File.3:堕ス者、救ウ者
ー西暦2030年11月16日午前0時22分・千葉県■■■市■■町 千葉県立■■■■高校ー
side.桜乃 薫(警察官・怪異対策部第一課特捜班”旭”)
「ゆくぞ!」
僕はそう声を出して気合を入れ直す。
真正面の怪異は目前まで迫っている。だが、刀を使うこちらとしては好都合!爆発さえしなければだが!
とは言えリスクがある以上突っ込むのも愚策。ならば、とりあえずは遠距離で…だ!
「凍てつく吹雪、物怪切り裂け、伊吹を護らん!…"雪風”!」
祝詞を唱え上げつつ、刀を横一文字に振るう。すると刀に張り付いていた氷の桜花が次々と飛翔し、怪異に突き刺さると同時に、突き刺さったところから徐々に凍りついていく。
だが、次の瞬間凍っていた部分が剥がれるように落ちて弾け、構わず突撃を再開する。
「くそっ、こいつじゃ止まらないか…」
爆発しそうな以上、できるだけ距離をとって仕留めたいが…せめて、これが効くといいのだが。
そう思いつつ左手でベルトにつけたポーチから御札を取り出して構える。
「喰らえッ…!」
すぐに突進してくる怪異に札を数枚投げつける。対策部支給の量産札よりは強力な破魔札だが…怪異に張り付いても少し泥のような身体を払っただけであまり効果はなかったらしい。
ならば、うまいこと直接斬り裂くしかないか…!
距離を見計らってタイミングを計りつつ、刀を納刀するように構え直してイメージする。抜刀の動きで、そのまま奴を真っ二つに斬り、爆発する前にバックステップで下がる……
そして時はすぐに来た。ヤツは予想通り真っすぐに動いてきている。来い、そのまま……!
「ここだッ…"桜花一閃"!」
想定通りの、完璧な距離で突っ込んでくるヤツを真っ二つに斬り裂く。すぐさま刀が纏っていた氷の桜花が張り付くように怪異が凍っていくが、徐々に内側から膨れてくるのが見える。
それを見てすぐに脚に全力を込めて後ろに下がる。すると3歩下がったタイミングで炸裂し、辺りに泥が広がっては床を溶かしながら消えていく…が、分離した団子じゃない本体だと、そんな効果まであったのか。喰らわなくて助かった。大丈夫だとは思うが、瑠璃と紅葉にも伝えておくべきか。
「瑠璃、紅葉!こいつの侵食効果、かなり強く…」
「大丈夫じゃ、終わっておる」
「こっちも灰にしちゃったよー」
と、やはり心配の必要はなかったらしい。
瑠璃に向かった方の怪異はバラバラに砕け散っていたし、紅葉の方に向かった怪異であっただろう灰が炎の薙刀の下に舞っていた。
…やはり彼女たちは龍神と天狐なのだな、と改めて思う。少し小柄とは言え、普段は冷静な瑠璃、人懐っこい感じな紅葉。人間っぽい感じがするが、戦闘時は頼もしさが半端ではない。
「あァぁ……ヒドいこト、スルなぁ…」
「ふん、この程度ならば眷属もいらぬわ。元カミかも知れぬが、諦めてはどうじゃ?」
「……アナタ、その首飾りなんなの?そこから邪気が出てるように見えるけど」
大して何感じていなさそうだが、恐らく元カミの少女がこちらを光のないオレンジの目で睨んでくる。
それに対して瑠璃も鼻で笑いながら言葉を返すが、紅葉の言葉が少し引っ掛かった。確かに、言われてみると、普通の怪異と違って身体全体から放ってる感じじゃなくて、首飾りから出た邪気が彼女に吸い込まれてる…?
「うぐッ……ウルサイっ!しらなイ!」
「ふぅん、まぁいいけど。……薫、やれる?」
「……わからない。けど、瑠璃と紅葉がやったら殺しちゃうでしょ」
「胸元に神体っぽいものがある感覚があるでの。妾たちが首飾りを斬ったら、後ろの胸にある神体も魂核も吹き飛ぶじゃろうな」
紅葉の問いに、何か記憶を思い出すのを拒否するように頭を抱えると紅葉に対して鋭く彼女が言い放つ。
まぁでも、どうやら紅葉と考えは一緒だったらしい。彼女を汚しているのがあの赤い宝石が埋め込まれたペンダントみたいなのなら、壊してしまえばいい。
とはいえ、瑠璃が言った通り、瑠璃たちの術はパワーがありすぎる。余波で彼女の神体と魂核…まぁ彼女の心臓ごと消し飛ばしかねない。せめて神体さえ別にあれば、核を飛ばしても後々再生するはずだったんだが…なぜ持っているのやら。
「…じゃあ、僕がやるしかないね。瑠璃、援護をお願い。紅葉、護衛を。一気に懐に飛び込んで片をつける」
「相わかった。気をつけるのじゃぞ」
「はーい!」
「アハハ!もっカイ、アソンでくれルの!ヤッて、アゲル!」
「上等!真正面から打ち破ってくれる!」
どうやら、堂々と喧嘩を売ったからか買ってくれるらしい。彼女の周りに次々に土塊のような泥塊が浮かび、その目が僕を捉える。
だが、それができるのはヤツだけじゃない。
「伊吹の清冰水、魔のモノ凍らせよ。伊吹に仇なす者滅し滅ぼせ」
「行くよ紅葉!」
「りょーかい、行っくよー!」
「放て……"瑞龍之冰瑞天"!」
瑠璃が祝詞をあげ終わったのを聞いて、前に一気に低姿勢で紅葉とともに駆け出す。
それを見たヤツも泥塊を次々にこちらに放ってくるが、後ろから放たれた、瑠璃の氷の霊刀が泥塊を撃ち落とし、爆発すらさせずに凍らせて砕け散らせる。
「なッ……!バカな!バカなァ!クルなぁ!」
「紅葉!」
「はーい!やるよッ、"炎薙一閃"ッ!」
そして距離が詰まり焦ってヤツは次々に泥塊を飛ばしてくるが、紅葉が自慢の炎で形作った薙刀を真横に振るうと一瞬で泥塊も灰と化していく。
「ヤダぁ!イヤだ!シニ、たくナい!」
「じゃあ大人しくしててよ!ほら、邪魔!」
「あまり好きにできるとは思わぬことじゃ!」
あと数歩踏み込めばこちらの射程にはいるタイミングで、彼女は少し後ずさり、残っていた泥塊を次々に飛ばし、次を生成していくが瑠璃の霊刀が撃ち落としていき、飛ばされたものも紅葉の薙刀で燃やし尽くされる。
もう邪魔をする泥塊はない。それを確認して一気に刀と彼女の首にかかったペンダントに埋められた宝石の中心にだけ集中する。
周りから聞こえる音が小さくなり、視界がスローに、そしてモノクロになるのを感じる。8秒後、彼女の動き的に最も身体からペンダントが離れる。そのタイミングでアレだけを斬り裂く。簡単なことだ。いつも通り、寸分違わず目標を斬るだけ…
「……"桜花、いっせ"」
ガンッ!!
「おぉっとー!やらせないぜ〜、こいつは貴重な実験台なんだ」
「…はっ?」
刀が弾かれた?バカな。異音が聞こえる。聞いたことがない、所謂チャラい感じの、軽い男の声。どこから、いつから?
感覚が引き戻されるのを感じ、視界も聴覚も普段通りに戻る。すぐに顔を上げると、そこには目深にフードを被り、体育館自体はライトがついて明るいはずなのに、真夜中の闇のように目元が見えない、口元にヘラヘラとした笑いを貼り付けた男がいた。
「…誰じゃお主、いつの間に薫の前に立ちおった」
「ちょっと、邪魔しないでよ!」
「おぉっとそれはこっちのセリフだぜ、嬢ちゃん。コイツは俺が先に目ェつけてたんだわ」
刀を弾かれた以上どうしようもないため、一旦バックステップで瑠璃の位置まで紅葉と一緒に下がる。
瑠璃と紅葉がその間に神威での威圧たっぷりの怒声を浴びせるが、どうやら全く効果がないらしい。一般人なら今のでも萎縮して動けなくなるはずだが……その上でこの軽口。本当に何者だ、コイツ…?
そう思っている間に、割り込んできたフードの黒男はくるっと振り向いて怪異の少女に笑いかける。
「なぁ、泥女ちゃん?キミもそう思わないかい?」
「……アナタ、ダれ」
「おいおいやだなぁ!もう忘れちゃったのかい?それ、前あげたじゃん!……君の、ご主人だよ。いい加減覚えろよ」
「シュジン……リョウか、い……」
軽そうな、場に合わない朗らかな声が、その一瞬だけトーンが落ちて威圧感が増す。ペンダントを指でキン、と弾きながら放ったその言葉は、妙な怒気のような、何か威圧感が混じっていた。
…どうやって、あの状態の怪異を、それも神格を飼い慣らしている?それになんだあの迫力。一般人に出せるものではない、奴は何者だ?
だが、それ以前に……
「元とはいえ、神格怪異の主人として立つなど烏滸がましいにも程があるの。お主、どうやらマトモな教育も受けんかったようじゃな」
「アハハ!言ってくれるねー。それを言うなら、そこの氷の刀構えてるお嬢ちゃんもそうじゃないのかな?」
「僕のことを言っているのか?」
「それ以外、誰がいるのさ!君の横にいる2人、見たところ龍と妖狐だろう?それも霊格もかなーり高い。少なくとも君たちには言われたくないねぇ」
そんなことを言いつつ、ヤツはヘラヘラと笑う。
……久々に、沸々とお腹の底から湧いてくる感じの怒りを感じた。お嬢ちゃん扱いされたこと…なにより、瑠璃と紅葉との関係を誰とも知れないヤツのような不純なものと同じにされたことを。
「……あったま来た。うちの薫に随分言ってくれるじゃん。そんなに死にたいなら殺してあげるよ」
「……そうじゃな。ここまでの無礼者はいつ以来かの。遠慮なく相手をしてやろう」
「おぉ、怖い怖い。まぁ、僕は戦わないから精々頑張ってよ」
「逃げるなよ、ここでお前は逮捕する」
紅葉と瑠璃の言葉にも動じず、数歩下がろうとする男だったが、僕の言葉を聞いて立ち止まる。
「へぇ、何の罪で?」
「お前は知らないかもしれないが、意図的に神格怪異を穢す行為は特定怪異保護法第九条第二項に重罪として、第九十八条第一項にて無期懲役に定められている。洗脳までしているから、それでは済まないだろうが…知らないで済まされることではない」
「ふぅん……だから?キミが逮捕権があるとでも?」
「ある。私服だからといって油断でもしたか?…警視庁怪異対策部第一課、特別捜査班"旭"第2分班所属…桜乃薫、警部補。捜査中の会話は常に録音されている。言い逃れできるとは思わないことだ」
そう言いながらポケットから警察手帳を取り出して奴に見せつける。
またヘラヘラとした反応が返ってくるかと思ったが、手帳を見た瞬間、ヤツが貼り付けていた笑みが消える。
「ふぅん…?サツか。それも"旭"所属、ねぇ……気が変わった。テメェは殺す」
「…こちらのセリフだ。お前は逮捕する」
「テメェらには数年分の恨みがあんだよ、生け捕りなんざ死んでもゴメンだ」
そう言うと男は虚空から短刀を引き抜き、手元で遊ぶようにクルクルと回し、構える。目元は見えないが、こちらを真っすぐに貫くように見ているのだけはヒシヒシと伝わってくる。
だが、ここに留まるならこちら側に好都合というものだ。ヤツはここで確実に捕らえる。
「おいお前!身体が崩れることも構うな!奴らにありったけその泥投げ込んでろ!絶対にここで殺せ!」
「瑠璃!紅葉!あの子抑えといて!殺さない程度にね、無力化してくれると助かる!」
男と僕が同時にそう言うと共に、互いを斬り飛ばすために前へ跳んで鍔迫り合いに持ち込む。
「りょうカイ……ごシュジン……」
「うむ、相わかった」
「はーい!気をつけてね、薫!」
そしてカミたちも互いに霊刀と狐火、泥塊をぶつけ合って持久戦が始まる。
可能な限り目の前のこいつは早く片付けないと。恐らく、瑠璃と紅葉があの子を無力化するのは無理だ。多分彼女が普通に死んでしまう。
だからといって時間をかけていては、ここに充満した邪気とペンダントから出てくる邪気で無限に霊力が回復する彼女が持久戦は有利。つまり、目の前のコイツは速攻で無力化する必要があるわけだ。ならば…
集中とともに、自然に周囲の時間がゆっくりになるのを感じつつ、鍔迫り合いの状態から脱するために相手の小刀を弾く。そして速攻で一歩踏み込んで右手で持った冰桜を真一文字に振るう。
「……"桜花一閃"!」
「甘ェ!それはさっき見てんだよ!」
ヤツの口がにまっと笑いながら冰桜を弾くようにして、刀が上に跳ね上がる。隙ができた腹に小刀をヤツが振るおうとする。だが…
ガンッ!バキっ!
小刀が届くギリギリのタイミング。ヤツが完全に小刀を振るう態勢になったタイミングで、左手を使ってもう一本…右腰に差しっぱなしであった刀、銘刀・紅桜を抜刀してその流れで小刀の腹に刃を叩きつける。
そして、刃物は何れも横からの衝撃には滅法弱い。妖刀化もしていない普通の小刀は、真っ二つにへし折れていた。
「何ッ!?」
「…出方は派手だったが、ただの刀のようだな」
「クソがッ!…甘ェんだよ!」
そのまま振り上がっていた冰桜をヤツの左腕に振り下ろすが、身体を捻って避けられ、冰桜の氷の刃は空を切る。一方でヤツはバックステップで下がっていく。
こちらが構え直した時には、ヤツも次の短刀を構えていた。
「はんッ!サツは所詮殺しはできねぇ。んなトロい、殺意のない動きで捕まる気があんのかよ!」
「なら、多少本気でやってみるか?抵抗が激しいなら、腕の一本二本くらいならもぎ取っても上は文句を言わないだろう」
「やれるもんならやってみろってんだ…」
ヤツがそう言い切らず、なにかを感じたように言葉が切れる。
そして、なにか背中に冷たいものが伝うような感覚を感じたのは、僕もだった。横を見ると、地面のあちこちから噴き出した泥を凍らせ、燃やし尽くして奮戦する瑠璃と紅葉…そして、頭を抱えて暴れまわる、彼女がいた。
彼女の様子に一瞬気を取られるが、今度はコチラにも泥が飛んできたことで反射的にステップで避ける。
男も被弾は回避したようだが、これは…
「瑠璃!紅葉!どうやってる!」
「テメ、なにやってんだ!」
僕と男が同時に叫ぶと、瑠璃と紅葉がこちらに向かってきて僕のところに合流する。だが、暴れまわる彼女はそれも気づかずにあちこちに泥を噴出させ、床も壁もあちこちを腐食・溶解させていた。
「薫。アヤツ、邪気に飲まれおった。敵味方の判断どころかあの様子じゃと、前後不覚状態…周りを認識しておるのかも怪しいぞ…」
「薫、早く止めないと多分…この建物、消えるよ」
瑠璃と紅葉がそう話す間にも術で泥の凍結と焼却を続けていたが、明らかに間に合わなくなっていた。
「クソ……こうなるとどうにもならねぇか…」
「おい、待て!」
一方の男は、懐から取り出した、装飾まみれの小刀で空間を斬る。あの空間の裂ける感じ、テレポーターに妙に似ていた。
「っるせぇよクソ野郎!精々ここでくたばりやがれ!」
「あ、くそ…!」
「薫、ヤツはあとじゃ。今はあの邪神をどうにかせねばならぬぞ」
「くっ…わかった」
そして男は止まることはなく、裂けた空間の先に駆け込んでいき、すぐさま裂け目は閉じてしまう。
思わず追いかけようと身体が動きかけるが、瑠璃の制止で思い留まって暴れまわるカミだったモノを見る。
「……方法はいくつかあるが、どうするのじゃ」
「できるなら助けたいけど…」
「ふむ…しかし、どうやって近づくのじゃ」
「…まぁ、不可能ではないね。でも、あの状態のあの子に向かって行くのは正気じゃないよ」
弾丸のような泥塊を霊刀で撃ち落とす瑠璃、津波のように押し寄せる泥を僕らの周囲だけとはいえ灰に変える紅葉、それぞれがそう僕の言葉に対して言い放つ。
瑠璃にも紅葉にも、これ以上の余力はない。ここから彼女まで大体8m。間には腐食性の高い泥の波と、瑠璃が撃ち落とす前の腐食弾。
「……薫、ここに至っては討滅を考えるべきじゃと思うぞ…」
「……そうだね」
瑠璃に言われなくとも、僕もそれしかないとはわかっている。だが……
「アァぁぁぁ…!ヤダっ…タス、けて…!だれ、カァ…!」
その時、彼女から聞こえた言葉が頭に突き刺さる。
まだ、自意識はある。なら、元凶さえ絶ってしまえば、もしかしたら…可能性があるのなら、僕は……
「…瑠璃!10秒でいい!この波凍らせて!紅葉!瑠璃と空中の泥を落とす役を代わってくれ!」
「正気か、薫?中々の無茶じゃぞ!この状況、本来ならヤツが霊刀も邪気を使い果して溶け消えるまで耐えるか、逃げるべきじゃぞ…」
「……わかったよ、薫。うちに任せて」
僕の指示に、流石の瑠璃とはいえ渋い顔をするが、紅葉は一瞬僕を見て小さく頷く。
「紅葉…お主な……」
「姫様、大丈夫です。それに、この状況だと逃げ出す隙もないんです。やってみるしかないんじゃないですか」
「……はぁ…まぁ、そうじゃな。…やってみせよ、薫」
紅葉の言葉を聞いて、少し瑠璃が悩んだあとに小さく頷いてくれる。
「…ありがとう。ファイブカウント!いくよ!」
「うむ」
「りょーかい!」
瑠璃と紅葉には後でちゃんとお礼しなきゃな。
そんなことを思いつつ、心の中でカウントを始める。それと同時に頭のなかでルートを組み立てる。足元の波は流動的、しかもできるのは氷の道。油断すれば転んでそのまま波に飲まれて終わりだ。
だが、こんな状況でも自然に予測で経路を立てていき、左手の紅桜は納刀して両手で冰桜をしっかりと掴む。
「3!」
…大丈夫だ。何度この3人でムチャをしてきたか。
「2!」
波の動き的に、凍ったあとを予測する。恐らく、一番平坦なのは、ここから真っすぐ彼女に向かうルート。助かる。
「1…ゴー!」
「"瑞龍之冰瑞天"!」
「狐ちゃんたち、燃やし尽くせ!」
合図とともに瑠璃の霊刀が次々に波打つ泥に突き刺さり、周辺が瞬間冷凍されたように凍りつく。凍っているのを確認しつつ波に飛び乗って、間違っても滑らないように氷上を走る。
波の代わりに、と言わんばかりに走る僕に泥塊が迫ってくるが、後ろから炎で出来た狐が泥塊と接触した瞬間燃え上がり、全てを灰に変える。
そして、少し走った時点で刀の射程に入ったことを直感的に感じ、慣れた構えを取る。その時、彼女のか細くなった声が耳に入ってくる。
「ダレ、かぁ……たすけ、て……」
「…大丈夫。今、終わらせる」
そう呟いた感覚が感じられながら、視界がモノクロの世界へと溶けていく。引き伸ばされたような時間感覚の中で、彼女の胸元で揺れるペンダントを捉える。
邪気を吹き出すソレは、空中に浮き上がって彼女の首根っこを掴んで強引に立たせているように見えた。
そして、それに向かって、真一文字に冰桜を振るう。
「……"桜花、一閃"」
パリン…
冰桜がペンダントを捉え、真横から真っ黒に染まった宝石を真っ二つに叩き割って凍らせる。
次の瞬間、ドス黒い邪気が割れ目から噴き出し、天に昇るようにしながら溶け消えていく。そして、周囲の泥塊もパラパラと砂のようになりながら消えていき…
冰桜を鞘に戻した時には、最後まで宙に浮いていたペンダントと氷にヒビが一気に入り、すぐに粉々になって空中で溶け消えていた。
「ふぅ……っ!危ないッ!うっ、っぅ…」
それを見て少し息を整えるが、支えを失った彼女の身体が後ろ向きに倒れていくのが見え、倒れて頭を打つ直前になんとか身体を支える。一瞬左腕に激痛が走るが…腕に喰らったアレを忘れていた。あやうく取り落とすところだった…
「薫!ようやった、じゃがお主、その左腕…」
「すごいよ、薫!…でも、腕、大丈夫?たしかさっき…」
「僕は大丈夫!先にこの子見てあげて!」
それを見た瑠璃と紅葉が安心したような声で声をかけた後に、心配げな声をかけててくるが、こっちはそれどころではなかった。
「この子、すごい冷たし呼吸が浅い!それに所々消えかけてる気がする、このままだと…!」
「……霊力を使い果たしおったか。存在を保てるか怪しいレベルまで術を使うなど、本来ありえぬ。しかし、ここまで使い果たしておると…自然回復に任せてというわけにもいかぬな、先に消えかねぬ」
「多分、あの男がムチャクチャな指示を出したから……ねぇ、アナタ、うちのことわかる?」
「……?」
瑠璃と紅葉が腕の中の彼女を見つつ、それぞれ言うが、彼女は腕を顔の前で振る紅葉をぼんやりとした、焦点の合わない目で見る。
だが、口を開いても言葉が出ず、意識もあるかどうか怪しい状態になっており、顔は真っ青を通り越して、徐々に土気色になっていた。
どうするか悩んでいる間に、ポケットの中に入れていた無線から呼び出しのコール音が響く。もしや、通信が復帰したのか?
『…こちら捜査本部!桜乃捜査官!聞こえるなら状況を知らせよ!』
「こちら桜乃、被疑者…いえ、被害者を保護。自分を除く警官は全滅、現在行方不明。捜索隊派遣を乞います」
『良かった、ようやく繋がったか……だが…クソッ、了解。直ちに応援の調査課他の予備部隊を送る。マルガイの状態を送れ』
「手短に伝えますが、恐らく神格怪異。霊力を使い果たし消滅寸前。手を考えます」
『了解。やはり神格か……だが…状況は良くないな。とりあえず救急は送るが…』
「お願いします」
とりあえず報告すべきことは終わったので胸元に無線機を引っ掛けるように戻しつつ、目の前の彼女に集中する。
少し腕が痛むのを感じて、彼女と体勢を入れ替えるようにしつつ、正座の体勢になおりつつ彼女の頭を膝の上におく。
「瑠璃、どうすればいいと思う」
「…薫、あの七夕、そして紅葉を拾ったあの戦い。覚えておるな?」
瑠璃に聞きつつ彼女を見上げると、少しだけ目を細めた瑠璃が呟く。
…忘れるわけもない。瑠璃の神域で起こったあの七夕の騒動。それから、紅葉と出会った時に起こったあの戦い。どっちも死にかけるまで怪異とやりあった。
その時のことを忘れるはずが…
「あの時、霊力を使い切ったお主に、妾はどうした?」
「……!霊力の移動か。でも、やるなら瑠璃と紅葉の方が…」
「無理だよ。全く性質の違う霊力を流し込んだら、この子が先に壊れちゃう。姫様は水、うちは炎、この子は多分だけど土・金系だから…」
今まで瑠璃から貰ったりしただけだったから、そんなことも知らなかった……紅葉も瑠璃も、渡せないのか。死なせないために霊力を渡したら、それが原因で死んでしまう。なら、どうすれば…
「薫、お主がやるのじゃ」
「僕が?」
「うむ、主の霊力は妾の水、そして元より桜乃家が受け継ぎし木・土の霊力が混ざっておる。それなら妾らの霊力よりは拒否反応も少なかろう……妾の加護で水系霊力が強い時点で、少々分の悪い賭けには変わりないが…」
「でも、やらなきゃ死んじゃいますよ、姫様……」
瑠璃と紅葉の話を聞いて、頭をできる限り高速で回転させる。どうする、なにが最適だ?
救急か応援を待つか?だが、恐らく結界外すぐに待機でもしていないと、すぐには来れないはず。そしてそれはない。それに救急が来ても怪異診療科で対応出来うるのか…
そうなると…覚悟を決めたほうがまだ、良いか。
「……わかった、やろう。どうすればいい」
「……コヤツ、神体を持っておるが本人にしか取り出せまい。じゃが、反応自体は魂核に近い胸元…なら、ここに手を当てて、霊力を集めるようなイメージをせよ。あとは術を撃つ要領で霊力を流し込むだけじゃ」
「あげすぎちゃダメだよ?薫が死んじゃうから……」
「了解、わかった」
瑠璃からの指示と紅葉の忠告を聞きつつ、瑠璃が指さした胸元に手を合わせる。
…心肺蘇生法の訓練をふと思い出したが、彼女がCPRが必要な人と同じ状態だったことを思い直して集中し直す。
それから、身体の中の霊力を渡すようなイメージを組み立てると、僕の身体はイメージを勝手にわかってくれたのか、少しずつ霊力を使っているような感覚とともに、ゆっくりと薄れていた彼女の身体が再構築されていく。
「…いい感じ?」
「うむ……良い感じじゃ」
「拒否反応、なかったですね…良かった」
「そうじゃな…」
瑠璃と紅葉の言葉を聞きつつ、少しずつ霊力を流し込む。気づけば、存在は保てるレベルにはなったのか、身体はハッキリとし始めていた。
だが、若干消費が僕の回復量を上回っているのか、少し頭が痛み始め、手足の感覚が冷たくなる。
…もう少し、もう少しだけ。できるだけ彼女を回復させておかないと…このあと、鹿島さん達や学生さん達を探さないとなんだから…
そう思ったのだが、先にこっちの限界が来たのか、一瞬目の前が真っ暗になって、身体がふらついて彼女の頭のうえに倒れかけるが、なんとか留まる。
「……っ、危な…」
「薫!少し止まらぬか!」
「ちょ、ストップ!薫、薫の方が先に死んじゃうって!それにこの子ちゃんと見なよ!」
そう言いつつ、紅葉が腕を取り上げたことで霊力の移動が終わる。
それから、紅葉の言う通り彼女を見ると、少し頬に赤みが差し、いつの間に寝ていたのか…穏やかな寝息をたてていた。
「……ごめ、ありがとう…でも、この子、大丈夫だよね…?」
「うむ、恐らくこれですぐに消えるということはあるまい。ようやったぞ、薫…まぁ、無理をしたのは感心せぬが…神格を救ったのじゃから大目に見てやろう」
「ですね…でももう、無理しちゃダメだよ?」
「…そうだね、ごめん」
少し彼女を見ながら微笑む瑠璃と、こっちを膨れっ面で見てくる紅葉の2人のギャップに少し面白くなって、若干枯れた声で笑いながら返すと、膨れっ面だった紅葉も少し笑顔に戻ってくれる。
…とりあえず、この子を救うことはできた。となると、次は……
そんなことを思っていると、外からパトカーのサイレン音と、大型の警察バス特有のサイレン音が聞こえ始める。どうやら、霊力を移す作業に集中していて気づかなかったが…既に1時半を回っていた。応援要請をして30分程だろうか。
「応援が…来たっぽいね」
「ようやくじゃな」
「やっと帰れるねー」
「ふふっ…ごめんね紅葉。仕事はこれからだよ、行方不明の警官と…学生さん達を見つけないと」
「あぁー、それもそっか。じゃ、話聞くためにもこの子起こさなきゃ」
その紅葉の声を聞いて、膝の上で眠る彼女を見る。
「…起こすのが申し訳なくなるね」
「ふっ…じゃな」
そこには、さっきまで戦っていたとは思えないほど、安心したような顔で眠りにつく少女がいた。
だが、本来の捜査目的はここからであり…彼女を使役しようとしていた、あの妙な黒フードの男……
「…これから、忙しく…なりそうだね」
顔を上げながら呟いた僕の言葉に、瑠璃も紅葉も真剣な顔で頷く。
月光が窓から差し込み、目の前の少女たちを、ボロボロになった体育館の中を、淡く照らしていた。




