28.国王陛下の期待
アラン国王の宮殿であるバブルガム宮殿は、一大観光スポットである。
敷地はおよそ2万平方ナール。舞踏会場や音楽堂や美術館などがあり、部屋の総数は400以上。浴室だけで50もあるという。
「元々ここは、著名な軍人でもあったバブルガム公爵の邸宅〈バブルガム・ハウス〉だったのだが、2世紀前に国王グレゴリー2世が王妃アンジェラと住むときに買い取ったのが始まりだ。その後、息子のグレゴリー3世が、現在の姿である壮麗な宮殿に改築したのだな」
クイーン・キャサリン記念碑を背に、バブルガム宮殿を眺めながら、リカルドお父様がトリビアを披露した。ちなみにトリビアには、「くだらないこと、つまらないこと」という意味がある。
バブルガム宮殿は、夏から秋にかけて一般入場が可能となっているが、今は冬なので、招待客しか訪れない。私たちは招かれざる客であったが、
「バーナード殿下との件で、どうしても話したいことがある」
門を護る衛兵にも、応対に出てきた侍従にも、リカルドお父様が深刻な口調で伝えることにより、特別に王宮内に入ることができた。
「ご子息のお2人も、接見室でお待ちいただいております。何分急なことですので、少々お時間はいただかねばなりません」
アポイントなしで王宮を突撃するという、この異例過ぎる訪問に対して、侍従は苛立ちと困惑を隠さなかった。
それでも接見室に通されたということは、侍従より上の立場の誰かが、会見に応じる決定をしたということだろう。それは由緒あるレヴォワール家に対しての敬意のゆえか、あるいはリカルドお父様やレオナルドお兄様やアンドレアの常識外れの「溺愛」が知られていて、厄介だから会っておこうという判断がなされたためかもしれない。
「レオナルドちゃん、アンドレアちゃん!」
接見室に入るなり、パトリシアお母様が甲高い声を上げた。私たちを案内したのとは別の侍従の前で、緊張ぎみに椅子に座っていたお兄様と弟が、揃ってシーッというポーズをした。
「どうぞ、椅子にかけてお待ち下さい」
侍従に促されて、私たちもお兄様たちの横に座った。
接見室は、見上げるほど天井が高い。その天井から下がったシャンデリアの光が、部屋の4方の壁に飾られた絵画の、豪華絢爛な金色の額縁に反射した。
「さすが王宮は、金がかかっておる。接見室は初めて見たが、昔の有名な画家の作品ばかりだ……」
父上のため息にイラついた。やっぱりリカルドお父様には、王室に対しての憧れがある。別に、国民の税金で買い集めた絵画じゃないかと思うのだが、父上にとっては、そういうものさえも崇敬の念を高める材料になってしまうようだ。
「おい、レオナルド、アンドレア。王室に不敬なことはしていないだろうな?」
父上が小声で訊くと、レオナルドお兄様が胸を張り、
「はい、お父様。俺たちは敬意を込めて、そこの侍従に、愛する妹のジュリアを殿下に渡すつもりはないと伝えました」
父上は椅子からずり落ちて頭を抱えた。
「あー、もう! どうしてお前たちは、後先考えずに軽率な真似をするのだ!」
「お言葉ですが、お父様。溺愛はあらゆることに優先するというのが、お父様から叩き込まれた教えです。俺たちはただ、忠実にそれに従っただけです」
父上の口から、すすり泣きの声が洩れた。
「どうぞ、席にお座り下さい」
私たちの座る椅子の横で立っていた侍従が、父上を冷ややかに見降ろして言ったときだった。
接見室の入口に、人影が現れた。
「あっ!」
父上はビクンと飛び跳ね、座り直したばかりの椅子から再び落ちた。
入口の人物は、黒いスーツ姿で、茶色い髪をキチッと分け、柔和な笑みを湛えて静かに歩んできた。
その顔は見間違えようがない。
アラン王国の君主ーーグレゴリー7世その人だった。
「ばば、馬鹿者! 何をボーッとしておる。国王陛下の前で直立せぬか!」
と言った父上が、私たちが立ったときには貧血を起こし、床にだらしなくぶっ倒れた。
「レヴォワール閣下にお水を」
グレゴリー7世が穏やかに言うと、侍従の1人が静かに部屋を出て、コップと水差しを載せたトレーを運んできた。
「ははー」
父上は、頭上に押し戴くようにしてコップを受け取った。
「どうか、あまり恐縮しないで下さい」
国王の口調は、どこまでも穏やかで、そして気さくだった。
この、君主としては驚くくらいの気さくさが、グレゴリー7世のもっとも賞賛されている特質で、国民人気の高い理由にもなっている。
「レヴォワール家の皆様の、ジュリアお嬢様に対する溺愛は、私も聞き及んでおります。私はそれを大変素晴らしいことだと思っております。ですからこうして皆様が、止むに止まれず宮殿にお越しいただいたことに対して、バーナードの父である私自身が、きちんと応対するべきだと考えました」
(不思議だ。こうして直にグレゴリー7世に接していると、この縁組みを断わるのが申し訳ない気分になってくる。やっぱり私は、ありがたくお話を受けるべきなんだろうか?)
そう心が揺れ動いたとき、レオナルドお兄様が言った。
「私の弟が、申し上げたいことがあるそうです」
アンドレアが、緊張した顔で「はい」と言った。
(まさか、アンドレア、また頭から灯油を被るつもり?)
はらはらして見ていると、弟は国王に向かって深々と頭を下げ、
「どうかジュリアお姉様を僕たちから奪わないで下さい。その代わりに、僕は宦官になって後宮に仕えます!」
と、おもむろにポケットから鋏を取り出し、それをズボンの中に差し入れた。この場で去勢するつもりだ!
「馬鹿なことはよしなさい、アンドレアちゃん!」
パトリシアお母様が、息子への溺愛パワーを発揮し、アンドレアの腕を簡単にねじり上げて、鋏を奪い取った。
「まったく、勘違いもはなはだしいわ。この国には侍従はいても、宦官なんて存在しないのよ」
母上に一般常識を指摘されて、アンドレアは床にがっくりと膝をついた。
「聞きしに勝る溺愛ですね」
そう呟いた国王の口元には、相変わらず柔和な笑みが浮かんでいた。
「私も、皆様方から、溺愛するお嬢様を奪いたくありません。ですから、もし縁あって、お嬢様が我がファミリーの一員になって下さったら、皆様方もバーナードと同居なさいませんか? そうすれば、寂しい思いもいくらか和らぐかと存じますが」
「えっ、えっ?」
父上が大きく口を開けたので、また顎がガクンと外れた。
「痛たた。おっと失礼。痩せたら顎がゆるくなりまして。いやいやそんなことより、バーナード殿下と同居ですって? そこでの生活費は、国庫から支出されるのですよね? 王族でもない我々に、そんなことが許されるのですか?」
グレゴリー7世の微笑が広がる。
「もしそうなれば、皆様もファミリーの一員です。ですから何の問題もありません」
ロイヤルファミリーになれると聞いたとたん、父上と母上の瞳がピカーッと輝いた。
それを穏やかに見つめる国王の微笑ーー
(ああ、どうしよう)
私の返事一つで、両親と国王の笑顔が消え去ってしまうかもしれないのだ……




