11 真実は蓋を閉じた地に
さかのぼって、午前。勇來たちが知世とともに屋敷をあとにしたころ。屋敷に残った探偵は零羅を連れて、二階の廊下を歩いていた。使用人の同伴を拒否したのは、任務に関わる会話をするためである。
「……やはり、そうか。矢野瀬來亜もそのように証言している。風音空來は、そこに気付く一歩手前といったところかな。実は矢野瀬來亜からは寿を通してもうひとつの報告を得ている。今日はそれについて調査したい。そのために貴様の力――というより、貴様が授かった加護を借りたいのだ」
「必要なら渡しておく」
零羅はポケットから、出発前にジオに押し付けられた例のお守りを出すが、探偵は手でそれを拒む。
「いいや、それは貴様が持っていろ。現身といえどもあれは神。特定の人物に向けた加護を、たとえ本人の意思であっても譲渡すれば、受け取った者に神罰が下ったとしても不思議ではない。その護符もそういう造りになっているやもしれん」
「……そんなことを考えるやつではない」
「どうだかな。そうでなくとも、私は光属性に限らず、神格を持つ生命体とは極力関わり合いになりたくないのだ。寵愛も神罰も御免こうむる。現身である人間を通して権能を発揮する守護神の宝珠、しかしそれが人類にとっての脅威になり得ないと言い切ることはできない」
「神格が嫌いか」
「……そうだな。少なくとも信仰はしていないし、するつもりもない」
「だがジオの話では――」
「ついたぞ。ここだ」
探偵はひとつの扉の前で立ち止まる。ノブに手をかけ、鍵がかかっていることを確認すると、零羅を見た。
「ジオ・ベルヴラッドは風属性の能力を使った鍵開けができた。その護符を使って、貴様にも同じことができるか?」
「ためしたことはないが理論上は可能だ」
言いながら、零羅が扉の鍵穴に手を添える。すると、窓も開いていないのに風が吹いた。二秒。三秒。五秒ほどして、扉の奥からカシャンと勢いよく鍵の開く音が響く。零羅がノブをひねると、扉は抵抗なく開いた。
「ここは」
「早乙女岳の部屋だ。我々に触れられて困るものは、ここに隠してあるはずだからな」
「……なにを探す」
探偵は部屋の奥にある扉を開けた。その先は寝室になっているようだ。
「見当はついている。ああいう男が大事なものを隠すとすれば、寝室の……そら、見つけたぞ」
枕元にある小さな戸棚の奥からなにかを取り出し、零羅のもとに戻ってくる。探偵が持っていたのは小さな銀色の鍵と、地下室と書かれたタグがついている古ぼけた鍵だ。何年も使用されてきたのだろう。持ち手の部分が変色している。
「矢野瀬來亜は物置小屋から奇妙な匂いがすることに気付いたが、匂いのもとを探し出すことはできなかった。風音空來と矢野瀬來亜は、小屋に地下室がある話を東雲雅日から聞いている。実際に小屋に立ち入った風音勇來と秋人からの報告に不審なところはなく、しかし小屋には間違いなくなにかがある。これだけの情報が出揃えば、最も怪しいのが地下室であることは明白だ」
屋敷には鍵のかかった部屋がいくつかある。知世の部屋や岳の部屋など、個人の部屋の鍵は本人が持っているが、それ以外は専用の部屋にまとめて保管されている。物置小屋の鍵もそこにあった。だが、物置小屋の地下の鍵だけはどこにもなかった。零羅は探偵の手にある鍵を見つめる。
「地下の鍵だけが早乙女岳の部屋に保管されていたということは、そこに誰にも見られるわけにはいかないものがある、なによりの証拠」
「そのとおり。奇妙な匂いとは――すなわち、血のにおい。風が吹けばすぐに散ってしまい、知覚できなくなるほど儚い残り香と、建物内部から染み出るかすかな腐敗臭。においを辿るうちに、小屋の出入口の地面にごくわずかな乾いた血痕を発見した。矢野瀬來亜はそう証言している」
「行方不明の使用人か」
「その可能性が非常に高い。施錠のこともあるからな、この鍵は持ち出さない。物置小屋と地下室の鍵開けは貴様頼りだ。できるな?」
零羅は頷いた。探偵は地下室の鍵を寝室に戻し、小さいほうの鍵を持ったまま早乙女岳の部屋を出る。元通りに扉に鍵をかけ、そのまま裏口を通って庭に出た。物置小屋の周辺にひと気はない。零羅の鍵開けはジオほど迅速ではないものの、その仕事ぶりには問題なかった。
物置小屋の出入り口の南京錠は岳の部屋と同様に難なく開錠。中を調べると、小屋の奥の床に扉があるのが見えた。こちらも丈夫そうな南京錠によって閉ざされている。零羅がそれを外すと、探偵は扉に手をかけた。
「私は地下を調べるが、貴様はどうする」
「……持ち場に戻る」
「賢明な判断だ。あとで持ち出した鍵を返しに行くので、頃合いを見て戻れ」
零羅が立ち去ってから、探偵は地下への扉を開け、足もとの寿を見た。
「寿、ここで待っていろ」
地下室はひんやりと冷たかった。入り口付近の壁に電気のスイッチがあり、押してみると頼りない灯りが室内を照らす。カビくささを圧倒する嫌なにおいが鼻をつく。職業柄、何度も嗅いだことのあるにおいだ。その正体がなんなのか、すぐに思い当たる。
その場で屈む。薄暗いためよくは見えないが、なにかを引き摺ったような血痕があった。それを辿って奥へと足を進めていくと、部屋の隅に大きな金庫が埃をかぶっている。もう少し具体的に言うと……そう、たとえば、小柄な女性一人程度ならば、この中に押し込められる大きさだろう。
金庫の扉には錠前とダイヤルロック。それからゼロから九までのボタン式のナンバーロックがあり、鍵を挿してダイヤルとボタンで正しいナンバーを入力すれば開くようだ。ダイヤルロックのほうは壊れていて使い物にならない。内ポケットからライトを取り出して金庫を照らす。五つ、埃の落ちたスイッチがある。一、三、六、七、ゼロ。何度か順番を変えて押していくと、あるとき中でカチリと音がした。
扉を開けた瞬間になだれ出る、目に沁みるほどの腐敗臭に思わず顔をしかめた。行方不明となってから既に十一日。地下の温度が地上よりも低いためか、想定していたより腐敗は進んでいないが、それでもひどい状態だ。長い銀髪。腐って変色した肌。かわいた血にまみれたブラウス。空洞の目。
膝を曲げて座った状態で金庫に押し込められていた女性の遺体。その足元に五つのビンが転がっていた。女性の遺体の膝元にも同じビンがある。手に取ってみると、中になにかが入っているのがわかった。
それは腐敗した眼球だった。
*
「気立てのいい娘さんでね、いつも明るく笑っていたわ。ええ、まだお若いのに、お気の毒に……一人娘を亡くされて、ご両親もさぞつらい思いをされてるでしょう。考えるだけでも胸が痛みます……」
「なんていうか、よくわからない子だったのよ。こっちが話しかけただけでオドオドするような、気が弱くてちょっと人見知りな子でね。でも、だからこそ、こんな事件に巻き込まれるようなタイプじゃないと思うのよね。危ない橋は渡らないような感じっていうか。……もうちょっとで、友達になれると思ったのになあ」
「礼儀正しい謙虚な青年だったよ。いつも道で会えば必ず挨拶してくれて。よく困ってる誰かの手助けをしていたよ。品行方正って言うのかい? 人に恨まれるようなことなんか絶対しないような、今どき珍しいくらいのいい子だった」
「お節介っていうとちょっと聞こえが悪いな。世話焼きっていうか、困ってる人を見過ごせないっていうか。正義感の強い男だった。暑苦しいけど、思いやりのある優しいやつだったよ。……俺の、親友だったんだ」
「彼女は面白くて、明るくて、人気者だったよ。好奇心が旺盛すぎるのが、ちょっと困ることもあるけど。彼女はいろんな人から好かれていて、友達も多かった。誰にでも分け隔てがない人でさ……こんなことになるなら、勇気を出して、ちゃんと気持ちを伝えておくんだったな……」
「いつ見てもキラキラしてる子でね――」
「あの青年の純粋さがよくわかったよ。なんせ――」
「俯きがちで、普段は顔がよく見えなかったんだけどね――」
「あいつのまっすぐな心が、それだけでわかるほど――」
「これは彼女の魅力、特徴のひとつとして欠かせないよ――」
あの娘さんは。あの青年は。あの子は。あいつは。彼女は。
「――とても綺麗な目をしていたんだ」
*
地下室の南京錠を閉じ、物置小屋を出たときに探偵が鉢合わせたのは、東雲雅日だった。雅日は探偵と寿が物置から出て来るのを見ると、おどろいたように目を見開く。
「た、探偵さん? どうして物置に……」
「白々しいな。私がこの屋敷のどこから現れようと、さして不思議なことではないだろう。ところで早乙女岳の帰宅はいつごろになる予定だ? 今日中でないことは既に聞いているが」
「え、ええと……だ、旦那様は明日の午前中に戻られるかと。午後には特別なお客様がお見えになりますので、それまでには必ず」
「そうか。ならいい」
「あ、あの。物置に……なにか気になるものでもございましたか?」
探偵は目を細めて雅日を見る。その眼光に、雅日はわずかに肩を竦めた。
「女は嘘をつくのがうまいと聞くが、貴様はマジメすぎるのだろうな。絶望的に嘘が下手な小娘だ」
「え……な、なにを仰っているのか……わかりかねます」
「構わん。それもまあ――今ではない」
探偵はそうとだけ言い残すと、寿を連れてその場を去っていった。
次回は明日、十三時に投稿します。




