10 籠の鳥は空を知らず
「もうじき暗くなりますね。今日はこれくらいで引き揚げましょうか」
日が傾き始めるわずか前に、頃合いを見て静來が言う。知世と勇來も頷いた。
「そうだな。釣れたのがスライムばっかりだったのが残念だけど」
「でも、とっても楽しかったわ」
「それならよかったです。じゃあ、浅葱さん」
「はい、かしこまりました」
浅葱は操縦席に戻って秋人と談笑していたが、静來の声を聞きもらさなかったようだ。ほどなくして船着き場に帰還し、借りていた釣り道具を片付け、全員がボートを降りる。
「釣り道具とボートの鍵を返却して参ります。お屋敷と探偵さんへの連絡もありますので、少々お待ちください」
「お、じゃあその間に砂浜で走り込みするか、空來。浅葱さんが戻って来るまでノンストップで全力疾走だ」
勇來の提案に空來は心底嫌そうな顔をする。
「うへー。勇兄ってば、マジで言ってる? 一日遊んでまだそんなハードなことしようとしてんの?」
「そうですね、砂浜徒競走とかでいいんじゃないですか?」
「四軍って体動かすことしか考えてないの? 來亜、どう思う?」
「おれが一番速い」
「もー」
「じゃあ私と知世はゴールに立ってますね。行きましょう、知世」
「ええ。みなさん、がんばって!」
「げ。それって俺と如月くんも参加な感じ?」
「えっ……いいよ僕は、そういうの向いてないし……」
「らぎ。負けるが怖いか」
「いや……勝つも負けるも、あんたと僕とじゃ、根本的な造りがちがうし……僕以外は能力者じゃん。その時点で無理が……」
「敵前逃亡。女のようだは、顔だけにする。おけ」
「う、うるさいな。一丁前に煽りやがって、やればいいんだろ……ちぇっ、絶対ビリだよ……」
知世と静來の二人は勇來たちから十分な距離を取ってから立ち止まると、手を挙げて声を張った。知世も手を振っている。勇來が足でスタート位置のラインを引き、月も渋々そこに並んだ。
「じゃ、いきますよー! よーい……スタート!」
静來の合図で五人が一斉に砂を蹴る。スタートダッシュが速かったのは勇來だ。最初の一歩二歩だけでも既に他の四人と距離が空いたが、すぐに來亜がそこに追いつく。二人はそのまま互角の速度で疾走するが、トップスピードとスタミナ量は來亜のほうが上だ。距離が伸びるほどに來亜の優勢になっていく。二人のうしろは秋人、わずかに遅れて空來と、距離を離されながらも月が全力で砂を蹴っている。
「あっははは、速いなあ、あの二人は! 本当に同じ砂の上走ってるんだよねえ?」
先頭二人の走りっぷりを見て、秋人がつい笑ってしまう。空來が徐々に追い上げていき、おそらくゴール目前までには秋人を抜くだろう。來亜が一着、勇來が二着で走り切ったころに、秋人がコースの折り返しまで来る。空來は既に秋人に並ぼうとしていた。
「わーっ!!」
「あっ! 秋人が転んだ!」
結局のところ、月はビリでの完走を免れた。
「いやー、あはは。競争なんていつぶりだったかなあ」
服に付いた砂を払い落しながら、秋人はへらへらしている。知世がパチパチと拍手している隣で、空來は肩で息をしながら額の汗を拭った。
「秋人って歩くのは遅いのに、走ると結構速いね」
「來亜クッソ速ぇ! 種族の違い半端ねえわ」
「おれが一番速い。戻るばもっと速い」
「はいはい、わかったから。ハア……ああ、疲れた……」
「みんな、すごいわ! 速く走れるようになる秘訣はなあに?」
「やっぱり一番は毎日体を動かすことだな」
静來が砂浜のコースを振り返る。
「あまり浅葱さんから離れすぎてもいけませんし、少し戻りましょうか」
「それもそうだね」
空來が同意して歩き出す。あとの五人も雑談しながらそれに続き、砂浜を引き返していく。勇來がふと、うしろを歩いていた知世のほうを見た。
「そういえば知世は――」
瞬間、勇來が知世の腕を強く引っ張った。
「きゃっ!?」
どん、と勢いよく知世の体が勇來の胸にぶつかる。
「な、なんですか!?」
「うわっ! びっくりした!」
ただの一瞬、目を離した。その隙に。
知世の真後ろに、黒い大きななにかが浮いていた。
長い髪の毛のようなもので覆われた頭部。丸いリングのようなものが三つ、首の代わりに垂れ下がり、そのさらに下に黒い鳥籠のような、檻のようなものがぶら下がっている。大きな白い触手のような腕が二本生えており、背中――と形容していいのか不明だが――には羽根のようなものがあり、やじろべえのようなシルエットだ。
「か――カルセット? いつの間に……勇兄! 知世をうしろへ!」
「ああ!」
勇來が知世を抱き上げて、檻のカルセットから距離を取る。カルセットはそれに反応し、白い腕を勢いよく伸ばすが、勇來の反射神経は並大抵ではない。知世を抱いた状態でそれを躱し、少女の身柄を秋人に預ける。
「秋人! 知世を頼む」
「えっ、わ、わかった!」
秋人に向かって伸ばされた白い腕が、勇來の手に握られた細長い光に弾かれる。光は瞬きの間に一本の槍に変わった。武装系の能力による武器の召喚だ。
「空來!」
声を向けられた空來がその場に屈み、静來が彼の背中を足場に跳躍する。一片の火花を散らしながら、静來が檻を蹴り飛ばした。
「静來! あいつはなんだ? 見たことあるか?」
「いえ、ないです。私たちの誰にも気付かれずに、ここまで接近するなんて……どこから湧いて出たかは知りませんけど、手加減の必要はないですよね?」
「当然。ぶちかますぞ!」
前線の二人はそう意気込むが、臨戦態勢の勇來たちに反し、檻のカルセットはそのままうしろにあとずさるように浮かび、砂浜に映る自分の影に溶け込むように沈んでいった。
波の音と緊張だけがその場に残る。
しばらく待ってみても、攻撃が来る様子はない。勇來は槍の武装を解いた。
「……逃げた?」
「……ええ、そのようです。知世、大丈夫ですか?」
「い、今のはなに……?」
「檻……鳥籠? わかりませんけど、そんな感じのカルセットでしたね。怪我がないならよかったです」
「びっくりしただろ。もう大丈夫だ」
「あ、ありがとう……」
静來と勇來が震えている知世をなだめていると、船着き場のほうから浅葱がやってきた。
「お待たせいたしました。それでは――……どうかなさいましたか?」
「あ、いえ……」
「カルセットだよ。檻みたいな形の。いきなり現れて襲ってきたんだ」
「カルセット? こんな海岸に……皆様、お怪我はございませんか?」
「……全員無事です。知世も無傷ですから、心配いりません。ですが、またいつ襲ってくるかもわかりませんので」
「ええ、そうですね。早急に、お屋敷へ戻りましょう」
*
「檻のカルセットだと?」
「そうそう。なんか、こーんな感じで、頭があって、檻みたいなのがぶらさがってて」
「やじろべえ? みたいな形だったぞ。で、背中に変な羽みたいなのがあって浮いてたんだ」
「急に出てきたと思ったら、急に消えちゃったんだよ」
「知世ちゃんは無事だったんだけど、逃げられちゃったんだ。探偵、なにか心当たりないか?」
屋敷に帰って探偵の部屋に集まると、勇來と空來、そして秋人が海岸で遭遇したカルセットのことを口々に報告した。探偵はなにか考える素振りをしてから静來を見る。
「風音静來、お前の所感でいい。他になにか見ていて気付いたことはあるか?」
「……あれは、知世を狙っていたように思います」
檻のカルセットからの攻撃を受けたのは、知世を前線から遠ざけた勇來と、勇來から知世を任された秋人だけだ。明らかに、狙いは知世だっただろう。静來がそう話すと、探偵はわずかに目を細めた。
「そうか」
「でも、なんで知世ちゃんが狙われるの?」
「さあ、それは知りませんよ」
「とにかく、知世の守りをもっと固めたほうがいいんじゃないか?」
「ああ。あの娘に死なれては困る」
「知世ちゃん、今は雅日さんたちのところにいるけど、寝るときは静來ちゃんが一緒にいるほうがいいかもね」
「わかりました。それでいきましょう」
「ところで探偵のほうはどうだったんだ? なにかわかったのか?」
「ああ、まあ、いくらかはな」
探偵の言葉に、一同は黙り込んで続く言葉を待つ。三秒ほどしてから、探偵がちらりとこちらを見た。
「……まだすべてを話せる段階ではない。確認すべき点が残っている」
秋人はがっかりしたように肩を落とす。
「なんだよ期待させやがって」
「勝手に期待したのは貴様らのほうだ」
「ちなみに、現時点で真相解明度はだいたい何割くらいのとこまできてるんだ?」
「九割といったところだな」
「も、もうほとんどわかってるってことじゃん。わかってる部分だけでもいいから教えてくれよ」
「残り一割の不確定要素が含まれている以上、それはまだ真実とは言えない。ゆえに、まだ語るべき段階ではない」
「どこ行くんだ?」
「早乙女知世に、帰ったら会いにくるよう言われているのでな。寿、行くぞ」
來亜の膝の上で丸くなっていた寿が、探偵の声に反応して飛び降りる。二人が去ったあと、勇來と秋人がため息をついた。
「ったく、すぐあれなんだもんなあ」
「それに、知世が探偵に会いたいって言うのに、子連れで行くのもどうかと思うけどな、俺は」
「子連れっていうか、飼ってる猫かなんかだと思ってる可能性あるんじゃない?」
「言えてる」
*
「リィスの写真?」
「ああ。昨夜に見たところだが、もう一度見せてくれ。他にもたくさんある、と言っていたな?」
「ええ、もちろん。それじゃあ私のお部屋にいらしてくださいな」
カルセット襲撃からしばらくは怯えていた知世も、屋敷に帰ってしばらくするとすっかり落ち着いたようだった。今朝、外出前の知世から、屋敷に帰還したあとにまた一緒にお茶がしたいと誘われていた探偵は、少しそれに付き合ったあとで情報収集に乗り出した。
知世の案内で彼女の自室に案内される。彼女が本棚からアルバムを探している間に、一度部屋の中を見渡した。背の低い戸棚の上に、三体の人形が目に入る。金髪と黒髪と銀髪の少女だ。手に取って眺めていると、知世がそれに気付いた。
「それはパ……お父様が作ってくださったの。私のお友達よ。その銀髪の子はリィスをモデルに作ったもので」
知世が一冊のアルバムを探偵に差し出す。
「リィスの写真はここにあるのが全部ですわ。彼女がお屋敷に来てから、いなくなる少し前までの写真です」
探偵はアルバムをめくる。銀髪碧眼の少女、リィスと知世が一緒に写っている写真が多く目に留まる。ときどき東雲雅日や他の使用人と撮った写真もまざっていたが、リィスが写ったものを中心にまとめているらしい。後半に向かうにつれて、リィス一人を写したものが増えていく。
「リィスは綺麗な子だったから、ついたくさん撮ってしまったの。お顔の近くで撮ると恥ずかしそうにするのがとってもかわいらしかったわ」
知世は愛おしそうに、リィスの写真を指でなぞる。彼女が撮ったのであろうリィスの写真はたしかに、うんと近い距離から撮ったようなものが多いため、その顔がよく見えた。写っているリィスは気恥ずかしそうだ。しかし、困った顔こそしているが、知世のことをよほど大事に思っていたことが、他の写真やその表情からも見て取れた。どの写真のリィスも、美しく、優しい目をしている。
「探偵さん、どうかリィスを見つけてくださいな。私……あの子が一緒じゃないと、毎日さびしいの。あの子の代わりなんて、誰にも務まらないわ」
「……ああ。必ず見つけ出すとも」




