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暗闘  作者: 伊藤むねお
22/52

タクシーナンバー

 遠山はその日のことを忘れない。

 捜査が壁に突き当たり、遠山は更迭を申し出るか辞表を出すしかないと苦しみ藻掻いていたある日の午後。縊死死体が発見されてから一週間ほど経ったときのことだった。事件のことで直接遠山さんとお話がしたい、という電話があった。

(重要な証言を提供出来ると思います。今日の三時。おひとりで八木山の送信所入り口のバス停前まで来てください。わたしは遠山さんの顔を知ってますので、こちらから声をかけます)

 電話はそこで切れた。遠山はその若い声に似合わぬ自信に溢れたた物言いに、これは悪戯ではないと直感し胴震いを覚えた。

 八木山の送信所というのは仙台の西方の丘陵にある民間テレビの送信所のことで、現在は開発されて住宅が建ち並ぶが、当時はまだ落葉樹の山林が残っていた。横山秘書の死体は、そこから五百メートルと離れていないブッシュの中で発見されていた。


「君は・・・」

 遠山が約束のとおりに待っていると長身の若者が不意に現れ、遠山の前で軽く頭を下げた。

 遠山の声がいくぶんうわずってしまったのは、その若者がかねてより知っていた有名人だったからである。

「君か、電話をくれたのは」

「はい」

「伊能亮一くんだろう? 宮城野高校の」

「あ、はい」

 伊能は赤くなった顔を隠すように下を向いた。宮城野高校は宮城県屈指の伝統高校で、東北大学に対し毎年百人近い合格者を出すのだが、スポーツの面でも数多くのトロフィーを有していた。

 しかし近年は優秀な人材を全国から広範に集めてくる私立高校の後塵を拝することが多く、バスケットボールもその例にもれなかった。

 ところがその年、宮高はこのところベストフォーかエイトがせいぜいだったのを突き抜けて優勝し、あまつさえインターハイまで制してしまった。

 ミラクルファイブと呼ばれた三年生のスターターはすべて希にみる才能豊かなプレイヤーで、同校では十年にひとりという逸材がたまたま同年度に集まったという、まさにミラクルな出会いがあったのである。だが、それさえも、ひとり伊能亮一という稀代のプレイヤーがいなければそこまでは行かなかったであろう、というのが衆目のみるところだった。それほどに伊能の技能はぬきんでていた。

 スピード、ジャンプ力、シュート力、巧みな戦術指揮、どれもが超高校級どころか全日本級であるとして、スポーツメディアは学業の面でも常に一桁の順位にいるというその知的な風貌を紹介し、甲子園のスター並みに連日とりあげた。

 遠山は捜査に忙殺される日々を送っていたのだが、たまたまではあったがテレビでの伊能のプレイを見た。そして驚嘆した。たしかに超高校級などという月並みな言葉ではとうてい表現できないなにかがこの少年にはあると感じた。瞬間アクションなどはカメラが追いつけなかったのだ。

 なるほど、こういう場所にひそかに呼び出した理由のひとつがわかったと遠山は思った。

「先に遺体が発見された場所を教えていただけますか」

 伊能は必要以上のことはいわなかった。よく光る目で遠山をみつめながらそういうと、さっさと送信所に向かって歩き始めた。

 死体の発見された場所がこの辺りだとは、新聞の報道などで知っていたようだった。

「うん。案内しよう」

 遠山は並びかけながら話しかけた。

「今年の夏は、わたしも応援したよ。素晴らしかった」

「え?」

 伊能は意外なことを聞いたというように遠山を振り返り、まだ少年の面影を残す頬を赤くした。

「どうも」

 少し間をおいて、

「おかげで色々と周りが・・・。性に合わないんです、ああいうのは」

「騒がれること?」

「ええ」

「そうか」

 遠山は笑った。伊能はまた顔を赤らめた。いい顔だと思った。

 ――これじゃあ周りがほっといてくれないわけだ。

 メデイアのみか一般人までが自宅に押しかける騒ぎとなり、父親とともに親戚の家に住まいを移したと聞いた。

「バスケもやめようと思って」

「そりゃあ、もったいない。どうして?」

「色々と」

 伊能は先ほどと同じ言葉を繰り返した。よほど騒がれたのが応えたようである。

「エレクトロニクスをやろうと思っているんです。バスケを辞めた分で」

「ほう?」

 学問とスポーツを並べていうのがおかしかった。

「じゃあ、東北大学?」

「東京にいきます。ここじゃ騒がしくて。遠山さん、生まれは東京ですか」

「どうして?」

「言葉が、その、標準語ですから」

「そうかな。千葉だよ。君とちがわないと思うが」

「いえ、ちがいます。全然」

 伊能は断言するようにそういうとまた顔を赤らめた。

「遠山さんは東大法学部ですよね」

 遠山は苦笑した。

 しかしそのことをどうして知っている、とは遠山は聞かなかった。この男ならそのくらいのことは知っていてもおかしくない。なぜかそう思った。そう思ってからエレクトロニクスとバスケットボールを同じ盤上に並べた伊能を笑った自分もたいして変わりがない、と心の中で苦笑した。

 しかし伊能は遠山の返事は期待してなかった。

「横山さんが行方不明になったのは十月五日でしたね」

 あっさりと話題を変えた。

「うん。最後に奥さんと会ったのがその日だ」

「六日の夕刻五時少し前、僕はこの坂を下ってました」

「なに」

 遠山は緊張した。

「すると一台の車が僕を追い抜いていったんです。そして急に速度をゆるめて止まりました。僕は後ろから見ていて、横の林から兎でも跳びだしてきたのかと思いました。たまに出るんですここらは。場所はまだ先ですか?」

「まちたまえ」

 遠山は足を止めた。

「すまんが証言の信憑性を高めたい。その場所をいう前に君の話を先に聞かせて欲しい」

 伊能も足を止めた。遠山のいう意味を理解したようである。

「見てますと、林の中から人がふたり出て来て素早く乗り込んだのです」

 ――なんだって!?

 遠山は危うく出かかった声を飲んだ。

「その場所をはっきりといえるかい」

 伊能は黙って歩き始めた。十メートルほど歩いたところで立ち止まると、ここです、と小声で言った。

 冬の日の落ちるのは早い。さきほどまでの小春日和はもう姿を消しつつあった。

 遠山は肯き、枯葉をつけたままの小枝を折って舗装から外れた土の部分にそれを突き立てた。

 死体の発見された場所とこの道を最短距離で結んだ地点は五十メートルほど先だった。しかし林の中に道はないから歩きやすいところを選んで歩けばこの辺りに出て来てもおかしくはない。

「ふたりと言ったね。人相や服装などを覚えているかね」

「顔ははっきりとはわかりませんが、もういちど姿をみればこの人だとわかります」

「遠かったのか」

「でも車の番号を覚えてます」

「な、なに」

 遠山は慌てた。

「待ってくれよ。向こうは君を見たかね。見られたかね」

「いや。遠かったですから」

「遠かった? ああ、そう言ったな。よし。車がここに止まった。君がそれをみた地点はどこだ。もう一度」

「こっちです」

 伊能はなぜかふた呼吸ほどのあいだ遠山を、その目の奥まで覗くように上から見ていたが、すぐに今来た道をもどり始めた。遠山は胸の動悸を押さえてその後を追った。状況的にではあるが他殺説を補強する初めての証言を得たのである。

 伊能は滑るように歩く。急いでいる風にもみえないのに早足が自慢の遠山も小走りに近い速度になった。百メートルほど歩いたところで遠山はうしろを振り返ってみた。

 ――ここから車の番号が見えるか。

 しかし伊能の足はまだ止まらない。

「まだかね」

「もう少し・・・ここです」

 そこは、さきほどの地点からざっと百三、四十メートルほど離れた地点だった。

「百三十メートルはありますよね。だから向こうはこっちを気にとめなかったと思います」

 遠山は鼻の穴を膨らませた。

 ――それはそうだろうがお互い様ではないか。

「車の番号はどうして覚えている。君の側を抜いていった時に、たまたま見て覚えていたというわけか」

「いいえ」

「それじゃ」

「急に止まったり、藪から人が出てきて乗ったりしたからですよ」

「しかし、ここから、君」

「見えたのか、というのでしょう」

「そうだ」

「遠山さん」

 伊能は遠山に向き合った。これからいうことをしっかりと聞いてくださいよ、というように。

「内緒にして下さいという意味がこれからわかります。もう一度、それを約束してくれますか」

 なにを今更いうのだと思ったが、遠山は催眠術にかけられたかのように、こっくりとうなずいた。

「遠山さんを信じます」

 伊能はそういうと目を先方に転じた。

「今度、向こうから来た車の番号を読んでみせます」

 伊能が前方に据えた目が鷹のように鋭くなった。

 ・・・これは・・・

 色までが金色に変わったように遠山には見えた。早くも日が落ち始めた坂道を車が一台下ってきた。タクシーのようである。

「八六の一〇。宮城」

 そのタクシーが小枝を立てた地点にさしかかろうとした時、伊能が早口にその数字を口にした。近づいて来たタクシーが、その通りの番号であったことを知った遠山は愕然とした。再び、今度はワゴンらしい車の影が見えた。

「七一の三。福島です」

 あたり。

「〇八の五五。宮城」

 遠山の五体がわなわなと震え始めた。

「遠山さん。あのときは十月ですから今よりももっと明るかったのです。ふたりの服装と車を描いてみました。うまくないのですが」

 伊能は目の光を和らげると、バーバリーコートの内ポケットから折り畳んだ紙を一枚取り出した。

 それは本人がいうとおり決してうまくはないのだがよく特徴を捉えたスケッチだった。遠山がその日に味わった興奮は今でも昨日のことのように体に残っている。


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