20.知能バトル
リカルドお父様は外務大臣に会うために、国会議事堂に向かった。
国会議事堂は地上4階、地下1階の建物である。
この建物の道路を挟んだ向かい側に議員会館があり、普段はここで外務大臣も仕事をしている。
「国会議事堂と議員会館は、地下通路で繋がっている。というのも、例のアラン王国とシン王国との安保条約反対の騒ぎのときに、国会議事堂がデモ隊に囲まれて、議員が議事堂に入れなくなったからだ。その教訓を踏まえて、地下通路を造ることになったんだな」
父上が得意げにトリビアを披露した。ちなみにトリビアには、「どうでもいいこと」という意味がある。
結果から言うと、外務大臣には会えなかった。しかし第一秘書は事務室にいて、
「レオナルド君は弟さんを連れて、アボニーの丘に行きました。そこで本日ノックス大賢者様が、庶民に向けた演説をする予定であることを、私が話したからです」
父上の前で直立して言った。
「ノックス大賢者様が、ジュリアお嬢様をパートナーにしたいとうちの先生におっしゃったのは事実です。そのことを、レヴォワール閣下より先に、レオナルド君に伝えることになったのは誠に申し訳ーー」
「言い訳は結構!」
父上は額に青筋を立てて怒鳴った。
「大賢者も、随分けしからんじゃないか。未婚の娘を父親のわしや本人に一言もなくパートナーに要求するなど、我がアラン王国を、人権の確立されていない野蛮な後進国と間違えてはおらんか? えっ?」
外務大臣の秘書は、黙って頭を下げるばかりだった。
「まあ、あんたに怒ってもしょうがない。わしらもアボニーの丘に行こう。演説を聴きにきた民衆の前で、わしが大賢者に人権の大切さを教え諭してやる!」
ということで、2時間後にアボニーの丘に着いた。
「すごい人……」
パトリシアお母様が圧倒されたのも無理はない。
草の生い茂る丘の中腹に、平民を中心としたおよそ3千人の聴衆が、びっしりと群がって座っていたのだ。
「レオナルドちゃんとアンドレアちゃんはどこかしら?」
母上が聴衆の中に息子たちの姿を探していると、
「邪魔だぞ、座れ」
乱暴な平民の男が、母上の丈の長いスカートをぐいと引っ張った。
私たちは仕方なく、草の上に腰を降ろして演説が始まるのを待った。
やがて、巨岩の上に立った1人の男性が、穏やかな口調で語り出した。
「貧しい人たちよ、あなたがたは幸福です。私の知恵によって豊かになるからです」
(あれがノックス大賢者……)
ゆったりとした青いローブを纏ったその人物は、立派な顎髭を生やしていたが、顔を見るとまだ若々しく、30歳になるかならないかに見えた。
「フン。初めて見たが、賢者というのはまるで教祖みたいだな。こいつらがみんな信者みたいで、どうも居心地が悪い」
と父上が、周りにも聞こえるくらいの声で悪態をついた。
「土地を買う人は幸福です。なぜなら、土地はどこまでも値上がりするからです」
聴衆たちは眼を輝かせていた。彼らはきっと、この演説が終わったら、なけなしの財産を握り締めて土地を買いに走るだろう。
「土地を担保にお金を借りる人は幸福です。なぜならそのお金で、株をたくさん買えるからです」
「出た! そのカブで、わしは財産を失ったのだ」
父上がぎりぎりと歯を鳴らしたが、聴衆の眼の輝きは増すばかりだった。
「株をたくさん買う人は幸福です。なぜなら平均株価は上昇し、夢の4万ナーロ台に突入するからです」
聴衆の中には、慌てて帰る者もいた。おそらくお金を借りまくって、買えるだけ株を購入するつもりだろう。
しかし私は失望していた。
(大賢者様って、お金の話しかしないのかしら? そして、お金が増えることが本当に幸せなのかしら?)
そんなモヤモヤした気分でいるうちに、演説は終わった。
聴衆たちの丘を降りる足は速かった。その誰もが、土地や株を一刻も早く買おうと考えているように見えた。
とーー
「大賢者様、お待ち下さい」
巨岩から降りたノックス大賢者に、2人組の男性が近づいていくのが見えた。
「あっ! レオナルドちゃんとアンドレアちゃんだわ!」
母上が叫んだとき、レオナルドお兄様が言った。
「直訴したいことがございます。もしこれを聞き入れて下さらなければ、私の弟は死ぬ覚悟でおります」
風に乗って、ツンと鼻にくる刺激臭が漂ってきた。
(まただわ。アンドレアったら、頭から灯油を被ったのね)
離れたところから見ても、弟の髪や服が濡れているのがわかった。
「僕からお姉様を奪わないで下さい。なぜならそれは、僕にとって死ぬより辛いことだからです!」
アンドレアは泣いていた。
ノックス大賢者は、お兄様と弟を交互に見た。
「あなた方は、レヴォワール家の男子ですね?」
「そうです」
「あなた方は幸福です」
大賢者は落ち着き払って言った。
「なぜなら、ジュリアお嬢様がパートナーになれば、私から正確な株価の予測を聞けるからです」
そこへ、父上と母上と私も駆けつけた。
「大賢者どの、お話があります」
父上の顔色は白かった。大賢者を前にして、さすがの父上も緊張しているのだ。
「あなたが、我が溺愛する娘を所望していると伺ったので、急いでやって来ました。いかに大賢者とて、嫌がる娘を無理やりパートナーにすることはできないはず。それは承知しておられますね?」
ノックス大賢者の切れ長の眼は、真っ直ぐに私を見ていた。
「レヴォワール閣下にお尋ねします」
大賢者の声は、まるで天から降ってくるような、不思議な響きを伴っていた。
「私がお嬢様をパートナーにできないとおっしゃる根拠は何ですか?」
「我が国の憲法です」
父上は即座に答えた。
「アラン王国憲法第11条において、基本的人権は、侵すことのできない永久の権利であると定められています。この原則は、例え国王であっても破ることはできません。ですから、繰り返しますが、嫌がる娘を無理やりパートナーにはできないのです」
すごい、大賢者様を論破した、と父上を見直した直後だった。
「この国の憲法は私も知っています」
ノックス大賢者の凛とした声が響いた。
「閣下がご指摘された第11条に続く第12条に、どのような規定があるかご存じですか? こう書いてあります。『国民は、基本的人権を濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う』と。公共の福祉とは、人々の幸福のことです。つまり、アラン王国憲法によれば、人々の幸福を妨げてまで、基本的人権を主張することはできないのです。おわかりですか?」
何と……
父上は、ほんの数秒で論破されてしまった。




