第5話 企画室・よろず相談プロジェクト
僕は、マーケティング企画室の室長・東野シン。
日夜、市場のトレンドを追いかけ、ミリ単位の予算とスケジュールに追われる激務のポジション。
その忙しい最中に、半年前の風土改革方針の転換とかいうやつで、なぜか「社員のメンタルケアと業務改善のための相談窓口」の責任者として兼任させられる羽目になった。
社員達は、この相談窓口を『企画室相談プロジェクト』と呼んで、一種、蔑んでいた。
このプロジェクトが開始され、確かに、寄せられる相談の九割は、ただの我が儘か、呆れるような内容ばかりだった。
「オフィスの冷房が寒くて集中できません。私の席だけ床暖房にできませんか?」
「隣の席の先輩のキーボードの打鍵音が『威嚇』に聞こえて出社恐怖症になりそうです」
それに対して、「ブランケットを貸し出します」「ノイズキャンセリング耳栓の経費購入を申請してください」と、小学生でも言えるような常識的な解答を与えていくのが僕の日課になっていた。
考えてみたら、感情論はどこまで行っても結論や解決策は出ない。問題は、いかに「会社の常識」という枠に収めて処理するか。それが、この不条理なプロジェクトの正当な業務なのだ。
相談は、月、水、金の午後三時から、終業時間の午後六時までだ。
一週間の疲れが出る金曜日の午後六時近くになって、業務改善プロジェクトと書かれたプレートを掲げた別室を、相澤可奈が訪ねてきた。
彼女は、クリエイティブ室のデザイナーの一人で将来の有望株の一人だ。
机を挟んで向き合った可奈は、ジッと俺を見て、何も言おうとしない。
「・・・えっと、相澤さん、今日はどうなさいました」
途端にコロコロと笑い出す相澤。
「東野さん、お医者さんみたい!」
「・・・・・・」
「私、東野さんのことが好きみたいなんです。付き合ってください」
「・・・・・は?」
「えと、もう一回いいましょうか?」
「相澤さん、ここはそういう事を相談する所ではないよ」
「あれ、変ですね。だってここは、よろず相談室なんでしょ。部下である私が抱いたこの気持ち、もしかしたら、仕事環境としてはバグになるかもしれないこの気持ちをどうしたら良いのか、その処理をお願いするところなんですよね」
「いや、それはそうなんだけど、恋愛相談をする場所じゃないよ。って言うか、普通、常識でそれ分かるよね」
「常識というのでしたら、その常識って何なんですか、普通って何ですか?」
「えと、落ち着いて聞いてくれます。会社組織の中で上司と部下が安易に恋愛関係になるのは業務の公平性を欠く原因にもなる。これが普通の『常識』です」
「はぁ・・? 良く分かりません。私が室長を好きだという事実と、私が作るデザインのクオリティには何の因果関係もありませんけど」
「いや、周囲の目が変わるだろ。公私混同は周囲の士気を下げる。それが社内の『普通』なんだ」
「『普通』って、誰が決めたんですか?」
「誰って、周囲のみんなの大多数の意識ってことさ」
「周囲の人がどう思うかは、その人たちの課題ですよね。私の意志には無関係です。それに、簡単に言えば隠れて付き合えば周囲の士気も下がりませんし極めて合理的です」
「合理的とかそういう問題じゃないよ。そもそも、僕と君では年齢もひと回り以上違うし、・・・」
「年齢が離れていると付き合ってはいけないというルールは、就業規則にありましたか?」
「規則にはないが、一般常識として・・・」
「だから、その常識って、何ですか?」
時計は、終業時間の六時をとうに回っている。
引き下がろうとしない相澤さんに、僕は腹立たしささえ抱き始めた。
「常識っていうのは、社会を円滑に回すための潤滑油、多数派の暗黙の了解のことだよ」
「それでは、多数派ではない私や室長は、その『了解』とやらに従うために、自分の感情を削除しなければいけないんですか? それって、すごく不健康で、非生産的だと思います」
「・・・・・困ったな・・・」
考えてみると、この相談室で僕が今まで下してきた「常識的な解答」は、本当に正しかったのだろうか。
床暖房を求めた社員も、打鍵音に怯えた社員も、彼らにとってはそれが切実な「現実」であり、俺が押し付けた「常識」によって、ただ声を封じ込められただけではなかったか。
相澤さんが言うように、「常識」や「普通」という言葉が、まるで中身の詰まっていない張り子の虎のように思えてきた。
「困っているのは私の方です!」
キッっと、相澤さんは僕を睨む。
どのような回答を出しても、それは「常識」という枠組みを気にした上での選択にしかならない気がした。
何が普通で、何が正しいのか。普通というのは常に正しいのか。激務の思考回路のなかで、その境界線がどんどん曖昧になっていく。
頭の回路が空回りし出したと感じながら、僕はお決まりの言葉を口にしてしまった。
「相澤さん。この件に関する相談への回答は『保留』にさせてください」
結局、俺が絞り出した結論は、ビジネスパーソンとして最も情けない先送りだった。
それを聞いた相澤さんは、得たりとばかり微笑んでこう言った。
「分かりました。私の初期目標は達成したので、今日はこれで帰ります。来週からここへ通いますね。ちゃんとした答えをいただけるまで」
週が変わって、相澤さんは、就業時間ギリギリの約五分間、相談室に顔を見せ、そして、何の変哲もない雑談をして、帰って行く日常が続いていた。
今日も相談室の部下が、相談人を案内してくる。
「夏用に着用が義務化された、半袖のシャツなんですが、あれ、アロハシャツの変形で、あまりにもダサくて着たくないんですが、どうすれば良いですか」
「就業規則では、身なりや服装は、会社規定に従うことと書いてあります。ですので、常識的に・・・・・・」
そこまで言って、僕は後の言葉を言うのを止めた。
常識で一刀両断することほど、簡単なことはない。これではダメなんだと思いとどまった。
『企画室よろず相談プロジェクト』。
この相談室には、正解のない問いと、割り切れない感情が持ち込まれる。
相澤さんは、結論の出ない結論に期待を寄せながら、相談室に足繁く通っている。
結論の出ない相談室。 言葉の吐き出し口でも悪くはない。と僕は小さく思い始めていた。
おわり
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