迷宮世界
どれくらい、眠っていたのだろう。
意識に砂嵐が混じる感覚。
俺が知っていることは当たり前の事のはずなのに、それを否定する常識をねじ込まれるような感覚。
それすらも当たり前なのだと理解したとき、俺の意識は急速に覚醒した。
「……全部、夢。って訳じゃ、ないんだよな」
目の前に広がるのは、前も後ろも地平線まで続く砂の大地。
俺は見知らぬ砂漠の中で、いつの間にか寝こけていた。
「落ち着け。まずは落ち着くんだ」
大声で叫びだしたくなる口を必死に回して、冷静になる。なろうとする。
先ほどまでの光景を否定したくて、俺はここにいるのだと確認したくて。声を出す。いる。生きてる。俺はここにいるんだ。
「俺の名前は結城耕哉。二十二歳。大学生。北海道札幌市在住。日本人。誕生日は七月十日。かに座。血液型は」
両親の名と友人の名、好きだった女性に、好きな食べ物や趣味。数々の思い出を思いつく限りに述べていく。
俺が俺である為に必要な全てを声に出して、今現在を振り返る。
「そして、神様に出会って」
神様。そう、神様である。彫刻の様な黒で現れた女性。あれは神様だったのだ。
有り得ないはずの存在に俺は出会った。それを全て当たり前の様に俺は理解している。
神様がいるなんて、俺はずっとそんなものはいないようなものだと考えていたはずなのに、いることなんて当たり前なのだと、理解している。
そして。そして?
「……そして、この斧でやれってことか」
四メートルの長さにして、腕のような太さの柄。そして肉厚な両刃を先端に備えた大斧。
刻まれた複雑な紋様は茶色く、黒い刃に鈍い色を浮かべている。
重量五百キロ。しかし、その重さを一グラムから自在に変化させ操れる、絶対不壊の祝福を込められた魔導武具。
そして俺自身にも超越的な力を与えられた。この斧を、俺自身の意のままに扱えるように。
当たり前の様に。
「……なんで、俺なんだろうな」
口をついて出て来た言葉を否定する。それだってもう理由はわかっているのだ。
答えは一つ。誰でも良かった。それだけだ。
ここに。この世界にやってきて全てを理解させられたのだ。
この世界の循環の為に、俺がこの世界に送られた事も。
迷宮。
ダンジョンと呼ばれるそれは、この世界の淀みの塊である。
恨み辛み、妬みに嫉み。
あらゆる負の感情を持って死んだ生物の魂が転生するときに削ぎ落とされるそれら悪意。
その悪意の群れは現世を風の様に漂い、混じり合う。そしてそれが千年単位の時を経て一つの大きな塊へとなった時。
悪意はダンジョンコアへと形を変え、ある日唐突にその場所に迷宮として顕現する。
この世界では迷宮が悪意を用いて生み出す魔を殺せば、その魂は無垢なエネルギーへと変わり、肉体は一部を残して資源となり、世界へとまた循環していく。
だから、人間が迷宮に挑み続ける限り、この世界はこの世界の法則で巡りつづける。
はずだった、のだが。
ある日、辺境であり未開の地である砂漠に迷宮が出現した。
その迷宮は誰にも見つかることなく、一年の月日が経ってしまったのだ。
風の様に漂う悪意はその砂漠の迷宮にゆっくりと貯めこまれ続け、砂漠の迷宮はただただ悪意の権化たる魔を産み続けた。
それは砂漠の夜の寒さに耐えるよう、砂漠の昼の暑さに耐えるよう、ゆっくりと進化しながら、その数を増やしていった。
この世界は悪意から生み出される魔。その魔を倒して生まれるエネルギーで回っている。
人が魔を倒せばその身体と魂は強化されるし、世界を漂うエネルギーに指向性を持たせる事で扱える魔法なんてものさえある。
だが、悪意が一つの箇所に貯まり続ければ、どうなるか?
人間が確認している迷宮から沸きだす魔は数を減らし強化は緩慢になり、世界を漂うエネルギーは減り魔法の威力は減衰するのだ。
そして、いずれ砂漠の迷宮は低下した人類の戦力では一つの魔すら打ち滅ぼせない魔王の城となってしまう。
そうなってしまっては、迷宮の魔はいずれ迷宮から溢れかえり、この世界は循環できなくなり、崩壊する。
なにせ、未だこの世界の人類は何故迷宮に沸く魔が減ったのか、魔法の威力が落ちているのかに気付いていないのだから。
その前に、砂漠の迷宮の悪意を解き放つ必要がある。
そのためだけに、俺はこの世界へ事を成すだけの力を持って呼ばれたのだった。
「無作為に、適当に、誰でも良かったらしいけどな」
理由なんてない。なんとなくで俺は候補にされ、なんとなくこの世界をなんとなくこんな形で救ってやろうと神様が思っただけなのだから。
当たり前に理解できるようにされたのは悲しいが、そもこんな世界は数えるのが無駄なだけ存在する。
そんな中でたまたま神様の目にこの世界が止まり、気まぐれで救おうと思ったが、気まぐれでこんな手段をとっただけ。
俺の意志や、この世界の住人や、方法なんて、何でもよかったのだ。
「まあ、それこそ。仕方ないと言うしかないんだろうな」
人間が気まぐれで蟻の巣を飼育したり、壊したりするように。神様にとって俺たちは所詮そんなものなのだ。
さしずめ天敵に襲われている飼育ケースの蟻の巣を、遺伝子改造された蟻を一匹いれて救おうとする、そんな蟻にされただけという話である。
憤りが無いとは言わないが、半ば以上諦めの気持ちが強い。
親に会えない。友人に会えない。大好きだった食べ物も食べれないし、好きだったあの娘を見かけることも一生ない。
文化が違うこの世界で、きっと俺はかつての趣味も味わえずに終わるのだろう。
だってこの先何をしたってあの神様には会えないし、この世界から俺は出れないのだから。
この世界にそんな魔法も、神様と会うような方法なんてない。
異世界で、魔法があって、まるでファンタジーだけど、俺の世界に科学があってもタイムマシンが無いように、この世界の魔法だって万能じゃない。
そこまで含めて、理解している。させられている。
だから、仕方ない。もう過去にも先にも戻れないのだ。
「仕方ないから割り切って、この世界を救う所から始めないといけないわけだ」
人生は楽しまないと、損だ。
せっかく生きているんだから、生きて生きて、楽しいことをしていたい。
幸いというかなんというか、俺は生来喧嘩、というか暴力的な映像だったり漫画だったりを好んでいる。
流石に実際に人を殴ったことなんてのは小学生の頃にした喧嘩ぐらいのものだけど、常にもやもやしていたのも確かだった。
バトルジャンキー、加虐趣味。
もちろん表に出せばどうなるかなんてのが分からない歳ではなかったから隠してきたが、この世界では戦うことは働くことなのだ。
そして与えられた物ではあるけれども、なんとも強い力というのが今の俺にはあるんだし。
ポジティブになろうなろうと考えて、必死に足を進める。
命がかかっている、という事は受け入れても、背負っても、どう足掻いても重苦しい。
そうして脳裏に浮かんでいた導きに従って歩いた先にあったのは、砂で出来たかまくらのような小さな入口。勿論これが砂漠の迷宮の入口だということはわかっている。
流石にナビゲートはここまでのようで、中身がどうなっているのかはわからない。
いくらポジティブに考えようが、バトルジャンキーかも。なんて半笑いで誤魔化そうが、俺だってなんだかんだ当たり前の様に死にたくない。
しかし何もしなければ世界ごと俺が死ぬし、そも俺は誰を頼ろうにも街の方向すらわからないし、それでもしも間に合わなかったら俺は多分、後悔するんだろうとも思う。
だからこの世界で今、俺だけが死にそうなこの世界を救えるというのなら、やってやるしかないのだろう。
背中に担いだ大斧の柄にそっと触れる。
絶対に壊れない祝福が込められた、その重さを操れる大斧。
そしてそれを扱える様に改造された肉体。精神に刻み込まれた戦闘方法と、その技術。そしてそれを守ってくれている、絶対不壊の銀鎧。
俺はこの迷宮を攻略できる。
そう信じて。半ば言い聞かせつつも。暗い迷宮の入口へ、俺は身体を沈ませた。