7.学院案内1
朝の空気に包まれながら、私はうつらうつらと馬車に揺られていた。
「ねぇ、学院ってこんな早い時間に行くものなの?」
「早いって……朝の礼拝と大して変わらない時間じゃないですか」
フィルが困ったような笑みで私を見ていた。
「だって朝の礼拝が終わったら、私はすぐ寝てるもの。私にとって、この時間は眠る時間だよ……」
魔力検査で合格を貰った私はティナとアーネを伴い、フィルと同じ馬車で学院に向かっている最中だ。
魔導学部に正式に入学するまでは、ナディアも付いてきている。
学院制服姿のフィルを見るのは初めてなので、それはそれで新鮮だった。
だけどそんな新鮮な刺激も、この眠気を覚ますことはできない。眠いものは眠い。
ナディアが微笑みながら私に語りかけてくる。
「殿下、学院に着いたらお知らせしますので、それまでお眠りください」
私はナディアに寄り掛かりながら早速瞼を瞑る。
「じゃあそうするねー。おやすみ……」
誰かが苦笑する気配を感じつつ、私の意識は暗闇に落ちて行った。
「――下、殿下着きましたよ?」
私は肩を揺さぶられたけど、瞼が重たくて持ち上がる気配がない。
「んー、あと五分……」
誰かが失笑する気配がして、私の身体がふわりと浮き上がった。
それはそれで心地良く、私は微睡の中で眠気に身を任せる。
周囲からなんだか人の気配やひそひそ話をする空気を感じる。
だんだんその気配で、私の意識が覚醒していく。
「んー……なんだか騒がしい気がする……」
ふわふわと誰かに持ち運ばれる感覚。
この感覚には覚えがある――あの夜会当日に、フィルが強引に私を連れ去ったあの感覚だ。
ハッと目が覚めて瞼が持ち上がった。
たくさんの制服を着た子供たちに見つめられる中、私はフィルにお姫様抱っこされながら学院の中を移動しているようだった。
一気に顔が熱くなり、私は慌ててフィルに抗議する。
「――ちょっとフィル! これはどういうこと?!」
「おや、目が覚めましたか? 学院に到着してもゲルダさんが寝ていらしたので、私が抱えて礼拝堂まで移動している最中です」
「もう目が覚めたから! 早く降ろして!」
「礼拝堂に着いたら降ろしますのでご安心ください」
有無を言わさぬ笑みでフィルは応えた。
こいつ……何を言っても降ろす気がないな?
私は恥ずかしくて自分の顔を両手で隠しつつ、黙って為すがままにされていった。
ようやくお姫様抱っこから解放された私は熱い顔を持て余しながらもう一度抗議した。
「人前でこんなことして! 変な噂がこれ以上広まったらどうするの!」
「僕は困りませんから問題ありません、と何度も言いました。それより、祈りを捧げなくて良いんですか?」
礼拝堂の中にも子供たちの姿があり、みんなの視線が私たちに集中している。
実に気まずい空間だ。
こうなったら礼拝に逃げるしか私に道は残っていない。
私は渋々、祭壇に向かい祈りを捧げ始める。
その間も周囲からひそひそとした声が聞こえてくる。
ぐぬぬ、集中集中――
祈りを捧げ終わるころには顔の火照りも消えていて、私が立ち上がって振り返るとナディアたちと一緒に、まだフィルが居た。
「ねぇフィル、授業に行かなくていいの?」
「僕はゲルダさんたちの案内をしますよ。前も言った通り、授業に出なくても問題はありません」
フィルの案内で私たちはまず、中等部の校舎を見て回った。
同年代の子供たちがこんなに大勢居る、というのはかなり新鮮だった。
廊下から教室を見て回る私たちを、教室の中の生徒たちも興味津々の目付きで見てくる。
中には通り過ぎた教室の中から飛び出てきて、廊下から私たちの背中を見ながらひそひそと囁く子もいるようだった。
「ねぇフィル、私たち、もんのすっっっっっっごい目立ってない?」
「竜の巫女のローブですからね。そりゃあ目立ちますよ」
「そんな目立つ私を、なんで君はお姫様抱っこなんて真似をしたんだい?」
「言ったでしょう? ゲルダさんが起きなかったから仕方なく抱え上げただけです」
「仕方がない割に、降ろしてと言っても降ろさなかったよね?!」
「きちんと祭壇前で降ろしたじゃないですか。何か問題がありましたか?」
「問題! 有り過ぎでしょう! 今日一日だけでどれだけ噂になると思ってるの!」
私はフィルの前に回り込み、胸に指を突き付けて抗議した。
「そうやって騒ぐのも目立ちますけど、良いんですか?」
にこりと微笑むフィルにそれ以上何も言えず、私はフィルの後ろに居たナディアの胸に飛び込んだ。
「ナディアー! フィルがいじめるー!」
「はいはい、分かりましたから廊下では静かにしましょうね」
中等部を見終わってから、今度は魔導学部の校舎に移動する。
フィルが落ち着いた声で私に告げる。
「魔導学部では先程の様に騒ぐと、とても怒られます。気を付けてくださいね」
誰が原因だと思ってるんだっ!
などと言いたい事をぐっと我慢して飲み込み、魔導学部の中も案内してもらった。
十五歳からの三年間、魔導の基礎を勉強する場所らしい。
教室を廊下から見て回っても、視線を寄越す生徒がちらほら居るくらいで、中等部ほど大騒ぎにはならなかった。
今教室で行われているのは座学で、実習は別に用意されている専用の部屋を使うらしい。
「なんで別の部屋を使うの?」
「実際に魔導術式を使う広さが必要なのと、生徒の放つ未熟な魔導術式から学院設備を守る必要があります。その為の結界を施された部屋に移動するんですよ」
そっか、魔力暴走しても抑え込めないと、学院が壊れて困るのか。
「ふーん……中等部に比べると魔導学部の教室に居る人数は少ないんだね」
「教養課程である高等部は中等部と大差ないですけどね。魔導学部は生徒の魔導を指導しなければいけませんから、少人数制なんです。それだけ魔導は危険を伴うという事ですよ」
ざっと見た感じ、男女合わせて二十人くらいしか居ない。
中等部は四十人以上居たから、半分くらいかな。
座学をしている教室を見終わり、次は特別教室を見て回る事になった。
まずは一番お世話になると思われる魔導教室から。
中にはやっぱり二十人くらいの子供が、大人の指導を受けながら魔導術式を使っていた。
「ねぇフィル、この廊下の窓ガラス、割れたりしないの?」
「先ほども言った内向きの防御結界が、教室内部に展開されていますからね。生徒の魔導術式程度で破壊できるほど軟な代物ではありません」
てくてくと歩いて次は武錬場という場所に案内された。
今は無人だけど、五十人くらいは人が入りそうな場所だ。
床の中央に白い大きな四角が四つ、並んで描いてある。
「ねぇフィル、あの四角いのはなーに?」
「あれは試武台ですよ。あの枠の中で試合を行うんです。今は誰も居ませんし、入ってみますか?」
中は静まり返っていて、私たちの歩く音が反響している。
試武台とやらの周囲は、試合を観戦しやすいようになのか、少し高くなってるみたい。
「広いねー。誰が使うの?」
「この武錬場は学院共有です。魔導学部にも組打術の授業がありますから、そういう時にも使われます。魔導を用いた組打術を習う訳ですね。ですので、この部屋も結界設備が整っています」
組打術……?
その耳にしたことのない単語に私は、きょとんと小首を傾げる。
「組打術って、どういうの?」
私の声に合わせて、ナディアが声を上げる。
「ティナ、アーネ、一試合殿下にご覧頂きなさい」
「はい!」
「……はい」
侍女姿の二人が試武台の中央で向き合って構えを取った。
その姿を見てフィルが驚いて目を瞠っている。
「まさか、侍女が組打術を使えるのですか?!」
「殿下の傍にお仕えする者は護身術を必須とします。例え侍女見習いであっても例外ではありません。特にアーネの腕前はフィリップ王子と互角かそれ以上でしょう。魔力検査に落ちた者の中にはアーネ以上の実力者もおりました。できれば彼女に付いていて欲しかったのですが、魔力が足りないのであれば仕方ないですね――フィリップ王子、開始の合図をお願いします」
フィリップ王子の「はじめっ!」という掛け声とともにティナとアーネが間合いを詰める。
ティナの仕掛けた不用意な顔面を狙った掌打を、アーネが右手の甲で上に弾き飛ばし、そのまま勢いを乗せてカウンターの右肘打ちをティナに浴びせかける。
ティナはそれを身体を捌いてかわし、アーネの体重が乗った前足を足払いで払いのける――それを読んでいたアーネが前足を持ち上げ足刀をティナの顔面に浴びせかける。
両腕で蹴りをガードしたティナに、アーネは身を翻した逆足での空中蹴りでさらにティナを弾き飛ばした。
ティナはそれを力を込めて耐え、空中で動きの取れないアーネの胸に双掌打を叩きこむ――がそれを身体を翻す勢いで巻き込んでかわしたアーネが回転する勢いのままティナの側頭部に踵蹴りを放つ。
ティナはそれも何とか片腕でガードし、未だ空中に居るアーネの顔面に掌打を放つ――がこれもアーネが軽く手でいなしながら、ティナに対してカウンターの足刀を放った。
足刀を腹部に直撃されたティナが、慌てて距離を取り、アーネが着地すると同時に二人が構え直した。
私には素早過ぎて、なんだかわからないやりとりをした後、二人が距離を取った。
息が上がりかけてるティナと、平然としてるアーネ。
組打術とやらの腕前は、圧倒的にアーネが上みたい。
「……今、何があったの?」
ナディアが微笑みながら応えてくれる。
「口で説明しても殿下にはご理解いただけないでしょう――フィリップ王子、あなたはアーネに勝てると思いますか?」
フィルは笑みを浮かべながら応える。
その頬には汗の雫が流れていた。
「……難しい所、ですかね。腕力で負けるとは思いませんが、敏捷性が僕よりずっと上だ。侍女のお仕着せでこの動き――これで身体強化術式を使っていないのだから恐れ入る」
「フィリップ王子とティナにアーネ、この三人が揃っていれば、殿下に万が一が起こる可能性は低いでしょう。私が殿下のお傍に居れば、その心配は一切不要でしたが、学院側から断られてしまいましたからね」
私は呆気に取られてナディアに尋ねる。
「……もしかして、ナディアってこの中で一番強いの?」
試武台から戻ってきたアーネが私に応えてくれる。
「私とティナ、フィリップ王子の三人がかりでも歯が立たないでしょう。伊達に殿下の傍仕えを務めている訳ではありませんよ」
ぽかーんと口を開ける私にナディアが微笑んだ。
「幸い今まで、私の腕前を見せる機会もありませんでしたからね。これでも武芸は一通り修めています。そこらの賊を相手に後れを取る事はありませんよ」
うーん、ナディアのイメージがまるで変ってしまう衝撃の新事実だな……見た目は静かな大人の女性なのに。
治癒術式が得意なのは知ってたけど、武芸ってことは、剣術とかも使えるって事かな?
あの綺麗な手でどうやって覚えたんだろう……謎だ。
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お昼になり、私たちは子供たちに紛れて学院の食堂、略して学食(というらしい)にやって来ていた。
大人数の貴族子女に食事を持て成す場、ということでかなり広い。厨房も大きく、料理人もかなりの数が居るらしい。
私は適当に目に着いた肉厚の炙り肉と付け合わせのパンを注文し、ナディアに切り分けてもらってからフォークを刺してかぶりつく。
もぐもぐ。うん、ここの味付けも私好みだ。
甘辛いソースがお肉によく合う。
お肉とパンを交互に口に頬張りつつ、柑橘類のジュースで流し込んでいく。
そんな私の姿を、周囲の子供たち(生徒、というらしい)がやはり興味津々で眺めていた。
うーん、視線を浴びながら食事をするのには慣れてるけど、放っておいてくれないかな……
私の気持ちが顔に出ていたのか、ナディアが苦笑を浮かべて語りかけてくる。
「話題の中心人物です。”見るな”というのが無理でしょう。生徒たちも殿下の存在に慣れれば、次第に興味を失いますよ」
フィルも苦笑を浮かべている。
「せめて、制服姿になればもう少し目立たなくなります。それまでの我慢です」
私はごくんと口の中を空にして、小首を傾げてフィルに尋ねる。
「制服? 私はそんなもの着ないよ? 着れる訳がないじゃない」
フィルが驚いたように目を見開いた。
「制服を着ないって……まさかその巫女のローブのまま学院に通うんですか?」
「そりゃそうだよ。巫女がローブを脱ぐのは巫女を辞める時だけだもの。お役御免になっても、巫女である限りは着続けなきゃいけない服だよ? 脱ぐには創竜神様からの許可が必要になるよ――お風呂とかの、一時的な時間はお目こぼしして頂けるけどね。夜寝るときもこの服だよ?」
ナディアが私の言葉を補足する。
「竜の巫女のローブは信仰の証であると同時に、巫女の身体を守護する結界術式です。創竜神様が着用を義務付けるのですから、或いはそれ以上の意味もあるのかもしれません。おいそれと脱げる服ではないのですよ」
フィルが躊躇いながら頷いた。
「父上や学院側はその事を知っている可能性が高いと思いますが、念のためローブでの通学の許可を確認しておきましょう」
昼食を食べ終わった私たちは、昼休みの時間一杯まで紅茶を飲みながら時間を潰した後、引き続き学院案内をフィルにしてもらうために席を立った。