EP21・愛か魔法か
解放された使い魔レーレンは、主であるレネの肩で誇らしげに羽を休めている。
永い呪縛から解き放たれ、本来の姿――**『天輪の聖女』**としての輝きを取り戻したレネ。 瞳に宿る光は、以前とは比べ物にならないほど力強い。
彼女は静かに、しかし揺るぎない決意を込めて口を開く。
「バーレイグ。貴方のおかげで私は自由を取り戻せた。この恩は決して忘れない」
射抜くような視線が、隻眼を真っ直ぐに捉える。
「そして……だからこそお願いがあるの」 「他の聖女達も、私と同じように助けてほしい」
「彼女たちも私と同じ……いいえ、それ以上の苦しみを、今この瞬間も味わっているはずだから」
その言葉にあるのは、ただの同情ではない。 同じ悲劇を経験した者だけが持つ、魂の共鳴。
だが、レネは続ける。 世界の運命そのものに、重い問いを投げかけるように。
「……ただし覚悟は必要よ。彼女たちを解放するということは」
一拍の間。 彼女は、はっきりと告げる。
「それがたとえ、人類から『魔法』という文明を取り上げる代償を伴ったとしても」
バーレイグは息を呑む。
世界の歪み。 その根源。 代償のあまりにも巨大な重さ。
(魔法を取り上げる……)
正直、心は揺れていた。 最優先すべきはアーシェだ。 一刻も早く、あの王都の闇から彼女を救い出したい。
だが、現状の戦力では足りない。 ダルクニクスと王国全軍を敵に回すには、あまりにも無謀。
(だが、もしレネと同じ力を持つ聖女たちがあと六人も仲間になれば……?)
それはアーシェを救い出すための、唯一にして最強の「切り札」になるかもしれない。 代償が、どれほど重くとも。
深く、深く息を吐く。 腹は決まった。
選んだ道は英雄でも聖人でもない。 ただ愛する者を救いたいと願う、一人の男の道。
「……いいだろう、レネ」
瞳を真っ直ぐに見返す。
「アーシェの救出と引き換えに、他の聖女の解放を約束する」
「……!」
「俺がお前の願いを叶える。だからお前も俺の願いを叶えろ。全ての聖女を解放した後、必ず共に王都へ行き、アーシェを救い出すと誓え」
悪魔との取引にも似た、危険な契約。 だが、レネの瞳に迷いはない。 力強く頷く。
「誓います。バーレイグ。アーシェという貴方の大切な人を、必ずこの力で護ってみせる」 「だから……どうか私の姉妹たちにも救いを与えて」
固い約束が結ばれた。 個人的な愛のための戦いが、世界の運命を変える戦いへと変貌した瞬間。
バーレイグは新たな決意を胸に問う。
「よし。ならば次だ。二人目の聖女はどこにいる?」
レネは記憶の糸を辿るように目を閉じた。
魂の繋がりが消えることはない。
「……確かな場所は分からない。でも、言い伝えでは……南。海の向こう、陽が常に天高く昇る、緑深き大陸に」 「獣と心を通わせる特別な力を持つ聖女がいたはず……。彼女なら、もしかしたら」
「南……エルファリス王国か」
脳裏に、古びた世界地図が浮かぶ。 セレンチアからさらに海を渡った先。 広大な未開の大陸。
(やはり、あそこか)
忌々しげに一枚の羊皮紙を取り出す。 シャドウ・ヴェインのアジトへ戻った際、グレンからの伝書鳩が運んできたものだ。
そこにはただ一言、こう記されていた。
『――エルファリス王国へ行け!』
(あのクソじじい……どこまでお見通しなんだ)
不本意な「指令」に従う苛立ちと、進むべき道であるという確信。 複雑な表情で羊皮紙を握りつぶす。
「……行くぞ」
決断は早かった。
◇◆◇
エリオットへの説明は簡潔に済ませる。
「南の大陸エルファリスに、重要な手がかりがある。渡るための船と、信頼できる船頭が必要だ」
エリオットは、バーレイグの只者ではない力と、その裏にある巨大な何かを感じ取っていたのだろう。 二点返事で協力を約束する。
「分かった。船と船頭の手配は『蜘蛛の巣』を通じてすぐにやる。だが条件がある」
「俺も同行させてもらう」
「……お前がか?」
「ああ。エルファリスは俺たちにとっても未知の土地だ。どんな危険があるか分からない。それに、あんたの戦いぶりを見て決めたんだ。俺はあんたの『目』になる。情報収集と分析はこの俺に任せろ」
ただの協力者ではない。 対等な「仲間」としての覚悟。
その瞳に宿る真剣な光を見て、バーレイグは短く頷く。
「……好きにしろ。ただし、足手まといになったら置いていくぞ」
◇◆◇
数日後。 セレンチア港の最も寂れた一角から、小型の輸送船が夜陰に紛れて出港した。
シャドウ・ヴェインが手配した腕利きの船頭が操る、目立たないが頑丈な船。 船上にはバーレイグ、レネ、そしてエリオット。 フェンリルとレーレンもその傍らに寄り添う。
遠ざかるセレンチアの街灯りを、それぞれの想いを胸に見送った。
海を渡ること数週間。 長い船旅の末、ついに新たな大陸の輪郭が浮かび上がる。
「……あれがエルファリスか」
息を呑む。 そこは、知る限りのどの土地とも異質だった。
天を突く巨木群が、空を覆い尽くしている。 密林の奥からは、鳥とも獣ともつかない異様な鳴き声と、木々が擦れ合う重低音が絶えず響く。
空気は濃密な湿気を帯び、腐葉土と鮮血が混じったような強烈な「生命」の匂いが、むせ返るほどに満ちていた。
「……とんでもない場所だな」
エリオットも、圧倒的な大自然を前に喉を鳴らす。
船が小さな入江に静かに停泊する。 ここから先は、道なき道を行くしかない。 この緑の魔境には、地図にも載っていない危険なモンスターが跋扈しているという。
バーレイグは腰の『ルシファーズ・ハンマー』の感触を確かめる。 不敵に笑った。
「面白ぇ。歓迎が激しいじゃねぇか」
新たな死線が、今始まろうとしていた。




