32.怪盗との死闘
夢を見ていた。
夢の中で、私は暗い洞穴にいた。
穴の奥の方から、凶々しい獣の匂いが漂ってくる。
「ごめんね」
【青龍の鎧】に身を包み、【覇王の剣・改】を右手に握り締めたエディが、恐怖に震える私の肩を優しく抱いてくれた。
「冒険者じゃないジュリアを連れて、ラスボスのいるダンジョンまで来てしまって。俺と一緒でなければ、今ごろ君は安心安全な生活をーー」
「いいの」
必死で笑みをつくる。
「あなたがいない安全なんて、何の意味もないから」
手を伸ばして,私もエディの肩を抱いた。
エディのぬくもりを感じたかったのにーー最強防具である鎧の厚さと硬さが恨めしい。
ラスボスを倒したら、プロポーズしてくれるかしら?
心臓がバクバクする。
ああ、エディ。
もしそうなったら、幸せ過ぎて死んでしまうかも。
こんなに人を溺愛するのは、世界中であなただけよ。
「エディ、ごめんなさい」
「……どうしたの? 謝るのは、俺のほうだけど」
「私のせいで、ステージごとにお父様たちの刺客とバトルをやらされて」
逃亡生活をする私たちを、お父様たちは執拗に追いかけ回した。
あるときは魔獣調教師を買収して、強化された魔獣を差し向けてきた。
またあるときは、エディをお姫様の誘拐犯だと吹き込んで、Sランクのパーティーと対決させたりした。
「いやー、レヴォワール閣下たちに鍛えられたおかげで、ついにレベル80になってしまった。もうラスボスのダークネス・ドラゴンを充分倒せる。そしたら冒険の旅も引退さ」
「……エディ」
その逞しい顔を、正面から見つめた。
エディが緊張にこわばる。
思い切って言った。
「ねえ、エディ」
「何?」
「もしドラゴンに勝ったら、してくれる?」
「……何を?」
「あれよ、あれ」
「……あれって?」
「馬鹿。女のほうから言わせないで」
はにかむと、エディが顔を赤くした。
わかってくれたかしら?
あれよ。プロポーズよ。
その想いを眼差しに込めていると、やがてエディがごくりと唾を呑んだ。
「わかった。するよ」
「本当に? 約束してくれる?」
「ダークネス・ドラゴンと闘って、それでもまだ五体満足だったら、必ずあれをしよう!」
「嬉しい!」
エディの首すじに顔を埋めた。そこくらいしか、鎧の隙間がなかったから。
嗚呼。
貴族の令嬢が、こんなふうにするのははしたないだろうか?
でも止まらない。
私はエディを愛している。
エディの息が荒くなった。
私は顔を上げ、唇を近づけていきーー
「コラッ! コノヤロー!!」
突然、口汚い罵声が鼓膜を震わせて、ハッと眼を開けた。
エディの顔がすぐそこに。
……いや。ない。
今の声はエディではない。
夢から醒めた私は、上半身を起こした。
するとーー
「勝手に写真を撮るな! 衛兵に逮捕させるぞ!」
叫んでいるのは侍従たち。
そして、怒鳴られていたのは、カメラを構えた一団の人々だった。
思い出した。
ここはバブルガム宮殿の接見室で、バーナード殿下がライフルを撃った瞬間、気を失ったのだった。
「撮るなと言ってるだろう! カメラをこっちに寄越せ!」
さっと部屋を見回した。
リカルドお父様、パトリシアお母様、レオナルドお兄様、アンドレアは無事だ。
エディが化けた石膏像も無傷。
国王グレゴリー7世や、衛兵隊や侍従たちの中にも、怪我をした様子の人はいない。
ただ、ライフルを発砲したバーナード殿下が床に大の字になり、シャンデリアが床に落ちて粉々になっていた。
いったいどういうことだろう?
「ジュリア、助かったわね」
パトリシアお母様が、私の横に来て言った。
「殿下はまだ気絶しているみたいね。ここにいるのは新聞記者たちよ。王宮にはたいてい記者が訪れているから、突然の銃声に、何事が起こったのかと集まってきたのね。王宮の接見室で発砲騒ぎだなんて、なかなかのビッグニュースでしょ?」
「……いったい何がどうなったんですの?」
母上に訊くと、
「この末っ子の王子様は、たぶん初めて銃を撃ったのね。反動で銃身が跳ね上がって、天井のシャンデリアを撃ち落としたの。王子様は、勢い余って床に頭を打ってノックダウン。あーあ、素敵な王子様だと思ったのに、わたくし幻滅だわ。やっぱり男は強くなくっちゃね」
グレゴリー7世が憮然として息子を見降ろす眼も、やはり幻滅しているように見えた。
母上はクスクスと笑った。
「みんな困ってるわね。記者は何があったかわからないし、国王や侍従もどう説明していいかわからない。衛兵隊も、まさか本当に記者を逮捕するわけにもいかないでしょう? 果たして明日の新聞には、どんな記事が出るかしら?」
にらみ合う侍従と新聞記者たち。
もじもじと居心地が悪そうにしている衛兵隊。
国王は明らかに困り果てて、ただ無言で立っている。
(こういう場合、記者に対応するのは侍従長だろう。国王自らがあれこれと弁明することはない。しかし、この場に侍従長が呼ばれたとして、状況がわからないのだから説明のしようがない。となると、いったい誰がこの混乱を収拾するのだろう?)
何はともあれ、私は助かった。
銃弾は当たらなかったし、殿下が醜態を晒した以上、デートの申し込みはなかったことになるはずだ。
(……そう言えば)
ブラウスの胸ポケットに手を当てた。
中に四角い物が入っている。それを取り出す。
小さな箱が出てきた。
(そうだーーアンドレアからのプレゼントを、無意識にポケットにしまったんだわ)
箱を開けた。
中には、金色に輝く玉があった。
身につけているだけで、必ず幸福になるという謳い文句のゴールデンスフィアがーー
(ひょっとしたら、これの効果で、バーナード殿下は見事なまでにひっくり返ってくれたのかもしれない。ありがとう、アンドレア)
ゴールデンスフィアを握り締めた。
そのときだった。
「恐れながら申し上げます!」
リカルドお父様が、沈黙を破って唐突に発言した。
「陛下は謙遜であられるので、真相を語られません。そこで目撃者であるワタクシめが、記者諸君に説明いたしたく存じます!」
いったい何を言い出すのだという、ギョッとした視線が父上に集中したーーただし、茫洋とした表情で佇んでいるグレゴリー7世を除いて。
「ワタクシも確かに見ました。天井に張り付いていた黒い賊の影を。あれは紛れもなく、この部屋の絵画を狙って侵入した、世界的怪盗のスペードに間違いありません!!」
何、怪盗スペードが!? と、新聞記者たちは色めきたった。
「かか、怪盗が、バブルガム宮殿に忍び込んだのか? 王宮のセキュリティはそんなものか?」
「いや、相手はスペードだ。あのバミューダ監獄の独房ですら、自由に出入りする世紀の怪盗だぞ。奴に狙われたらひとたまりもあるまい」
新聞記者たちが興奮して騒ぐのを、侍従や衛兵隊は茫然と見ていた。
「陛下。記者諸君はご存じです。賊に侵入されたのは、決して不名誉なことではないと。それよりも、バーナード殿下が勇気を示し、電光石火、衛兵から奪ったライフルで天井を撃った結果、絵画は盗まれずに済んだのです。何とあのスペードが、獲物を諦めて逃げたのですぞ。こんなことは、過去に1度もなかったのではないでしょうか?」
確かに前代未聞だと、記者の幾人かが感嘆した。
「陛下はここに、真相を明らかにして、バーナード殿下の勇を国民に知らしめるべきです。逃げる直前に、イタチの最後っ屁とも言うべき卑劣なキックを放って殿下を失神させた怪盗スペードは、本当に憎むべき大悪人ですが……いや、ワタクシごときがペラペラしゃべり過ぎました。もうこの件に関しては口をつぐみます。ですからあとは陛下のほうからーー」
「閣下、もうよい」
グレゴリー7世が、重々しく口を開いた。
「バーナードがしたのは当然のことだ。目が覚めても、このことを誇りに思うどころか、賊を逃したことを悔しがるばかりだろう。バーナードの心中を想うと、真相を公にすることは父として忍びない」
真相は、デートを断わられて逆上して発砲し、ひっくり返って頭を打って気絶したわけだが。
「ということで、どうかこれを記事にはしないでいただきたい。私からの願いだ」
記者たちは互いに顔を見合わせると、無言で頷き、陛下に向かって揃って頭を下げた。
「陛下の殿下を思われるお気持ちには、いつもながら胸を打たれます。フィルムはお渡しいたします」
国王は「ありがとう」と気さくに礼を言った。そして父上に、
「レヴォワール閣下。閣下のご家族には、危険な目に遭わせて大変申し訳ないことをした。王室を代表して謝意を表したい。何かご希望はおありか?」
「そんな、希望など」
父上は、いかにも恐縮しきった顔をして、チラッと私を見た。
「あえて申し上げれば、このまま辞するご無礼を、どうぞお許し下さい」
私たち一家は、グレゴリー7世に向かって深々と頭を下げて接見室を出た。
(お父様、かっこ良かったわ。やっぱり崇敬より溺愛が上だったのね)
そう思いながら、エディを探した。
が、どこを見ても、エディはいなかった。
その代わりに、帰りにクイーン・キャサリン記念碑の横を通ったとき、行きには見なかった全裸の石膏像のオブジェを目撃した。




