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EP20・天輪の聖女・レネ

『……バーレイグ。仕留めきれておらんぞ』


フェンリルの警告。低い唸り声。


「ああ、分かってる」


黒焦げの塊と化した処刑執行人を見下ろす。忌々しい。 吸血鬼は死なない。神聖な蒼炎で灰になっても、時間と共に必ず復活する。 完全に殺すには、太陽光か、聖銀で心臓を貫くか。 今は、そのどちらもない。


大聖堂での騒ぎ。異変を嗅ぎつけた番兵が来るのは時間の問題。 国家戦力との消耗戦は避けるべきだ。 ならば、やるべきことは一つ。速やかな撤収。


床のジュリエッタは動かない。当分は再起不能。 レネとフェンリルに頷く。


主祭壇──女神像が掲げる、巨大なルビーへと向き直る。


(チッ……!)


背後から迫る複数の足音と怒号。 神殿の最奥で行き止まりとは、運が悪い。


目の前には、慈愛に満ちた女神像。 だが、掲げられた杖のルビーからは、禍々しい魔力が漏れ出ている。 あの内部に、使い魔が封じられている。


像を破壊すれば、大騒ぎになる。 封印術式の解析時間はゼロ。 追手の第一陣が、入り口になだれ込む気配。


完全なる詰み(チェックメイト)。


隻眼が、一点──あのルビーを見据える。 紅く、深く、呪いのように脈動する輝き。


──呪い?


脳裏に走る稲妻。 銀髪の聖女。茨の呪核。絶望的な『無限黒穴』。 どうやって彼女を救った?


破壊ではない。 呪いの「機構」を、内部から逆行させ、崩壊させた。 禁断の5秒間。


(……あれだ!)


答えは、最初からこの手にあった。 焦りは、刹那のうちに冷徹な確信へ。 口元に、不遜な笑みが浮かぶ。


「騒ぎを避ける最善手は、一発で終わらせることだ」


迫り来る追手には目もくれない。 静かに、ルシファーズ・ハンマーを構える。


狙いは、ルビー。 いや、その内部に存在する、封印の「核」ただ一点。 解放の引き金に指をかける。


「──時を戻すぞ」


追手の怒号が、神殿の入り口で重なる。 猶予は一秒もない。 撃鉄を、静かに起こす。


(レネの呪核を破壊した、あの5秒間……) (あれが、封印という名の『機構』を破壊する、唯一絶対の解だ!)


追手が広間に雪崩れ込む。 その刹那、引き金を引く。


──発射、「時戻しの弾丸クロノス・リワインド」。


乾いた銃声。 魔弾は神速でルビーへと突き刺さる。


「「「貴様! 女神像に何を!」」」


絶叫する追手たち。


だが、ルビーは砕けない。 着弾した魔弾は、赤い水面に吸い込まれるように、宝石の内部へと侵入する。


狙いは、「封印の術式核」。 心の中でカウントを開始する。効果時間は、絶対の5秒間。


──1秒。


ルビーが、内部から脈動し、明滅を始める。追手たちがたじろぐ。


──2秒、3秒。


魔弾の力が解放される。 ルビーの内部。封印を維持していた術式の歯車が、悲鳴を上げて「逆回転」を始める。 破壊ではない。逆行だ。 完璧な封印の「機構」が、強制的な時間の逆流という矛盾に耐えきれず、内部から軋み、崩壊していく。


──4秒。


ルビーから放たれる光。神殿全体を白く染め上げる。 追手たちは、腕で目を覆う。


──そして、5秒後。


パリンッ。


ガラスが砕けるような、か細く、しかし神聖な音が響く。 ルビーが割れた音ではない。 封印の「核」そのものが、時間の矛盾によって内部から完全に崩壊し、消滅した音。


光の奔流が解き放たれる。 中から翼を持つ使い魔が、歓喜の産声を上げて飛び出した。


女神像も、ルビーも、傷一つない。 ただ、そこにあったはずの「封印」だけが、綺麗に消え去っていた。


「な……なんだと……!?」


光に目が眩み、奇跡に呆然と立ち尽くす追手たち。 完璧な隙。見逃すはずもない。


「──借り物の時間は、返してもらったぜ。行くぞ!」


光と混乱を背に、レネとフェンリルと共に、闇の中へと駆け出す。


大聖堂の地下墓所を抜け、セレンチアの夜の街へ。 背後には、遅れて状況を理解した追手の怒号。警鐘の音。


三者は、埠頭を目指して全速力で走る。 夜闇に紛れ、複雑な路地を駆け抜け、気配を巻く。


やがて、潮の香り。目的の埠頭。 一つの小さな影が待っていた。 少年ギャング団『シャドウ・ヴェイン』の一員。 一瞥し、無言で頷く。闇に紛れた隠し通路への手引き。


案内された先は、港の倉庫街の一角。寂れた倉庫。 追手の気配はない。安全圏。


「……ふぅ。助かったぜ」


荒い息をつき、壁にもたれかかる。


だが、休息はまだ早い。 レネの肩で静かに眠る、灰色の梟へと視線を移す。


「レネ。やれるか?」


レネは、こくりと頷く。 表情には、永い時を超えた再会への期待。そして緊張。


そっと使い魔である梟を腕に抱く。 胸の前で静かに祈りを捧げる。


心臓の真上に、淡い光。 複雑な紋様が浮かび上がる。使い魔との絆を示す、聖刻の神紋印。


そして、歌い始める。 言葉ではない。魂の奥底から湧き上がる、清らかで、神聖な旋律。 永い間忘れられていた、聖天の歌。


歌声に呼応し、腕の中の灰色の梟が、かすかに震える。 閉じていた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。


現れたのは、夜空のように深く、星のように輝く、知的な瞳。


「フルップゥーー!!」


甲高く、喜びに満ちた鳴き声が、倉庫の中に響き渡る。 覚醒。


「……! レーレン!」


レネの瞳から、大粒の涙。 目覚めた梟を、壊れ物を扱うかのように、しかし力強く抱きしめる。


「会いたかった……! 会いたかったよぉーー、レーレン!」


何千年もの間、呪縛に囚われながらも互いを想い続けた魂。 今、ようやく一つになる。 レネが呪いから解き放たれ、本来の姿、天輪の聖女の力を取り戻したのだ。


その光景を、ただ静かに見守る。 夜明け前の薄闇。 確かな絆の灯が、再び灯った瞬間だった。

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