EP22・魑魅魍魎の跋扈する大地
バーレイグ、レネ、エリオット。そして、神狼フェンリルと灰色の梟レーレン。
一行は、エルファリス王国の、人の気配のない岸辺から静かに上陸。 背後では、彼らを運び終えた小型船が、音もなく闇色の海へと溶けていく。
目の前に広がるのは、どこまでも続くかのような深緑の壁──鬱蒼としたジャングル。
空気は湿気を帯びて重く、耳をつんざく虫の声と、遠くから聞こえる未知の獣の咆哮が、絶えず響いている。
「……とんでもない場所に来ちまったな」
エリオットが、額の汗を拭いながら呟く。 彼の得意とする都市での情報収集とは、勝手が違いすぎる。
「文句を言うな。お前の助言のおかげで、港の厄介事を避けられたんだ」
周囲を警戒しながら、冷たく言い放つ。
セレンチアを発つ前、シャドウ・ヴェインの情報網は、既に恐るべき事実を掴んでいた。 エルファリス王国は、ダルクニクスが実権を握る聖・ノルヴァキア王国の属国であり、手配書は、この未開の地にまで既に広く配られている、と。
正面から港に入っていれば、即座に戦闘になっていただろう。
だが、その代償は大きい。 モンスターが跋扈するジャングルを、自らの足で踏破するしかない。 地図もない、道もない、危険しかない魔境を。
ルシファーズ・ハンマーのホルスターから手を離さず、革のグリップの冷たい感触を常に指先に感じる。いつでも一瞬で抜き放てるように。
左目──神器【神晶球】は、絶えず周囲を探る。 木の葉の揺らぎ、獣の気配、魔力の流れ……その全てを捉え、最大限に警戒しながら、未知のジャングルへと足を踏み入れた。
◇◆◇
神晶球とフェンリルの感覚を頼りに、鬱蒼としたジャングルを突き進む。 だが、数時間も歩いた頃だろうか。
無数の、不快な葉擦れの音。 不意に、足元で何かが蠢いた。
「何だ……?」
警戒して足元を見るエリオット。
「うわっ! 足元が痛痒いぞ!」
地面を覆っていたはずの枯葉の下から、小さな蟻の軍隊が黒い絨毯のように溢れ出てきていた。 蟻たちは何の躊躇もなく足元に群がり、鋭い顎で攻撃を仕掛けてくる。
「気を付けろ!」
エリオットが顔面蒼白になって叫ぶ。
「こいつら……猛毒蟻だ! 噛まれたら、数分で全身が麻痺しちまうぞ!」
顔を顰める。毒には耐性がない。 このまま噛まれ続ければ、ひとたまりもない。
『焼き払うか? 我が蒼炎ならば、一瞬で……』
フェンリルが低く唸りながら提案する。 だが、即座に却下した。
「ダメだ! こんな乾燥した下草の上で火を放てば、たちまち大惨事になっちまう!」
『じゃあどうする! ワシは問題ないが、人間のうぬらは死んじまうぞ?』
「クソッ……何か方法は……!」
思考を巡らせるより早く、レネが冷静な声でエリオットに尋ねた。
「エリオットさん? この子たち、飛びますの?」
「いや、羽がないから飛び回ることはないと思うが……それが、どうしたって……」
拍子抜けしたような返事をすると、レネはこともなげに言った。
「じゃあ、浮かべば問題ないわね?」
「……はい?」
エリオットが間抜けな声を上げるのを尻目に、レネはフェンリルに向き直る。
「フェンリルちゃん、背中に乗せてくれる?」
軽やかにフェンリルの背に飛び乗り、こちらに向き直った。
「エリオットさんは、私が浮かせます。バーレイグは、もう自分で重力操作できるわよね?」
「……は?」
レネは、少しだけ呆れたように、しかし優しく微笑む。
「貴方が私を解放してくれた時、私と貴方の間には聖約が結ばれたの。その証……聖印が、貴方のその左目……【神晶球】にも刻まれたはずよ」 「だから、貴方は限定的にだけど、私の《重なりの法》……重力操作の力を、自分の意志で扱えるようになっているのよ」
(……なんだと……!?)
驚きと共に、自らの左目に意識を集中させる。 確かに、神晶球の奥底で、レネの力と共鳴するような、新たな力の脈動を感じる。
「──やってみるしかない、か」
身体が、ふわりと宙に浮く。 まだ不安定で少しふらつく。だが、確かに自らの意志で、重力の軛から解放された。
眼下には、獲物を見失い、ただ蠢くだけの猛毒蟻の黒い絨毯が広がっている。
だが、安心したのも束の間。 巨木をへし折る音と共に、四メートルほどの巨躯を誇る虎が姿を現した。
全身から絶えず電撃の火花が散る。 ブリッツタイガー——雷を纏う虎だ。
「またヤバそうなのが出てきたぞ!」
エリオットが叫ぶ。
ブリッツタイガーが咆哮を上げる。 その口から放たれたのは、凄まじい威力の電撃の奔流だった。
重力操作による空中機動で、辛うじてその直撃を回避する。 瞬時にルシファーズ・ハンマーを撃つ。狙うは、その眉間。
乾いた銃声。
放たれた弾丸は、ブリッツタイガーの体表を覆う電撃バリアに触れた瞬間、激しいスパークと共に弾き返された。
(……なるほど。電磁バリアか!)
頭脳が急速回転する。 魔弾に宿る特殊能力は、「着弾」して初めて発動する。 着弾を物理的に阻害するバリアは、ルシファーズ・ハンマーにとって最悪の天敵だった。
「バーレイグ、どうする!?」
ブリッツタイガーが前脚に稲妻をまとわせ、振りかぶる。 地面に縫い付けられているフェンリルとレネが、その脅威に晒される。
魔銃をホルスターに戻した。
「エリオット! ナイフを一本貸せ! 全力でだ!」
「はあ!? 今更ナイフで何を……!」
エリオットが投げたサバイバルナイフを空中でキャッチする。 そして、雷虎の足元の「地面」めがけて、全力で投擲した。
ナイフがバリアに触れた瞬間、ブリッツタイガーが放っていた電撃は、獲物を見つけたかのように、その一本のナイフへと殺到した。
金属は、空気中よりも遥かに電気を通しやすい。 ナイフは、雷虎の電撃にとって、最高の「避雷針」となった。
大気が焦げ付く異臭と、目も眩むような閃光。 雷虎が身にまとっていた電撃の大半が、地面へと強制的に放電されていく。
悲鳴のような咆哮。 自慢の鎧が、自らの力によって無力化され、ブリッツタイガーが初めて戸惑いの声を上げた。
その一瞬の隙。
「電気仕掛けの猫に、俺の弾丸は止められねぇ」
銃声一閃。
魔弾は今度こそ、弱体化した電磁バリアを貫通し、眉間を正確に撃ち抜いた。 巨体が、ゆっくりと横倒しになり、大地を揺るがす。
「……ふぅ」 硝煙を吹き消しながら、荒い息をつく。
『次は何が出てくるのだろうな』 フェンリルが静かに呟いた。
楽しんでいるのか、呆れているのか。 その声色から、どちらかを判断することはできなかった。




