ライドレンド王国
歩いて、歩いて、歩きとおして。
気が付けばあの砂漠の迷宮を攻略してからゆうに一か月が経っていて。
そうしてやっと探知で見つけた街道に出て、早二日。道行く馬車に会釈をしながら、ようやく俺は話に聞いたライドレンド王国、その王都の城門へと辿り着いていた。
「……やっと、着いた」
強化された肉体は、燃費が悪い。それは知識としては知っていたが、実体験すると話はまた別だった。
なにせ、目算で二か月分はあると考えていた食糧は街道に出る前日に全て食い尽くしてしまっていたからだ。
改めて、勢いのままに一日で迷宮を攻略して本当に良かったと思う。
位階の上昇率は勿論高位になればなるほど低くなる。が、それとは別に連戦はエネルギーを取り込み辛くする、というのもある。
当たり前の話だが、魔物を倒したその瞬間に、いきなり強くなる訳ではない。身体に取り込まれたエネルギーを消化するように、それがゆっくり馴染み、身体を変質させるのである。
つまり俺は、身体に馴染み切っていないエネルギーをある意味でバリアにして、それ以上のエネルギーを取り込まない様にして大気に霧散させていたのだ。無意識に。
もしもあそこで時間をかけていたならば。
俺の位階は目も当てられない様な人外の数値になっていただろうし、そもそも悪意をエネルギーに変えて世界へ循環させる、という第一目標の効率がだだ下がりだったはずだ。
いや、そもそも迷宮攻略すら飢えで出来なかったかもしれない。
危なかったと思うと同時に、本当に安堵したのは墓までもっていきたい秘密である。
正直この身体はこの時点でもうオーバースペックと言っていいのだから、これ以上強化する意味もあんまり無いのだし。
砂漠迷宮で唯一強敵と思えたあのデュラハン。それ以外の相手は基本圧倒していたのだから。
そこまで考えた瞬間、電撃の様な痛みが頭に走った。原因は、腰にさしたこの……デュラハンの剣である。
事の発端は、街道に辿り着いた二日前。その瞬間、俺は大斧をずっと担いで一人で街道を歩いてたら流石に悪目立ちして、変な厄介毎を招きかねないと思っていた。
そう考えた俺は、大斧をマジック・ポーチにしまったのだ。ここまでは今でも名案だったと思うんだが、代わりに旅人がさしていそうな剣、というのに俺は砂漠の迷宮では巡り会えなかったのである。
迷宮には宝箱があり、そこから様々な武具が出たりという話はよくある話だが、
それは人を招き寄せる為に迷宮で死んだ人間の武具を材料に迷宮が造るもので、誰も入ったことが無かった砂漠の迷宮に宝箱なんてあるわけもない。
つまり、俺があの迷宮で手に入れられた武具らしい武具と言えば、モンスタードロップのみ。ゴブリンが持っていた棍棒とこのデュラハンのロングソードだけだったのである。
他にもリッチの杖やミノタウロスの大斧も手に入ったのだが、リッチの杖は不気味だし、そもそも俺は魔法が使えない。ミノタウロスの大斧は確かに俺の大斧よりは小ぶりだが、それも団栗の背比べといった所で大差はない。
よって仕方なく鞘もあり、一メートルと半ばといったこのデュラハンのロングソードを腰にさして街道を進みだしたのだが、このロングソード、なんと呪われていたのだった。
もちろんゲームじゃあるまいし、呪われているからといって装備から外せない、だとかはない。
そもそも植えつけられた物だろうと達人は達人、装備する前から呪われていることだってわかってはいたのだ。
だけれども、その時の俺には選択肢がそれしかなかったのだ。よって泣く泣く装備したわけなのだが、そしたらまぁ、こいつが精神干渉しまくってうるさいのなんのって。
考えてみればそもそも耐性がお伽噺の俺が装備する事を躊躇った時点で諦めれば良かったのかもしれない、とも思ったが、そこまできたらもう意地だった。
……危うく叩き折ろうかと思ったが。まあ折らなかったけども。
そんな紆余曲折を交えつつも、やっとこの門に着いたという訳である。あとはここさえ潜ってこの剣を売り払って適当な剣の一本でも買えばそれで俺はようやく人の目を気にせず歩けるのだ。
もう本当ほっとした。頭は痛いし、腹は減るし。それからやっと解放されるんだから、感動もひとしおってものだ。
いや、魔物の肉はあるし、強靭Sもあるのだからいざとなったらそりゃ生肉を食っても良かったのだけど、なんだかそれは嫌な意味で人間辞めることになりそうだったので、最終手段だったのである。
達人だろうと強靭Sを持っていようと、人間、飢えには勝てない。これは本当に心理だと思う。
行きあった馬車の人が奴隷商人じゃなかったら、食糧か火打ち石の予備でも買えたんだけどね。けっきょく運悪く、普通の行商の人とは終ぞ出会う事なく俺の初旅は終わってしまったのだった。
「あー、入国希望かい?」
と、門番の金髪お兄さんの方へ近づくと、フレンドリーな笑顔で出迎えてくれた。
良かった良かった。どうやら奴隷商人さんは大嘘つきではなかったようだ。
嘘つきかどうかはまだわからんけども。
ライドレンド王国。
国内に二つの巨大迷宮と学園迷宮を保持する巨大な国であり、剣を修めた達人を一人保有している。
貴族街と市民街があり、善政によってスラムという存在は年々減ってきている。
まあ軽く話しただけなのだが、割と好印象な風にこの国の事を語ってくれたので、結構期待しているのだ。まあ、自分の国を他人にそう悪く言う人もあまりいないだろうが。
というか、いたら軽く末期だと思う。いろんな意味で。
「はい、そうです。旅人なんですが、この国で探索者をやりたいと思いまして」
「なるほどね、それじゃ、身分証を提示してもらえるかな」
「はい、どうぞ」
名:コーヤ・ユーキ 位階:54
職業:旅人
賞罰:無し
称号:<算術:A><ゴブリンキラー>(+30)
国籍:ネオマーレ
「い、位階54かい!? 君、若いのに凄いね! それによくその歳でキラー系の称号を…」
「あー、まあ旅先で色々やってたらこうなりまして。でもそろそろ腰を落ち着けて探索者になろうかな、と」
ウソは言っていない。旅先で色々やったし、そろそろ腰を落ち着けたいのも本当である。
こういった門番という職業は<称号:看破>系列を持っている人がなりやすいと聞くので、とりあえずこう言っておかないとね。
ちなみに見せ称号をゴブリンキラーにしたのは、ゴブリンはどのダンジョンにも大抵存在し、その種類も多い為、一番不自然でないと思ったからなのだが、やはりこの歳だと少し異常らしい。
とはいえ、位階はあくまで中堅の位置だし、キラーというのも無い話ではないのから、あんまり気にしすぎないようにしよう。
「いや、済まない。最近魔物がまた以前みたいに活性化してきたところだったから、なんだか嬉しくてね!」
「あはは、そう言って貰えると嬉しいですけど、自分はまだまだですよ。それにこの国には達人さんだっていらっしゃるってお聞きしましたよ」
「ああ、ミレイユ様だね……って、いや君。いくらなんでも達人と自分を比べちゃ駄目だよ!」
門番さんは笑いながらそう言うと、俺に身分証を返してくれた。
「それじゃ、とりあえず銀貨三枚でこの滞在書を発行するんだけど……君、お金はあるよね?」
「ああ、それはもちろん。どうぞ。」
「……うん、大丈夫。これ一枚で今日この日から三日間の滞在が許可されます。延長する時や、国外に出るときはまたこの詰所まで来てね」
「はい、大丈夫です」
「うん。まあ君は旅人だから知ってると思うけど、一応規則だからね。あ、もちろん三日が過ぎてどのギルドからも詰所に新規登録報告がなかったときは不法滞在扱いになって罰金が課せられるから注意してね」
「大丈夫、わかってますよ」
「まあ、規則だからさ。僕だって位階54の旅人に言うことじゃないとは思ってるよ」
と、わかってないのにわかってますよと言ってしまったが……どうやら大丈夫だったようだ。
危ない危ない。これからギルドに向かってからが本番だというのに。
金髪青年は「それじゃあ、いってらっしゃい」と俺を通すとさっさと行ってしまったので良かったが。
「さて、まずは適当な飯屋にいかないとな……」
正直腹が限界だったのだが、飯屋の場所が分からないので、俺は適当に王都の町を彷徨うことにした。
「しかし、綺麗な街だよなぁ」
終ぞ海外旅行など前の世界では行ったことがなかったんだし、こうして中世といった街並みを歩くだけでもなんだか映画の世界に来たみたいでわくわくしてしまうのも仕方ないと思うのだ。
いや、なんかちらほらとだけど獣耳はやした方が女性男性問わずいるし、筋肉もりもりで髭もっさもさなドワーフチックな方もいるからもう本当映画の世界といえばそうなんだけどもね。
まあ、全員美形といかないのは現実だよなーとも思うけど。
だけど、なんというか割と皆さん普通に剣持ってるな。まあ門でも注意されなかったし、そういう世界なんだろうな、とは分かってたけど。
変なところで物騒だなと感じてしまうのはなんでだろうな。自分だってさしてるのに。
でもやっぱり俺の大斧サイズの武器を持ってる人は流石にいない。長物といえば三メートル程の槍を背負ってる人はいたけど、きちんと穂先に布巻いてるし。
良かった良かった。俺の苦労も頭痛も無駄じゃなかったのだ。まあ、終わった様に言った所で、今現在どころか売り払うまで続いているのだけども。
そうこうしながらぶらついていると、住宅街は途切れ、露店街が見えてきた。
うーん、なるほど。圧巻である。
日本にいたときにはこういった風景は祭りやフリーマーケットでしか見たことなかったから、これが毎日やっている、というのは知識で知っていてもわくわくする。
人並みも先ほどまでの住宅街を抜けたからだろう、大勢いて賑わっている。おお、あれってエルフじゃないだろうか。というか間違いなくそうだ。
エルフも総じて美形という訳じゃないと知識にはあるけれど、あれは美人さんだな。うん、眼福眼福。
だが、今は美形よりも飯、花より団子である。
とりあえずそろそろ本気で腹もやばいことだし、適当な人に話しかけてみるとするか。
「あー、おじさん。ちょっといいかな?」
「いらっしゃい。探索者の人かい? なんか気に入ったのがあったかい? 安くしとくよ!」
まあ、鎧着て剣さしてこんな風にうろついてたらそう見られるわな。
この鎧も悪目立ちしてなくてよかったよな。これはこれで絶対不壊の祝福が込められてるし。
一張羅だったから着替える訳にもいかなくて不安だったんだけど、デザインは一般的っぽくて安心したよ、本当。
「んー、半分正解かな。探索者志望の旅人なんだよね、俺。それで宿と飯屋とギルドの場所を探してるのさ。ちなみに飯屋が最優先だったりする」
「なんだい兄ちゃん、冷やかしかい? まあ飯屋だったらほれ、ここを真っ直ぐいって突き当りを右に曲がればすぐだよ」
「そっか、ありがとう。お礼にって訳じゃないけど、これ貰えるかな。こういうの一本欲しかったんだ」
手前に広げられていた短剣を一本手に取り、そう答える。
正直ちょっとぼろいし、簡素な皮の鞘がついた銀貨一枚の安物だけど、こういうのは大事だよね。何事も。
ちなみに貨幣価値は大体銅貨が一枚百円で、銀貨が一枚一万円って所だと思う。あくまで想像というか、知識の擦り合わせなのだけど。
つまり、この短剣は一万円ぽっきりということになる。
正直お金には困ってないし、素材も比喩ではなくダンジョン一つ分抱えてる身だ。
安物買いの銭失いとはいうけど、円滑なコミュニケーションの為にはそれもやっぱり必要なんだと思う。
「はは、なんだい兄ちゃん、ありがとよ! 毎度あり! ちなみに宿だったらその飯屋、琥珀亭が安くて飯も美味くておすすめだぜ。ギルドの場所は、飯食って腹いっぱいになってからそこの店主に聞いときな」
「うん、ありがとう。それじゃ、また」
「おう! 兄ちゃんも探索者がんばれよー!」
やっぱり大事だな、コミュニケーション。俺はおじさんに手をふりつつ、話に聞いた琥珀亭へと足を進めた。
途中、なんかすんごい目でこっちを見てる女の子がいたけど、まあ気にしないでいこう。
……魔力的に多分魔法使いの子で、絶対俺の鎧とか剣を見てたっぽいんだけど、気にしないでいこう。いや本当に。
……うん、やっぱり普段着を早急に買おう。鎧も街用のをしっかり買おう。駄目だこりゃ。
果たして、噂の琥珀亭とやらはすぐ見つかった。
そういえば特徴を聞いていなかったなと思っていたのだが、なるほどわかりやすい。
店の両開きのドアの上に掲げられた看板は木製なのだが、『琥珀亭』という文字が全て木に埋め込まれた琥珀で描かれているのである。
高級感は店構えから感じられないが、素朴な感じでむしろ好感が持てた。
「いらっしゃい。食事かい? 宿泊かい?」
「どっちもお願いしたいんだけど、とりあえず食事かな。この店でボリュームが……いや、探索者に一番人気があるご飯を、とりあえず二人前」
ドアを潜ると、迎えてくれたのはプロレスラーも顔負けのガタイをした口髭がにあうおじさんだった。
看板娘とかいないのかね、この店には。
「ほう、うちでそいつは結構な量だぞ? 言っとくが残したら倍にして金貰うが、大丈夫か?」
おじさんは言外に「見栄をはるな、子供の癖に」と言っているようなのだが、割とリアルに俺は腹が減っている。
テーブルに座れたおかげでやっと剣を腰から外せたのだが、おかげでより一層空腹感が鮮明になってしまった。
「あー、残したら三倍でも四倍でも払うから、お願いします」
「……まあ、そこまで言うなら作ってやるよ。ちょっと待ってな」
おじさんはそう言うと調理場なのだろう、カウンターの向こうへ引っ込んで行ってしまった。店の中には俺一人である。
ううん、ここでもしも「その代わり、俺がもしも完食したら無料にしてもらえませんか?」と言っていたとしよう。そっちの方がかっこよかっただろうか。
いや、ないな。
というか三倍四倍の下りもないな。やっぱり空腹は駄目だ。思考を鈍化させてしまう。
しかし、暇だ。
日本ならこういう時に漫画なりテレビなりが店にあったけども、当然ながらここにはないし、唯一話相手になれるおじさんも今は調理場だ。
時間はわからないけど、ここがよっぽどの飯まず店じゃない限り、昼のかき入れ時ともずれこんでいるのだろう、他にお客さんが来る気配もなし。
まさかこの店がおじさん一人でやっているって訳でもないだろうしなぁ。宿もやっているんだから猶更だ。
だけど目につくのがおじさんだけってことは、要はやっぱり俺は変な時間にやってきて大量の飯を頼んでる奴ということになる。
……うん? 普通に迷惑な奴じゃないか、俺? いや、この世界は割と食事時間にルーズらしいし、多分許容範囲だろう。おそらく、きっと。
「おう、お待ちどう」
と、空腹を紛らわせる為に考え込んでいたらおじさんがやってきた。
そして並べられる数々の食べ物。
見るも豊かな食事達だ。
俺の腕程もあるパンが四つに、鶏肉まるまる一匹を開いてステーキにした物が二つ、付け合わせのサラダはボウルに入り、
俺の顔程もある深皿にはポタージュっぽいスープが並々と注がれている。そして、それらが全て二つ並んでいるのだ。
美味そうだ。心からそう思う。思えばこの世界にやってきてから、あったかいまともな食事なんて初めてである。
それだけでも感動ものなのに、この肉とスパイスの香りである。
本当ならいますぐにでも形振り構わず齧り付きたいのだが、その前に俺はどうしてもおじさんに言わなくてはならない事がある。
「おじさん、ごめん」
「……ほれみろ。まったく、しかたねーから俺が一つ食ってやるよ。坊主、これにこりたら変な見栄を 「これ、あと四人前追加で」 ……なに?」
俺はそれだけ呟くと、目の前の食事に齧り付いた! もう我慢の限界だ!
! なんだこの鶏肉! めちゃめちゃやわらかいし、鶏肉の癖に油ものっててめちゃくちゃうまい! いや、考えてみればこの世界の鳥が俺の知ってる奴と同じはずもないのだが!
うわ、スープはこれ完璧コーンポタージュだ! 風味は少しちがうけど、これはこれでうまい! というかとろみはこっちのがあってこれはうまいぞ!
おお、サラダにベーコンが乗ってるじゃないか! 野菜をベーコンと塩で食うのは初めてだけど、これはこれでいける! というかうまい! 下手なドレッシングでくうより全然うまい!
パンは固い! けど歯ごたえがあってうまい! 塩っ気があってこれだけでも普通にうまい! でも鶏肉と一緒にくってもうまい! スープにひたしてもうまい!
……って、あれ? なんでまだここにいるんだ? もしかしてさっきの注文聞こえてなかったのか?
「……ごめんおじさん、四人前追加、いいかな?」
「あ、ああすまん。今急いで作ってやる。ちょっと待ってろ!」
おじさんはそういうと慌てて厨房へ向かっていった。やっぱ腹が減ってると駄目だな。声量も知らず知らず下がっていて、おじさんに聞こえなかったみたいだし。
しかしうまいなぁこれ、あ、でも少しペース落とさないとおかわりまでになくなるか……?
いや、これだけ我慢したんだ! おかわりの間ぐらい食べずに待とう! だから今は食べよう、そうしよう!