EP23・虚空を蹴るバーレイグと蛇の雨
数日間の死闘の末、バーレイグ一行は息詰まるようなジャングルを突破。 視界が開け、目の前に広がるのは、広大な緑の世界。
「…ひでぇ場所だ」
バーレイグが呟く。
空を遮る木々も、身を隠す岩陰もない。地平線の彼方まで続く、緑の海。 視界を遮る人工物は、何一つ存在しない。
ヤヌサ平原。 エルファリス王国の中央部に横たわる、巨大な空白地帯。
「おい、どうするんだ? こんな開けた場所じゃ、追手が来たら一巻の終わりだぞ」
警戒を強めるバーレイグ。 だが、エリオットは安堵の表情を浮かべる。
「いや、ここなら逆に安全かもしれねぇ。…それに、移動手段が見つかるはずだ」
「移動手段?」
「ああ。野良馬さ。この辺は、奴らの格好の餌場だからな! 運が良ければ、群れに遭遇できる」
「野良馬か…」
顔を顰めるバーレイグ。
「馬には乗ったことがあるのかい?」 「いや、ねえな。神狼には乗ったことがあるけどな」
エリオットは苦笑し、すぐに表情を引き締める。
「だが、あまりおちおちしてらんねぇぞ」
彼は、遠くに見えるなだらかな丘を指さす。
「ここの土地は起伏が少ない。大雨が降ると…水捌けが悪いせいで、瞬く間に洪水と化す」
「マジかよ」
「しかも、乾燥時は地中に潜んでいるが、洪水が起きると厄介な奴らが湧き出てくる。『甲紐蛇』だ」
「甲紐蛇…?」
「ああ。体長1メートル、全身が硬い甲殻で覆われた紐状の蛇だ。毒こそないが、一度噛みついたら二度と離さない。群れで襲ってくる、陸のピラニアだ」
「…なるほどな。どうりで、畑も民家も無いわけだ」
「ああ。だから、早く野良馬を見つけて、サッサとこの平野を抜け出すぞ!」
その時。 エリオットが風に混じる音を捉える。
「バーレイグ! あそこだ! あの丘を超えた辺りから、馬の嘶きが聞こえる!」
指差す先、なだらかな丘陵。 一行の目に、希望の光。 だがそれは同時に、新たな試練の幕開け。
息を切らして丘を駆け上がり、眼下を見下ろす。 絶句。
野生の馬の大群が、緑の平原を埋め尽くすようにひしめき合っている。 数百、いや千頭は下らない。
「すげぇ…! これなら選び放題だぜ!」
興奮するエリオット。 だが、直後。
腹の底に響くような重低音が、遠くの空から轟く。 見上げれば、青かった空が急速に鉛色の雲に浸食され始めていた。
「バーレイグ! 急ごう! 雨が近い!」
呼応するように、馬たちが騒ぎ出し、群れの一部が逃走を開始する。
「急がないとヤバいぜ! 群れが散ったら、捕まえるのが難しくなる!」
「分かった!」
頷くが、内心は穏やかではない。 (…とは言ったものの、どうやって乗ればいいんだ?)
群れから少し離れた場所にいる、一頭の逞しい栗毛の馬に狙いを定める。 だが、近づこうとすると警戒して距離を取られる。手綱も、鞍もない。
アタフタするバーレイクの背後で、フェンリルが呆れたように鼻を鳴らす。
『なんじゃ、お主。わしの背には事も無げに乗った癖に、馬ごときに手を焼いておるのか?』
「う、うるさい! 勝手が違うんだよ! 勝手が!」
苛立ちながら再び馬に近づくが、やはり徒労に終わる。 そうこうしているうちに、空が裂けるような轟音。雷鳴。
「やべっ!」
焦りが頂点に達した、その時。 背後から、レネの冷静な突っ込み。
「バーレイグさんや!」
「あぁッ!? 何だ、今忙しい!」
「クソッ! とりあえず、背中にさえ乗っちまえば、後は簡単にいくはずなのに…!」
「バーレイグさんや!!!」
「何じゃい!」
振り返る。 レネは、ただ一言、告げる。
「──重力操作ぁ!」
「…っ!!」
脳天を撃ち抜く閃光のような衝撃。
「その手があったかぁー!」
そうだ。もはやただの人間ではない。 レネとの聖約によって、《重なりの法》の一部を扱える身。
「バーレイグの旦那! 早く!」
左目に意識を集中。 自らにかかる重力に「逆らえ」と念じる。
身体がふわりと浮き上がる。 そのまま、驚いて立ち尽くす馬の背に、滑り込むように着地。
まるで、最初からそうであったかのように、自然に。
頬に冷たい滴。小雨。
次の瞬間、空が裂け、滝のような雨が大地を叩きつける。 雷鳴が轟き、稲光が白く広野を照らし出す。 小雨は、瞬く間に豪雨へと変貌した。
「まずい! 急いでください!」
馬上のエリオットが檄を飛ばす。
「この雨じゃ、すぐに洪水になる! 安全地帯まで、あと少しです!」
彼らが馬を走らせる傍らで、平原の窪地にはみるみるうちに水が溜まり始め、濁流が渦を巻く。 足元が泥水に沈むまで、そう時間はかからない。
(あぶねー…! 少しでも遅かったら、あの蟻地獄か、この洪水か…どっちにしろ溺れてたぜ)
安堵するバーレイク。
矢先に、見えてきた目指す森の茂み。 あと少しで、この危険な平原から脱出できる…! そう確信した瞬間。
バーレイクの乗っていた馬に、異変。
悲痛な嘶き。
馬が突然後ろ脚を蹴り上げるように暴れ出し、鈍い音を立てて泥濘に倒れ込む。
咄嗟に飛び降り、受け身を取るバーレイグ。
「どうした!? 何が…!?」
「ヤバい!」
エリオットの絶叫。
「来たぞ! 大量の甲紐蛇の群れだ!」
見れば、洪水でぬかるんだ地面が、生き物のように蠢いている。 そこから無数の、硬い甲殻を持つ紐のような蛇が、鎌首をもたげて這い出してくる。 その数、数百、数千。
黒い津波となって迫る死の群れ。
「バーレイグ! 全速力で走れぇーーッ!」
「うおおぉぉーーーッ!」
思考停止。 地面を蹴る。
背後から迫るおびただしい数の蛇から逃れるため、森の安全地帯まで疾走!
だが、ぬかるんだ地面と衝撃で、思うように速度が乗らない。 甲紐蛇の群れが、足元にまで迫る!
「バーレイグさん!」
先に森の茂みに着いたレネが叫ぶ。
「──重力操作ぁ!」
「あっ、そうだ!」
再び自らにかかる重力に「逆らえ」と念じる。
身体を軽くし、疾風のように駆ける。 足が地面に着地する瞬間だけ、重力負荷を上げて地面を強く蹴り出す! 超高速の跳躍移動。
あと数メートル!
その背後、数匹の甲紐蛇が驚異的なバネで跳躍。 狙うは、無防備な首筋!
「しまっ…!」
刹那。 並走していたフェンリルの口から、一条の蒼炎が迸る。
空中の甲紐蛇たちは、喉元に届く寸前で焼き払われ、灰となって霧散。
「…はぁ…はぁ…!」
森の茂みに転がり込む。 荒い息をつきながら、相棒を見上げる。
フェンリルが、「まったく、やれやれだ」とでも言いたげに、隻眼の男を見下ろしていた。
「…助かったぜ! 相棒!」
バーレイクは、心からの感謝を告げた。




