33.幼馴染に狙われた私
バーナード殿下の騒動から、3か月が過ぎた。
季節は春。
私は中庭を、あてもなく歩いていた。
「溺愛の花園」に来て、薔薇の香りを嗅いだときは、プレイボーイの「吸血鬼」チャールズ・イーリイ伯爵を思い出した。あれからもう、ちょうど1年が経つのだ。
「溺愛の鳥の園」の金網に入り、マナヅルの凛とした姿を眺めたとき、奇術師デイビッド・フーディエ子爵のことを思い出した。子爵様は相変わらずステージに立ち続け、象や虎などを消していたが、もう女性はいっさい消そうとしなくなったという。
「溺愛の厩舎」を訪れて、愛馬〈ドウティング〉の背中を撫でたときは、ノックス大賢者とのことを思い出した。風の噂では、シン国に逃げた大賢者は、サブプライムローンなるものを考案し、またしてもバブルを弾けさせたそうだ。賢者十段のくせに、失敗から何も学ばなかったらしい。
「溺愛の池」で錦鯉にエサをやっていると、どうしてもバブルガム宮殿のことを思い出し、10万回目のため息をついた。
10万回は誇張ではない。
あれから毎日、およそ90日間、ため息ばかりついている。
王宮の接見室で、石膏像に化けた幼馴染のエドモンド・アラベスターに、思い切って告白をしたあの日から……
『なぜならこれが、私の好きな人だからです!!』
そう叫んだとき、私の背後で、確かに石膏像は揺れた。
間違いなく告白を聞いたのだ。
なのに、あれから中庭に忍び込んでこない。
どうして?
どうして返事をくれないの、エディ?
両想いだと信じてたのに、実は私のこと、好きじゃなかったの?
「溺愛の池」に、涙がぽたりと落ちた。
そのときーー
「ジュリア!」
感傷的になっているときに、いちばん聴きたくない声が響いてきた。
振り向くまでもない。レオナルドお兄様だ。
「おまおまおまおまおまおまおまおまおま」
お兄様をつかまえて池に放り込んだ。
「気持ちいい! 最高でーす!」
レオナルドお兄様は半魚人のように池から這い上がると、はしばみ色の瞳をキラキラと輝かせた。
「お前に責められるのが、俺はこの世でいちばん嬉しい。こんな兄でスミマセン」
私はもう、溺愛のせいで超絶美男子のお兄様が結婚できなかろうが、どうでもよくなった。
「ジュジュジュジュジュジュジュジュジュリア」
「はい、何ですか?」
「ぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ」
「……ぷぷ?」
「ぷぷぷぷぷはー!!」
お兄様は、突然噴き出した。
「いやー、すまんすまん。あんまり噴飯物の話を聞いたんで、つい爆笑してしまった。これを聞いたら、きっとジュリアも爆笑するぞ」
生憎そんな気分ではなかった。
「聞きたい? 聞いちゃう、この話?」
「別に」
「まあ聞けよ。お前も知ってるだろ、アラベスター家の三男坊のことは」
心臓が、いきなり口から出そうになった。
「……し、知ってるだろって、どういう意味ですの? アラベスター家のご子息なら、子どものころからのお付き合いではないですか」
「まあ最近は、会う機会がないからな。エドモンド君とも、しばらく会ってないだろう?」
もちろんお兄様は、エディが中庭に何回も忍び込んできたことは知らない。
「そうね。エディとは学園も違ったし、彼は貴族の社交場にはちっとも来ないから」
「成人したら家を出て、冒険の旅に出るんだとか言ってるらしい。だから貴族との交際はせず、もっぱら冒険者とつるんでるんだって。変わったやつだよな?」
「そうね。とっても変わってると思うわ」
その自由さが、何よりもまぶしいのだ。
「ところで、エディがどうかしたの?」
「聞いて笑うなよ。いや、絶対に笑うぞ」
お兄様は再びぶぷーっと噴き出し、
「あの三男坊のエディが、お前とぷぷ、けけけぷぷ、け、けけ、結婚したいだって、だははははーっ!」
お兄様は笑い過ぎて、地面を転げ回って池に落ちた。
時間が止まった。
世界は薔薇色に輝いた。
何も言うことはなかった。
すべてのことに、感謝した。
レオナルドお兄様が、笑いながら池から上がってきた。
「あれ? ジュリアは笑ってないな。そうか、面白いっていうより、ちょっと怖くなったかな? わんぱく坊主のエドモンド君が、急にストーカーに豹変したみたいで」
お兄様に一歩近づいた。
「……あれ? お前のほうから近づいてくるなんて、これは何の奇跡?」
「お兄様、いつもありがとうございます」
「どど、どういうこと?」
お兄様は私から一歩離れた。
「下がりなさい、妹よ。こんな幸運を手にしたら、きっとバチが当たってしまう。さあ、下がった下がった!」
「エディのことを教えてくれて、本当に感謝です」
「コラッ! 離れろと言ってるのに! なに、たまたま乗馬クラブで聞いたんだ。最近エドモンド君が乗馬クラブに通いつめて、白馬を選んで乗ってるから、『白馬の王子様になる練習かい?』って俺の友達がからかったら、『ジュリア・レヴォワールさんを迎えに行くつもりです』だって、ぷぷぷぷぷぷ……」
お兄様から顔を背けて、そっと涙を拭いた。
「さあて、こうしちゃいられないな」
お兄様が、襟の大きなコートのポケットに潜り込んだ錦鯉を、池に放してやりながら言った。
「こんなに面白い話を、自分一人の胸にしまっていたら病気になってしまう。さっそくアンドレアと父上に報告だ。うひゃひゃひゃひゃ」
私の嬉し涙にはついに気づかず、お兄様は池の水を滴らせて走り去った。
(アンドレアと父上に報告か……2人はどんな反応をするだろう? 少なくともリカルドお父様は、お兄様のように笑い話とは受け止めず、エディのことを警戒するのではないかしら?)
ひょっとすると、アラベスター家に乗り込んで、男爵様を難詰するかもしれない。そのくらいは衝動的にやりかねなかった。
池のほうを向いてしゃがんだ。
「どうしましょう。エディの気持ちは嬉しいけど、乗馬クラブで話したのはまずかったわね。お父様の耳に入ったら、きっとそう簡単に、うちには忍び込めなくなってしまうわ」
錦鯉たちにそう語りかけると、
「ごめん、また来ちゃった」
背後で声がして、私は飛び上がった。




