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理人の薬草園と、楓菜のお手伝い

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 温かい応援のおかげで、頑張れています。どうぞお楽しみください!

 領都クレマンへと続く『豊穣街道』が完成してからというもの、街の活気は指数関数的に膨れ上がっていた。


 街道を滑るように進む馬車が運んでくるのは、物資だけではない。


 周辺の村々から職を求める若者や、王都の圧政に耐えかねた難民たちが、「豊穣の名物おにぎり」の噂を聞きつけて続々と流入してきていた。


 人が増えれば、経済が回る。


 だが、同時に管理すべき問題も増える。


 その最たるものが、衛生と医療だった。


「……人口増加に伴う疫病の発生リスク、および開拓作業中の負傷者の統計を解析した結果、現在のポーション備蓄量では三ヶ月以内に医療崩壊が起きる確率が九十二パーセントに達する。

 論理的な帰結として、外部からの仕入れに頼らない自給自足の医療体制、すなわち大規模な薬草園の構築が急務だ」


 豊穣の街の北側、日当たりの良い斜面を見下ろしながら、理人がいつものように淡々と、けれど早口で捲し立てていた。

 その手には、自作の成分分析表がびっしりと書き込まれた羊皮紙が握られている。


「はいはい、理人くんの言うことは相変わらず難しくて正しいねー」


 隣で大きな欠伸をしながら答えたのは、楓菜だ。


 彼女は今、理人の「薬草の種集め」を手伝わされていた。


 楓菜のジョブ『叉鬼またぎ』の力と、宝石獣の肉を食べて覚醒した『幻影分身ミラージュ・クローン』は、広大な森から特定の薬草を見つけ出し、回収する作業においてこれ以上ないほど効率的だった。


「楓菜。君の分身のうち一人は、南西三百度の方向に群生している『銀月の雫』を回収してくれ。

 根を傷つけないよう、土ごと採取することが、後々の結晶化効率を……」


「分かってるって。……ほら、『楓菜A』! 行ってきなさい!」


 シュンッ! という風を切る音と共に、楓菜の分身が森の奥へと消えていく。理人はそれを見て満足げに頷くと、再び手元の土壌分析に視線を落とした。


 静かな斜面に、スコップで土を掘り返す音だけが響く。


 蒼汰や刀真たちは、今ごろ街の下層で冥竜鋼を使った水路作りに精を出しているはずだ。


 乃亜は萌音と一緒に、新しく入ってきた難民たちの宿舎の浄化と案内を担当している。


 結果として、この広大な薬草園の予定地には、理人と楓菜、そして時折チラつく楓菜の分身たちだけが取り残されていた。


(……なんか、これじゃまるで放課後の居残り掃除みたい)


 楓菜は、土をならしながら理人の横顔を盗み見た。


 十九歳になった理人は、二年前のひょろっとしたガリ勉くんから、知的な鋭利さを増した「賢者」へと変貌を遂げている。


 白衣に見立てた特製の薄い外套が風に揺れ、眼鏡の奥に宿る瞳は、常に数式と効率を追い求めている。


 楓菜は、そんな理人の隣にいることが、嫌いではなかった。


 むしろ、他のメンバーがカップルとして形を成し始めている今の状況において、こうして二人きりで作業をしている事実に、心臓の奥が少しだけチクチクと、けれど心地よく疼く。


「……ねぇ、理人」


「何かな」


「理人はさ、この薬草園が完成したら、次は何をするの? やっぱり、また新しい魔法の研究とか?」


 理人はスコップを止め、少しだけ空を見上げた。


「……理想を言えば、領都クレマンを起点に、この領地全体の『成分マップ』を作りたい。

 どこの土地にどんな薬効成分が眠っているかをデータ化できれば、辺境伯領の平均余命をかなり引き上げることが可能なはずだ。

 それは非常に合理的な『反逆』の形だと思わないか?」


「……。やっぱり、そう来るよね」


 楓菜は、思わず溜息をついた。


 期待していたわけではない。理人が「将来は僕も刀真たちみたいに結婚して……」なんて言い出すはずがないと分かっていた。


 けれど、彼の口から出る「合理性」や「統計」という言葉に、自分という存在が全く組み込まれていないことに、少しだけ寂しさを覚えてしまった。


「理人。あのさ。……たまには、そういう論理的なこと言うの、やめてよ」


 楓菜が、俯き加減に呟いた。


 その声は、森を抜ける風に消えてしまいそうなほど小さかった。


「……論理的なことを、やめる?」


 理人が不思議そうに首を傾げる。


「僕から論理を除外すれば、それはもはや僕ではない別の生命体だ。

 出力の計算も、戦術の構築もできなくなる。

 それは君にとっても不利益な……」


「そうじゃなくて!」


 楓菜が顔を上げ、少しだけ潤んだ瞳で理人を睨みつけた。


「……今、ここで、私と二人で作業してるんでしょ? 

 街の未来とか、平均余命とか、そういう『大きい話』じゃなくてさ。

 ……もっと、こう……今感じてることとか、そういう普通の会話をしてよ。バカ理人」


 理人は呆然とした。


 これまでの人生、そしてこの異世界に来てからの二年間。


 理人にとって「正しいこと」は常に「論理的なこと」だった。感情に流されて判断を誤ることは、死に直結する。


 だからこそ、彼は自分自身に厳格な論理の鎧を纏わせてきたのだ。


 けれど、目の前で今にも泣きそうな顔をして、それでいて必死に自分を繋ぎ止めようとしている少女の姿は、彼の脳内にあるどんな計算式にも当てはまらなかった。


「……分かった」


 理人が、静かにスコップを置いた。


「え?」


 楓菜が目を瞬かせる。


「君がそう言うのなら、今は論理を封印しよう。

 ……正直に言って、非効率の極みだが。

 ……楓菜、君の要望に、僕の素直な意志で従うことにするよ」


 理人はそう言うと、傍らの草むらに腰を下ろした。


 そして、眼鏡を外し、少し疲れたように目元を揉む。


 眼鏡を外した彼の瞳は、いつもより少しだけ柔らかく、幼く見えた。


「……どうしたの、理人くん」


「……論理的に考えない、というのは難しいね。

 ……そうだな。

 ……楓菜、この前、リボン似合っていると言ったが、あれは半分は本心だ」


「……えっ」


 不意打ちのような言葉に、楓菜の頬が一瞬で赤く染まる。


「蒼汰に指摘されるまで気づかなかったのは、僕の観察力不足だ。

 ……だが、そのリボンを選んだ君の感性は、僕には持ち得ないもので……。

 それを、少しだけ『いいな』と思った。

 ……これは、成分解析の結果ではなく、僕の主観だ」


 理人は照れ臭そうに、視線を足元の雑草へと逸らした。


 楓菜は心臓が口から飛び出しそうなほど激しく鳴り響くのを感じた。


 いつもは「補色関係が……」とか「審美的な合理性が……」とか理屈をこねる彼が、今、不器用ながらも「主観」で、自分を見てくれている。


「……、ありがと。……私もね。

 ……理人くんがこうやって、一生懸命に街のために頭をフル回転させてるの、……『いいな』って、思ってるよ」


「…………」


「…………」


 二人の間に、不思議な沈黙が流れた。


 それは、いつも蒼汰と乃亜の間で楓菜が「もどかしい!」と茶化している、あの甘酸っぱい空気に似ていた。

 けれど、当事者になってみると、それはあまりにも息苦しく、けれど一秒でも長く続いてほしいと願ってしまう、魔法のような時間だった。


 不意に、理人がぽつりと口を開いた。


「……楓菜」


「な、なに?」


「薬草園が完成したら。……次は二人で、領都まで来ないか。

 もちろん、仕事ではなく、……ただの外出として」


 楓菜は目を見開いた。


 自分をデートに誘っているのか?


 あの、歩く論理回路のような理人が?


「……それって、市場の視察とか、そういう理由なしで?」


「ああ。……君が論理を言うなと言ったからね。

 ……僕はただ、君とあの街道を歩いてみたいと思った。

 ……それだけだ」


 楓菜は、もう我慢できなかった。


 こみ上げてくる嬉しさと、愛おしさを隠すように、彼女は勢いよく立ち上がった。


「……当たり前でしょ! やっぱり行かないって言ったら、分身全員で理人くんを胴上げして街中引き回してあげるんだから!」


「……それは……物理的に相当な負荷がかかりそうだね。

 謹んでお受けするよ」


 理人が、少しだけ、本当に少しだけ、優しく微笑んだ。


 二年前、無機質な納屋で絶望を数えていた頃には想像もできなかった、穏やかな景色。


 その日の夕暮れ。


 薬草園の作業を終えて街へ戻る二人の影が、オレンジ色の長い影を地面に落としていた。


「あ、理人くん! そこ、石があるから気をつけて!」


「問題ない。重力加速度と摩擦係数を……あ、いや。

 ……分かった、気をつけるよ」


「うふふ、よろしい!」


 後ろから付いてくる楓菜の足取りは、いつもの『極限瞬歩』を使っている時よりも、ずっと軽やかだった。


 ◇


 その夜、中央広場の宴会場。


 蒼汰は、乃亜の横で薬草園から帰ってきた二人の様子を伺っていた。


「……おい、楓菜。なんか今日、顔がニヤけてないか?」


 蒼汰が小声で尋ねると、楓菜は胸を張って『アシスト同盟』の暗号を送った。


(大・成・功!)


 蒼汰は目を丸くした。


(マジかよ! あの鉄壁の理人を落としたのか!?)


(落としてはないけど、隙間は作ったわ。

 ……次はあんたの番よ、蒼汰。

 乃亜ちゃんの聖母バリア、今日中にヒビくらい入れなさいよね!)


 楓菜の鋭い視線に、蒼汰は冷や汗を流しながら、隣で「お野菜たっぷりのスープです、蒼汰くん!」と微笑む乃亜に向き直った。


「……あ、ああ! サンキュー、乃亜! 

 今日のスープ、なんか……理人の薬草みたいに身体に効きそうだぜ!」


「もう、蒼汰くんたら、例えが変よ? 

 ……でも、たくさん食べてね」


 蒼汰の戦いは、まだまだ続きそうだった。


 けれど、街が広がり、道が繋がり、薬草が芽吹くように。


 十九歳の彼らの関係もまた、確実に、けれど少しずつ、新しい季節へと向かって動き始めていた。


 豊穣の夜は、今日も美味しい飯の匂いと、確かな希望に満ちていた。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

今後の励みになりますのでもし「面白かった」「続きが読みたい」と思っていただけたら、 ページ下の【☆☆☆☆☆】からポイントを入れて応援してもらえると嬉しいです。


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