初めて知った真実
「そう……ですわね。あなたが今まで通り、誰のものにもならないでいたら、こんなに赦せないと思わなかった筈ですわ。あなたが彼女のことも他の女と同じようにどうでもいいと感じていたなら、私もアルス様とのことはひと時の思い出として、頂いた財産をお土産におとなしく悠々自適の生活に移れたでしょう」
「……」
「何故彼女ですの? エンキの大公として仕方なく迎えたスパルタスの王女というだけでは、何故いけませんの? アルス様が悪いのですわ。国のことだけに真剣で、女は気分転換でしかないと思ってらしたくせに、今になって一人のものになろうだなんて……っ」
「……」
「私の女としてのプライドはどうなりますの? 別に……別に好きとかそんなんじゃありませんけどっ。仰る通り、私達の関係なんてただの契約でしかないんですもの。どちらが契約解除を申し出ても恨みっこなしの約束ですし」
だが拗ねたようにそう言うビアンカの眼差しは揺れていた。
アルスは絶句した。
今の今まで、彼女がどう思っているかなんて考えもしていなかったのだ。愛妾を複数置いたのも、一人ならば自分に愛されていると勘違いさせてしまうかもしれないと考えた末だった。
三人と関係を持つ時に、自分にとって女性は安らぎではあるが心を与える事は出来ないし、こちらも求めない。それでいいならば互いに納得ずくの関係を持ちたいと明言したのも、誠意の表れのつもりだった。
そしてそれに三人とも納得したからこそ、愛妾に据えたのだ。
アルスは何も言えず、呆然と目の前の相手を見つめた。
よく知っているつもりだった相手が、突然見たこともない別人だと気付いたような、覚束ない気持ちだった。
「その……エレナとセレスも、同じ思いでいたのか……?」
やっと搾り出した声に、ビアンカは目を眇めた。
「同じ思いってどういうことですの? 私は好きとかそういうのじゃないって言った筈ですわ。自惚れないで下さいな」
「それ、は、わかっているが……」
みっともなく声を詰まらせたアルスに、ビアンカは小さく笑った。
「初めて私に対して感情を揺らして下さいましたわね。私が感情のない空っぽの人形じゃないって、やっとわかって頂けましたのね?」
「……すまなかった」
「もういいですわ。ただの嫌がらせですもの。アルス様が謝る必要なんて本当はないってわかっています。ですから―――もういいですわ」
彼女は初めて見せる微笑を浮かべて胸を張る。
いや、本当は何度も見せていたのかもしれない。アルスが見ようとしてこなかっただけで。
「あの人にも散々意地悪をしてきましたけど、全然相手にされてなかった―――というより、相手が悪かったようですわ。今度は勝ち目のある女性の恋人を狙うことにします。私はエンキの大公に気に入られた国一番の歌姫ですもの。私の恋歌を聞いて恋に落ちないような男は、こちらから願い下げですわ。それと―――」
ビアンカは右手の中指からシンプルな指輪を抜き取った。
「よく考えてみたらこれ、私には似合わないと思いますわ。私にはもっと派手なものが相応しいでしょう、アルス様? これより安物でも煌びやかなものが。そういうのは私いっぱい持っていますの。ですから―――これはもっと似合う方に差し上げたら宜しいわ」
そう言い捨てるとアルスの手に指輪を渡して、ビアンカは踵を返す。
肩をそびやかして歩み去るその後ろ姿を見送りながら、アルスはもう一度小さく、すまなかった、と呟いた。
彼女が自分を本気で想っていたということ、そしてそれ故に身を引く決心をしてくれたということが、初めて感じる重さでアルスの上に圧し掛かっていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アルスは今日こそはと心に期するものを抱きながら、マリーアの部屋に向かっていた。
ビアンカと話してから四日経っている。この間、珍しいことにいつもの朝食の席にマリーアは顔を出さなかった。
朝餐室に伝えに来た女官は、マリーアが少し風邪気味なので自室で食事を摂るということを述べていたが、どんな容態なのか訊いても、ご心配頂く程のことではないなどとはっきりせず、去り際には一瞬とはいえ睨まれた。
エンキの大公という身分に加え、外見的な見栄えも良いアルスにとっては、滅多に味わうことのない非常に珍しい体験だ。
結果、呆気に取られていたアルスはそれ以上の追求も出来ず、心配だけが募ることとなった。
その場にいたセインはたいして気にする様子もなく、風邪は引き始めが肝心といいますからね、などと言って澄ましている。
それを見て自分だけが心配して見せるのも癪に障り、アルスも気にしていない風を装ったが、そんな気を遣わされたことにもムッとした。
セインがおおっぴらに心配してもムッとするのはわかっているが、男心というものは複雑なのだ。
だがなんにしてもマリーアに自分の気持ちを伝える際に、他人の目がない方がやりやすい。見舞いの名目で彼女の部屋を訪うことが出来るのは、かえって好都合だった。
本当は先触れを出すべきだったが、断られると厭なので直接向かっていたアルスは、マリーアの部屋の前で大きく息を吸った。
扉番に合図をすると鈴音が鳴り、大公の来訪を告げる。
中に入ると突然の珍しい事態に、女官達が慌ただしくこの国の至高の存在を迎え、席を作った。皆驚きながらも大公の訪問を喜び、丁重にもてなそうとしている。
アルスはその中に朝、マリーアが風邪だと伝えに来た女官の姿を見つけたが、彼女は表情を変えずにお茶を置いて引き下がり、代わりにリラが進み出た。
リラはマリーアと共にスパルタスから来た女官だ。
「大公殿下には突然のお越しで、お迎えする準備が整っておりませず、申し訳ありません。マリーア様はお支度をされてすぐいらっしゃいますので、それまでどうぞお寛ぎ下さいませ」
「いや、その……っ、マリーアが風邪だと聞いて見舞いに来た。もしかして臥せっているのか? それならば無理はさせたくない。そのまま寝ているように伝えてくれ。俺が……その、そちらに行くし」
「いえ、それは―――すぐにいらっしゃいますので」
リラに重ねて言われると、それでもとは言えず、アルスはお茶のカップを口に運んだ。
この部屋に入ったのはマリーアが毒を飲んで倒れた時以来だ。考えてみれば彼女が具合の悪い時にしか来ていないような気がする。
この部屋でゆっくり座るのは初めてだと、変なところでしみじみしながら、アルスは室内を見回した。
どちらかといえば派手派手しいエンキ風の設えの中に、シンプルで重厚なスパルタスの調度品が、品良く散りばめられている。
それぞれの良さを引き立て合った居心地の良い空間で、ひときわ美しい一隅には、マリーアの母エレオノラ王妃の肖像画が飾ってあった。
それを見れば、マリーアの美しい容貌、特に白銀の髪と紫の目が母譲りのものだとわかる。違いといえばエレオノラ王妃の方が金髪めいた、柔らかい髪色だということくらいだ。
若くして亡くなった母の肖像画は、マリーアの姉にも見える。
アルスは細部までよく見ようと目を凝らしていたが、あることに気付いて息を呑んだ。
エレオノラ王妃の手に輝く指輪に見覚えがあったのだ。




