表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/43

EP41・朝の喧騒と穏やかな光

瞼を刺す、白く柔らかな光。 意識がゆっくりと覚醒する。


布団から這い出すと、予想以上の冷気が肌を叩いた。


「……冷えるな」


思わず身震い。 晩秋の気配か、あるいはこの郷の標高ゆえか。 吐き出す息が、うっすらと白い。


「おはようございます、バーレイグさん!」


視線の先。 そこには、すでに身支度を完璧に整えたレネの姿。 乱れ一つない銀髪が、差し込む朝日を浴びてキラキラと輝いている。 朝一番に見るには、あまりにも眩しい笑顔。


「あぁ、おはよう」


対照的に、奥の部屋からぞろぞろと這い出てくる面々。 エリオット、フィンロッド、そしてアーシェ。


全員、見事なまでの寝癖。 芸術的な爆発具合だ。


「ふぁ……旦那、早いっすねぇ……」 「ほぁ~っ……おはよぅ~にぁん……」 「うぅ……兄さま、おはよぉ……」


あくび混じりの合唱。 目は半開き、足取りも覚束ない。 戦場でのキレはどこへやら、完全にオフモードの連中だ。


俺は苦笑し、一番重症な妹分に声をかける。


「アーシェ。寝癖、凄いことになってるぞ。顔を洗って整えてきなさい」 「はーい……」


気の抜けた返事。 夢遊病者のようにふらふらと、外の井戸の方角へと消えていく小さな背中。


(まったく、まだまだ子供だな)


そんな微笑ましい光景を眺めていると、猫のような欠伸をしたフィンロッドが腹をさする。


「腹減ったにゃぁ……。朝まんまはまだかにゃ?」 「……」


俺は困ったようにレネへ視線を送る。 彼女は何も言わず、ただ「仕方ないですね」とでも言うように、にこりと優しく微笑むだけだった。


ふと、覚醒しきっていない頭でエリオットが辺りを見回す。


「あれっ? そう言えばフェンリルの旦那は? 姿が見えねぇけど」 「あぁ、フェンリルなら毎朝日課の散歩だろ。いつものことさ」


きっと今頃、この未知の里を我が物顔で練り歩いているに違いない。 容易に想像できる相棒の姿に、肩の力が抜ける。


たわいもない会話。穏やかな朝の喧騒。 また一日が、こうして始まっていく。


        ◇


早朝の喧騒をよそに、フェンリルは一人、郷の奥深くを歩いていた。


日課の散歩。 だが、その鋭敏な嗅覚が、朝霧に混じる不穏な気配を捉える。


(……なんだ、この張り詰めた空気は?)


鼻先をピクリと動かす。 向かった先は、郷の中心部にある厳かな屋敷。 そこには、この時間には不釣り合いな数の気配が集まっていた。 郷の翁たち、そして有力者たち。


ただならぬ雰囲気。 フェンリルは瞬時に気配を殺す。 実体を影と同化させ、音もなく屋敷の床下へと滑り込んだ。


板一枚隔てた頭上。 押し殺したような、しかし激しい言い争いが鼓膜を打つ。


朔夜さくや様! どうかお考え直しを!」


悲痛な叫び。 だが、それに応える声は、若くも冷徹な響きを帯びていた。


「仕方がないであろう」


上座に座る少年――この忍びの郷を統べる若き王(忍王)、朔夜。 歳は十六ほどか。 まだあどけなさの残る顔立ちだが、その双眸には王としての重圧と、諦観の色が濃く宿っている。


「巫女様を……あの方を奴らから守るには、要求を吞むしか道はない」 「いつまで奴らと、この様な悪しき従属関係を続けるのですじゃ!?」


ダンッ、と床を叩く音。 声を荒げたのは、バーレイグたちが世話になっているあの老人だった。 彼は意を決したように、主である少年に食い下がる。


「判ってくだされ! 私とて、危険を顧みず薬草華を取りに行き、無償で下さった郷の恩人に……あの方々に、恩を仇で返す様な真似などしたくないのです!」


老人の慟哭。 その言葉に、室内の空気が凍りついた。


恩を、仇で返す。 その意味するところを、フェンリルは瞬時に理解する。


「……私だって嫌だ。だが、私は郷の長。ひいては忍王として、皆を護る義務がある」


朔夜の声が、僅かに震える。 拳を固く握りしめているのが気配でわかった。


「巫女様とて……苦渋の決断なのだ。許せ」


沈黙。 誰も言葉を発せない。 ただ、重苦しい絶望だけが部屋を満たしていく。


(……まずいぞ、これは)


床下で、フェンリルの金色の瞳が見開かれる。 背筋を駆け上がる悪寒。 野生の直感が、警鐘をけたたましく鳴らしていた。


裏切り。 あるいは、ハーヴィーたちを生贄にするような取引。 何が起きようとしているにせよ、このままのんびりと朝飯を待っている場合ではない。


(主殿に知らせねば……!)


フェンリルは影から飛び出し、音もなく、しかし疾風の如く駆け出した。 焦燥に駆られ、風を切る。 一刻も早く、あの暢気な主の下へ。


平和な朝は、もう終わりだ。


        ◇


一方、その頃。 フェンリルの焦燥など露知らず、俺たちは老人の家で朝餉あさげの席についていた。


卓に並ぶのは、質素ながらも温かい料理。 だが、俺の心は休まらない。 目の前の「大きな子供たち」のせいだ。


「フィンロッド、好き嫌いしないでちゃんと野菜も食べなさい!」


俺は箸を止め、行儀悪く椀の具を寄り分けている猫娘を叱りつける。


「うにゃあ……。野菜は葉っぱ食ってるみたいで不味いにぁん。肉がいいにゃ、肉が」 「文句を言うな。身体にいいんだ」 「アーシェもだ。ご飯を残さないように! 一粒残らず綺麗に食べなさい」 「むぅ……。兄さま、また私を子供扱いして!」


アーシェが頬を膨らませ、不満げに箸を動かす。


「子供みたいな食べ方をするからだ。ほら、口元にご飯粒がついてるぞ」 「うぅ……」


右を見れば野菜嫌いの猫。 左を見れば食べ散らかす妹分。 そして正面には――


「……んぐ、むぐ」


ただひたすら無言で、山盛りの麦飯を吸引し続けるエリオット。 こいつはこいつで、食欲が化け物だ。


(まったく……俺はこつらの母ちゃんか?)


やれやれ、とため息をつく。 だが、悪い気分ではない。 騒がしくも温かい、家族のような団欒。 湯気の向こうにある、平和な朝の風景。


――そう、思っていた。


その、刹那。


ゾクリ。


背筋を氷柱つららで撫でられたような、強烈な悪寒。 俺の手が止まる。


「……ッ!?」


和やかな空気が、唐突に凍りついた。


温度が消えたのではない。 **「意図」**が、塗り替えられたのだ。


肌を刺すような、粘り気のある殺気。 今まで感じていた里の清浄な空気とは真逆の、どす黒く、禍々しい気配。


「……な、なんだ?」


エリオットが箸を止め、険しい顔で玄関の方角を睨む。


表の通りから響く、多数の乱暴な足音。 土足で静寂を踏み荒らすような、下品な振動。 続いて、何か硬い物が叩きつけられ、砕け散る炸裂音が鼓膜を打つ。


「おい、そこをどけ!」 「ひっ……お、お侍様、何を……!」


聞こえてきた怒号と悲鳴。 朝の安寧は、暴力的なノイズによって無残にも引き裂かれた。


箸を置き、俺は立ち上がる。 どうやら、のんびりとお茶を啜っている時間は終わったらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ