エンキの現状
異国の商人が多く出入りする国だけに、賑やかさの裏には闇もある。
長旅の末辿り着いたエンキで、男達は商売をして金を稼ぎ、故郷への土産をあれこれ買い求め、そして春をひさぐ女達の元で疲れを癒して帰国の途につく。
男はそれでいいが、娼婦達は気を付けていても中には身籠ってしまう者がいるのだ。
きちんと店を構えた娼館の女は別だが、居酒屋や通りで客を拾う女達は概して貧しく、子供を生んでも育てきれずに裏通りに置き去りにする者も多い。
異国の血の混じった子供達は、温暖で豊かな土地だけに赤ん坊でない限りなんとか日々を凌いでいくが、彼らを束ねて引ったくりや泥棒をさせる悪い大人もおり、治安の悪化を招いていた。
マリーアはそういった子供達のための孤児院を首都ケルタンと港町シェルクに作ったのだ。
大商人の別宅だった建物を買い上げて内装を直し、子供達の世話をする人間を雇う。中でも一番大変だったのは信頼出来る人間を探すことだった。
他国人と娼婦の間に生まれた子供達に親身になってやれるエンキ人は、思った以上に少なかった。底辺に位置する子供らは犯罪に手を染めることも多いだけに、同情されるより嫌悪の対象となるのだ。
だがマリーアは地道に良い人材を探させて、子供達の生活の場を築き上げた。
衣食住の面倒のみならず読み書き計算、礼儀作法を教えて、いずれ独り立ちした時役に立つことを身につけさせることにしたのだ。
最低限の読み書き計算が出来れば、店に雇われたり、頑張れば自分で商売をすることも出来るだろう。
今日はケルタンの孤児院を訪問したのだが、やっと軌道に乗り始めた様子を見てマリーアは安心していた。とは言っても問題がないわけではない。
院長の話によれば、不安定な生活とはいえ自由に暮らしてきた子供たちの中には、規律正しい孤児院に馴染めず脱走する子もいるという。
そういう子らを連れ戻すのに大変な労力がかかっているというのだ。
また以前の生活で飢えや不潔な環境から病気になっている子も多い。問題は山積していた。
それらの報告を受けてマリーアは夕食の後、ずっと書庫に籠もって調べ物をしていたのだった。
貴族の子弟は家庭教師につくので学校というシステムをよく知る人間は周りにおらず、自分で調べるしかない。
マリーアの身の周りの世話をする女官達ですら、都市部の豪商や地方の地主の娘で、家に帰ればお嬢様と傅かれる立場であり、貧しさや捨て子とは縁がないのだ。
とにかく孤児院の運営に役に立つような資料を明日からも探そうと考えながら書庫を出ると、燭台を持って先に立ったサンドラが親しみと非難の混じった複雑な表情で口を開いた。
「マリーア様、仰ってくだされば宜しかったのに……」
「なんのこと?」
「孤児院のことですわ。私……知りませんでした。あの孤児院はマリーア様が個人的な資産を投じて運営しているって」
「……?」
「お化粧料もそちらに回されているんですってね。そうと知っていたら私達、セイレッタ侍従長に新しいドレスをお勧めして欲しいと訴えたりなんて……っ、いえ、それでもマリーア様の新しいドレスは是非とも必要なのですわ。どうして孤児院をご自分の資産でやろうと考えられたんですか?」
院長か誰かに聞いたのだろう。
マリーアはサンドラに微笑みかけた。
「エンキに来て間もない頃にね、牢に捕らわれる者の多くが年端もいかない子供だと知って調べたら、そもそも保護者のいない子が多いとわかったの。セイン公爵に聞いたら、予算が無くて対策が立てられないということだった。だけど絶対に早急な対策は必要だから―――」
「マリーア様がやろうと思われたわけですね?」
確認するように聞かれてマリーアは頷いた。
他国より際立って多い未成年の犯罪率に気付いた時は、その理由まではわかっていなかった。
セインと話している中でそれを知り、戸籍すらない子供達を助けるのはエンキの大公妃として重要な責務だと感じたのだ。
豊かな者だけで国が成り立っているわけではない。
淡々とそう言ったマリーアを、サンドラはどこか呆れたように見つめてから、小さく微笑んだ。
「父に手紙を書きます。私の実家は大きな店を幾つもやっていて、がっつり儲けているんですから、マリーア様のお力になれるよう孤児院に寄付させてみせますわ」
「サンドラ……」
「他の女官達も皆それぞれ、ちょっとした小金持ちの娘ですからね。マリーア様がご自分のドレスを削ってまで取り組んでいると知ったら、皆競って実家に掛け合うでしょう」
「別にドレスは必要ないと思って―――」
「いいえっ。必要ですとも。マリーア様の美しさを際立たせ、他の女など目にも留まらぬとアルス様に言わせなければっ」
意気込むサンドラにマリーアは苦笑した。
アルスのことは別にしても、孤児院のことに富裕な商人層の関心が集まるのは有難い。金銭的なことだけでなく、彼らがそこで育つ子供らと関われば自分達と同じ人間、エンキ人なのだと感じ、受け容れる間口が広がる筈だ。
社会の無関心を払拭し偏見を打ち消すことこそが、将来に向けて重要なのだ。
孤児たちを疎外し嫌悪感を抱いている者は、貴族達より日々の生活の場を同じくする庶民達の間に多い。
マリーアはサンドラに礼を言った。
「お礼なんて仰らないで下さい。アルス様をあっと言わせるためには、いつも目を惹く装いを凝らして頂かないと―――あ……」
「どうしたの?」
突然立ち止まったサンドラに驚いたマリーアが聞くと、彼女は険しい表情をして口元に人差し指を立てた。静かに、という合図だ。
訝しく思いながらも口を噤んだマリーアは、サンドラの視線を追って息を呑んだ。
回廊の太い円柱の向こうに見え隠れする人影、それはアルスとビアンカだったのだ。
何を話しているかまではわからないが、二人が寄り添っているところを見るだけで、怒りと苛立ちが込み上げ、マリーアはサンドラにこの場を離れようと合図した。
この回廊を通らなければ自室に行けないので、書庫の方に戻るしかないだろう。そこで少し時間を潰してから部屋に向かえばいい。
なるべくアルスとビアンカから目を逸らして戻ろうとしたマリーアは、その時二人が唇を合わせたのを見て思わずよろめいた。
その途端にサンドラが荒々しいと言っていいくらいの力でマリーアの腕を取り、踵を返す。
書庫に駆け込んだ時には二人とも息が切れていた。
「サ、サンドラ……っ」
「あっ、も、申し訳ありませんっ、マリーア様」
険しい目をしていたサンドラははっと気付いてマリーアの腕を離すと、慌てて頭を下げる。まるで友達のような気安い態度は、主君に対してするものではない。
だが呼吸を整えるために胸に手をやっていたマリーアは、そんなことよりもサンドラが自分のことのように怒っているのが嬉しかった。
いや、それより何より本当は混乱しきっていて何も考えられないというのが現状だ。
目に灼き付いているアルスとビアンカの姿を今だけでも忘れたい。
傷付いていないと思いたかったが、自分自身を誤魔化すのは不可能だった。
アルスに惹かれている。彼とビアンカの関係に胸が張り裂けそうになるくらい、アルスに惹かれていると認めざるを得なかった。
サンドラは興奮しきっているから気付かないようだが、マリーア自身が一番動揺しているのだ。
もう楽になったのにまだ呼吸が乱れているふりをして、サンドラにショックを気付かせないようにしてしまう。
心から案じてくれているのはわかっているが、今見た光景に受けた痛みはサンドラにも誰にも知られたくなかった。




