違いが生じていた。
ただ、何故彼女がそれを重々しく捉えて感情を抑制しているのか、主人からの思いを量ろうとせず、日を重ねるごとに縋る気持ちが膨らんでいっているのかは、少年が今持っているモノでは理解することは到底できない。
それほどまでに、彼女が抱える過去は深く、重い。
「やっと……倒した……!! あとは一体だけ……!!!」
主人に見せつけるように拳殻という最弱の武器でホブを屠り、武器を持っていなかったキングの胴体に風穴を開けた。
息が上がっている少女の服には返り血が付着し、綺麗だった白い服は真っ赤に染め上がっている。
壊れて機能しなくなった拳殻の装備を解除し、迫ってきたホブの顔面を踏み台にし、斧を持っているゴブリンキングの上へと跳躍した。
空中で身軽に体勢を変え、キングに対して、重力と、自重と、最大出力の魔素を乗せた懇親の一撃を叩き込もうと右手を引いた。
その時、クラディスは少女の斜め下にある死体の山の中から黒く膨大な魔素を感知した。
「アン、魔法だ!! 避けろ!!!」
その積み重なった死体からはみ出る程大きく展開された黒色の魔法陣は落下しているアンの体を捉えて離さない。
クラディスは魔法で相殺を試みるが、不気味な魔法陣の展開速度と魔素の膨張具合を見ると、阻止できないのは明らかだった。
アンの体に真っ直ぐと向けられた魔法陣から、黒く不気味な魔法が放たれるのを目で捉えた。
視認できるレベルで膨らんだ魔法陣にようやく気づき、体勢を変えようと意識をシフトさせたが、全神経を集中させた一撃が仇となり反応に遅れてしまった――




