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EP47・『狂った秩序からの解放と忍軍の蜂起』

「……子供たちは下がってな。ここから先は、汚れた大人の話や」


キアがキセルを叩き、短く告げる。 エリオットは「俺も聞く権利がある」と抗おうとするが、古老が「若造は黙って寝ておれ」と半ば強引に担ぎ上げ、診療所へと連れ戻す。 レネたちも戸惑いながらも一礼して部屋を出て行った。


重厚な扉が閉まる。 後に残されたのは、忍びの里の長・朔夜と、遥か昔からこの地を守護してきた魔女キア。 そして―沈黙。


「……朔夜」


キアが、弟分の名を呼ぶ。 その声には、氷のような冷たさと、刃物のような鋭さが混じっている。


「ハーヴィーはんの記憶喪失。あれは、単なる心のトラウマやないな?」


朔夜は答えない。 ただ、細い指で自身の白髪を弄りながら、どこか遠くを見るような瞳で雪景色を眺めている。 その横顔は、陶磁器のように美しく、少女と見紛うほどのあどけなさを残していた。 まだ十六の、若すぎる王。


「『王殺し』の夜。あの方は、その瞬間の記憶だけが綺麗さっぱり抜け落ちとる。……まるで、脳の一部を抉り取られたみたいにな」


キアは一歩、朔夜に歩み寄る。


「あれは、我らの里に伝わる秘薬――『曼陀羅華まんだらげ』から精製された『白夜香びゃくやこう』の症状や」


白夜香。 それは忍びの里の秘中の秘。 嗅いだ者の意識を混濁させ眠りに誘う、特定の時間の記憶を完全に焼き消す、禁断の忘却薬。


「……ええ。お察しの通りです」


朔夜が、ようやく口を開いた。 その声は、春の風のように穏やかで、しかし酷く寂しげな響きを帯びていた。


「私が、売りました」


朔夜はふわりと微笑んだ。 それは、自分自身を嘲笑うかのような、張り付いた笑顔だった。


「半年前……でしたか。宰相ダルクニクス卿より接触がありました。『薬をよこせば、今後百年の里の安寧を約束する。拒めば、里を地図から消す』と」


朔夜は自身の胸元を、ギュッと握りしめる。


「私は……里を守るために、悪魔と契約したのです。その薬が、いずれ無実の誰かを嵌めるための道具に使われると、分かっていながら」


「……辛かったなぁ、朔夜」


キアがふわりと紫煙を吐き出し、朔夜の肩に手を置く。


「先代が急死し、若くして『忍王』なんて重い名を背負わされて……。あんたはずっと、心を氷に閉ざして耐えてきたんやな」


「……買い被りですよ、キア様」


朔夜は瞳を閉じた。 その目尻から、一筋の雫が零れ落ちる。


「ですが……もう、疲れました。私と同じ、あのような年端も行かぬ者たちが、手足を失ってまで明日を掴もうとしているのに……長である私が、薄汚れた保身のために膝を屈しているなど、滑稽にも程がある」


朔夜が顔を上げる。 その双眸に宿っていた「諦め」という名の氷は、すでに溶け落ちていた。 代わりに宿るのは、静かだが、決して消えることのない青白い炎。


「……参りましょうか」


朔夜は優雅に衣を翻し、広間の窓を大きく開け放った。 吹き込む猛吹雪の中に、彼は身を晒す。


「皆の衆、聞いてくれ!」


決して声を張り上げたわけではない。 だが、若き王の腹の底から響くその声は、風に乗って里の隅々まで染み渡った。 屋根の上に、雪の中から、無数の忍びたちが姿を現し、若き王を見上げる。


「我らは今日まで、影に潜み、秩序を守る番犬として生きてきた! だが、その秩序は腐り果てた!! 我らが守るべきは、腐った王冠ではない!!」


朔夜が腰の刀を抜き放つ。 その所作は舞のように美しく、そして恐ろしいほどに鋭い。


「我らは、これより『秩序』の番犬であることを辞める!! 誇り高き反逆の牙となれ!! ハーヴィーを、我らが恩人を奪還し、この狂った世界に風穴を空けるぞ!!」


おおおおおおおおおおおおッッ!!!!


里全体が揺れた。 それは単なる歓声ではない。


「若様が……いや、お頭が、燃えておられる……」 「先代が亡くなって以来、あのような熱い瞳をされたのは初めてだ……」


古老たちが、涙を流しながら震えている。 父の死後、心を殺し、冷徹な人形のように振る舞ってきた若き王。 その彼が今、初めて感情を露わにし、自らの意志で戦うことを選んだのだ。


その熱狂を背中で感じながら、キアは小さく息を吐いた。 手にしたキセルを、懐へとしまう。


「……やれやれ。もうええやろ。王国との腐れ縁も、ここらが潮時じゃな」


キアは自嘲気味に笑い、まとっていた気だるげな空気を脱ぎ捨てる。


「『魔女』の看板は返上させてもらうわ。……ウチはこれより、元の『静謐の聖女』に戻らしてもらうで」


彼女の瞳から、濁りが消える。 かつて女神と共にあった、聖なる守護者の光が戻っていた。


――一方その頃。 大陸の中央に位置する、黄金の帝都。


そこは、熱く滾る忍びの里とは対照的に、冷たく、そして美しく腐敗していた。


都市全体を覆う巨大なドーム状の結界が、外部の吹雪を完全に遮断し、内部を「常春」の気候に保っている。


上層区画。 磨き上げられた白大理石の街並み。 空には無数の魔石灯が浮かび、夜を昼のように照らし出している。 ここでは「闇」すらも贅沢品として排除されていた。


「おお、今宵の宴も素晴らしい」 「見てごらんあさい、あの花火。一発で下民の生涯年収が吹き飛ぶ魔力が使われているとか」


煌びやかなドレスや礼服に身を包んだ貴族たちが、ワイングラスを片手に談笑している。 彼らは知らない。 自分たちが快適に過ごすための「常春の結界」や「魔石灯」が、どれほどの魔力を浪費しているかを。


視線を落とせば、そこには地獄があった。


上層区画を支える巨大な柱の根元。 汚水と廃棄魔力が垂れ流される掃き溜め――下層区画スラム


「う、うぅ……寒い……」 「誰か、火を……魔石の欠片をくれぇ……」


汚泥にまみれた路地裏で、ボロ布を纏った人々が身を寄せ合って震えている。 上層の結界が「熱」を吸い上げるせいで、下層の気温は外気よりもさらに低い。 凍りついた死体が、ゴミのように転がっている。


ピチャリ、と上から滴が落ちてくる。 貴族が戯れに捨てた、飲み残しのワインだ。


「あ、ああッ! 恵みだ! 上の恵みだぞ!」


ガリガリに痩せ細った子供たちが、泥水に混じった赤い液体を啜ろうと群がる。 奪い合い、殴り合い、弱い者が弾き飛ばされて動かなくなる。


上層からは、優雅なワルツの調べが漏れ聞こえてくる。 下層には、呻き声と骨の折れる音が響いている。


魔法。 かつて女神が人々に平等に与えた奇跡の力。 だが今、それは一部の特権階級が弱者を搾取し、踏みつけにするための「暴力装置」へと成り果てていた。


この美しい都は、腐っている。 黄金の仮面の下で、蛆が湧いている。


その腐臭に気付いている者は、まだ、誰もいない。


北の山脈を越えた先。 雪深い平原に、無数の天幕が張られていた。 反王国解放軍**《アイアン・オース》**の最前線駐屯地である。


その静寂を切り裂くように、一頭の巨獣が陣地へと雪崩れ込んだ。


「グルルゥッ……!!」


銀色の毛並みは泥と血に汚れ、呼吸は荒い。 歩くたびに雪を赤く染めながら、フェンリルは迷うことなく、中央にある一際大きな天幕へと飛び込んだ。


天幕の中には、一人の男がいた。 背は高いが、女性と見紛うほどに線が細く、美麗な顔立ちをしたハーフエルフ。 洒落た銀縁の眼鏡をかけ、静かに戦術書を読んでいた彼は、フェンリルの乱入にも眉一つ動かさない。


解放軍部隊長、『狂瀾の阿修羅王』スナイデル。


彼はゆっくりと本を閉じ、眼鏡の位置を指で直すと、冷ややかな視線を巨狼に向ける。


「……フェンリルか。その無様な姿はなんだ。ハーヴィーはどうした?」


スナイデルの声は、氷の湖面のように静かだった。 フェンリルは金色の瞳を揺らし、人の言葉を紡ぐ。


『……スナイデル。我が友は、囚われた』


「…………」


『我らを逃がすために、片腕を失い、死神に連れ去られたのだ。……頼む。お主の知恵と力を貸してくれ。友を助け出すには、我らだけでは数が足りぬ』


誇り高き伝説の神獣が、頭を下げたのだ。 スナイデルは無言で立ち上がった。 そして、部屋の隅に立てかけられていた「鉄塊」を手に取る。 それは、彼の華奢な身体には不釣り合いなほど巨大な、戦斧と槍を合わせたハルバード。


スナイデルはそれを小枝でも扱うかのように片手で軽々と担ぎ上げると、短く言う。


「行くぞ」


「待て、スナイデル」


その背中に、抑揚のない声が投げかけられた。 天幕の奥から現れたのは、この方面軍を指揮する師団長。


「師団長。……行かせていただきます」


「許可できん」


師団長は地図上の駒を指先で弾く。


「情報によれば、宰相ダルクニクスは現在、王都を離れているという。敵の中枢が不在の今こそ、手薄になった王都防衛線を突破する千載一遇の好機だ」


「……ハーヴィーは、我々の友人です。彼という『勇者』を見殺しにするつもりですか」


スナイデルの声に、初めて微かな熱が混じる。 だが、師団長は冷徹に首を横に振る。


「たかが勇者一人のために、軍の主力を割くわけにはいかない。我々の悲願は王国の打倒だ。個人の情で『大義』を捨てるつもりか?」


「…………ッ」


スナイデルがハルバードを握る手に力が籠もる。 ミシミシと、柄が悲鳴を上げる。 だが、彼は知能が高いゆえに、理解してしまった。 師団長の言葉が、軍事的にはあまりに「正しい」ことを。


『……そうか』


低く、地を這うような唸り声が響いた。 フェンリルが、凍てつくような視線を師団長、そして動けないスナイデルに向けている。


『人間とは……なんと嘆かわしい生き物か。天秤にかけるのだな。受けた恩も、流された血も、その軽い「大義」とやらで』


「フェンリル……」


『もういい。主はお前たちのために血を流したが……お前たちがその血を無駄にするというのなら、我には関係のない話だ』


フェンリルはスナイデルを一別もしなかった。 ただ、その瞳には深い絶望と、侮蔑の色が宿っていた。 踵を返し、再び雪の荒野へと飛び出していく。


スナイデルは動けなかった。 ただ、去りゆく友の背中を、眼鏡の奥の瞳で見送ることしかできなかった。


巨狼は止まらない。 北が駄目なら西へ。 かつてハーヴィーと縁のあったもう一つの希望――ウォーデン共和国を目指して、傷ついた体で再び走り出す。


所変わって、忍びの里。 その一室で、エリオットは寝台の上で大量の羊皮紙と格闘していた。


バサリ、バサリ。 窓から次々と伝書鳩が舞い込んでくる。 それらはエリオット自身が構築した裏社会の情報網『シャドウ・ヴェイン』、そして地下ギルドの情報屋『蜘蛛の巣』からの急報だった。


「……来たか」


エリオットは震える手で、鳩の脚に結ばれた小さな筒を開ける。 中に入っているのは、一見すると無意味な数字の羅列。 だが、エリオットの脳内では瞬時に言語へと変換されていく。


一枚、また一枚。 解読を進めるにつれ、エリオットの顔から血の気が引いていく。


「おいおい……嘘だろ……」


脂汗が頬を伝う。 彼は近くにいた里の忍びを怒鳴りつけた。


「朔夜を呼べ!! あとキアもだ!! ……場所が割れたッ!!」


数分後。 駆けつけた朔夜とキアの前で、エリオットは地図の一点を、インクで汚れた指で強く叩く。


「ここだ。西方の平原地帯にある巨大都市……『大闘技都市グランド・コロシアム』」


「闘技都市……? なんでまた、あんな場所に」


キアが眉をひそめる。 エリオットは唇を噛み切り、血の味を噛み締めながら告げる。


「監禁じゃない……。奴ら、ハーヴィーを『見せ物』にする気だ」


「見せ物、とは?」


朔夜が静かに問う。


「一週間後だ。そこで大陸全土に向けた一大イベントが開催される。……『大罪人ハーヴィーの公開処刑』だ」


エリオットの声が震える。 解読した羊皮紙を握りつぶす。


「ただ殺すだけじゃねえ。最強の反逆者であるハーヴィーを、衆人環視の中で無惨に殺す。そうすることで、王国に逆らうとどうなるか……世界中に『恐怖』を植え付けるためのショーにするつもりだ!!」


ダルクニクスと死神卿ゼクス。 奴らの描いたシナリオの悪辣さに、その場にいた全員が戦慄した。 英雄の死すらも、奴らにとっては自らの権力を盤石にするための演出に過ぎないのだ。


「……上等ですよ」


沈黙を破ったのは、朔夜だった。 その美貌に、凄絶な笑みが浮かぶ。


「公開処刑……つまり、敵も味方も、全世界の目がそこに集まるということ。ならば、最高の舞台ではありませんか」


朔夜は刀の柄に優雅に手をかけた。


「我らがそのショーをぶち壊し、世界中に『革命』の狼煙を上げてやるのです」

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