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暗闘  作者: 伊藤むねお
32/52

バード尾行をまく

(村木さん。やつは駅に向かってます。尾行を気づいたのかもしれません、歩き方が微妙に変わりました。夜ですけど振り向かれたらやばいです)

(油断のならないやつだ)

(辰巳さん、少し堂々としすぎたかもしれませんね。少し下がりますよ)

(やむを得んな。少し距離を取ってくれ)

(了解。警視の指示は尾行がばれたと判断したら確保しろということでしたが。でもヤサを突き止めたいですよね)

(うむ。本当に気づかれてるかどうかだな)

(迷うところです)

(よし。距離を置いてそのまま尾行を継続。会田、タクシーを一台押さえておけ)

 みずほ駅前に陣取って、夫婦者を装って鴨原のあとをつけていた刑事から連絡を受けた村木は、額にしわを寄せながらも素早く指示をだした。

 会田はタクシー乗り場に行くと客待ち列の最後尾にいたタクシーに近づき、さりげなく身分証を見せて列から離し、自分は助手席に乗り込んだ。

(やつはまもなく駅前に姿を現します。そちらから見てロータリーの右角にあるコンビニのところから出ます)

(OK。タクシーは一台押さえてある。待ち列から離れたところで、会田が助手席に乗っている・・・来た)

 駅にもどり広場の灯りの中をもどってくる鴨原は、村木がみるところ尾行に気がついているというようには見えなかった。村木は呻った。

 ――尾行に気がついていてあの調子なら相当なタマだ。

 鴨原はタクシーに乗るかと少し迷ったそぶりを示して村木を緊張させたが、やはり電車にするかというように一転して駅への階段をのぼり始めた。

(電車だ。淵上、そちらに行くぞ。いいな。会田は念のためタクシーの中でそのまま待機。おれは後ろから行く)

(了解)

(了解しました)

 鴨原はカードで改札口をくぐった。内側にいた刑事はさりげなく歩き出し外にいた刑事たちも三々五々と改札をくぐった。

 時刻は午後八時を少し回ったところである。昼が短い季節とあって、早々とできあがって赤い顔をしたサラリーマンたちが帰宅の途次につく頃だった。

 電車は尾行をまくためには絶好の道具だった。素人または並みの刑事なら、扉の開閉のタイミングを利用していかようにでもまかれてしまう。

(下りホームです)

(池袋にはもどらないということだな。用心しているのだろう)

 停車した電車の扉の前に立った鴨原は他の乗客が乗り込んでも、その場を動かなかった。ちょっと腕時計を見た。これに乗ってしまうと約束の時刻には早すぎるか、とでもいうように。

(こいつは掛け値なしのプロだ。負けるなよ)

 鴨原から少し離れた位置にさりげなく立つ刑事たちは、村木にいわれるまでもなく気合いが入っていた。近づいて横目で鴨原を見守っては尾行がばれる。そのため、乗車するか見送るかの指示は村木ひとりが行うことになっていた。村木は襟元のマイクを口に当て緊張して鴨原を見守った。

(まだだ)

 ベルがなって扉がしまる寸前に、鴨原が一歩前に出た。

(用意)

 村木の指示を受けた刑事たちは心得ていた。乗るとみせかけて乗らないというのは常套的なフェイントだった。GOのタイミングが来るのに備えつつ、扉が閉まりかける寸前でも飛び込めるようにゆっくりと扉のそばまで行き、車中に手などを振ってみせて先に行く知人を見送る様を装った。

(俺はこのあとの森林公園行きに乗るからな、またあした)

 よその人間にはそういう風にしか見えないだろう。

 別の刑事はまたすでに乗り込んでおり、いつでも出られるように身構えている。

(待て)

 きわどいところで鴨原は乗るのをやめ、扉は閉まった。見通しのいい直線ホームに鴨原はぽつりと端から離れて立っている。乗り込んでいた刑事たちはそのまま行ってしまった。慌てて降りれば露見するからで彼らは次ぎの駅でおりて連絡を待つことになっている。

(やつはまだ確信まではいってない)

 村木が小声でつげた。


 鴨原は尾行が八分どおりあるとみて一度乗って閉まる寸前で下り、すかさずまた滑り込むというフェイクで振り切ろうと考えていた。だが、最後に乗るのをやめたのは最後尾に車掌がふたりいるのを見たからである。

 ひとりは電車の中から顔だけを出して、型どおりに前方を見ていた。これは本物の車掌だろう。だが、ドアに手を掛けて片足だけを乗せているもうひとりの車掌の姿が気になった。白い腕章がみえるから指導員のようである。

(まてよ)

 鴨原ははっと気がついた。扉の開閉を利用するフェイクにひっかからないで済むところがあった。それは車掌室と運転室である。そこの扉のみは自動開閉ではない。

 実はそれこそが村木たちのとっておきの手であった。鉄道会社に事情を話し帽子と制服を借用して車掌を装わせたのである。

(もし、やつがデカだったら・・・いや、この際そう思った方がいい。サツがここまでやるのなら電車で巻けると思うのは危険だ。ようし・・・やってやる)

 鴨原の体にアドレナリンが満ちた。

 次の電車は通過電車だった。おさがりくださいというアナウンスが繰り返された。

「あっ」

 村木が思わず声をあげた。電車が速度を緩めることなく通過する寸前、鴨原が身を投げ出すように線路に飛び降りた。電車は大きな警笛をならしそのまま通り過ぎていった。十二両の列車が消えたその跡に鴨原の姿はなかった。

 暗い土手をのぼって低い金網を乗りこえれば、そこはもう人の混み合う駅前マーケット街だった。刑事達は急いで階段をのぼり、改札をくぐって西口に出たが、それらしい姿はもうどこにもみることはできなかった。

(警視、やられました。申し訳ありません。やつは尾行を悟ったようです。駅で急行電車が通過するぎりぎりのところで線路を抜けて逃げてしまいました。敵ながらドエライことをやるやつです)

 受話器を置いた佐野は唇を噛んだ。



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