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EP44・『死神卿』

轟音と共に、護送車の車輪が弾け飛ぶ。横転寸前で停止した鉄の塊へ、闇の中から小さな影が弾丸のように殺到した。

「キャハハッ! やわらかーい! お肉みたいだにゃあ!」

先陣を切ったのはフィンロッドだ。武器など持たない。たった一振り。可愛らしい手から伸びた鋭利な爪が、護衛兵の重装甲を紙のように引き裂き、中身ごと抉り取る。鮮血を浴びて無邪気に笑うその姿は、あまりにアンバランスで、凶悪だ。

「……兄様の邪魔です。往きなさい、『獣の法』」

後方では、アーシェが淑やかにスカートの裾を摘まんでいる。礼儀正しい言葉とは裏腹に、背後から具現化した漆黒の巨狼ダイアウルフが、逃げ惑う兵士の背後から音もなく襲いかかり、悲鳴を上げる暇さえ与えず喉笛を噛み砕く。

パニックに陥った残党兵たちが、死に物狂いで槍を突き出す。幼い肢体を貫いた――誰もがそう確信した、その瞬間。

槍先は虚空を突き、フィンロッドの残像だけが揺らめいて消える。

「……残念。そこにはもう、いないよ」

屋根の上で、レネがクスクスと笑う。空間を歪める『重なりの法』。兵士たちが捉えていたのは、数秒前の「位置」を重ねられた虚像に過ぎない。認識のズレに硬直した兵たちの首を、実体のフィンロッドが背後から爪で刈り取っていく。

ものの数分もかからなかった。護衛は全滅。街道には鉄と血の臭いだけが立ち込める。

静まり返った鉄の箱へ、バーレイグが歩み寄る。視線を受けたレネが、鉄扉の鍵穴にそっと手をかざした。

「……『開錠』」

カチャリ、と硬質な音がして、頑丈なロックが内側から外れる。

ひしゃげた鉄扉の隙間から、監視官が転がり出る。男は路上に尻餅をつき、蒼白な顔で後退った。

「ひ、ひぃ……!」

這うようにして逃げようとする背中が、何かに当たり、硬質な音を立てて止まる。

壁ではない。恐る恐る振り返った先――暗闇の底から、ゆらりと「それ」は鎌首をもたげていた。

魔力の燐光を帯びた無数の鎖。まるで地獄の底から湧き上がったかのように、とぐろを巻いて男を取り囲んでいる。

「あ……あぁ……」

一瞬で血の気が引く。王国の要職にある者なら、知識として知っている。この禍々しい波動と、意思を持つかのように蠢く鎖の意味を。

「この魔力を帯びた無数の鎖は……もしや、『煉獄の鎖』か?」

震える視線が、鎖の檻の向こう、闇に佇む人影を捉える。漆黒のコート。逆手に持たれた双鎌。

「まさか、貴方は……『死神卿』……?」

疑問が恐怖へと変わる、その刹那。世界が黒い閃光に切り裂かれた。

男の視界が天と地で二つにズレる。言葉を発する間も、痛みを感じる暇さえもなかった。鮮血の花火を撒き散らし、監視官の首がとぷりと路上に落ちる。

少し離れた位置でエリオットが、不快げに眉を寄せる。監視官が死んだからではない。ぴたり、と。肌を叩いていた風が、唐突に死んだからだ。

虫の声、木の葉のざわめき、遠くの街の喧騒。世界からあらゆる「音」が吸い尽くされたかのような、真空めいた静寂。勝利の熱気が、急速に冷たい汗へと変わっていく。

足元で、湿った音がした。先ほど絶命させたはずの護衛兵が、痙攣している。あり得ない方向へ首を捻じ曲げ、白目を剥いたまま、指先が地面を掻いているのだ。

「……おい、エリオット。すぐに離れろ」

バーレイグの声が、凍りついた空気を震わせる。既に魔銃『ルシファーズ・ハンマー』を抜き放ち、闇の奥底を睨み据えている。

「……『死』が来たぞ」

警告が耳に届くよりも速く、闇が動く。

護送車の上。月光すら届かぬ黒点から、ひとつの影が音もなく舞い降りる。着地音は、無。重力さえ置き去りにしたようなその挙動は、生物のそれではない。

ゆらり、と立ち上がった影――『死神卿』ゼクス。両手には逆手に握られた異形の双鎌『カロン』と『ハデス』が、血を求めるように鈍くぎらついている。

男は何も語らない。ただ、底冷えする殺気だけが膨れ上がる。

バーレイグは躊躇わない。挨拶代わりの一撃。引き金を引く。

マズルフラッシュが闇を焼き、必殺の魔弾が唸りを上げる。直撃すれば岩盤すら粉砕する破壊の光。だが、ゼクスの眉間へ着弾する寸前――

硬質な激突音が響き渡り、火花が散った。ゼクスの足元から噴き出した鎖が、螺旋を描いて魔弾を弾き飛ばす。

とぐろを巻く蛇のように、意思を持つ防壁のように、幾重にも重なった『煉獄の鎖』が主の周囲で蠢いている。その一欠片すら削れなかった事実に、バーレイグが眉間の皺を深くする。

「そ、そんな……」

アーシェが口元を両手で覆い、後退る。バーレイグにとって最強の矛である『ルシファーズ・ハンマー』が、防御魔法ですらない単なる「鎖」に弾かれた。信じたくない現実だった。

「……嘘でしょ? あの鎖、自動防御なの?」

レネもまた、頬に冷や汗を伝わせる。空間把握に長けた彼女だからこそ理解できた。あの鎖はゼクスの意思を超え、殺気や魔力に反応して自律駆動している。その密度と速度は、これまでの敵とは次元が違う。

動揺するアーシェたちをよそに、ゼクスは表情一つ変えず、バーレイグと魔銃を冷ややかに見下す。

「……『王殺し』の弾丸。噂ほどではないな」

挑発ですらない、強者ゆえの単なる感想。だが、その言葉が猛獣の逆鱗に触れた。

「……う」 「フィンロッド?」 「お兄ちゃんを……馬鹿にするにゃああぁッ!!」

少女の喉から、空気を震わせる獣の咆哮が迸る。制止する間もない。

路面が爆ぜ、フィンロッドの小さな体が砲弾のように射出される。先ほどの護衛兵たちが視認さえできなかった獣人のトップスピード。殺意に濡れた爪が、ゼクスの喉元へ一瞬で迫る。

「死んじゃえにゃああぁッ!!」

爪が届く。誰もがそう思った距離。だがゼクスは一歩も動かない。防御の姿勢すら取らない。ただ、億劫そうに指先をわずかに動かしただけだった。

風を切る音などしなかった。ただ、空間に黒い線が奔った直後――。

「――ぎゃにゃっ!?」

フィンロッドの体が鞠のように弾き飛ばされ、回転しながら血溜まりの中に激突して止まる。

「――ッ!? フィンロッド!!」

アーシェの悲鳴が夜空を引き裂く。駆け寄ろうとするが、恐怖で足がもつれ、その場に崩れ落ちる。

「う、そ……見えなかっ、た……?」

レネが愕然と目を見開く。動体視力に自信のある彼女ですら、ゼクスが「いつ」鎌を振るったのか、全く捉えられなかった。

「クソッ、何なんだあいつは……!」

少女の小さな肩から、鮮血が噴水のように吹き上がっていた。神速の獣人が、一太刀浴びせることすらできず、虫のように払いのけられた。

「……ふむ」

ゼクスは退屈そうに鎌の血糊を払い、冷徹な瞳でうずくまる少女を見下ろす。

「……まずは一匹」




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