30.結末
こうしてジスレーヌの生家である子爵家の復讐の結末は、ある意味であっけない終わりを迎えた。それは大々的に事件になることもなく、四人もの人間の命を奪った毒薬の存在は秘匿とされ、彼らの死は正式発表の謎の病として処理されたまま、誰もが変わらぬ日々を過ごしている。
発端となったリッシュ伯爵家がこれまでに行ってきた悪行は、ジスランの指示により徹底的に調べ上げられたうえで、今後その家の出身者を使用人として雇い入れる場合には厳重な警戒をするようにと家令のピエールにのみ通達したのだった。ここで雇い入れないという選択を取らなかったのは、彼らが持っているかもしれない悪感情を今より増幅させるべきではないからというのも理由のひとつではあったが、それ以上にジスレーヌと同じような境遇にあるかもしれない人物に、元凶となった家の責任として救いの手を差し伸べるべきだとジスランが判断したからである。当然その決断にピエールが異を唱えることなどあるはずがなく、代々の家令に必ず受け継いでいくとその場で誓ったのだそうだ。
またそれに伴い、リッシュ伯爵家の主な財源であった他家からの援助についても相互の手紙のやり取りで確認した後、正当性が認められたものだけを今後も継続とし、不当と考えられるものについては相手側の当主と協議の末打ち切りという決断を下すこととなった。これには相手側から大変感謝され、ようやくリッシュ伯爵家からまともな当主が出てきたと陰でうわさされる事態になっていたのだが、ジスランはまだそのことを知らない。
そんなある日のこと。再び四人が談話室へと集まり、以前と同じようにテーブルについていた。
最初は他愛もない会話を続けていたのだが、ポレットが紅茶の用意を終わらせ部屋を出て行くのを見送るとさっそく本題へと話を移す。
「こちら、ご教示いただきました通りに書いてまいりました。ご確認をお願いいたします」
ジスレーヌが差し出した一通の手紙には、正当なリッシュ伯爵家の人間の排除が完了したこと、残された妾の子はまともな教育も受けていなかったため現在屋敷内は婚約者が取り仕切っていること、それに伴いほぼほぼダヴィッド伯爵家に乗っ取られているような状況下でありこれ以上はリッシュ伯爵家ではなくダヴィッド伯爵家を相手取ることになるため、新たな指示がないと勝手な判断では動けないということ、そしてなにより今後はダヴィッド伯爵家のやり方が導入されることが決定し新たに雇い入れる人間への厳しい事前調査や使用人に届いた手紙や荷物も本人の手に渡る前に全て調べられることになったので、今までのようなやり取りが不可能になってしまったことなどがしっかりと書かれていた。
「完璧よ。これで毒薬を扱っていた側としては、手を出せなくなるでしょうね」
「ですがブランディーヌ様、いくら相手を欺くためとはいえリッシュ伯爵家がダヴィッド伯爵家に乗っ取られているという文言は、本当に必要だったのでしょうか?」
珍しく若干の不機嫌さものぞかせているピエールだが、確かに家令という彼の立場からすれば少々許しがたい内容だったのかもしれない。しかしその意見が出ることは事前に予想済みだったブランディーヌからすれば、その質問に対する答えはただ笑顔で真実を告げるだけの簡単なことだった。
「あら。それならばピエールは、これからもジスラン様の命が狙われ続けることを望んでいるのかしら?」
「いえ、そういうことではございません。ですが……」
「あなたにとっては残念なことかもしれないけれど、遅かれ早かれ将来的には周囲からそう見られるようになってしまうことが決定しているのだもの。それならば内情を知っているはずのジスレーヌがひと足先にこの報告をしていれば、信用度も増すとは思わなくて?」
ブランディーヌの言葉はなにも大げさなどではなく、他家の弱みを握ることで法外な援助を強要していたからこそ潤沢にあった財源は、今後減る一方なのだ。そこを埋めるために新しく事業を立ち上げる予定なのだが、それこそがダヴィッド伯爵家が婚約の条件として打ち出していたブランディーヌの薬草を利用した化粧品作りだった。つまり対外的に見れば、力を失ったリッシュ伯爵家はダヴィッド伯爵家からやってきた人物に完全に支配されており、もはやダヴィッド伯爵家の傘下に入っていると思われても仕方がない状況へと移行していくことになる。
「この場合、実情は関係ないわ。周囲からどう見えているのかが重要なのであって、だからこそわたくしたちはそれを利用するべきなのよ。実際にはお父様もお兄様もわたくしの化粧品研究に対して欠片も興味を抱いていないのだから、ダヴィッド伯爵家とは関係のないリッシュ伯爵家独自の事業になるのだけれど、それを表立って言う利点も今のところは存在していないわ。それならばいっそ勘違いさせておいたほうが、変に手出しをされずに物事を進められるでしょう?」
「それは……確かにそう、ですね」
事実ブランディーヌとしては自身の研究に力を注げるのであれば、ダヴィッド伯爵家とリッシュ伯爵家の関係など正直どうでもいいことだった。ここに関しては、やはり彼女もダヴィッド伯爵家の人間の特性をしっかりと受け継いでいるとしか言いようがないのだろう。
だがリッシュ伯爵家はそのおかげで完全にダヴィッド伯爵家に取り込まれずにすむのだから、ある意味で命拾いをしたとも取れる。とはいえブランディーヌの采配ひとつで今後いかようにもできてしまうのが、彼らにとっては恐ろしいところなのかもしれないが。
(わたくしにとって都合がいいのであれば、別段ダヴィッド伯爵家に完全に取り込む必要はないのだもの)
とはいえ今後の財源が薬草頼りになる以上は、ほとんどダヴィッド伯爵家に乗っ取られたと言っても過言ではないのかもしれない。だがそれを当主であるジスラン本人が笑顔でうなずきながら聞いているので、完全に公認とされていると考えてまず間違いないだろう。
結局ピエールも実際の事実と周囲の認識の差がズレるだけであって、リッシュ伯爵家はこれまでとなんら変わりなく存続できるうえで当主が許可を出しているのであればと納得したことで、最終的にジスレーヌが書き上げた手紙をそのまま彼女の実家である子爵家に届けさせるという結論に至ったのであった。
「ひとつだけ、もう一度確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、構わないわ。なにかしら、ジスレーヌ」
「その……本当に、私はこのまま何事もなかったかのように侍女長として働き続けていていいのでしょうか?」
それはあの日からずっと、彼女の心の中に引っかかったままだった疑問。これまでの件を発表通り病のせいだとする以上、確かにジスレーヌが解雇を言い渡される理由はなくなってしまう。だが真実を知っていて殺人犯を雇い続けるなど、やはり普通に考えてあり得ないだろうと考えたのだ。
しかし残念ながら、その意見は真っ向から完全に否定されることとなる。
「あら、もちろんよ。だってあなたがわたくしにウソをついたとしても、簡単に見抜けるのだもの。逆に安心できるでしょう?」
「私にとってジスレーヌは、つらい時期に唯一寄り添ってくれた人物なんだ。だからこれからも働き続けてくれるとうれしい」
「そもそもあなたはリッシュ伯爵家の内情を知りすぎています。今さらこの屋敷から出て行き他家に渡られ情報を話されては、大変困るのですよ」
「……」
ブランディーヌには笑顔で耳に痛いことを言われ、ジスランには素直な言葉と笑顔を向けられ、さらにリッシュ伯爵家第一のピエールにまでそう言われてしまえば、ジスレーヌとしてはただ困ったように笑みを浮かべることしかできなかった。
以前よりも平和になったリッシュ伯爵家は、こうして今日も何事もなく一日が過ぎていくのである。




