グゼレス侯爵家の後継者 (前編)
このガトーラルコール王国には、三つの騎士団が存在している。
一つ目は王族と王都を守る、近衛師団。二つ目は領海と海岸線地域を守る、海上師団。そして三つ目は広い領土を守る、陸上師団だ。
三つは独立した騎士団であり、それぞれの団に最高責任者である団長がいる。それ故、三つを統括する“騎士団長”というのはいない。それにあたるのは国王だ。ここは、そういう体制をしている国なのである。
中でも一番規模が大きいのは、陸上師団だ。そしてそれを束ね、代々団長職を担っているのは、グゼレス侯爵家である。
そんな当代のグゼレス侯爵には、娘が一人だけいた。
名を、リオレ・マロン・グゼレスと言う。
幼い頃から美人と評判の令嬢だ。そして「一人娘」なので、彼女に兄弟はいない。つまり、グゼレス家を継ぐ事になるのは、現状そのリオレただ一人というわけだ。
更に、この国では娘も家や爵位を継ぐことが出来、また騎士になることも出来る。だから、リオレ自身が侯爵となり団長職を継ぐことも可能だ。
しかし――…
本人には、全くその気がなかった。
「だって、騎士になったら怪我はしょっちゅうだそうだもの。そうしたらリオレの綺麗な肌が傷だらけになってしまうじゃありませんか!それに、ドレスを着た時に胸ではなく腕が膨らんでいたら、お父様だって嫌でしょう⁇」
そう言われた父である侯爵は、思わずその想像をしてしまった。…夜会に出た娘の上腕二頭筋が、ムキムキに発達している様を――…
父は頭を振ってその想像を消し去った。『女の子はそんなに簡単に物凄い筋肉が付くことは無いよ…』そう思ったものの、そんな事で気の変わるようなリオレではなかったので、言うのはやめた。
とにかく、早い時期から彼女はそんな風だったので、グゼレス家では婿を迎えるというのが全会一致の既定路線となっていた。もちろんリオレ自身、異存はない。
…というよりも、むしろそれを歓迎してさえいたのだ。
「わたくしを騎士として育てるよりも、すでに能力のある団員から次期団長を選んだ方が効率的だと思いません⁇」
いつからか熱のこもった様子で目を輝かせながらそう言うので、なぜなのだろう、と父は思っていたほどだ。…いや、少々異様なその熱気に、いくらか違和感を感じていたのも事実だが…。
そんなリオレは、陸上師団の訓練を観覧するのが好きだ。そのため足しげく訓練場に通い、長時間そこにいる事もしばしばあった。職業柄、男性が多いところなので美人と名高いリオレがそうして見に来る事は、団員たちの士気が上がってとても有り難い事だ。
だが、騎士になりたいわけでもない彼女にとって、ただ訓練を見ている事など本当に楽しいのだろうか…?きっと、グゼレスの娘として、義務感からそうしているに違いない。――周りの人間たちは皆、そう思っていた。
しかし、リオレにとってその時間は、至上の幸福と言っても過言ではなかった。
『はあ~~最高だわ!!やっぱり筋肉は、作るものではなくて観賞するものよね‼』
今目の前で汗を流し、鍛錬している騎士たちの姿をうっとりと見詰めながら、リオレは心の中でこの時を噛み締めていた。
――…そう、彼女はヘンタ…
筋骨隆々な騎士を観賞する事が趣味だったのである。………
リオレが「筋肉」に目覚めたのは、13歳の頃だった。
社交界デビューを済ませていた彼女は、その歳にしてすでに、パーティーなどへ行けばちやほやとされるような存在になっていた。
そんな中、とある夜会に出席した。そこでリオレは、何かの拍子に転倒しそうになってしまったのだ。
――あっ、みっともなく転ぶ――…。そう思った瞬間、何者かがリオレを受け止めた。
それはがっちりとした、よく鍛えられた腕だった。
「大丈夫ですか?」
そう言った相手の顔は、逆光でよく見えなかった。ただ、背も高く、腕だけでなく全身が鍛えられているようだった。そして、士官学校の制服を着ていた…。
「気を付けて。」
「あっ……」
リオレが礼を言う間もなく、彼は行ってしまった。顔も名前も分からないまま――…。
その時、リオレはガーンと雷に打たれたような感覚を覚えた。そして、「あること」に気が付いてしまったのである。
『―――ハッ!これだわ‼我が家に足りなかったのは、これなのよ!!』
自慢という訳ではないが、自分を始めとして父も祖父も、そのまた前のご先祖も、グゼレス家は美しい家系として有名であった。しかし、だ。リオレはその家系に少しだけ不満があったのだ。
…何かが足りない…。心のどこかで、彼女はずっとそう思ってきた。
しかし、それが今日判明したのだ!
『筋肉‼筋肉が足りないわ!!…お父様は確かに綺麗なお顔をしているし、団長として騎士の能力が申し分ない事も知っている…。でも細身で筋肉質とは言えませんわ。歴代の当主もみんな同じ!――これが、グゼレス家の家系なのだわ。』
その通り、グゼレス家には代々、見るからに筋骨隆々という体型の者はいなかった。しかし、歴代の当主たちが細身で困ったということは、一度も無かった。だから体型に関して、改善しなければならないという事は特にない。
だが、団長であるならば、やはりそれなりの体格がいい…。と、リオレは思ってしまったのだ。
…さっきの筋肉は素晴らしかった…。
うっとりと思い返したリオレは、是非ともあんな筋肉と結婚したい!と、思った。
――それからだ。リオレの訓練場通いが始まったのは。彼女は日々理想の筋肉…もとい、騎士を求め、彼らを物色しているのだった。
『…本当はあの時助けてくださった方が理想なのだけど、誰なのか分からないし…。まあ、素晴らしい筋肉の持ち主であれば、問題ありませんわね!』
…もはや顔などどうでもよく…というより、リオレにとって、頭部は付属品というくらいの価値でしかないようですらあった…。
そんな嗜好をしているからか、リオレは夜会へ行ってモテても、他の令嬢たちから疎まれる事はあまりなかった。自分たちの敵とは見なされなかったからである。
「――ねえリオレ様。本当に、この会場におられる方で、気になる殿方はいらっしゃらないの…?」
「ええ。今回もハズレですわねえー。」
また別の夜会で、令嬢たちがリオレに話し掛けてきた。すると彼女はつまらなそうにして、溜息交じりにそう答えたのだ。
令嬢たちは困惑したように顔を見合わせた。“今回もハズレ”…。そんな事は、全くないのだが……
「え、ええと…ほら、あちらにオードゥヴィ子爵様がいらっしゃいますわ!素敵だと思いません⁇」
リオレは彼女たちが指した方を見た。そこには確かに、次期公爵だというオードゥヴィ子爵がいた。
「あらほんと。…うーん…。まあ、お顔はよろしいようですけれど…」
令嬢たちはコクコクと頷いた。
「……筋肉が全ッ然ありませんわ‼あれじゃあマッチ棒ですわよ!」
「マ、マッチ棒!?」
わなわなとしながら言うリオレに、令嬢たちは思わず声がひっくり返った。
…オードゥヴィ子爵と言えば、今を時めく公爵家の令息だ。確かに筋肉質ではないが、ヒョロヒョロな体をしているというわけでは無い。それを「マッチ棒」などと一蹴するとは…。
そして火が付いてしまったリオレは、それを更に過熱させていた。
「わたくしとしてはもっとこう…隠しきれない引き締まった筋肉がですわね…」
「アッ、も、もう結構ですわ!!」
いつもの調子で長々と理想の筋肉論を聞かされそうになり、令嬢たちは慌ててリオレを止めるとサササーっとどこかへ行ってしまった。
「ええ?これからですのに~!」
…そんな訳で、リオレのその趣味が理解されることは、ほぼ無かった…。が、特に気にはならなかった。
『どうやら、わたくしの理想の方を狙う者はいらっしゃないようね…。結構な事ですわ!』
高笑いをしたいくらい、むしろその状況を喜んですらいたのだった。
時は流れ、リオレは18歳になった。侯爵家を継ぐ者としては、そろそろ結婚相手を探し始めなければならない歳だ。当然、両親からもそういう話を出されていた。
「――それで、リオレ。誰か意中の相手はいるのかい?」
家族での団らん中、侯爵である父が尋ねてきた。
「う――ん…。“この方!”というのは特に…。」
片っ端から抱き付いてみれば、すぐにでも理想の筋肉に出会えそうな気はする。だがさすがにそれは出来ない。それくらいの常識は持っている。しかしたぶん、見合いをしても、これといった決め手には欠けるだろう。
では、理想的な筋肉を探すための良い方法は、何かないだろうか…。
リオレはあれやこれやと考えを巡らせた。
「…………………ハッ!これですわ‼」
そして彼女は思い付いてしまった。
「わたくし、次期団長にもなる方を探す、一石二鳥のいい方法を思い付きましたわ!!」
得意気な顔をして、リオレは父の方を向くとそう言った。
……一石二鳥、とは…?
意味が分からず少々嫌な予感がしつつも、父は尋ねてみた。
「…それは、何だい?」
すると彼女は立ち上がり、目をらんらんと輝かせて熱弁を振るい始めた。
「陸上師団内で有志を募り、決闘大会を開催するのです‼その勝者には、リオレと結婚する権利を与えます!!」
「け…けっとうたいかい!?」
娘の突拍子もない発言に、父の声はひっくり返った。
「わたくしと結婚するという事は、次期侯爵、及び次期団長になるという事です!それならば誰よりも強い方がいいはずですわ。そうですわよね?お父様⁇」
「…え?あ、ああ…まあ、そうだね……」
「わたくしが賞品となれば、数多くの優秀な騎士が参加するでしょう!だって、リオレと結婚したい方は沢山いるのだもの‼その中の最強の者がお父様の後を継ぐ、完璧だと思いませんか⁉」
…物凄い自信である。さすがの父もそう思った。しかし、彼女が言っている事は間違いではない。いや恐らく、それは紛れもない事実であり、真理でもあるのだ…。
リオレは、自分の事を客観的によく分かっていた。
「…まあ、資質に問題のある方もいらっしゃるでしょうから、まずは出場したい方を募って、お父様が一次審査をなさってください。お父様が認めた中から勝者が決まれば、問題はないでしょう?」
それを聞いた父は、初めは突拍子もないと思っていたものの、全くの出鱈目な話というわけでもないなと思い直した。…確かに、自分が認めた中で、一番強い者を娘の婿とするのは悪くない…。
「分かった。お前が良いなら、そうしよう。」
「本当ですか?やったあー‼」
リオレは両腕を突き上げて喜んだ。
これで…これで最強の筋肉を持つ者と出会える…!それに何よりも、これで本気の戦いをする筋肉を、堂々と間近で見る事が出来るのだ…!!
――それこそがリオレの真の狙いであり、本音であった。だがこの際、そんなのはどうでもいい事なのだろう…。
こうして、リオレの結婚相手を決める決闘大会の開催はあっという間に決まり、その事は陸上師団内に知れ渡るところとなった。
彼女の目論見通り、参加希望者は驚くほど殺到し、すでに結婚していたり婚約者がいたりする者以外は皆応募しただろうと言われたほどだった。
「――やあ、マイラ卿。君ももちろん応募はしたんだろう?」
そう呼ばれて、一人の若く雄々しい騎士が振り返った。
「いや。していないが。」
平然とした表情で彼は答えた。すると、声を掛けた騎士が驚いたような顔をして聞き返した。
「どうして?君は婚約者も恋人もいなかっただろう⁇」
「…だからといって、必ずしも立候補するとは限らないだろう。」
「いいや、陸師の騎士であれば必ずしも、そうする!そんな事を言っているのは君くらいのものだぞ。私だって、婚約者がいなければ出ていたはずだ。」
その軽薄な発言を聞き、“マイラ卿”と呼ばれた騎士は眉間に皺を寄せた。
「……それを婚約者殿が聞いたら、ただでは済まされないだろうな。」
「おいおい、今のは言葉のあやだ!彼女には言うなよ?」
口の前で人差し指を立て、その騎士は参ったような顔をして懇願してきた。
「ハア。分かった。」
溜め息を吐くと、そのまま立ち去ろうとしたマイラを、その騎士は慌てて止めた。
「ああ、待てって!」
「何だ?まだ何かあるのか?」
仏頂面をしているマイラは、見るからに機嫌が悪そうだ。この先を言うには、あまり良い時ではないかもしれない…。しかし、騎士は思い切って口にしてみた。
「君、決闘大会に出たらいい!」
「出ない。」
バッサリと斬られた。しかし、彼はめげない。
「どうして!優勝すればリオレ様と結婚出来るんだぞ?まさかあの方の事が気に召さないなんて事はないんだろう⁇」
「人を賞品にするようなやり方は好かん!それに第一、俺に次期侯爵になるような資格はない。男爵家の三男なんだぞ⁉」
――そう、彼がマイラ“卿”と呼ばれているのは、男爵家出身のためだった。
この国の男爵家は、一代限りのものだ。そして、伯爵家以上の家の令息は成人すれば通常、子爵位を得る事になる。しかし、男爵家の息子は、普通それを得る事はない。結婚して家庭を持つと子爵位は消失するため、意味が無いからだ。そのため男爵令息と呼ばれる事はあっても、それ以外には“卿”を付けた呼ばれ方しかしないのだ。
その三男ともなれば、もはや自分は一般庶民と大差ないではないか、と彼は考えていたのだった。
「それでも君の血統に問題は無いし、男爵家は立派な貴族じゃないか!一般の騎士とはまた違うだろう…。資格はある!」
それに、毅然としたその人柄は、侯爵になってもおかしくはない風格さえある。伯爵家の息子である自分がそう思うのだから、間違いは無いはずだ。
――口には出さなかったが、その騎士は頭の中でそんな事を考えていた。
「家のことだけではない。俺に団長が務まるとは思えない。…一介の騎士として一生を尽くすと、もう決めているんだ。」
そう言うとマイラは前を向き、足早に歩き出した。
「おい、マイラ卿!務まるかどうかは団長が判断される!とりあえず、応募だけでもしてみたらどうだ!?」
背後から、さっきの騎士の大声が追いかけてくる。さすがに頭にきたマイラは、大声を返した。
「く ど い ぞ !!」
…全く、何なのだ。人の事なのに、あんなに熱心に首を突っ込んで来るなんて…。マイラはそう思いながら先へと進んだ。
リオレ嬢の婿候補に立候補する人間なら、山ほどいるだろう。わざわざ自分まで名乗り出る必要などない。無駄な夢など見ても、仕方が無いのだ―――。
――マイラがそんな事を考えている内に、募集期間は終了した。もちろん彼は宣言通り、そこに応募などしなかった。
…はずだった……
「………な…なんだこれはぁー!?!」
ひと際大きな声が、陸上師団本部の廊下に響き渡った。
そこには、団長であり侯爵であり、リオレの父である者の厳正な一次審査に通った、決闘大会の出場者の名が記された紙が貼ってあった。
――その紙には…応募などした覚えのない、マイラ卿の名が、はっきりと書かれていたのだった。




