48.空から来(きた)る使者
翌日の王都は大騒ぎだった。
悪魔が潜んでいた場所は王都から遠く離れた、郊外にある悪魔崇拝者の隠れ家だったらしい。
そこには巨大な穴が穿たれていて、底が見えない程深い穴だとか。
周辺の木も跡形もなく燃え尽きていたけれど、おじさまが消火だけはしたので山火事にはならなかったみたい。
赤竜おじさまの息吹の余波は王都全体を襲い、多くの建物が壊れ、耳をやられたり吹き飛ばされて怪我をした人が神殿や病院にやってきていた。
私とおじさま、そしてナディアは神殿の巫女や神官たちと、慌ただしく治療を施していった。
陽が落ちて神殿が閉まった事で、ようやく私たちは一息ついた。
赤竜おじさまの客間のソファに”べちゃ”っと潰れた私は控えていたティナに声をかける。
「ティナぁ、コーヒー頂戴……」
「畏まりました」
普段ならナディアが入れてくれるんだけど、今日はナディアも魔力と体力の限りを治癒に回していたので、私と同じようにソファに倒れ込んでいた。
赤竜おじさまはいつも通り、暢気に陽気な微笑みを浮かべてソファで足を組んでいる。
霊脈から食事が出来なくても、おじさまは”毎週私がちょっと祈りを捧げるだけで元気一杯になれるよ?”って笑ってた。
一週間毎日一心に祈ってたから、悪魔を滅ぼした後も元気一杯のままみたい。
私はコーヒーを一口飲んで溜息をつき、おじさまを睨み付けた。
「おじさま、聞いたよ?! 王都の窓ガラス、ほとんど割れちゃったんだって? これから冷え込む時期に、なんてことをするのさ!」
「はっはっは! この地の悪魔を滅する代償だ、そのくらいは我慢してもらうしかないね! なに、他の街から資材を持ってくれば、雪が積もる前に修復が間に合うだろう」
修繕費用は一旦、ゲシュテール王家が負担して、後から白竜教会が全額支払う事で話が付いたみたい。
白竜教会も”悪魔を滅する為なら必要経費”と割り切ってお金を出すことを快諾したとか。まぁ私たち創竜神様を信仰する者たち全員の敵だからね。
終戦直後という事で、戦場から戻ってきたばかりの兵士さんたちに声がかかり、今日から王都の修繕に走り回っているらしい。
おじさまに「魔導で何とかできないの?」と聞いてみたけど「一時的な応急処置にしかならないから意味がないんだ」と笑っていた。
クラインさんの魂に張り付いていた悪魔の力は、本体の悪魔が滅された事で消えてしまったらしい。
念の為、私がクラインさんの魂に創竜神様への祈りを捧げてみたけど、悪魔の気配はしなかったし多分大丈夫。
クラインさん自身は、時々記憶が途切れていた事にも気付いてなくて、真相を知らされて悔しがっていた――そこ、悔しがるところかなぁ?
赤竜おじさまに「おじさまが倒せなかったはずの悪魔を倒せたのは、何が起こったの?」と聞いてみたけれど、詳しいことは教えてくれなかった。
ただ一言だけ「ゲルダの祈りが通じたんだよ」と応えて笑っていた。
まぁ、私の祈りが役に立ったのなら、それでいいのかなぁ?
しばらく私たちは怪我人の治癒に力を注ぎ、それが終わる頃には年を越す直前になっていた。
****
――王宮、ゲルダの客間。
私はフィルと二人でのんびりとコーヒーを味わっていた。
フレドは自宅に帰り、トビアスは”今回の貴方はとても頑張りましたから”と、二人きりの時間を許してくれた。
もちろん、ナディアやティナ、アーネや他の使用人たちは部屋に居るけれど。
いつもは向かい合って座るフィルの横に座って、私は肩を寄せてコーヒーをこくこくと飲んでいた。
フィルはいつもの様に美味しそうにごくごくと喉を鳴らしてコーヒーを喉に流し込んでいる。
いつもなら「みだりに触れてはなりません」と言って侍女ガードを発動させるナディアも、今夜は遠くで優しく見守るだけだ。
なんでだろう?
私が小首を傾げていると、フィルが私の考えを察して応えてくれる。
「この国では、夫婦や親子、恋人同士で静かに年を越す風習があるんですよ。あと三時間程で新年を迎えます。その瞬間を親しい人たちと祝うんです」
「へぇ、そんな風習があるんだ? 私はそういうものとも無縁の人生だったからなぁ。初めての体験だー」
移動先でお祈りをしたら、食事をしてお風呂に入って寝る。それ以外をしてきた記憶がなかった。
する必要がなかったともいう。ただ祈るだけが私の目的で人生だ。
祈っていればいいだけの人生――何も考える必要なんてなかった。
フィルが自分のコーヒーカップの中を覗き込みながら、私に語りかけてきた。
「……この地の悪魔、倒してしまいましたね。ゲルダさんはこれからどうするんですか?」
私はフィルの顔を見上げながら応える。
「まだ宣託が届いてないからねー。霊脈が修復されるまでは、この街に居ると思うよ? その後は、創竜神様次第かな。急いで私がお祈りを捧げに行かなきゃいけなくなったら、白竜教会の使者が呼びに来るとは思うけど」
しばらくの間、時計の音が私の耳を支配した。
動きを止めて考え込んでいたフィルが、再び口を開いた。
「僕はゲルダさんから、婚姻の申し込みの返事を貰っていません。その返事を今、貰えませんか」
「え?! でもそういうのは、お父様やお母様が決める事だし……それに私と婚姻なんて、すっごい苦労すると思うよ?」
「貴方との婚姻生活を苦労などとは思いませんよ。それに、貴方のご両親の意向の前に、ゲルダさん自身の考えを聞いておきたいんです」
えー、私自身の考えかー。
考えるのが辛いから止めてしまって随分経つ。今更”考えて”と言われても、もうやり方を忘れてしまった気がする。
恋人として一緒に居る事と、夫婦として一緒に居る事。そんなに違う事なのかなぁ?
「うーん、やっぱり私には、婚姻とか夫婦がよく分からないな。恋人じゃ駄目な事なの?」
「夫婦はお互いに家庭を築くことを約束しあう、そういう関係です。いつか子供が生まれ、育てて行くことになります」
子供か……お腹の大きな妊婦さんは見たことあるけど、あんな身体で旅をするのは大変そうだなぁ。
創竜神様は”したければしていいよー”と言っていたけど、寵児のお役目の中で出来る事だとは思えない。
もう一度だけ考えてみて、私は結論を出した。
「フィルの事は夫にしても構わない人だと思ってるけど、寵児である私が子供を産んで育てるってのは、やっぱり無理がある気がするよ。家庭を作る事を約束できない私は、やっぱり婚姻しない方がいいんじゃないかな」
「……子供のいない家庭だって、世の中にはあるんですよ? そこに拘る必要はありません」
「そんな事を言われたら、なおさら夫婦と恋人の違いが分からなくなるじゃないか?! 私を混乱させて、君はなにがしたいのさ?!」
くすくすと、フィルが肩を揺らしながら笑って応える。
「簡単に言ってしまえば、社会的に共に居ても良いと認められる間柄が夫婦です。その二人の間にだけ、子供を作る事が許されます。パブリックな関係が夫婦、プライベートな関係が恋人、と捉えても良いでしょう。パブリックな場では、恋人の同席を認めない事もあります。夫婦であれば、どのような場所でも普通は認められます。そんな違いです」
「つまり、ナディアが近づくのを妨げられるのが恋人で、妨げられないのが夫婦って事? 夫婦になったら、ナディアは口出しできなくなるの?」
フィルがゆっくりと頷いた。
「概ね、そう考えてよいでしょう。貴方はどちらを選びたいと思いますか?」
えー、そりゃあナディアに”これ以上近づいてはいけません”って言われるよりは、何も言われない方が良いけど……
でも子供は自信がないしなぁ。
「んー、それなら夫婦かなって思うけど、やっぱり寵児としては夫婦になる自信がないかな……私にとって竜の寵児である事は全てに優先される事だから、例えフィルや子供が居たとしても、私は寵児のお役目を全うしようとすると思うよ?」
フィルがようやく私の目を見てくれた。
「では、意識としては僕との婚姻を望んでいる、という事で間違いないですね? 自信がない、というのはこの際横に置いておきます」
「それって横に置いといていい事かな?! ――まぁ自信を無視すれば、そうなるね。私は君とずっと一緒に居たいと思っているし。でも、実際には難しいはずだよ?」
フィルは大きく息を吐いて、ナディアと目と目で会話をしていた。
そうして再び私の目を見る。
「いえ、それが分かっただけで今は充分です。まだ年越しまで時間があります。今夜は僕も、年を越すまで共に居ますから――」
それから私たちは、何気ない言葉をやりとりしては笑い合っていた。
夫婦とか家庭って、もしかしたら家に帰るとこんな時間が待っている関係なのかな、などと考えたりしていた。
”なんとなく”、誰かがバルコニーにいるような気がして席を立った。
フィルが私の背中に「ゲルダさん?」と尋ねてきたけど、私は誰かに誘われるようにバルコニーに出ていった。
年越し直前のバルコニーは結構冷える。
白い息が風に流されて夜空に消えて行く。
私は”なんとなく”バルコニーから遠くの街並みを見ていた。
後ろから私に追いついてきたフィルが、私の背後に立つ。
「どうしたんですか? もうすぐ年越しですよ?」
「うん、ちょっとここで待って居ようよ。多分、すぐだと思うんだ」
不思議がるフィルと一緒に、私は夜景を見ていた――不意にベランダの柵の上に「とん。」と着地する白い足が視界に入った。
その足の持ち主を見上げると、真っ白い巫女のローブを纏った小さな同い年ぐらいの女の子。背の高さも髪の毛の色も、なんだか私に似ている気がした。瞳が紅玉の様に赤い子だった。
その子は人懐っこい笑顔で私に笑いかける。
「赤竜おじさまったら、あいかわらずだね! この国の人に迷惑をかけてしまってごめんなさい!」
私はその子に尋ねてみる。
「貴方は誰? そのローブ、竜の巫女なの? どこから降ってきたの?」
その子はにこりと笑って見せた。
「私はルカだよ! 貴方の前世、と言って通じるかな? 私も竜の寵児なんだ。創竜神様から伝言を受け取って、あなたに届けに空から降りてきたところだよ!」
前世? それはなんだろう? でも竜の寵児なのか。
ん? ”創竜神様から伝言”? 本殿からやってきたのかな? でも空から降りてきた?
混乱する私に、ルカは丁寧に説明してくれる。
「私は創世神様の所で、生まれ変わるときに貴方の魂から削ぎ落された”ルカ”としての人格だよ。創世神様が地上で頑張ったご褒美をくれるっていうから、”創竜神様の使徒にして欲しい”ってお願いしたんだ。だから今は、創竜神様の所でメッセンジャーとして働いてるんだよ。悪魔が滅びた事で、やっと私が貴方の元へやってこれるようになったんだ」
創世神……トビアスが前に言っていた、創竜神様よりずっと偉い神様の名前だっけ?
あれ? 人間界から消えてしまったって言ってなかったっけ?
ルカが楽しそうに笑う。
「創世神様は創竜神様よりもずっと高い所に居る神様だよ。だけど人間は死ぬと、魂が創世神様の所に運ばれるんだ。貴方も死んだときに分かるよ」
彼女の言っている言葉は理解できないけれど、なんだか他人とは思えないような、鏡を見ているような気分だった。
ふとした言葉が、私の口を衝いて出る。
「ねぇルカ。貴方は恋人と夫婦の違い、分かったの? 寵児の私は夫婦が務まるの? 貴方は夫婦になれた? 私はどっちを選んだらいいのかな?」
ルカがにんまりと可愛らしく笑う。
「恋人より仲良くなれるのが夫婦だよ。私は寵児として、王女として、そして女王として愛する人と夫婦をやれたよ。貴方が選ぶべき道は、貴方が知っている事だよ」
王女として女王として……私と同じ王女として生まれて、国を継いだ子なのか。
私が選ぶべき道は私が知っているの? 恋人よりもっと仲良くなれるのが夫婦だから? 今よりフィルと仲良くなりたいと思うかどうか、なのかな……
「あっ」とルカが叫んで言葉を続ける。
「いけない、肝心の伝言を忘れてた! ”学院を卒業したら、国に帰ってフィルと結婚すればいんじゃね? やりたいようにやっていいよー”って」
「うぇ?! 寵児のお役目は?!」
「貴方のお役目は、この地の侯爵を倒したことでおしまいだって。そのくらい強い悪魔だったんだよ。倒した侯爵より強い悪魔は、もうほとんど居ないからね。今の時代で一番強い貴方の力が必要になることも、しばらくないってこと。子供を産んで育てるくらいの間は、貴方はのんびりしていいって」
「え?! 一番強いってなに?! 創竜神様は”このあたりじゃ一番”とは言ってたけど――」
「このあたり、つまりこの大陸で一番強いのが貴方って事。あの時から更に大きく成長した貴方は、今の時代で一番強い寵児なんだよ。小さい頃から忙しく移動して祈りを捧げていたのを覚えてる? 貴方が強い力を持っているから忙しかったの。普通の寵児はもっとのんびりした子供時代を送るんだよ?」
それは中々の衝撃的な新事実だなぁ……いきなり”君、最強ね”とか言われても実感が……
それに私は祈る事しかできないのに。
私を考えを読んだかのようにルカが笑った。
「祈るだけであんなに強い悪魔を倒せちゃうんだから、やっぱり凄いよね! 私は自分の手で殴って倒してたのに!」
自分の手で殴って? 悪魔を? 見かけによらず武闘派なのかな……この子。
どう見ても私と変わらない、普通の女の子にしか見えないぞ?
「いや、実際に倒したのは赤竜おじさまだし……私はほんとに祈っていただけで……」
「その祈りの力が凄かったって意味だよ! ――あっ! 赤竜おじさまに伝言をお願いしていいかな? ”アルルカは創竜神様の所で元気にしてるよ!”って。私の声、おじさまには届かないからさ!」
私はその言葉に頷いた。
「あ、うん。わかった。貴方は本当はアルルカっていうんだね。伝えておくよ」
満足したように笑顔を浮かべたルカは、そのまま雪が手のひらで溶けるように、その姿を夜の闇に消してしまった。
私はしばらく、フィルと一緒に呆然とルカが消えた空間を眺めていた。
「なんだったのかな……」
「なんだったんでしょうね……でも、創竜神様の宣託が届きましたよ? ゲルダさんはどうしますか?」
振り向くと、ニコニコと幸せそうなフィルの笑顔。
――そうだ、創竜神様から名指しで”結婚すれば?”とか言われてるんだ。
私は腕を組んで悩んだ。
「うーん、でもその後に”やりたいようにやっていいよー”って言われてるから、フィルと結婚しなくても宣託に背いたことにはならないんだよね……。それに国に帰ってってことは、フリートベルク王国に戻れって事だし、フィルをお婿さんにするって事になるんじゃないの? いくら第三王子でも厳しくない?」
「そのくらい、父上を説得して見せますよ?」
「……フレドやトビアスとも友達で居続けたいって言ったら怒る?」
「ゲルダさんが僕を夫とするなら怒りませんよ?」
クスリと笑い声が聞こえてそちらに目を向けると、ナディアもバルコニーに出てきていた。
「殿下は寵児としてお忙しい人生でしたのでご存じないでしょうが、聖属性の白い魔力は強い創竜神様の加護を得ている証です。我が国では王族の場合、王位継承権で最優先に扱われます。つまり殿下は帰国して女王となる必要があります。この事は本国に連絡済みで、陛下もご存じです。御覚悟は宜しいですか?」
「ちょっと待ったーっ?! それって、私の選んだ人が国王になるってこと?! 責任重大過ぎない?! 第一、私に女王なんて務まらないけど?!」
「この場合、正しくは国王ではなく王配と呼びます。そういった勉強からして頂く必要がございます」
Oh……学院卒業後も勉強漬けの毎日が確定。
がっくりと肩を落とした私を、フィルが笑いながら室内へ誘う。
「ここは冷えます。そろそろ年も超しますし、温かいコーヒーを飲みながら続きを話しましょう」
私たちは静かにバルコニーを後にし、室内で言葉を交わし合いながら年を越した。
遠い先になると思っていたお役御免が急に言い渡されて、私はようやく自分の人生がやってきたんだ。
その事に浮かれたり沈んだり、忙しい気分を味わった夜になった。
そんな私を、みんなが眩しそうにずっと見守ってくれていた。




