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EP43・頭を下げるな、馬鹿野郎

「貴様……今、何と言った?」


俺の呟きが聞こえたのか、監視官の男が血相を変えて段を駆け下りてくる。 ドスドスと、無遠慮な足音が静寂な広間に響く。 男は俺の目前まで迫ると、いきなり胸倉を掴み上げ、顔を近づけてきた。


「ダルクニクス卿の名を、薄汚い口で気安く呼ぶな!」


唾が飛ぶほどの剣幕。 だが、その瞳にあるのは忠誠心などではない。 自らの後ろ盾である「絶対権力」を探られたことへの焦りと、それを知る者を排除しようとする卑劣な殺意だ。


「あの御方は、この王国の守護神であり、我々に叡智を授ける導き手だ! 辺境の野良犬如きが、その名を口にすることすら許されると思うなよ!」 「……ククッ」 「何がおかしい!」 「いや……随分と忠実な『飼い犬』だと思ってな」 「貴様ァッ!!」


激昂した男の拳が、俺の頬を殴りつける。 ガツン、と鈍い衝撃。 口の中に鉄の味が広がる。 首が横に弾かれるが、俺はわざと踏ん張らず、その衝撃を首の動きだけで殺した。


ダメージはない。こんな貧弱な拳、蚊に刺された程度だ。 だが――俺以外の連中は、そうはいかない。


刹那。 広間の空気が、ガラス細工のように粉々に砕け散った。 理性のタガが外れ、どす黒い殺意が奔流となって噴き出す。


「……ッ!」


真っ先に動いたのは、アーシェだ。 彼女の翡翠色ひすいいろの瞳が、憎悪で極限まで見開かれ、ギラギラと発光している。 瞬きの間に腰の短剣に手が掛かり、抜き放たれる寸前の白刃が、監視官の喉元を寸分違わず捉えていた。


「……貴方、は……ッ」 「私の兄さまに……何をするの……ッ!!」


絞り出すような、悲鳴に近い殺意。 彼女にとって、俺を傷つける者はすべて駆除すべき害虫だ。 その純粋すぎる激情が、鋭利な刃物となって男の肌を刺す。


それと同時に、


「……万死に値する」


レネの銀色の双眸もまた、凍てつくような光を宿す。 彼女を中心に、空間そのものを軋ませるほどの重力波が、荒れ狂う津波となって溢れ出した。 俺たちの足元、敷き詰められた畳が、見えざる巨人に踏み抜かれたかのように湾曲し、無惨に沈み込んでいく。 城そのものを押し潰しかねない、純粋な怒りの質量。


「お、おいおい……マジかよ……」


エリオットが引きつった笑みを浮かべ、額に大量の冷や汗を流している。 その目は泳いでいるように見えて、実は油断なく周囲の兵数と逃走ルート、そして二人の暴走による被害規模を瞬時に計算していた。 (ここで暴れたら全員ミンチだぞ……落ち着けって……!) 心の声が聞こえてきそうなほど、必死に場の空気を保とうとしている。


「フギャッ! シャーッ!!」


フィンロッドが全身の毛を逆立て、牙を剥き出しにして唸る。 その殺気は野生動物そのものだ。今にも男の喉笛に食らいつこうと、低い姿勢でバネを溜めている。


一方、フェンリルの気配はここにはない。 あいつは天井裏か、あるいはもっと高い梁の上だ。 だが、『レーレン(念話)』を通じて伝わってくる殺意は冷ややかで、いつでも俺の合図一つでこの男の首を刎ね飛ばせる位置取りを完了している。


「な、なんだ……貴様ら……!?」


監視官が顔色を変え、よろめく。 アーシェの切っ先のような殺気と、レネの重圧に挟まれ、呼吸すら困難になっているのだ。 このままでは、戦闘が始まる。


(……よせ、アーシェ。レネ)


俺は口元の血を親指で拭いながら、鋭く短く、仲間たちへ視線を送る。 「今は耐えろ」という明確な意思を込めて。


(あいつらは、お前たちが暴れるのを待っているんだ。口実を与えるな)


俺の視線を受け、アーシェがギリッと奥歯を噛み締める。 握りしめた短剣の柄が音を立てるほどだが、彼女は震える手でそれを鞘に戻した。 俺の命令は絶対だ。だが、その翡翠色の瞳には、やり場のない悔し涙が滲んでいる。


エリオットもすぐに動き、「へいへい、わーってるよ旦那」とばかりに肩をすくめ、さりげなくレネの肩に手を置いた。 レネも唇を噛み締め、悔しそうに重力の枷を解く。


「ふん……。気味の悪い連中め」


圧力が消えたのを感じ、男は再び調子づいたように鼻を鳴らす。 冷や汗を拭いながら、虚勢を張って叫んだ。


「おい! さっさとこの不敬な輩を捕らえろ!」 「連行しろ」


        ◇


監視官の号令。背中に走る衝撃。 荒縄で縛られ、荷台へ放り込まれる。 重い車輪が軋みを上げ、城門をくぐる。


石畳の両脇。異様な光景。 老人、女、子供。忍び装束の者たち。


一様に額を地面へ擦り付け、土埃に塗れている。


声はない。 あるのは沈黙と、圧倒的な「謝罪」の念。 アーシェが唇を噛み、顔を背ける。レネもまた、俯くのみ。


(……顔を上げろ、馬鹿野郎ども)


俺は奥歯を噛み締め、彼らを見据える。 地面を見るな。謝る必要などない。


これは取引。 俺たちが泥を被ることで、里は焼かれない。 若き忍王の苦渋の決断。 胸を張って見送ればいい。


その時だ。


頭上。木々のざわめき。 膨れ上がる殺気。 銀色の疾風――フェンリル。


相棒の危機。待機命令を破る牙が、監視官の喉元へ迫る。 速い。兵の反応を置き去りにする速度。


「――『影縫い』」


沈痛な響き。


空中で凍りつく銀狼。 黒い影が四肢を縫い止め、自由を奪う。 術者――忍王、朔弥さくや


唸るフェンリルへ、朔弥は冷徹に言い放つ。


「ならぬ」


握りしめた拳。滲む血。


「彼らは客人まろうどではない。……罪人だ。我らが関与するところではない」


突き放す言葉。だが、声の震えは隠せない。 ここで殺せば、里は終わる。 朔弥は自らの手で仲間フェンリルを封じ、すべてを守ったのだ。


「……賢明な判断だ、猿の王よ」


監視官が嘲笑い、朔弥の肩を叩く。 「飼い犬のしつけは、飼い主の責任だからな」


朔弥は無表情。だが、瞳の奥に渦巻く激情。 一瞬の交錯。視線で通わせる意志。


――それでいい。


        ◇


城は遠ざかり、舞台は山道へ。


鬱蒼とした木々。日差しを遮る緑の天蓋。 道幅は狭く、片側は断崖絶壁。


揺れる荷台。 隣のエリオットが眼鏡を直し、唇だけで囁く。


「……旦那。そろそろ頃合いで」 「ああ」 「鍵穴は針金で細工済み。力任せで弾ける。……アーシェちゃん、レネちゃん、準備は?」


微かに震える声。だが分析は冷静。 向かいの二人も頷く。 アーシェの瞳には、研ぎ澄まされた殺意。


(フェンリル……聞こえるか?)


意識を飛ばす。『レーレン(念話)』。 朔弥の術は、殺傷能力のない拘束術。距離が開けば解ける。


『――相棒。いつでもいける』


脳内に響く頼もしい声。 街道沿いの森。木々を駆ける銀色の気配。


『合図をくれ。あの髭面の喉、今度こそ食いちぎる』 (待て。合図は俺が出す。気配を殺せ) 『了解……っと、待て相棒』


思考に混じるノイズ。警戒色。


『……誰かいる』 (なんだと?) 『俺の背後。ずっとついて来てる。……あの黒装束のガキだ』


朔弥か。 やはり、ただの見送りでは済まないらしい。 だが、今は構っていられない。


唐突に、馬車が揺れを止める。


先頭を行く監視官。ゆっくりと巡る馬首。 その視線は、獲物をなぶる前の愉悦に歪んでいる。


「ここから先は険しい峠だ」


男は鞭で自身の掌を叩き、歩み寄ってくる。


「……くれぐれも、おかしな真似を起こすなよ?」

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