2-11. おもてなしの心こめてみたよき花火③
【バーレント・フォルマ視点】
あらわになった樹精の夕空の色の瞳に、バーレントは見覚えがあった。
改訂した "アモルス" の被験体 ―― 赤い髪と乳色のなめらかな肌がとてもきれいなのにそそられた。
ヨハン王子からは 『気に入った女は好きにしてください』 と言われていたから、遠慮などしなかった。
彼女を媚薬漬けにしてうしろから犯しながら、うなじに時間をかけて所有の証を彫ったのだ。
―― あんなに興奮できたのは、妹に "アモルス" を試したとき以来だった……。
あのとき快楽に身を投げ出しそうになりながらも涙をためて耐えていた瞳に、いまは憎しみと軽蔑がたたえられている。
その乳白色の手に、妹がナイフを渡した。
「気をつけてくださいね。急所は避けるように」
「手とか足でないとダメですか?」
「指先もオススメでしてよ。末梢神経が集中…… あら、しまったわ。毒がまわっていては、あまり痛くないかもしれませんわね。毒のほうが痛いのですもの」
「大丈夫です、やっぱり顔にしますから」
夕空の色の瞳が、ぐっと近づいた。
「先生。わたし、今ね、先生のお顔に字を刻んでるところですよ…… N、と」
「きざ…… と …… や」
「…… A …… と…… ふう。皮に刻みこむって、割と力がいるんですね? 血が出てすべっちゃうし…… 次は、R …… あっ…… ちょっと、ズレちゃいました」
「…… やめ…… 」
「…… R、と…… うふ、先生。たしかにモノに字を刻むのっていいですね。難しくても達成感があるというか」
「…… ろ…… て、くれ …… 」
「あははははは。もう遅いですよ、先生」
周囲に集まってきていた樹精たちが、つけられたばかりの傷跡を、いっせいに読み上げる。
「「「「 愚か者 」」」」
「「「「 愚か者 」」」」
「「「「 愚か者 」」」」
「「「「 愚か者 」」」」
…………
「ち、が…… 」
違う違う違う違う違う!
バーレントは声にならない声で叫んだ。
それは、彼が妹も両親もすべて自分のものにしてしまえばいいのだ、と気づくまえの、まだ少年だったころの思い ――
―― 僕が愚か者であるはずがない!
―― 僕は本当は誰よりも才能があった、努力もしていた!
―― 認めなかったお父さまお母さまが悪いんだ!
―― 妹なんていたから悪いんだ!
―― 本当は僕が天才だったんだ! 僕は世の中に必要とされているんだ!
「「「「 愚か者 」」」」
「 ………… !」
口も喉もしびれて、息はますますうまくできなくなっていた。
視界が暗くなっていく。
―― こんなところで、僕が終わるだと? まさか、そんなはずが、あるものか……
クルシイクルシイクルシイクルシイ
タスケテタスケテタスケテ
ナンデモイウコトキクカラタスケテクレ
「そろそろですわね」
つまらなさそうな誰かの声が聞こえる。
「量を間違えてしまったのかしら、早うございましたわ…… みなさま、じゅうぶんに楽しめまして?」
「「「「おそれながら、まだ…… 」」」」
「そう言うと思いましたわ」
くすくすと上品な忍び笑いのあと、声がしばらくやんだ。
―― なにが起こってい…… アアクルシイクルシイイタイイタイイタイイタイクルシイ……
イタイ!
眼鏡のグラスが壊れる小さな音とともに、左目に強烈な痛みが走った。続いて、右目にも。
両の耳と、口にも。
なにかを突き刺された ―― だが、抜こうにも手足が動かない。
バーレントにできたのは、芋虫のようにただ転がること。そして、痛みと嘲笑とを全身に浴びることだけだった ――
※※※※※※※※
【ヴェロニカ視点】
「お嬢さま、あまった花火も、てきとうに刺しといていいですか? 」
「ええ、よくってよ」
覆面をとった樹精のひとりが、火をまだつけていない手持ち花火でツンツンと倒れたフォルマをつついた。
私がうなずくと、きゃあっとはしゃぎ声があがる。
彼女らは笑いさざめきつつ、フォルマに花火を突き刺していく。
(クリザポールの作ってくれた手持ち花火は、偶然にも針金のような金属製で刺しやすかった)
ヨハン王子の狩猟の館で拾った侍女課の生徒たち ―― 彼女らはまだ、媚薬依存から回復しきったわけじゃない。
けど、あの館でなにをされてきたのか、もう自覚はちゃんとある。
なかには 『先生かわいそう』 などと言い出す者もいるかと心配していたが ――
ふたをあけてみれば、ステラをはじめ全員が復讐を楽しんでくれているようだ。良かった。
フォルマにも、最高のおもてなしができたはず。
カスタマイズの自由度があがった最新の幻術セットを使って、カタリナのこともしっかり思い出させてあげたしね。
さぞ懐かしかったことだろう。
心をこめて入念に準備したかいがあった、というものだ。
―― これまで支配していると思い込んでいた妹や媚薬実験の被験者たちに、なぶられながら死んでいくなんて…… 人生でいちばんの屈辱だもんね、きっと。
「お嬢、そろそろ肉が焼けたぞ」
覆面をしたままの樹精 ―― テンが、少し離れた場所から声をかけてくれた。
フォルマからは微妙に目をそらし気味…… それはテンだけではなく、私たちのテーブルにせっせと皿を並べてくれている、もうひとりのドリアードも同じである。
「食事の支度をありがとうございます、セラフィン殿下も、テンも」
「いえ、慣れていますから」
王族とはいえ立場の弱いセラフィンは、使用人がするような仕事にもこだわりがないのだ。
皿のうえに串焼きを並べながら、テンが大袈裟に首を縮めた。
「いやー正直、そっちに加わるよりマシだもんでね! タマ縮むわまじで」
「あら。おふたりとも、彼のせいで苦労なさった面もあるでしょうに…… 」
「ああー たしかにそういやそうだけどな、うん、これ見たらさすがに同情するわ」
「優しい人はわたくし、大好きでしてよ…… さて、飾り付けも終わったようですわね」
私はステラたちをテーブルに呼び、彼女らの代わりにフォルマの横に立った。
目にも鼻にも口にも耳にも ―― いつのまにどうやったのか、スーツが脱がされて、全身いたるところに手持ち花火が突き刺さっている。針山みたいだ。
「先生、まだ生きてくださっていますか? …… 生きてらっしゃれば、とても嬉しいのですけれど」
私は花火のすきまに火の魔力石を置き、使用説明書どおりに魔導式を唱えた。
小さな火があちこちから上がり、やがて、青い炎がゴミを美しく包み込む。
―― 花火が終わるころには、あとかたもなく灰になっていることだろう。
「わたくしのおもてなし、気に入っていただけましたかしら、先生?」
フォルマのおなかのあたりから、勢いよく火花が散った。
わあっ、とステラたちが歓声をあげる。
私たちは乾杯をし、次々とあがる色とりどりの火花を鑑賞しながら、おしゃべりと串焼きをゆっくりと楽しんだのだった。
―― 数日後。
フォルマは行方不明として執事から捜索依頼が出された。
だが、ほぼ同じタイミングでセラフィンとテンが、フォルマ家の家宅捜索に踏み切った。
ステラをはじめとした被害者の侍女たちからとった調書をもとに、国王に直接訴えたそうだ。
家宅捜索で明らかになった事実は、2つ。
―― 1つは、フォルマの妹、カタリナの遺体が埋葬されずに部屋に置かれていたこと。なんらかの処置を施したらしく、きれいな状態のままで、まるで眠っているようだったというが…… 個人的には、引く。
―― そして2つめは、フォルマが引き取った孤児たちに首輪をつけ、檻に入れて飼っていたこと。
慈善家の顔の裏で、とんでもないことをしでかしていたものである。
執事が白状したところによると、こうした孤児たちは媚薬のみならず、もっと根本的な薬の素材候補の効能を確かめるためにも使われていたそうだ。
子どもを使うなんて、あり得ない…… 同族ながらつくづく、私とは合わない男だった。
―― 結果、フォルマは罪に問われるのを恐れて行方をくらましたのだろうということになり、捜索は打ち切られた。
探さないほうが親切と、彼の執事も納得した。
フォルマ家は取り潰し。家督や事業は親戚のクリザポールが引き継ぐこととなった。
そして媚薬 『アモルス』 は法律の制定を待たずに製造・販売ともに中止。
『バーレント・モルフェン』 は改名されて、ただの 『モルフェン』 になった。
(なぜ真の創薬者の名前を薬につけなかったのか、クリザポールに尋ねたところ ―― 『カタリナの名を無差別に他人に呼ばせるなど、とんでもないですよ!』 といわれた。このひともなかなかである)
また、ヨハン王子とアナンナについては、解毒剤の試験投与をやめることにした。フォルマを片付けたあとまで、それをする意味がないからだ。
ふたりをこのままラクにしてあげることも考えたが、ステラはじめ媚薬漬けにされた被害者たちが反対した。
いちど殺せば、もうにどと殺せない ―― 結局、彼らは地下牢に閉じ込めたまま、即死しない程度に 『雪の精』 を与え続けることになった。
そして、私の日常のほうはといえば――
ヨハン王子との婚約の解消が正式に成ったほかはとくに変わらず、穏やかといえるものだった。
以前にメアリーに予約してもらったテーラーで紳士服を一揃え注文し、前回の慰労パーティーに参加できなかった騎士たちのために再度パーティーの企画。
それから、いつものレッスン、適度な社交、そして寝たきりの母の世話 ――
「お母さま。吹き出物が薄くなりましたのね。フォルマ先生のお薬が効いて良うございましたわ」
母の身体を拭きながら話しかけていると、手伝ってくれていたメアリーがけげんな顔をした。
「ヴェロニカさまは復讐のためだけにフォルマ先生に創薬の依頼をなさったのでは、ないのですか? もしかして、本当にお母さまを救ってもらいたくて……?」
「そのようなわけ、ないでしょう? 薬ごときで救えるなら、これまでに、なんとかなったはずですもの。希望など持ってはいませんでしたわ」
「ですよね…… 失礼します、お湯を捨ててきますね」
「ありがとう」
メアリーの軽い足音が去っていく。
薬のおかげで昔の面影をわずかに取り戻した母の顔を、私はじっと見つめた。
―― 期待などしては、いなかった。
だけど、ほんの少しだけ、奇跡が起こる可能性を考えた。
どんな人間であっても、人を救えたりする場合も、確率的にはあるんじゃないかと。
この私が、転生前の記憶を取り戻してもなお、これまでのバカでお人よしなヴェロニカを完全には捨てきれていないように。
私は母の灰色の髪をゆっくりとなでて、小さな声で歌った。
『おやすみなさい、おやすみなさい、おやすみなさい、小さな天使
どんな夢を見るでしょう?
砂糖にはちみつ、ミルクたっぷり…… 』




