29.タナトスの王子
「第四王子のバーナードは」
とグレゴリー7世が深みのある声で言った。
「父親の私が言うのもおかしいが、真面目で優しい子です。将来はきっと国のために尽くしてくれると、大いに期待しています。しかしながら、昔から女性に対しては奥手なところがあり、妻も私もその点を少々心配しておりました」
まさか国王の口から、このように身内の赤裸々な告白が飛び出すとはーー私たちは無言だったが、誰の胸にもその驚きが渦巻いているように見えた。
「22歳にもなるのに、これまで1人も彼女ができなかったのはそのためです。仲良くなっても、告白する勇気がない。そのうち自分から諦めてしまう。もっと自信を持てばいいのにと、私などは歯がゆく思っています」
それまで微笑を絶やさなかったグレゴリー7世が、少しく眉を曇らせた。
「そんな奥手の末っ子が、今回は珍しく、ぜひお付き合いしたい女性が現れたというのです。それがジュリアお嬢様でした。私も妻も、大変嬉しく思いました。ついにバーナードが、積極的になってくれたと。ところが」
国王の瞳が、真っ直ぐに私を見た。
「お嬢様の美しさに、今度もまた及び腰になっているのです。どうか内々に打診して欲しいと。もしお嬢様が嫌でなければ、お友達からお付き合いしたいと。それが今朝、あのような使者を差し向けた理由です」
しばらく言葉が出なかった。
意外だったのだ。
舞踏会で見かけたバーナード王子様は、私なんかが気軽に近づけないほど、立派に見えた。
文字通り、自信満々に見えたのである。
(そうか。王子様でも、案外内気だったりするのね。でも、一言も話しかけてこなかったのに、私をそんなふうに想っていたなんて……何だかちっとも、現実味がないわ)
「レヴォワール家の皆様の溺愛は、承知の上です。が、恥ずかしながら、私も妻も、やはり子どもたちのことは溺愛しています。ロイヤル溺愛です。それゆえ、初めて積極的になった息子のことを、全力で応援してやりたいのです。いかがでしょう、ジュリアお嬢様。不肖の息子の友達になってやってくれないでしょうか?」
バブルガム宮殿の接見室に、緊張が走る。
レオナルドお兄様とアンドレアは、拒否してくれと願っているだろう。
逆にパトリシアお母様と国王と侍従たちは、「はい」と答えるのを待っているだろう。
リカルドお父様はどっちだろう?
王室への崇敬と私への溺愛と、どっちが上?
「お父様」
静かに訊いた。
「私は、どのようにお答えしたらよろしいでしょう?」
父上の口から、ゲッといういささか下品な音が洩れた。
「……わ、わしが決めてよいのか?」
「お願いします」
「お、お前はどうなんだ?」
初めて父上が、私の意思を聞いてくれた。
するとこの胸には、1つの答えしか浮かんでこなかった。
それを言えることが嬉しかった。
(ありがとうお父様。私、自分の気持ちを正直に言いますね)
「バーナード殿下のお気持ち、とても光栄です」
腰を曲げて国王に一礼すると、そう前置きし、
「ですが、私にはほかに好きな男性がいます。ですからこのお話は、聞かなかったことにさせて下さい」
一息に言った直後だった。
グレゴリー7世が、胸を押さえて床に片膝をつき、
「く、苦しい!」
と叫んだ。
「苦しい! 息子を思うと胸が痛い! 苦しい! 痛い痛い痛い!!」
たちまち侍従たちが駆け寄ってきて、国王を介抱する。
父上はそれを茫然と眺めていたが、
「嗚呼! 我々はこともあろうに、国王陛下の殿下を溺愛する宸襟を悩ませ奉ってしまったあ!!」
絶叫し、滂沱の涙を流した。
「お姉様、ちょっと」
国王の痛い痛いと騒ぐ声と、父上の号泣が入り混じって響いたとき、アンドレアが私の腕を引いた。
「どうしたの?」
「今言った好きな男性って、僕のことでしょ? ありがとう」
「いいえ、アンドレア。あなたのことではないわ」
「またまた。わかってますよ、ジュリアお姉様」
弟を無視した。すると弟は、
「あれをチョン切って宦官になるのをやめたから、これあげるね」
と言って、小さな箱を差し出してきた。
受け取って開けてみると、中には小さな玉が収まっていた。
その玉は、金色の不思議な光を放っていた。
「これ……どうしたの?」
「ゴールデンスフィアだよ。お姉様にあげようと思って買ったんだ」
「……ゴールデンスフィア?」
「うん。効果はズバリ幸福。身に着けてるだけで、必ず幸福になるんだって」
ため息をついた。
「それが本当なら苦労しないわね。あなた、騙されたのよ」
「そんなことないよ。これが先月いちばん売れた商品だって、魔石屋の店主もゴリ押ししてきたよ」
「よく考えて。もしこれを買ったら幸福になるんなら、幸福はお金で買えることになるでしょ? そんなことあると思う?」
「あなたたち、何をコソコソしてるの?」
パトリシアお母様の鋭い声が飛んだ。
「アンドレア、またプレゼント? そんなことより、バーナード殿下とお付き合いするように説得して頂戴」
母上がそう言うと、
「お前はそれでも親か!」
母上を思い切り突き飛ばした。
号泣する父上の足元に母上が倒れて、「気持ち悪い! オエーッ!」と吐きそうにしたときだった。
「お父様!」
悲鳴のような声を上げて、大柄な男性が入口から飛び込んできた。
「あっ!」
私とレオナルドお兄様とアンドレアが同時に叫んだ。
それは話題の主ーーバーナード殿下だった。
「さっきまで、ずっと入口の陰で聞いておりました。どうかお父様、僕のことでそんなに苦しまないで下さい!」
(入口の陰でずっと……)
甲斐甲斐しくグレゴリー7世の胸や背中をさするバーナード殿下を見ながら、私は正直、
(なんて女々しい王子様だろう)
と思った。
「……バ、バーナードよ」
苦しげに、グレゴリー7世が言った。
「お前には黙っていたが、実は心臓を悪くしてしまった。私の命は、そう長くないかもしれない」
「お父様!?」
衝撃の告白。
おそらくは、国民の誰もがまだ知らないであろう重大な秘密を、私たちは図らずも知ってしまった。
(だけど……)
私の胸には、ある不敬な想像もよぎっていた。
もしかして。
この一連の騒ぎが、私の決意を変えさせようとするお芝居だったとしたら?
もしそうなら、私たち国民の愛し尊敬する国王とその王子が、卑劣なペテン師ということになってしまうが……
「ジュリアお嬢様」
簡素な服装で現れた国王とは違い、やや派手な褐色のローブを纏ったバーナード殿下が、こちらを向いて言った。
「今回の件、お恥ずかしいかぎりです。しかし、僕のことは嫌いになっても、どうか王室は嫌いにならないで下さい」
何を言ってるのだろう?
私はバーナード殿下が嫌いだとは、一言も言っていない。
ましてや、王室を嫌いになるなどとは、見当違いもはなはだしい。
お坊ちゃまだ。
バーナード殿下はどうしようもなく、お坊ちゃまなのだ。
「こんなことをお願いするのは身勝手でしょうがーー」
王子が、気弱に私から視線を逸らす。
「父が元気なうちに、僕と、一度だけでもいいからデートしてくれませんか?」
返事をできなかった。
なぜか、無性に悲しかった。
勝手に涙が流れた。
いったい何の涙か?
自分の心がわからない……
「やめて下さい! 妹が苦しんでいます!」
レオナルドお兄様が叫んだ。
「そうです! お姉様は王子様ではなく僕が好きなのです!」
アンドレアも吠えた。
が、母上と父上は黙っていた。
(国王と殿下を苦しめているのよ? デートくらい承知しなさい)
母上からは、そういうプレッシャーを感じた。
「たった1回のお食事。それも駄目ですか?」
天井を仰いだバーナード殿下の眼に、光るものが見えた。
「所詮僕は、誰からも愛されないのです。そんな世にどうして生きたいでしょう? 潔く死にます」




