47.怒竜の咆哮
――夜の王宮、パーティホール。
澄んだ青空のような煌びやかな正装に身を包んだフィルが、招待客たちの相手をしていた。
瞳の色よりも濃い青を纏ったフィルは、こうしているとまさに王子様だ。
一方の私は、いつもの真っ白なローブでひたすら食べ物を口に運んでいた。
ティナとアーネがせっせと運んできてくれるお皿を受け取ってはそれを空にしていた。
フィルに祝いの言葉を告げた招待客たちが、続けて隣に居る私にも声をかけようとする――けれどそこに居るのは、口一杯にお肉や野菜を頬張った女の子。
”なんだこいつ”という戸惑いの表情と共に、彼らはその場を去っていく。
「ゲルダさんはあの日の夜会から変わりませんね」
苦笑を浮かべるフィルに、私は黙って頷いてみせる。
会話が続かないのだから、話しかけないで頂きたい――そんな思いを全身から迸らせる事なら慣れているのだ。
フィルの隣に恋仲と噂されている私が居る。それだけで周囲の女性たちはフィルに声をかけづらくなり、遠巻きにこちらを見ているだけだ。
これで私の目的は達成された。むふーっと満足の鼻息が漏れて行く。
もっぐもっぐとお肉を噛んで、肉汁の味を堪能する。
フィルの傍、正確には私の傍にフレドとトビアスも控えてる。けれど私からは距離を取って、私とフィルがパートナーであるという事を強調してくれていた。
フレドは自前の黒い正装、トビアスはフィルが用意した紺碧の正装を着ている。
どちらもさまになっていて、時折若い女性から話しかけられては、適当に相手をして追い払っているみたいだった。
私はもぐもぐごくんと口の中を空にしてから二人に声をかける。
「せっかくかっこよく決めてるんだから、女の子ともっと話せばいいんじゃない? 私よりかわいい子だっているでしょう?」
煌びやかなドレスを身に纏っておしゃれをしている女の子がたくさん来ている。
王族の開く夜会に来てるだけあって、みんな気合が入ってるみたいだ。
どう見ても”口の中に食べ物を押し込み続けている質素なローブの女の子”より魅力的だと思うんだけど。
フレドは「俺はお前以外に興味が無い」と肩をすくめた。
トビアスは「もう少し鏡を見る習慣をつけた方が良いんじゃないですか」とにこやかに告げてきた。
解せぬ。彼らの趣味が解せぬ。
「君たち、もう少し女の子を見る目を養った方が良いんじゃないかな?」
トビアスまでが肩をすくめて私に応える。
「養えば養う程、貴方の虜になるだけですがそれで構わないんですか?」
「だーかーらー! それがずれてるって言ってるんだよー! もっと女の子らしい子を好きになったらいいじゃないか!」
「自分が女の子である自覚がないというんですか? もう一度、思い出させてあげても良いんですよ?」
それって魅了の術式にかかった時の事を言ってるんだろうか。
あの時の自分がどうだったかなんて覚えてないしなー。
とか思っていたら、急にフィルから肩を抱き寄せられた。
「……フレド、トビアス。何度でも言うが、譲れるものと譲れんものがある。ゲルダが後者なのは言うまでもないな?」
不機嫌オーラをめらめらと燃やしているフィルが二人を睨み付けていた。
その気持ちは嬉しいんだけど、夜会に来ている人たちが見ている前で肩を抱き寄せられるのは、かなり恥ずかしいのでやめて頂きたい。
俯いて火照った顔を誤魔化していたら、すぐ傍から聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。
「あらあら、フィリップ王子ったら嫉妬かしら? 独占欲が強いのね」
顔を上げると、そこに居たのはクラインさん。その瞳は真っ直ぐフィルを見ていた。
”なんとなく”、おや? と思った。クラインさんなら、まずフレドに話しかけているはずだ。
姿も声もクラインさん。だけどクラインさんじゃない――これがフレドの言っていたクラインさんもどきか。
そのクラインさんもどきの横には、背の高い男性が一人。これが侯爵子息?
フィルがクラインさんもどきたち二人に声をかける。
「お前たちがゲルダから祈りを奪った張本人、という訳か」
その声には、怒りが滲み出ている気がした。
その眼差しにも、憎しみに近いものを感じる。
クラインさんもどきは、楽しそうに笑ってそれを受け流していた。
「いいわね。人間の負の感情ってとっても美味しいわ。もっと憎んでいいのよ? ――それに、創竜神の加護もなく、赤竜も力尽きて動けない。そんな貴方たちに何が出来るというのかしら?」
クラインさんもどきの横に立つ男から感じた事がない程の殺気が私たちに向けられた。それだけで私は足が竦んで動けなくなってしまった。
今ここに居るのは祈る事すらできない、何もできない女の子だ。
ちょっと竜の魔導術式が使えると言っても、術式を完成させる前に命を奪われる事が分かってしまう。護身術など、何一つ持っていない。
祈りを奪われるだけで、私は自分をこんなにも保てないのか――心の中で愕然としていた。震える手足を止める事すら、今の私には出来ない。
フィルが私を背中に庇う様に立った。
左右をフレドとトビアスが固め、背後にはナディアとティナ、アーネが来てくれている。
それでも手足の震えが止まらなかった。創竜神様に祈ってしまいたい。だけどそれはできない。私の心の支えは奪われたままだ。
怖くて悔しくて、涙が零れて行く私を、愛おしそうにクラインさんもどきが見つめている。
「祈る事も出来ない巫女の、無様で愛らしい姿ったらないわね。貴方は創竜神の奇跡すら起こしてみせたのでしょう? もう一度、その奇跡を起こせばいいんじゃないかしら――ほら、祈ってごらんなさいよ。貴方の信仰心が本物なら、きっと届くわよ?」
トビアスが静かに声で私を制止してくる。
「挑発に乗って祈ってはいけませんよ。奴らはそれが狙いです。怖くても耐えてください」
――分かっていても、祈ってしまいたかった。自分の弱い心が、ただ恨めしかった。
「そんなに怖がる必要はないよ! おいちゃんが傍に付いているからね!」
横から聞こえたその陽気な声に、思わず振り向いた――赤竜おじさま?!
「え?! おじさまがなんでここにいるの?! 来るなんて言ってなかったのに!」
思わず叫んでいた私の言葉に、赤竜おじさまが、陽気でチャーミングなウィンクを飛ばしてきた。
「おいちゃんは来ないとも言っていないよ? ちょっと遅くなってしまったようだね。お前に怖い思いをさせて、すまなかった――だがもう大丈夫だ。その意味は……わかるね?」
おじさまがここに来てくれた。
ならば私は、この恐怖に打ち克つことが出来る。
その方法を私は知っている――私は静かに祈りを捧げる。
――赤竜おじさま、私をお助け下さい。
目を瞑って一心に祈る私の心に、おじさまの陽気な声が届いた。
『ああ、もちろんだとも。必ずお前を救って見せよう。おいちゃんを信じなさい!』
****
目を瞑り、一心に祈りに耽るゲルダの傍に歩を進めた赤竜は、普段と変わらぬ陽気な笑みを浮かべていた。
クラインとその婚約者――グスタフの殺気を受ける中、赤竜は笑みを湛えたままゲルダを背中に庇うように立ち塞がった。
クラインの口が動く。
「何故お前がここに居るのかしら――グスタフ、説明してもらえる?」
説明しろと言われても説明などできる訳がない。
赤竜程高位の竜が、あれだけの期間まともに魔力を補給できなかったのだ。
人間で言えば筋骨隆々の大男が半年間絶食した、その程度の責め苦だったはず。
基礎代謝を補う事すらできず痩せ衰え、気力も失い身体を持ち上げる事すら難しい――そこまで衰弱している計算だった。
今頃は人間に擬態する術式も解け、竜の姿を隠せなくなり神殿で横たわっているはずだった。完全に封殺したと確信していたのだ。
だが目の前の赤竜は気力も充実し、感じる迫力から体力も充分に漲っているのが伝わってきている。計算違いにも程がある。
グスタフはただ黙って、鋭い殺気を込めた眼差しを赤竜に叩きこみ続けた。
「今回はお前たちに、とても愉快な目に遭わせて貰ったからね! きちんと返礼をするのが礼儀というものだろう?」
赤竜は普段浮かべる陽気な笑みを浮かべた――だがその笑みを見たものは理解した。その陽気な笑みの裏に、灼熱の溶岩すら生温い激怒を秘めた笑いだと。
瞳が一切笑っていないのだ。その目の奥に、燃え滾る怒りの業火を湛えている。この怒りに比べれば先日見せた怒りなど、冷水と変わらないと言える程だ。
赤竜は笑みを浮かべたまま言葉を続けていく。
「――いや、私の事など些末な事だ。お前たちはゲルダの尊厳を穢した。この子が唯一胸を張れるものを奪い去った。その罪、万死を以ても生ぬるい。後悔する間もなく私自ら滅してやろう」
クラインが口角を上げて嗤う。
「たかが高位竜種風情が、地上に顕現した私に勝てるとでもいうのかしら? 私の居場所も分からないくせに」
クラインにとりついた悪魔、崇拝者たちから侯爵とよばれる悪魔は、その名の通り侯爵級――その中でも上位の魔族だった。
未だ創竜神の強い封印に縛られてはいるが、竜の寵児の祈りを奪い取る事で短期間で強い力を得ていた。既に並の高位竜種が手に負える相手ではない。
赤竜程ともなれば多少は苦戦するかもしれないが、赤竜以外に戦力となり得る人間も居ない。
創竜神の加護を持たない人間が何人居ようと、そんなものは手下のグスタフ一人で事足りる。
邪魔な人間どもを始末したグスタフと侯爵が力を合わせれば、赤竜を滅ぼすことも可能だった。
しかも愚かな竜の寵児は、赤竜の後ろで一心不乱に祈りを捧げている。耐えがたい恐怖から祈りに逃げたのだ。
その祈りの力を侯爵が食えば、その力はさらに膨れ上がる。
侯爵は勝利を確信して嗤っているのだ。
だというのに、赤竜は笑みを湛えたまま立ち塞がっていた。
刻一刻とその迫力が増しているかのようだった。
竜の寵児の祈りの力が自分に届く気配もない。
何が起きているか理解できず、クラインは眉をひそめ、不審に思い赤竜に叫ぶ。
「貴様、何をした?! 貴様らは何をしている?!」
途端、赤竜から陽気な笑みが去り、竜の如き獰猛な笑みに変わった。
彼が決してゲルダたち寵児に見せぬと心に決めている、赤竜本来の好戦的な笑みだ。
「――貴様らが知る必要などはない」
血の底から響くような低音に、周囲の人間たちが戦慄した。
戸惑いと戦慄から、咄嗟に意を決したグスタフがクラインを連れて逃げようと手を伸ばした――その手を、赤い魔力障壁が弾き返す。
いつのまにかクラインの身体も幾重にも魔力の帯で縛られ、口を利く自由すら奪われている。そのまま足がもつれて倒れ込んでいた。
「今この場で私を出し抜けると思わぬ事だ。クラインの身体と魂は返してもらった」
赤竜の発する重低音が、怒気を隠さぬまま告げた。
グスタフは一瞬の逡巡の後、常人の目に留まらぬ速度で窓ガラスを割り、夜空に飛び出していた。
その空に飛びだしたグスタフの姿を、太い青光の帯が飲み込んだ。
王宮が揺れ、夜会会場の空気を震撼させ、会場にある硝子という硝子全てを砕いて轟いた咆哮が、グスタフの姿を映し取っていた悪魔崇拝者を一瞬で蒸発させていた。
ナディアを遊び半分で死を覚悟するまで追い込み、策謀でゲルダを散々苦しめ、一度は赤竜を死の淵間際まで追い込んだ手練れの男が、何もできずにこの世から姿を消していた。
フィルやナディアたちを含む、会場に居る全員が耳を押さえてうずくまる――ただ一人、ゲルダだけが立って静かに祈りを捧げていた。
その耳には赤竜が術式を施しており、轟音から耳を守っていたのだ。
彼女はその小さな身体を轟音に揺らされても気づくことなく、未だ一心に祈りを捧げ続けていた。
フレドが頭を振って文句を口にする。
「竜のおっさん! 俺たちの耳も守ってくれよ?!」
赤竜が普段の陽気な声で応える。
「あの程度に即座に反応できないようでは、身体強化の練度が足りないね。お前たちはここに残りなさい。足手まといだからね。耳を塞ぐのを忘れない様にね――これから私は、ちょっと侯爵にお礼をしてくるよ」
そう言い残した赤竜が窓から夜空に飛び出した。
その身体がみるみると姿を変え、全長四十メートルを超える燃えるような赤い竜となった。その身体は淡い白光で夜空に浮かび上がっている。
そのまま赤竜はどこかへ向かい、一度羽ばたいて高速で夜空に消えて行った。
フィルたちが初めて見る、赤竜の真の姿だった。
『人の姿だと、あまり大きな力を使えないからね』
ナディアは以前、赤竜が口にしていた言葉を思い出していた。即座に意味を理解し、声を振り絞って叫んだ。
「全員耳を塞ぎなさい! 今のが生温く感じる音が来ます!」
その声が聞こえた全員が耳を塞いだ数舜後、トビアスの目が夜空に浮かぶ、多数の連なる魔法術式を見つけた。
彼は以前、間近で見ていた事で一瞬で理解した――あれは夥しい数の≪増幅≫と≪収束≫の”砲”だ。
トビアスが叫ぶ。
「みんな! 床に伏せて下さい!」
トビアスが床に身を投げるのを見て、周囲の者たちがそれを真似て行く。
トビアスがその様子を見逃すまいと夜空を見据えた瞬間、夜空が昼間のように輝いた。
≪増幅≫と≪収束≫の”砲”を貫いて、赤竜の息吹が全力で地上に向かって放たれたのだとトビアスは理解した。
真っ青な極太の光の帯が地上を貫く中、一瞬遅れて再び王宮全体を揺るがす轟音と激しい熱風が吹き荒れ、身体を伏せることが出来なかった者たちが次々に壁に叩きつけられていた。
――怒竜の咆哮。
これこそが真に怒れる竜の咆哮なのだと、トビアスは身体の芯から理解した。
赤竜の吐いた息吹は重厚な内向きの防御結界で包まれていた。
無数の≪収束≫術式で、範囲も極限まで狭められていた。
それでもなお、遠く離れた王宮ですら耐えがたい轟音と熱風が襲っていた。高所にある建物は恐らく全滅だろう。
先日トビアスが空に放った≪火竜の息吹≫すら児戯に思える程の威力だ。
おそらくこれが神話の伝承にある、公爵級の悪魔を滅ぼした息吹なのだとトビアスは直感していた。
夜会会場の皆が轟音と熱風と恐怖で攪乱される中、ゲルダ一人が変わらず、静かに祈りを捧げていた。
****
”なんとなく”もう祈りを終えていいような気がして、私は目を開いた。
目を開けると、何故か夜会会場はぐちゃぐちゃに荒れ散らかされていた。
会場に居た人たちは恐怖と混乱で蒼褪めて、身体を小さく縮こまらせているみたい。
私は辺りを見回して蹲るフィルを見つけ、その肩を叩いた。
「ねぇフィル、何が起こったの?」
フィルは夜空を見たまま放心しているようで、反応を返してくれない。
再び辺りを見回してトビアスを見つけ、肩を叩いて声をかける。
「トビアス、一体何が起こったの?」
トビアスはすぐに反応を返してくれて、私の顔を見た。
「……恐らくですが、赤竜が悪魔を滅しました。その余波がここまで届いて、この有様ですよ」
え?! おじさまは”この地の悪魔には私でも勝てない”ってずっと言ってなかったっけ?
そんな事で嘘を言う竜でもないはずだし……何が起こったんだろう?
辺りをまた見回してフレドを探す――壁際で、クラインさんを庇っているフレドを見つけて慌てて駆け寄った。
「フレド! 大丈夫?! クラインさんは無事?!」
フレドも放心してたけど、私の言葉で我に返ったようで、慌ててクラインさんの様子を確認しはじめた。
クラインさんは気絶しているみたい。ぐったりとはしているけど、怪我はないように見える。
大きく安堵の溜息をついたフレドが私に応えた。
「――竜のおっさん、ゲルダと姉さんにだけは手厚い結界を施してくれてたみたいだな。そこだけは感謝しておこう」
「”だけは”? 他のみんなは違ったのかな? おじさまなら、出来る限りみんなを守ってくれそうだけど」
フレドが苦笑を浮かべて応えてくれる。
「それだけ頭に血が上っていたんだろう。ゲルダと姉さんを守る以外にも、街を守る結界は張っていたようだ。影響を受ける人間全てに結界を張ってやる事まではできなかったんだろうさ――だが遠く離れた王宮ですらあの威力だ。明日の病院や神殿は怪我人だらけだろうな」
……え、おじさま、それはやっちゃいけないことじゃないかなぁ?!
私がナディアたちの無事も確認し終わった頃、いつの間にか窓辺に赤竜おじさまが姿を現していた。
赤竜おじさまがとてもすっきりした顔で、いつもの陽気な笑顔を振りまいた。
「はっはっは! いやーすっきりしたね! あれだけ全力を出したのは、創竜神様と一緒に悪魔と戦って以来だよ!」
「おじさま?! そんなことして怪我人が出たらどうするつもりだったの?! 死人は出してないよね?!」
「あの悪魔を滅ぼすのに手加減はしていられなかったからね! 死人は出していないよ。怪我人は明日、私も神殿で癒す手伝いをしよう。ゲルダもその手伝いをすると良い。もうお前は、創竜神様への祈りを取り戻しているはずだよ?」
私は一瞬、その言葉が理解できなかった。
ようやく理解してから、赤竜おじさまに尋ねる。
「……赤竜おじさま、それは本当? もう私は、創竜神様に祈っても大丈夫なの?」
赤竜おじさまはゆっくりと、優しく微笑みながら頷いてくれた。
私はそれを見て、気が付いた時には視界が涙で滲んでいた。
「……おじさま、ありがとう」
涙をローブの袖で拭い、嗚咽を上げながら、私は言葉を喉の奥から振り絞っていた。
赤竜おじさまは私を抱きしめて、頭を優しく撫でてくれていた。




