ライブラリアン
榎本の目に浮かぶ焦りの色が次第に濃くなってきた。道々抱いてきた不安は的中しており、始めの三時間ほどで彼はシステムが容易ならぬ事態に陥っていることを知った。
部分的にはいくつか改竄箇所が発見できたが全体像がつかめない。地雷らしいものもみつかったが、それでザッツオールという保証はない。それどころか他の地雷とリンクされている恐れもある。
榎本はこれまで何度も振り払ってきた考えをついに受け入れざるを得なかった。
――青虫たりとも中の誰かが手を貸さねば絶対にここまではできない。誰かとは先ずは堺か柴田かのどちらか、または両方だ。それと論理的にはまだいる・・・石井さん? 小野田さん? 森? 今枝? 菊地女史? まさか・・・おいおい頼むよ。仲間の中に裏切り者がいるなんて俺にはとても耐えられない。
一方アシストする石井、小野田、森も同じ思いでいた。ただ榎本とちがうのは彼ら彼女らは疑われる立場にあり、その立場を知っていることだった。次第に交わす口数が少なくなっていくのも仕方のない。疲労をその理由にするほかはなかった。
今回のプロジェクトのように百人近いプログラマーが同時に作業する場合には、お互いの行き違いを防ぐためと、セキュリティ確保のために本番プログラムへのアクセスは少数の別メンバーが行うのが常道だった。喩えて言えば国会図書館の貸し出しシステムのそれである。書架からの書籍の出し入れとチェックはすべて館員が行い、閲覧者は書架には入れない。
システム開発にも即ちライブラリアンが存在する。スケジュール表と請け出し申請書に従い、要求されたプログラムをライブラリアンがコピーして渡す。申請者が作業を終了し報告書が提出されれば、ライブラリアンは規定の品質基準にのっとった検証を行ない、さらにシステムとの整合を確認した上で本番のそれと差し替える。そのための特殊なパスワードはライブラリアンだけが知るのである。
ただしテミスはライブラリアンが直接作成した。設計責任者は鬼才と呼ばれる榎本浩介で、榎本が認める堺、柴田がそれをアシストした。榎本は若いふたりの切れと馬力を買った。
開発の全盛時にはライブラリアンだけでも十五名おり各自は厳重にセキュリティ管理されている別室で作業をした。しかし所定の開発が完了し、リリースを間近に控えた現在はライブラリアンはもう堺と柴田の両名だけだった。
ライブラリアンが抜ける都度、関連するすべてのパスワードを変更するのが決まりなので、堺、柴田も記憶に苦労が要るのだが、安易に私用の手帳に書き込むなどはプロとして許されない。従ってハッカーはふたりの頭の中にあるキーがなければ絶対に本番システムにアクセスはできなかったはずだった。
ただしそれを記載した資料はある。当然のことながら、それらは最高の機密情報としてライブラリー室内の金庫に厳重に格納されており室外への持ち出しなどは厳禁である。そこに入って金庫を開け、その資料を閲覧しうるものは、柴田、堺の他には、大山、石井、小野田を含む六名だけだった。




