第7話 波形が出てたらしい
放課後の自販機前は、いつもより人が少なかった。
実技のあと、白石はほとんど話さなかった。
プリントを配る時も、椅子を引く時も、こちらを見る直前でやめた。
俺も避けた。
避けたまま一日が終わった。
机の横を通る時、白石の鞄だけが視界に入った。
缶コーヒーのボタンを押す。落ちてくる音が、やけに大きい。
「神代」
花宮だった。
片手に紙パックの紅茶。もう片方の手で端末を持っている。何かを見せに来た顔ではない。見せるか迷っている顔だった。
「白石と喧嘩?」
「喧嘩じゃない」
「じゃあ何」
「実技で失敗した」
「それ、白石的には喧嘩より重そう」
自販機の横で、一年らしい二人組が炭酸を買っていた。片方が取り出し口に手を突っ込んだまま「あ、違うの押した」と笑う。
その笑い声だけが、変に普通だった。
軽く言ったあとで、花宮は目を伏せた。
「ごめん、今の軽かった」
「いや」
花宮はこういうところで戻ってくる。
大河なら踏む。小鳥遊なら踏む前に刺す。
「噂、出てる」
花宮が言った。
「噂?」
「神代と白石の波形が変だったって」
「誰が言ってる」
「いろいろ。実技室にいた人」
いろいろ、という言い方が一番厄介だ。
誰か一人なら否定できる。いろいろなら、もう空気になる。
「波形が出てたらしい、とか。先生が記録保存した、とか。仮ペアなのに初日から再観測かも、とか」
「再観測?」
「知らない。誰かが言ってただけ」
花宮は端末をしまった。
「でも、白石には聞こえてると思う」
返事ができなかった。
白石の顔が浮かんだ。
すぐに、自販機の明かりへ目を逃がした。
缶コーヒーのプルタブに指をかける。開ける前に、後ろから声がした。
「何を話してるの」
白石だった。
足音に気づかなかった。
花宮が一瞬だけ俺を見る。助け舟を出すかどうか迷った顔。
「噂のこと」
俺が先に言った。
白石の視線がこちらに向く。
「どの噂」
「波形が変だったって」
「そう」
白石は短く返した。
缶の列から目を動かさなかった。
自販機がまた低く鳴った。
誰かが取り忘れた紙パックが、取り出し口の中で斜めになっている。
花宮がそれを取って、近くの一年に声をかけた。
「これ、忘れてる」
「あ、すみません」
「白石」
「何」
「聞こえてたのか」
「聞こえないふりはした」
静かすぎて、自販機のモーター音が急に近くなる。
花宮が紙パックを握り直す。
「白石さん、私」
「いい」
白石は花宮の方を見た。
「止めなくていい。言う人は言うし、見ていた人がいるなら、消えない」
そこで一度、言葉が切れた。
白石の目が、俺に戻る。
「でも、神代くんが何も言わなかったのは残る」
花宮が息を止める気配がした。
俺は、何か言おうとした。
言い訳ではない、と思いたかった。
けれど、口に出す前から言い訳の形をしていた。
「白石が、嫌がるかと思った」
「何を」
「かばわれるの」
白石はすぐには答えなかった。
自販機の中でモーターが低く鳴っている。
「それは、半分当たってる」
「半分」
「うん」
白石は缶の列を見るでもなく、ただ自販機の明かりを見ていた。
「かばわれるのは嫌。勝手に弱い側に置かれるから」
「じゃあ」
「でも、何も言われないのも嫌」
言ったあと、白石は顔をしかめた。
唇を噛む。
「面倒だと思うなら、そう思っていい」
「思ってない」
「早い」
また言われた。
俺は口を閉じる。
白石はその間を待った。
「……分からない」
言葉は、それだけしか出なかった。
「白石がどうされたら嫌なのか、全部は分からない」
「うん」
「でも、何も言わないのは違った」
白石の視線が、ほんの少し揺れる。
でも彼女は、怒らなかった。
「次は」
「うん」
「勝手に決めないで」
「分かった」
白石が眉を寄せる。
「今のは?」
「……分かった、じゃなくて」
言い直す。
「気をつける」
「……たぶん、それでいい」
花宮が小さく息を吐いた。
場が少し戻りかけた時、白石の端末が震えた。
続いて、俺の端末も。
同じタイミングだった。
画面には短い通知。
《明日放課後、再確認実技》
《対象:神代玲/白石凛》
《接続波形の再観測を行います》
花宮が横から見て、声を落とした。
「……やっぱり、普通じゃないじゃん」
白石は何も言わなかった。
俺も言えなかった。
缶コーヒーは、いつの間にか手の中でぬるくなっていた。




