見張り
遠山は伊能を説いた。
「ふたりだけ認めてくれ。県警本部長とわたしのボスの警察庁長官にだけは話しさせて欲しい。明日にでも捜査打ち切りの最終命令が出そうなんだ。そうなると折角の宝のような君の情報を役に立てることが出来ない。そのふたりは、わたし同様に信頼のおける人だから。もちろん君の名前までは言わない。どうだろう」
伊能の眉の辺りに複雑な動きが現れたように見えたが、それも一瞬だった。すぐに、「いいですよ」と、そっけないほどあっさり承諾してくれた。
車は意外なことに盗難車ではなく所有者が直ちに判明した。
その持ち主がやはり目を付けていた矢木沢と噂があった暴力団の幹部だと知ったとき、遠山は勝利を確信した。
受験勉強の最中にすまないことだとは思いつつも遠山は伊能に協力を依頼した。伊能は張り込みに少し興味を持ったようだった。ジャケットを着て髪型を変え太縁の眼鏡をかけると、高校生には見えないそのなりで、一刀会という暴力団の事務所の張り込みにつきあってくれた。
遠山は長官と打ち合わせをする為に上京するという名目で捜査本部を抜け、一刀会事務所と道路を隔てた斜め向かいの不動産会社の二階を借りて伊能と共に事務所の出入りを見張った。
二日目の夕方だった。伊能は、「今の、あのふたりづれです。あの体つきと動作が記憶と一致します」と言った。
伊能の目撃情報をそのまま使うのは約束上できない。しかし彼らには叩けば出る埃がゴマンとあった。別件で呼び出して厳しく追求すると結局すべてを白状した。
彼らは運転手も含め、伊能に目撃されたことには全く気がついていなかった。そもそも用心をしていなかった。距離があったし、どうせ死体が発見されるのはどんなに早くても数ヶ月から数年先になるはずだったからである。
ところが、市内のデパートのアドバルーンのロープが切れ、風に流されて飛んでそこの山林に落下するという、死者と警察にとっては僥倖ともいえる出来事があって発見された。追いかけたデパートの職員が灌木の茂みを掻き分けてそこに入り、しぼみかけたバルーンの傍にぶら下がっていた大きな蓑虫のような死体を発見したのである。
自ら取り調べを行った遠山が内部から密告者が出たと思わせるように尋問を進めると、彼らはすぐに観念して自白した。当日の服装までも克明に言い当てられた彼らにしてみれば、内通者が出たことを疑うことはできなかったのである。
ふたりの殺害犯を逮捕できたことで、遠山は矢木沢を任意出頭で呼んで事件への関与を苛烈なまでに攻めたが矢木沢は頑として関与を否定し続けた。しかしメディアは大物政治家亀山とその辣腕秘書矢木沢の暴力団との親密ぶりを写真入りで報じ、真の指唆者が誰であるかを仄めかした。
亀山と矢木沢は当初は警察及びメディアを名誉毀損で告訴すると息巻いたが、後援会が背を向けたために告訴は断念、亀山は晩節を汚した政治家として引退を余儀なくされ、矢木沢の政界への野望も絶たれた。県民、国民はおおむね満足をして警察の粘り強い健闘を称えたのだった。
遠山は約束を守り、伊能の名前は誰にも漏らさず再び連絡をとることもしなかった。そして、年のあけた三月、スポーツ新聞の報道で、少年が東京工業大学に合格したことを知った。伊能に会いたいと思ったことは何度かあった。ろくに礼さえ述べていなかったのである。
なぜ内緒にして欲しいのかは問うまでもなかった。伊能は騒がれることを嫌ったのである。スポーツ芸能紙などはいうに及ばず、詳細(視力、判別力など)を知れば医学者や科学者も真剣な関心を持っただろう。そのあげく起きるであろう騒動は想像するに余りあった。
また、伊能はどうしてあの時刻にあの道を歩いていたかについてはこう語った。
(親父とわかれたお袋があそこの近くに住んでいるんです。再婚してるんですが、困ることがあるたびに僕にこっそり連絡をしてくるんです。親父に悪いんで内緒にしてるんです。事件が終わったら遠山さんも僕のことは忘れてください)
張り込みを続けている最中、申し訳なさそうにそう言った伊能少年の顔が懐かしく、遠山はその後歩んだ先々でも折に触れては思い返したものだった。




