01.旅人は迷い
分かれ道というものに、後悔しなかった記憶が俺にはない。
右に足を出してみる。
(違う気がする)
左に変えてみる。
(本当にいいのか?)
眼前の選択肢は、たったの二択だ。それでも選べずに、呆然と立ち尽くした。
(あぁ、憂鬱だ。選びたくない)
俺の選んだ道は、いつも正しくないのだから。
「――ぃ、おい!! ヴェルユス!!」
幼い声に名を呼ばれ、ハッと我に返る。眼前の分かれ道を柔らかい木漏れ日が照らしているのが見えた。
手を引っぱられる感覚に、ぬくもりが戻ってくる。緩慢に視線を落とせば、訝しげな顔がこちらを見上げていた。
「どーした? アルラ」
目線を合わせて、その場に屈む。くりくりとした金色の瞳に滲んだのは、“不満”だった。
(おっと? なぜ?)
綺麗な黒髪は朝、お望み通りに可愛くセットした。崩れもない。眠くなった訳でもなさそうであるし。心当たりが出てこなかった俺は、小首を傾げた。
「ご機嫌ななめか? おじょーさん」
「お前さんがいつまで経っても、どちらの道に進むか決めんからな」
「あー……」
もっともなそれに、俺の口からは情けない声が出る。木々が揺れる微かな音にも負け、消えていった。
「十五分も待っているんだぞ?」
「まだ十五分だろ?」
アルラが呆れたような視線を返してくる。それに、俺は人差し指で頬を掻いた。
「どちらでもいいだろう。変わらんよ」
「いや、流石に変わるだろ。危ない所に出たらどーすんの?」
「ワタシが何とでもしてやる。ほら、さっさと選びなさい」
見た目三歳の女の子に、溜息を吐かれている絵面のなんと情けないことか。俺は、がっくりとうなだれた。
その拍子に、茶色のシルクハットが落ちる。首から下げたゴーグルが虚しく揺れた。
「あぁ、まったく。何をしておるんだ、ヴェル」
アルラが人差し指を立てると、シルクハットがふわりと宙に浮く。そのままアルラの手の中に収まった。
「だーから、そんなお洒落なの。似合わねぇって言ってんだろ?」
「そうか? 悪くないぞ」
「おっさん相手に何を言ってんだか」
ぐしゃぐしゃと前髪を乱す。アルラは帽子の汚れをはたき、俺の頭に戻そうとしていた。拒否権はなさそうだったので、素直に頭を差し出しておく。
「さて、決めたか?」
「そうさなぁ」
シルクハットを押さえながら、顔を上げる。二股のちょうど真ん中。道標は、何故か一番重要な部分を失い立っていた。
先程でくわした、オオカミ型の魔獣のせいだろうか。どうやら、今日はツイてない。
(どちらも地獄の入口に見える)
体が重たいのは、歳のせいか。心理的なものか。
「目が腐ってんな」
「老眼か?」
「悲しいこと言わないで」
緩慢に立ち上がった俺は、まだ諦め悪くアルラを見つめた。
「ヴェルユス、お前さんが選ぶんだよ」
言い聞かすようなそれに、俺は遂に白旗を振る。ようやく、二択の選択肢に真正面から向き合った。
足元から這い上がってくるこれをやり過ごす術は、あるらしい。しかし、旅を始めて二十四年も経つと言うのに、俺はいまだ見つけられないでいる。
「よし、うん、こっちだ」
俺は、恐る恐ると右を選ぶ。指先が震えていた。
(また、間違うかもしれないのに?)
その声に従い、俺の足は動こうとはしない。
「よし! ゆくぞ!!」
「おわっ!?」
アルラが俺の手を力強く引っ張った。それに半ば引き摺られるような形で、俺は俺の選んだ道を歩き出す。
(願わくば、もう分かれ道がありませんように)
魔獣と戦うよりも疲れる。陰鬱な気分のまま、のそのそと重い足をただ動かした。
「何が待っているのか、ワクワクするな!」
俺を振り返り、アルラが笑う。煌めく金色が、俺の選択を肯定していた。
「――そうかい。そりゃあ、いいな」
アルラがそう言う度に、俺の心は軽くなる。自然と口角が上がるのだから、俺に一人旅は向いていなかったのだろう。
「ずっと野宿だったからな。久方ぶりに街に着いてほしいところだ」
「街にいい思い出がない。小さな村とかがいい」
「そう変わらんだろう。街でも村でも野宿でも。何かしら起こる時は起こる!」
「んんっ、まぁ、ねぇ。そうかも?」
「だろう? 大きな街で、美味しいドーナツだ!」
「ドーナツ食べたいだけだったかぁ」
先程よりも足取りは軽やかに、アルラと手を繋いだまま舗装されていない道を行く。その道が段々と小綺麗になり、人の気配が見えだした。
(あぁ、これは……。アルラの希望通りになるかは分からねぇが、集落には着きそうだな)
思わず、繋いだ手に力が入る。アルラは何を思ったのか、力一杯に握り返してきた。
「待って待って! 痛いからね?」
「何のことやら」
態とらしく肩を竦めたアルラに、俺は苦笑を返す。少し、息がしやすくなった。
森を抜け、開けた場所に出る。青空の中に人工物が聳えているのが見えて、示し合わせたように揃って足を止めた。遠目だが恐らくは、城塞だろう。
「見ろ! あれは、街だ!」
「そうだなぁ。城塞都市か……」
「大きな街ならば、見つかるかもしれんな」
アルラの言葉に心臓が一瞬で冷える。
「アルラの探し物が、か?」
アルラの返事を待たずに、足を出した。しかし、直ぐにつんのめる。
「ヴェルユス」
俺は、アルラに視線を遣るしかなかった。真っ直ぐとこちらを見る金色の瞳が、意地悪に弧を描く。
「お前さんの探し人もな」
ヒュッと喉が鳴った。
(あぁ、いやだ)
あの日の情景が一気に流れ込んでくる。
“なんと情けない奴だ!! それでもフォルティス家の人間か!? よいな? 達するまで帰ることは許さん!!”
父に打たれた頬が痛い。
“討て!! 兄の仇を!!”
押し付けられるように渡された剣の重みに、世界が歪んだ。
胃の中が掻き回されたような不快感に、手で口を覆う。えずきそうになり、その場に屈んだ。
「おっと、仕方がない子だな」
「だい、じょうぶだから」
「よしよし。どちらを行くかは、まだ決まらんか」
アルラが背を撫でてくれる。それに甘えて、目を閉じた。




